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輪島に働き手を。輪島に再起の灯を。“居酒屋 連”

居酒屋 連

更新日:2025年9月1日

輪島の自然と共に歩んだ25年

自然豊かな輪島の風景

 輪島で“居酒屋 連”を営んでいる、河上美知男(かわかみ・みちお)と申します。1998年11月の開店から、はや四半世紀が経ちました。  料理人を志して、若いころは金沢や輪島の老舗料亭や居酒屋などで腕を磨きました。一度は都会にも出ましたが、ビルに囲まれた環境が肌にあわず、輪島に戻って店を開業する決心をしました。  私は、海と山に囲まれたこの輪島がいいのです。

素早く魚をおろしていく河上さん

濁りのないクリアな目から新鮮さが伝わる

 私の店は、旬の魚介類をお出しすることにこだわっています。私自身も海へ潜って釣り上げるので、市場に並ばない珍しい魚が入ることもあります。メニューのなかで定番の一つは、創業時から破格で出しているカマ焼き。大きなカマを丸ごと焼く豪快な一皿で、これを出すと皆喜んでくれます。

“居酒屋 連”名物のカマ焼き。この大きさで800円

 この土地には「糠漬け」や「いしる」、少し甘めの醤油など、独自の発酵文化が根づいています。日本海の魚は輪島で作られている醤油によくあいます。魚介類を塩漬け・発酵させて作る「いしる」は、夏場にナスなどの野菜を煮るのにぴったり。ひとさじ加えるだけで、食欲のない日でも箸が進みます。

その日獲れたばかりのイカ

 輪島は県外から釣り好きの方が来ることも多く、自分で釣った魚を持ち込み「これ、料理してもらえませんか」と訪ねてくることもあります。  開業から四半世紀、地元の方はもちろん、遠方からも足を運んでくださるお客さんが増えていきました。ここ数年は自分より若い世代の姿も多くなってきて「店を長男に託す日も、そう遠くないかもしれない」と思い始めていました。

二重被災により店は大規模半壊に

かつて港があった浜(2025年7月・黒島町にて)

 2024年1月1日。新年を祝っていたその日、輪島は突如として凶暴な揺れに襲われました。  私たちの住む地域は、地すべりや隆起によって道が分断され、完全に孤立してしまいました。家の電話も携帯電話の電波も通じず、まるで世界から切り離されたような状況が続き、輪島の中心街に住んでいた友人は、「河井が住んでいる地域はもう駄目かもしれない」と思っていたそうで、それほど被害がひどく、孤立も極めていました。  恐怖と不安が街を覆っていましたが、自衛隊の方々が迅速に動いてくれたおかげで、私たちはもちろん、病気などで動けなかった方たちも家族と連絡を取ったり避難したりすることができました。  私自身は、道路が一部復旧したタイミングで、息子が車で迎えに来られる地点まで3時間歩いて向かいました。  

2025年9月現在、“居酒屋 連”は仮店舗で営業中

 避難後、地域の様子をみながら歩いていると、朝市通りの近くに建つ、輪島塗の紹介や製作体験施設である「輪島工房長屋」で炊き出しをしている人々と出会いました。手伝ってほしいと声をかけられ、避難所で暮らす方々のために私も炊き出しに加わることになりました。  近くのスーパーや農家の皆さんが、売り物にならない食材を次々に届けてくれて、最初は数百食から、やがて一日で2,000人分を超える食事をつくるようになりました。  運搬のためにとろみをつけたり、避難所には高齢の方が多いため、保健師からアドバイスを受けながら、減塩を心がけたりしました。避難所にはさまざまな食品が届きますが、塩分が高いものは余ってしまいます。余ってしまいがちな缶詰などの活用方法を考えたりもしました。

炊き出しをしていたころの様子

 ようやく仮設住宅への入居が始まり、少しずつ希望の光が差し始めたそのとき、豪雨が私たちを再び襲ったのです。  地震ですでに傾いていた私の店は、川の逆流によって高さ1.8メートルの浸水被害。厨房機材は泥に埋まり、床下は崩れ、もはや修繕が不可能な大規模半壊となりました。  炊き出しをしながら、落ち着いたら自分の店を再開しようと温めていた希望が完璧に削がれて……。そのうち息子に譲ることを願いながら、これまで何度も補修を重ねてきた店を解体することは、人生で最もつらい決断でした。

仮店舗で再出発。輪島工房長屋に灯をともして

厨房の外側では美知男さんが魚をさばき、厨房のなかでは息子の義智さんが調理をする

 度重なる災害を受けた街は暗く沈んだ空気に包まれて、私も一瞬は絶望に飲み込まれそうになりました。しかし、2024年9月の大雨で店が壊滅的な状態になったあと、不思議なことに、気持ちが前を向き始めたのです。 「こんなことで負けていられない。絶対に元に戻してやる」  そうと決まれば、状況を見ながら、今できることを一つずつやっていくしかありません。

