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昆布をすべての食卓へ。コロナや震災を乗り越えて進み続ける“大脇昆布”

有限会社大脇昆布

更新日:2025年5月26日

「おぼろ昆布」一筋に。伝統と挑戦

 大脇昆布の原点は、1968年。先代である父が15歳で福井県敦賀市に奉公し「おぼろ昆布」の技術を学び始めたことにあります。おぼろ昆布の本場・敦賀で20年以上にわたり修行を積んだ父は、家族とともに石川県能登町へ戻り、昆布の加工業を始めました。  その後、1988年に法人化し、現在は創業56年。最盛期には7名の職人が昆布を削っていましたが「おぼろ昆布」づくりは非常に根気のいる繊細な作業であり、若手の育成が難しいのが現状です。  現在は、私、大脇一登(おおわき・かずと)ひとりがその技術を受け継ぎ、石川県内で唯一の「おぼろ昆布職人」として続けています。

削られた昆布は、まるで薄絹のよう。数年にも及ぶ修行を要します(2024年4月撮影)

 全国的にも職人の減少は深刻です。大阪・堺市では最盛期の50分の1にまで減少し、敦賀市でも数十人にまで減っています。敦賀市では技術を「有形文化財」として保護する動きも始まっていますが、石川県ではまだそのような取り組みは進んでいません。県内の昆布専門店も、今ではわずか3〜4軒のみという状況です。  こうした厳しい環境のなかでも、私たちは「伝統を絶やさず、次の世代へ技をつないでいく」ことを使命とし、日々昆布と向き合いながら、一歩ずつ前に進み続けています。

削りたてのおぼろ昆布(左:中おぼろ、右:太白おぼろ)。部屋中に広がる、やさしく深い香り。

継承、改革、そして挑戦

 今から約16年前、私が事業を継いだころ、会社の経営は非常に厳しい状況にありました。  父は従来のやり方を守りたいと考えていましたが、私は「このままでは続かない」と危機感を抱き、方針転換を決意しました。  しかし、販路はほとんどなく、私自身も営業経験がありません。どうにか日々をしのぐような状態が続きました。  転機となったのは、北陸新幹線の金沢開業です。これを機に、若い世代に向けた商品づくりを始めようと、「食べきりサイズ」の小分け昆布を開発しました。  大袋ではなく、使いやすい少量包装にし、一人暮らしや高齢者世帯をターゲットに設定。 「冷蔵庫の隅で昆布が乾く」という声を受け、思い切って内容量を減らし、カラフルな13種類のパッケージで展開しました。 「地味」「高齢者向け」という昆布のイメージを一新したことで、観光地や土産物店にも商品が並ぶようになり、3〜5年をかけて徐々に売上が回復していきました。

性別や年齢問わず手に取りやすいパッケージデザインの『KONBU MAGIC』シリーズ(2024年4月撮影)

「パンにかける昆布」──逆境から生まれたヒット商品

 しかし、その矢先にコロナ禍が始まり、観光需要が激減しました。  次なる一手として開発したのが、「パンにかける昆布」です。  当初はご飯にかける商品としてチャック袋で販売しましたが、反応はいまひとつ。そこで瓶詰めに変更し、「パンにかける」という新たな切り口に転換しました。

商品は能登の素材にこだわってつくられている。ご飯派は『梅しそとろろ昆布ふりかけ』トースト派は『トーストにかけて食べる昆布』をぜひ(2024年4月撮影)

 テレビ番組で取り上げられたこともあり、2019〜2020年ごろから注目を集めはじめました。しかし、再びコロナの影響で売上が不安定に。  そんななか「もっと外に出よう」と決意し、商談会や展示会に積極的に参加。地元の信用金庫の協力で他社と共同出展も行い、少しずつ黒字化を実現しました。 「やった! ついに光が見えてきた」──そう思った矢先、今度は2024年1月1日の能登半島地震が発生しました。

能登の多くの場所で地すべりが起こり、土砂が道路をふさいでいる様子(2024年震災当時)

 正直、最初は心が折れました。年末用の在庫が残るなか、「これをどうにかしないと」と、自分たちを奮い立たせ、再始動に踏み切りました。  震災直後から、ボランティア団体や行政の方々が立ち寄って商品を購入してくれたことが、大きな励みとなりました。本当に感謝してもしきれません。さらに、1月15日ごろには佐川急便さんが物流を再開してくれ、希望が見えた思いでした。

