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輪島の老舗“三辻商店”三代目は、再発見した能登の魅力で輪島一の企業を目指す

株式会社三辻商店

更新日:2025年7月28日

家業を継ぐ決意と、輪島への想い

 僕、三辻洸二郎(みつじ・こうじろう)が代表を務める“三辻商店”は、創業70年を越える、能登で一番古くからある老舗包装資材屋です。  能登の飲食店や海産加工場を主要なお客様としていて、干物などの海産物を包むパックや発泡スチロール・段ボールなどの、営業する上でなくてはならない商品を提供しています。  決して目立つことはないですが、能登を支える「縁の下の力持ち」だと自負しています。  僕が家業を継ぐために輪島に帰ってきたのは、震災の前年、2023年4月のことです。大学を卒業してから8年間、京都や大阪で包装資材関連の会社に勤め、営業職をしていました。  正直、高校生のころは、両親の姿を見て「この仕事大変だな」と思っていましたね。ただ、小さいころから可愛がってくれた祖父母が創業した事業を、僕が継がないのはきっと寂しがるだろうと思ったので、「僕が継ぐ」という強い想いがありました。  それに、輪島市を含む能登全体は人口減少が止まらない状況です。だからこそ、僕のような世代が一人でも多く帰ってくることが、地元である輪島にとって意味のあることだと信じていました。

元日に襲った未曾有の地震

 輪島市に帰ってきてから、「よし、これからやるぞ!」と意気込んでいた矢先、2024年1月1日、能登半島地震が起きました。  あの日、僕の実家には家族や親戚が集まり、総勢13人で新年を迎えていました。午後4時10分前に震度5弱の揺れがきて、「いつものやつか」なんて言いながら念のため外へ出たんです。でもその直後、今まで経験したことがないほどの揺れが僕たちを襲いました。ついさっき挨拶を交わした目の前の家が音を立てて崩れ、「大津波が来るぞ!」という声が飛び交うなか、慌てて高台へ避難しました。  道路は大渋滞。子供たちは泣き叫び、終始パニックで、自分も震える手でハンドルを握っていました。

2024年1月1日能登半島地震により倉庫が全壊

「必要とされている」──混乱の中で感じた希望

 僕たち三辻商店の被害は、倉庫7棟のうち、4棟が全壊、2棟が半壊しました。それでも、「町全体みんなで頑張ろう」という気持ちがありました。 物資が届かないなかで、 「炊き出しするから、容器をくれ!」 「割り箸ちょうだい!」 など、直接町の人が倉庫に足を運んできてくださったり、必要とされていることをとても実感しました。必要とされていることは、とても嬉しかったですし、その瞬間は辛いことも忘れることができました。

「ありがとう」の声に励まされながら、被災地で炊き出しを手伝う

心が折れそうになった水害と、妻の言葉

 ただ、本当に心が折れかけたのは、その半年後にあった豪雨でした。生き残ったすべての倉庫が浸水してしまい、商品は泥だらけ、車も3台ダメになりました。

豪雨で泥に埋もれた店内の商品(2024年9月撮影)

 「神様、そこまでやるか?」って、本気で思いました。    しかし、絶望の淵から僕を救ってくれたのは、奥さんの言葉でした。「くよくよしてても、水害のなかったころに戻れるわけじゃないんやから、あとはどう復活するかやろう」そう言って、背中を押してくれました。

2024年10月、豪雨により浸水した輪島市

出会いが広げてくれた未来の可能性

 また、災害があったからこそ繋がった出会いも、たくさんありました。ありがたいことに、被災の記事を見て金沢の会社の社長さんが声をかけてくださり、サポートをいただきました。  さらに、県内に留まらず、県外のお客様にも商品をご購入いただき、金沢に進出する機会も得ることができました。  命のある限り諦めず、輪島市、そして三辻商店をもっと成長させたい、心からそう思っています。

輪島市の未来について熱く語る三辻洸二郎社長(撮影:高橋 唯)

三辻商店という“縁の下の力持ち”

