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震災を乗り越え、奥能登珠洲で新たな酒造りに挑む“櫻田酒造”4代目の物語

櫻田酒造

更新日:2025年9月1日

漁師町珠洲で愛されてきた“気取らない”酒

 櫻田酒造の4代目櫻田博克(さくらだ・ひろよし)です。櫻田酒造は、1915年創業。漁師町として栄えてきた珠洲市蛸島で、家族で営む小さな酒蔵です。もともと漁師を生業にしていた先祖が土地を得て、米作りが盛んだったことから、自然と酒造りの商いをはじめました。

古くから漁師町として栄えてきた珠洲市蛸島

 僕は3男ですが、兄2人が酒蔵を継がず、ある日父親に「継げ」と言われたんですね。地元が好きだったので酒蔵もいいかな、いざとなったら金沢市内の高校へ通っていたときに便利だったコンビニを珠洲でもオープンしようと思い、家業を継ぐことになりました。
 櫻田酒造の看板銘柄は、喜びのときに飲む酒「大慶」。この辺りでは、漁師達が大漁時に「大慶」と喜んでいたんです。漁師でもあった我が家も「大慶丸」という船を持っていました。  もうひとつは「初桜」。珠洲では冠婚葬祭などに酒を贈る風習があり、この「初桜」が選ばれることも多いのです。  地元の酒好きの漁師さんや、地域の皆さんに愛される、気取らない酒作りを続けてきました。

酒蔵も自宅も、全壊に。地震がもたらした被害

地震後の蔵の様子(撮影日:2024年1月 撮影者:櫻田さん)

 2024年1月1日。その日は家族全員で、サッカー日本代表戦をテレビで観戦していました。試合が終わって監督のインタビューのあと、1度目の地震がありました。半年前の2023年5月5日にも地震で壁が落ちて、大工さんに修理してもらったばかり。なので「また壊れたらどうしよう」と、心配になり、酒蔵へ様子を見に行ったんです。そこで2度目の大きな地震がありました。  あまりの揺れに立っていられず、思わずしゃがみこみ、お米を冷やす鉄の機械の横に潜り込みました。とっさに入ったのか機械が流れてきたのかわからない。でも、それが命を守ってくれたんです。柱など色んなものが上から降ってくるなか、無傷で済みました。

(撮影日:2024年1月 撮影者:櫻田さん)

 大きな声で家族を呼びましたが、返事が返ってこない。なんとか表に出たら、家族が駆けつけてくれて本当に安心しました。でもちょうど正月の帰省で戻っていた兄ががれきに閉じ込められてしまって。 津波警報が鳴っていても、兄を置いて逃げることができなくてね、本当に困りました。  幸いこの地域には、津波は殆ど来なくて、駆けつけた駐在さんや近所の先輩たちが、二時間後に、兄を掘り起こしてくれた。兄は尾てい骨を強打し歩くこともままならない状態でしたが、病院もけが人でいっぱいとのことで、すぐには治療できませんでした。

櫻田酒造を救った奇跡の酒米と、委託醸造

酒蔵も住宅も全壊に(撮影日:2024年1月 撮影者:櫻田さん)

 震災後は、小学校の避難所に身を寄せて、瓦礫から使えそうなものを取り出して、片づけを行っていました。そのころ、「もう造り酒屋は廃業しよう」と決めていました。割れずに残った酒が見つかっても、近所の人や得意先の酒屋さんに配ろうと考えていたんです。  そのうち、SNSなどでうちの酒蔵が崩壊した様子が写真で広まり、全国から応援の声をいただくようになりました。さらに、地酒・天狗舞を醸造する白山市の車多酒造さんから「うちで酒を作ればいい」と委託醸造のお誘いもあった。それでも、落ち込んでしまって、廃業の決意は変わりませんでした。

(撮影日:2024年1月 撮影者:櫻田さん)

 とある偶然が心境の変化をもたらします。ある日、埋もれていた車のカギを重機のあるボランティアさんに掘り出してもらいました。その時、瓦礫のなかから、酒米が沢山出てきました。大雨も降ったから、ダメだろうと諦めていたんです。でも、酒米は9トンほどあり、奇跡的にそのなかの4トンが酒造りに使用できる状態で残っていました。その光景を目の当たりにしたとき「よしやるぞ」とやっと思えたんです。

瓦礫のなかで、奇跡的に残っていた酒米(撮影日:2024年2月 撮影者:櫻田さん)

 車多酒造さんに連絡したら「よし、すぐに酒造りをしよう」と言ってくれて。酒米を運んで、東京の大学で学ぶ息子も一緒に泊まり込みで仕込みをさせてもらいました。嬉しかったですね。現在も金沢で暮らしながら、委託醸造という形で、車多酒造さんの施設で酒造りをして、金沢の酒屋さんに配達する形で少しずつ商売を続けています。 

車多酒造にて、奇跡の酒米を使った醸造の様子(撮影日:2024年4月)