震災後、自宅を失い作業場での寝泊まり。仮住まいが1年を超えた

 地震の発生後、自宅は住めない状態となり、やむを得ず作業場で寝泊まりする日々が続きました。資材置き場と作業場が離れていたうえ、水道も使えなかったため、作業効率は大きく低下して……。さらに、道路の損壊により出張販売や資材調達にも深刻な影響が出ました。  特に原材料の一部が届かず、自ら金沢まで取りに行くこともありました。  インフラの回復が進んだ2025年5月現在、能登産を除いた資材の流通は徐々に安定してきています。実家の敷地内にはプレハブを設置し、仮住まいを続けながら、作業場の生産体制も徐々に整いつつあります。ただし、能登産素材の安定確保は、依然として大きな課題です。

「昆布のある食卓」を目指し、夫婦ふたりで挑む

 現在、私たちが目指しているのは、「どのご家庭の食卓にも、おぼろ昆布や私たちの商品が並ぶ未来」です。  まだ万全ではない環境でこの目標を実現するために、新しい商品を一から開発するのではなく、既存の商品をリメイクするかたちで取り組んでいます。  たとえば、首都圏のお客様に合わせてパッケージを変更し、新たな販路の開拓を進めているところです。  夫婦で運営しているため、限られた人手や時間のなかで、どんな工夫ができるかがとても大切。だからこそ、地域やお客様それぞれのニーズに合わせて、パッケージの見せ方を工夫しながらご提案しています。  また、インバウンドのお客様に向けては、言葉に頼らずイラストでわかりやすく伝える工夫などを行っています。 「パンや納豆に昆布をかける以外の、ほかの使い方も知りたい」というバイヤーさんからのご要望もあり、食べ方の広がりを感じていただけるような提案にも力を入れている状況です。  そして将来的には、トイレなどの施設も整備しながら、もう一度「昆布削り体験」などの観光体験を再開したいという夢も持ち続けています。

資料作成も、商品の魅力発信も。皆さんの力を貸してください

商品作りから袋詰めまで夫婦の手作業で行われている(2024年4月撮影)

 お力をお借りしたい業務は多岐にわたります。  まず、私たちはPC作業にかけられる時間が限られているため、外部の方のご協力が必要な場面が多くあります。たとえば、助成金や補助金の申請書の作成、販路拡大に向けた資料づくり、JANコードや寸法の記載が必要な規格書など、細かな資料業務に関わっていただけると大変心強いです。  加えて「商品の魅力をお客様視点で言語化してくれる方」も必要としています。  ただの宣伝コピーではなく「この昆布のどこがすごいのか」「どう使えば暮らしに役立つのか」といった点を、私たちと一緒に考え、丁寧に伝えていただける方を求めています。  さらに「どんな切り口で」「誰に」「どう届けるか」といったマーケティングの視点を持ち、自己満足ではなく、ニーズに寄り添った商品設計のアドバイスをしてくださる方にも、ぜひお力をお貸しいただきたいと考えています。

大脇昆布とは

 大脇昆布は石川県・能登地方で、北海道・道南産の昆布を使い「黒おぼろ昆布」や「白おぼろ昆布」などの加工・販売を行っています。夫婦2人で営みながら、昆布を無駄なく使い切る、昔ながらの技と心を大切にしています。  加工はすべて自社で手作業。袋詰めから手削り、とろろ昆布の細断まで一貫して行い、「削りたて」をすぐに発送できる点が大きな強みです。店頭ではなかなか実現できない、鮮度と風味を届けています。  今後は「削りたて」の良さを活かした受注・発送型の通販を軸に、セレクトショップや贈答用ギフトなど、販路の拡大にも取り組んでいく予定です。

いつかまた、この場所で昆布削り体験ができる日がくることを願って(2024年4月撮影)

事業者プロフィール

有限会社大脇昆布

代表者:代表取締役 大脇一登 所在地:石川県鳳珠郡能登町宇出津山分

取材後記

 おっとりとした雰囲気をまとった、大脇さんご夫婦。  そのやさしい佇まいとは裏腹に、未来をしっかりと見据え、力強く前進する姿が印象的です。  そんな大脇さんは、こう語ってくれました。 「能登の人たちは、つい我慢してしまう傾向があります。  でも、本当に助けが必要なときは、自分から声を上げなければ、助けてもらえないこともある。  だからこそ最近は『図々しくてもいい。助けてほしいと、ちゃんと伝えることが大切なんだ』と思うようになりました。」  その言葉の奥には、数々の困難を乗り越えてきた人だけが持つ、静かな強さがありました。

青木真子(あおき・まこ、ライター)

 大阪府大阪市在住。  記事執筆にとどまらず、企画立案・取材・ディレクション・進行管理など、コンテンツ制作に関わる幅広い業務に携わってきました。  今回、能登への訪問経験はなかったものの、震災後の報道や現地の声に触れるなかで「何かしらのかたちで力になれたら」という強い思いを抱くようになり、参加させていただきました。

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