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移住者の視点で能登の内と外をつなぐ。“さだまるビレッジ”が目指すもの

さだまるビレッジ

更新日:2025年6月6日

「いつかは村を創りたい」。原体験は原付バイクでの日本一周

理想とする村づくりの礎となる築70年の古民家を購入

 2020年秋に移住して今年が5年目。私、竹下あづさ(たけした・あづさ)は神戸、夫は滋賀県と、二人とも関西の出身です。  2020年のコロナのときは京都に住んでいて、「ちょっと大変なことになりそうだから田舎に移ろうか」と思ったのですが、あんまり都会から人に来てほしくないなという雰囲気。知り合いがいないと難しいと思ってたくさんの友達に声をかけました。そうしているうちに一人の友達のおばあちゃんに行き着いたんです。正直なところ、時期を考えると場所を選んでいる余裕はありませんでしたね。  実は私、原付バイクで日本1周をしたことがあるんです。その時の裏テーマは「自分の住みたいところを探す」。でもまだ20代だった当時は、真剣に移住を考えてはいませんでしたから、いろいろな場所を見るにとどまりました。能登では輪島くらいで、珠洲を訪ねたことはありませんでした。  当時から「いつか村を創りたい」という夢をもっていましたが、どんな村なのか、どうしたいのかは漠然としていました。それから今に至るまで私のなかに「自給自足の村を作る」という思いは変わらずにありましたが、それはもっとずっと先のことだと考えていたんですね。でも、コロナをきっかけに加速しました。初めは、町中に家を借りましたが、設備の修理に費用がかかることになり、どうせなら家を買おうと決めたんです。

地震をきっかけに延べ1,000人以上のボランテイアを受け入れ

竹下夫妻とさだまるビレッジ滞在中のボランティアの皆さん (2025年4月)。

 この家は102平米2階建てです。田舎の大きな古民家で、家を買ったら一緒に山も付いてきちゃいました(笑)。そのなかで自分が何をしたいのか、どう進むべきかをゆるーく考えたり、相談したりしながら、「民泊でもやろうかな」と漠然と思っていました。  その矢先に起きた地震。直さなければいけない箇所はありましたが、地盤が硬かったこともあってとりあえず家は無事でした。  地震後はたくさんのボランティアの人たちが手を挙げてくれたのですが、滞在先がない。それが問題になっていたんですね。うちも雨漏りしたり、ガラスが割れたりと被害はありましたが、ボランティアの方に直してもらってなんとかなりました。  それを機に「雨風をしのげるだけでいいならどうぞ」とボランティアの受け入れを始めました。驚いたことに1年間で延べにすると1,000人ぐらいの人が来てくれたんですよ。

0歳から75歳まで。得意を活かして活躍するボランティア

庭の一角にある、ボランティアが作ったピザ窯

 うちは公的なボランティア受け入れ施設ではありませんが、口コミと紹介だけで全国各地からたくさんの方が来てくれています。子ども連れの方もOKにしているので、ボランティアの年齢も0歳から75歳までとバラバラです。  滞在しているボランティアさんには、たとえば料理が得意、DIYが得意、泥出しを手伝いたいなど、事前に申し込みフォームでやりたいことをチェックしてもらって、私が直接見聞きしているニーズに応じたり、他の団体とも連携しながら、活動先をコーディネートしています。仮設住宅への訪問ボランティアもありますね。  70代のとあるボランティアさんは、電気・水道工事が専門でチェンソーも扱えるので、さまざまな地域の困りごとに対応してもらっています。実はこの古民家も、作りが古くてコンセントが少なかったんですが、その方のおかげでいっぱいコンセントを増やすことができました。ボランティアにも古民家の改修にも、作業には充電が必要な機器が多いので本当にありがたかったですね。  ボランティアさんたちは、交通費も含めすべて自腹対応です。もちろんボランティアの方にお金の相談をされることもあります。時間はたくさんあるけれど、金銭的にはきついという方もいますからね。  うちでの滞在は寄付制でお願いしています。宿泊業ではありませんから、出発する際に「お気持ち程度」を、用意した箱に募金していただくシステムです。 「ご夫妻はどうやって食べているんですか?」と心配されることもあります(笑) 全国から食料が届いたり、ボランティアの皆さんが持ってきてくれたりするので、なんとか運営できています。今は、他団体の現地調査員をやったり、地震に関する原稿を書いたり、講演活動をしたりと、ちょっとした現金収入も得ています。

日常化してしまった疲れからの解放を目指す「さだまるの森プロジェクト」

この場所が「さだまるの森」に(竹下さん提供)