金沢駅構内の「金沢地酒蔵」(金沢百番街「あんと」内)で櫻田酒造の酒を買うことができる

もう一度珠洲に戻って、新しい酒造りを

 2026年の冬頃を目指して、新しい酒蔵が建つ予定です。珠洲に戻り、酒造りをすることにしたんです。地震も怖いし、洪水で浸水したので、新しい場所で商売を考えたこともありました。でも、月日が経つにつれて、やっぱり地元でやるしかないと思えてきたんです。  商売的に不利な場所です。人がいないから、酒を飲むお客さんもいない。町内には30件程の家があったのですが、ほかの地域に避難してほとんど戻ってきません。当然だと思います。私自身も、これから歳をとれば、もっとこの土地が不便になるだろうこともわかっている。でも、これまで地元にお世話になってきた酒蔵なので、ほかの場所に行くことはできない。能登の珠洲で酒造りをして、恩返しがしたいんです。  これから挑戦したいことは、よどみのない酒を作ること。古い酒蔵では、どうしても不思議なえぐみというか、複雑な雑味が含まれて、それがうちの酒の持ち味でした。でも醸造家としては、綺麗な酒も作ってみたい。古い酒蔵はどうしたって戻らないのだから、新しい酒蔵だからこそできることに挑戦したいと思っています。

珠洲・櫻田酒造での酒造りの様子(撮影日:2017年ごろ)

 息子も能登に帰ってきて、酒蔵を継いでくれることになりました。大学卒業後は、車多酒造に就職させていただけることになり、社長が「2年で即戦力に鍛えて返してやる」と言ってくれています。息子と相談しながら、今まで作っていなかった木の樽の酒や発泡性の酒など、新しい酒に挑戦したい。大きな目標ですが、ゆくゆくは息子が好きなウイスキーの醸造も手がけたいと考えています。  つらいこともあって、眠りにつけない夜もありますが、それでもなんとかなってきたので、これからもなんとかなるんじゃないかと思っています。やっぱり酒造りは面白い仕事なんですよ。能登の地で、その仕事を続けていけることは幸せなことだと感じています。

酒蔵の瓦礫の上で、決意を新たにする櫻田さん。(撮影日:2024年4月)

能登の漁師の地酒を、もっと多くの方へ

「金沢地酒蔵」店長の吉田さんと一緒に

 震災後の初年度は、おかげさまで震災需要をいただいて、作った酒はすぐに売り切れになりました。でも、その後少しずつ売り上げが鈍ってきています。震災需要だけに頼ってしまってはいけないのですけどね。珠洲の酒蔵を復興して、酒の魅力を発信していくことが必要なのではないかと思っています。  能登の地で、これからも酒を作っていきます。もしご縁がありましたら、ぜひ櫻田酒造の酒を味わってみていただきたいと思っています。漁師町育ちのうちの酒は、能登の新鮮な魚介類によく合う。うまい海産物と一緒に、楽しんでもらえたらとても嬉しいです。

地元の漁師に愛され続けてきた、喜びの酒「大慶」

櫻田酒造のお酒が購入できる主な店舗 《東京》 八重洲いしかわテラス 東京都中央区八重洲2丁目1−8 八重洲Kビル1階 TEL:03-6225-2177 https://ishikawa-antenna.jp/ 朝日屋酒店 東京都世田谷区赤堤1-14-13 TEL:03-3324-1155 http://www.asahiyasaketen.com/shop.html 《金沢》 金沢地酒蔵 石川県金沢市石川県金沢市木ノ新保町1-1 金沢百番街あんと内 TEL:076-260-3739 https://zizakegura.com/

事業者プロフィール

櫻田酒造

代表者:櫻田博克

取材後記

 インタビューは、金沢駅前のスターバックスで。お話を聞かせてもらったあと、金沢駅構内の金沢百番街あんとにある金沢地酒蔵で写真撮影をさせていただきました。 「初桜」「大慶」を購入して、さっそく家に帰って「初桜」をいただきました。飲み方は、櫻田さんおススメのぬる燗で。口当たりがやわらかく「気取らないお酒」という言葉が良く似合う初桜。あまりの美味しさに、夫と二人であっという間に1本あけてしまいました。その後いただいた大漁を喜ぶ漁師の酒「大慶」は、櫻田さんの笑顔を思い出す、うれしくなるようなお酒でした。  新しい酒蔵でどんなお酒づくりをされるのか、とても楽しみです。櫻田さんの人柄も感じる櫻田酒造のお酒を、一人でも多くの方に味わっていただきたいと思います。私もまた美味しいお酒を味わいに、珠洲に遊びに行きます。

荒田詩乃(あらた・しの)

 埼玉県在住。自治体職員、NPO法人スタッフ、公共ホール職員を経て、アート・工芸などの分野を中心にフリーランスの編集・ライターとして活動。畑を耕しており、農業・民俗学にも関心を持っています。今回能登半島に初めて伺い、豊かな文化が根付いている場所なのだと強く感じました。近いうちに、また能登に伺いたいと思っています。

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