 三辻商店は、さまざまな事業者の“縁の下の力持ち”として動いていますが、実際は皆さんに支えられてばかりです。  高校生のときの自分に伝えたいです。──この仕事は、本当にやりがいがある。    お客様に寄り添いながら、「どうしたらお客様の売上が伸びるのか」だけを考えて、日々アイデアを提案しています。  そして何より、お客様の笑顔を間近で見られること。これは、ネットやデジタルでは得られない、かけがえのない喜びだと感じています。

災害を通して再発見した能登の魅力

 災害をきっかけに能登の魅力も再発見できました。 当たり前に思っていた豊かな自然、輪島塗、そして町ごとに受け継がれるキリコ祭り。こんなに世界に誇れるものが揃っている地域。この町には最高なコンテンツが溢れていると思います。ある人が「田舎が一番世界と近いよ」と言ってくれて、能登は世界で勝負できると気づかされました。

家族で訪れた輪島大祭のひととき

“企業の祭り”としてのキリコ──僕の描く夢

 今僕が構想しているのが、あるゆる企業を集めて、キリコを担いでもらうことです。例えば、ライバル企業同士で、同じキリコを担いで、祭りで一緒に汗を流してもらうことです。  観光でもあるし、地域貢献でもあるし、社員研修にもなる。何より輪島の祭りの魅力を「体験」として味わってもらえると思うんです。地元と企業、人と人が繋がる場としてのキリコ。そんな場をつくりたいと本気で考えています。

輪島一の企業になるという目標

 僕の今の目標は、輪島で一番大きな企業になることです。雇用を生み、町に貢献し、三辻商店を通じて輪島の未来を育てたい。    復旧・復興に関しては、解体工事は進んでいるものの、まだまだ道のりは長いです。インフラの整備や住宅の再建、朝市の復活、宿泊施設の整備など、5年、10年という単位の時間が必要になると思います。

一度でいい、輪島に来てください

 この記事を読んでくださった皆さんに、お願いしたいことが一つだけあります。とにかく一度、能登・輪島に来てください。 僕らと話して、一緒にお酒でも飲みましょう! そして、1年に一回、キリコを担ぎに来てください。 連絡をくれたら、僕が最高のガイドをします。  災害があって大変だったけれど、今の僕にはネガティブな気持ちは一切ありません。むしろ、この経験があったからこそ、会社が大きくなれた。 そう胸を張って、自分の子供たちに伝えられるように、これからも走り続けようと思っています。

暮れなずむ空と、キリコと、愛する我が子

事業者プロフィール

取材後記

 取材初日、能登空港から輪島市へ車を走らせ、宿から三辻商店までは徒歩で向かいました。片道20分ほど、散歩がてらに町を歩いてみると、災害の影響か、道を行き交う人の姿はほとんど見られず、静かな町だという印象を抱きました。  のちに三辻さんから「あそこも以前はけっこう賑やかだったんですよ」と聞き、震災後に多くの方が金沢などに避難・移住していることを、わずかながらも肌で感じられました。  けれども何より印象に残ったのは、三辻さんの輪島への熱い想いです。お話を伺うなかで、その明るさと前向きさに触れ、この人なら本当に能登全体を盛り上げてくれる──そんな直感を覚えました。  震災当時の混乱、避難所での暮らし、復旧への道のり……本当に過酷な経験をされたことと思います。それでも話の端々からは、人への感謝や町への誇りがあふれていて、心を打たれました。  私自身も、いつか輪島に行って、キリコを担ぎたい。輪島を、能登を、自分なりの方法で応援したいと、心から思いました。  この記事を読んでくださった皆さんも、ぜひ輪島を訪れた際には、三辻さんに連絡を取ってみてください。きっと、最高のガイドと出会えるはずです。

高橋 唯(たかはし・ゆい)

 IT企業でBtoBの法人営業・広報業務を経験後、PR代理店の広報部にてインターナルコミュニケーション施策、社内報制作、プレスリリースやメディアリレーション構築に携わる。  都内で開催された能登を感じるイベントに参加したことをきっかけに、実際に自分の目で能登を見て、地域の方と直接話したいという想いから、本企画にプロボノライターとして応募。

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