塗りの盆に盛られた、朝獲れ鮮魚のお造り

 2024年12月28日、再び“居酒屋 連”の暖簾があがりました。元の店を建て直すまでのあいだ、輪島工房長屋の一角で、仮店舗として再スタートすることにしたのです。  この店の明かりが、周囲を少しでも照らせたら──そんな思いで、厨房に火を入れました。  課題は山ほどあります。先の見えない不安のなかで、輪島を離れる人が後を絶ちません。少しでも早く、安全な場所で生活を立て直そうと思うのでしょう。でも、私はここに残って店を再開させると決めました。それは、自分のためだけではないのです。  たとえば、年配の方々のこと。年を取ればわかるけれど、最後は住み慣れた土地で生きたいものです。

能登地方などで食べられる小さな巻貝「シタダメ」

地元の皆さんに「シタダメ」の食べ方を教わりながら

 家族、年齢、仕事、愛着など、さまざまな理由があって輪島に残る人たちがいます。これ以上、地域から人が減ってしまうと、ここにいる皆が生活できなくなってしまいます。  輪島の人が外へ出てしまう問題だけではなく、輪島の外からいらっしゃる人たちを迎えられる場所が少ないことも問題です。人が少ないと、仕事になりません。仕事がなければ街の営みそのものが止まってしまう。現在の輪島には、外から来てくださった方が食事する大きめの店が少なく、うちのほかにはもう一店舗くらいしかありません。店も、働き手も足りないのです。

大粒の牡蠣は夏の能登にかかせない特産品のひとつ

 私は、今できることをやりながら、元の店を建て直すつもりです。言葉で言うのは簡単ですが、実現するのは本当に大変です。物価が上がって、再建には1億円以上もの資金が必要と言われましたが、もう一度、これで最後だから頑張ろうと思っています。  うまいものを食べれば、人は笑顔になります。輪島の一番の自慢は何といっても食です。まず食べて、輪島を知ってもらいたい。  私は、ここから始められることを一つひとつ、積み重ねながら、外から来てくれる皆さんの受け皿になる飲食店として復興を果たしたいと思っています。

輪島に縁を持ってくれる人が一人でも増えたら

皆で大きなカマ焼きをわけあう幸せな時間

 復興の歩みがようやく見え始めた今、最も深刻なのは「人手不足」です。働き手がいなければ、店も、街も、動きません。今は地元の高校生たちが、日替わりで手伝いに来てくれています。金沢の大学生たちも力を貸してくれていますが、人材は圧倒的に足りていません。  やはり継続的にしっかりと働いてくれるスタッフが必要です。

河上さんの携帯にはひっきりなしにお客さんから電話がかかってくる

 公式なボランティアの募集はすでに終了していますが、それでも「何か力になりたい」と自主的に動いてくださる人がいる。この街は、そんな人の気持ちに支えられています。  週末になると、全国各地からボランティアの方々が訪れてくれます。泥かき、引っ越し、家屋の片づけ──どれも体力が必要な作業ばかり。それを黙々と続けてくれる方々の姿は、輪島の希望の光です。

ボランティア団体「リガーレ」の一員でもある河上義智さん

 私の息子も、技術系ボランティア団体「リガーレ(https://wajimaligare.net/)」の一員として活動しています。倒壊した家からの貴重品搬出や、重機を使った作業など、専門技術を必要とする現場はまだまだ数多く残されています。  これを読んでくださっている皆さんも、どうか、輪島に来てください。輪島と関わりを持ってください。  この街に、新たな一歩を刻んでくださる方が一人でも増えたら、心から嬉しく思います。

事業者プロフィール

居酒屋 連

代表者:河上美知男 所在地:石川県輪島市河井町4-66-1(仮設店舗・輪島工房長屋) 営業時間:17時30分~23時(日曜休み)

取材後記

 お店を訪れたのは、開店準備で忙しい時間帯。慣れた手つきで魚をさばいておられた河上さんに「こんなにたくさん、ご自分で釣られたのですか?」と尋ねると 「こっちは今日のお客さんが釣ってきた魚なんです。『釣った魚をさばいてくれるお店が見つからなくて……ようやくこの店を見つけたよ』と、うちを頼ってくださって。だから今日は少し忙しいよ」 と話してくださいました。  輪島のご自慢は、やはり食。とくに魚介類は絶品で、それを輪島の醤油で食べてみてほしいとのこと。輪島には醤油蔵が多く、その独特なコクと甘味を湛えた醤油は、輪島の人にとってなくてはならないもので「醤油は輪島人の血」と言われているのだとか。  教えていただいた甘口の醤油は、帰宅後もお刺身をいただくときの食卓に欠かせない存在になりました。その香りと味わいにふれるたび、河上さんの店で一緒に卓を囲んだ地元の皆さんの笑顔が思い出されます。

伊藤璃帆子(いとう・りほこ)

 コラムニスト&フォトグラファー、たまに料理人。デジタルマーケティング会社勤務を経て、コンテンツプランナーとして独立。企画から制作までワンストップで手がけるマルチクリエイター。  また、Webコンテンツだけでなく料理家としても活動中。ケータリングユニットを主宰し、アートな食空間を提供している。 https://www.instagram.com/catering_unit_session/ https://www.facebook.com/rihoko.itoh

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