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能登を忘れないで──「店がなくても、味は届けられる」“鮨 津久司”の挑戦

鮨 津久司

更新日:2025年5月19日

お客さんの笑顔を間近で見たくてなった寿司屋

 能登町宇出津(うしつ)に店を構える「鮨 津久司」(すし・つくし)は、地元の海の幸にとことんこだわった寿司屋です。  扱う魚介類は、すべて能登近海で水揚げされたもの。その時期ごとの旬を大切にし、四季折々の海の恵みを一番美味しいかたちで味わっていただけるよう心がけています。  能登の魚は、本当に美味しい。    水温や海流、漁法など、いくつもの自然条件が重なって生まれるその味は、ほかでは決して真似できない特別なものです。

「これはヤバい」現実に打ちのめされながらも前を向いて

 店に訪れる多くのお客さんに愛され、料理人として充実した日々を送っていた私の暮らしは、能登半島地震によって一変しました。  地震発生後は水も出ず、自宅にも戻れず、ただ必死に息子を守る毎日。自宅と店舗の両方が大きな被害を受け、約1か月間、避難所での生活を余儀なくされました。  心身ともに大きな負担がかかる中、せめて夜だけでも息子に温かいものを食べさせたい。その一心で、避難所で一緒に過ごしていた約50人分の炊き出しを始めました。

現在は出張ケータリングがメインなため、店での調理風景は貴重(2024年4月撮影)

 こうして振り返って語ると、冷静に対応できていたように思われるかもしれません。  でも実際には、頭が真っ白で、何も考えられなかった。怒りだけがこみ上げ、現実を受け止める余裕なんてなかったんです。  そんな中、唯一の心の支えが、震災前から参加が決まっていた「オモウマい店フェス」(2024年3月開催)でした。 「それまでには何とかなるだろう」と、半ば根拠のない希望にすがっていました。  でも、現実は甘くありません。水すら出ない日々が続き「これはヤバい」と何度も現実に引き戻されました。  それでも、うつむいている時間はなかった。2月末にようやく水が出るようになり、そこからは急ピッチで準備を進め、なんとかフェスには間に合わせることができました。

目標を終えたあとの「ぷつん」──初めて涙が出た

 フェスが終わったところで気が抜けたのか、緊張の糸が切れたのか、そこで初めて泣きました。「次、何すればいいんだろう」って。本当に分からなくなっていました。  でも、周りから「次はどうするの?」「また店やるの?」って聞かれて、「お店にお客さんを呼べないなら、お客さんに呼んでもらおう」と思い至ったんです。  私にはInstagramを活用するためのアドバイスをもらっている先生がいるんですが「出張ケータリングについて投稿してみようと思う」と相談したら背中を押してもらえたんです。  もともとテレビ番組の「オモウマい店」に出演したことで少しは周囲に名前を知られていたおかげか、投稿後には3か月先まで一気に予約が埋まりました。

「もう一度、この場所に行列を」再開を目指す決意

 今の目標は「この店に行列をつくること」。その第一歩として、まずは店舗の再開を目指しています。  とはいえ、店は建物自体がダメージを受けていて、すぐに営業を再開できる状態ではありません。それに、魚を仕入れるための流通や市場の復旧など、地域のインフラ回復も欠かせません。  正直、こればかりは自分ひとりの力ではどうにもならないことで、時間がかかるのを痛感しています。  最近では、公共事業による解体がどんどん進んでいて、それまで建物に隠れていた海が突然目の前に広がることも。見慣れた景色が少しずつなくなっていくのを見ていると、驚きと切なさが入り混じった、なんとも言えない気持ちになります。  それでも、目標は変わりません。もう一度たくさんのお客さんに来てもらえるように、これからも前向きにがんばっていきます。

お出汁たっぷりのだし巻き卵。アツアツが食べられるのもお店だからこそ(2024年4月撮影)

お寿司で、能登の魅力を届けたい

 実はコロナ禍で店舗営業ができなかった時期、市場で安く手に入るようになった魚を無駄にしたくなくて、私は独学で魚の熟成技術を学び始めました。  YouTubeを見ながら試行錯誤を重ねるうちに「熟成させた魚のほうが、むしろ美味しい!」ということに気づいたんです。しかも、仕込みの効率もよくなり、ケータリングや移動販売にも向いている。  このときの経験が、震災後に始めた出張ケータリングで思わぬ形で役立つことになりました。  今は、企業の会食やイベントなど、いろんな場面で寿司を提供しています。遠方でも美味しい状態で届けられるよう、熟成技術を活かしながら、工夫を重ねています。  そして、出張ケータリングで一番大事にしているのが「能登のものを使うこと」。  他の地域の食材を使ってしまうと、自分が届けたい想いが、どこか薄れてしまうように感じるんです。

求む! 鮨 津久司の味をより広く届けるための支援

●漁業・一次産業への関心がある方  能登では漁業そのものが大きな打撃を受けています。漁船が流され、設備が破損し、多くの漁師が生活の再建に手いっぱい。海に出ることすら難しい状況が続いています。  そんななかで「漁師さんの存在は絶対に必要だ」と改めて強く思ったのです。  魚を獲るという部分は、AIやテクノロジーではどうしても代替できません。  そのため漁業や一次産業に関心のある方に、能登での復興や食の未来に関わってもらいたいです。 ●商品開発に関する知恵をお借りしたい お客様から人気の高い「刺身の漬け」を商品化する構想もあります。これまで店舗や出張ケータリングでしか味わえなかった能登の魚の味を、より多くの方に届けるためには、加工・販売という新たなチャレンジが必要なのかなと思っています。  例えば、保存性を高めながらも風味を損なわないパウチが良いのか、あるいは見た目やギフト性を重視した瓶詰のほうがいいのか──そんな細かな選択も、一人では決めきれません。だからこそ、食品開発や販売に詳しい方、または一緒に試行錯誤してくれるパートナーを探しています。

商品化構想のある「刺身の漬け」。食べ終えるのが惜しいほど美味!(2024年4月撮影)

事業者プロフィール

鮨 津久司

代表者:坂 津世史 所在地:石川県鳳珠郡能登町宇出津

取材後記

 坂さんが握ってくださったお寿司は、取材中であることを何度も忘れてしまうほど美味しくて。  一方で、語ってくださった震災の経験は、とても過酷で、想像するだけでも胸が締めつけられるものでした。  それでも坂さんは、終始とても明るく話してくださいます。  明るさの源には、愛息のあおい君の存在や、お客様、そして共に能登で懸命に生きる仲間たちの存在があるのだと感じました。  坂さんはこう言います。 「能登のことを忘れられるのが一番怖い。だからこそ、いろいろな場所に出張ケータリングに行くようにしているんです。」  一日も早く、“鮨 津久司”にお客様の笑顔と行列が戻りますように。心からそう願っています。

出張寿司では、約15種類を食べ放題で提供(1人前5,000円)(2024年4月撮影)

青木真子(あおき・まこ、ライター)

 大阪府大阪市在住。  記事執筆にとどまらず、企画立案・取材・ディレクション・進行管理など、コンテンツ制作に関わる幅広い業務に携わってきました。  今回、能登への訪問経験はなかったものの、震災後の報道や現地の声に触れるなかで「何かしらのかたちで力になれたら」という強い思いを抱くようになり、参加させていただきました。

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