 今年から、林業の研修にも取り組んでいます。今回の震災は、山が手入れされていないことによって被害が大きくなってしまった部分もあるようです。私の友人で小規模林業(自伐型林業)をやっている友達がボランティアとして来てくれたときに、そんな山の話をずっと聞かされていました。  そもそも家を買った時に山が付いてきましたから(笑)。 いずれ手入れが必要な時期が来るとは思っていたので、震災をきっかけに、実際に木を伐倒する方法など本格的な研修を受けることにしたんです。  私たちは「さだまるの森プロジェクト」という活動もしています。山の手入れをしないといけないというのが大きな理由ですが、地元の人と話をしていると「やっぱり疲れた」という声が聞こえて来るんです。だいぶマシになったとはいえ、さら地やがれきばかり見ている日常はつらいですから。能登の美しい自然のなかにいて、日常化してしまったしんどい光景から少しでも離れられる瞬間がないと、復興まで気持ちがもたないと思うんです。

子どもたちには遊び場。保護者にはコミュニティカフェを

森を整備して子どもたちの遊び場に(竹下さん提供)

 校庭や公園など広いところが全部仮設住宅になってしまって、子どもを遊ばせる場所がないという問題もありました。そこで「うちの森を使ってください」と声をかけています。  子どもたちが遊びにくるようになって、「ここでコーヒーを飲みたい」という保護者の声が聞こえるようになったので、コミュニティカフェも作ることにしました。仮設住宅の集会所で楽しむお茶会とあわせて、自然の中でゆっくりすることで、リフレッシュできたり、気分転換になったりしてくれるといいなと思っています。  Googleマップで見てもらえればわかるのですが(笑) うちの敷地はかなり広いので、子どもからお年寄りまで活用してもらえるようにしたいと思っています。  子どもたちは公的なボランティアや、危険を伴う活動には参加しにくいので、うちの森の整備などを手伝ってもらっています。誰も手入れする人がいなくなってしまうと、ササがはびこってしまうんです。1年前はササだらけだったところを刈ってようやく少しずつ開けてきました。  敷地には植林された杉の木も多いのですが、森の手入れができる人も減り、活用されない木々が大半です。少しずつ整備しながらいい感じの森にしていけたらなと思っています。

震災を経て生まれた「地域」のためにという感情

竹下さんは、能登から加賀の二次避難所へ毎週通い、地域からの避難者を支えていた

 この集落は岩盤の上に立っているので、家の倒壊はゼロでした。でもそれなりに被害は受けています。築70年のうちも少し傾いていますが、建っている時点で恵まれているのだと思います。  地震の前と今とで変わったことは、「地域のために」と思うようになったことしょうか。それまでは自分が民泊をしたいといった個人的な展望しかありませんでしたが、復興やこれから地域が存続していくために必要な自分たちの役割なども考えるようになりました。  このあたりでは50人くらいの高齢者が、加賀の二次避難プロジェクトに参加していました。私がリーダーシップをとっていたからか、今でも地域の人たちは「あのとき避難した山中温泉すごく楽しかった。あんな経験一生できないわ」などと話してくれます。  おばあちゃんたちが避難してからは、片道4時間かけて山中温泉の避難所に毎週通いました。携帯電話すら持っていない80〜90代のおばあちゃんたちが突然知らない旅館に放り出されたような状態でしたからね。一方で高齢者や、病や健康上の懸念がある人たちが二次避難したことで、地域の一次避難所運営は楽になり、残った人たちからも感謝されました。  地震前も、挨拶したりお祭りで顔を合わせたりといった繋がりはありましたけれど、二次避難にガッツリ関わったことで、地域の人たちとの距離感はさらに縮められたと思います。

一人ひとりの技術や体力を考えてボランティアをコーディネート

 冬場には、全国で地震や今の活動についてお話ししてきました。話を聞いた方たちはボランティアに参加したいと思ってくださるようですが、まだまだ情報は乏しくて、能登はどうなっているのか? 何ができるのか? は伝わっていないんですね。  特別なことができないと被災地に行けないのではないか? 技術や体力がないとみんなに迷惑がかかるんじゃないか? と思われる方が多いようなので、「何かしらできることがあるから、どんな方でも大丈夫」と伝えています。  そのために私がいて、それぞれの方に合わせてコーディネートしているのですから。

職人さんと大工仕事が得意なボランティアが連携する「復興DIY」

この日も中学生棟梁が”さだまるビレッジ"のDIYをしていました

 関東からボランティアで来てくれた職人さんが「建築の力でできることはないですか?」って言ってくれたので、うちの増築部分を修理してもらいました。解体するかどうか悩んでいたんですけれど、基礎部分からやり直してもらって蘇ったんです。名付けて「復興DIY」。  でも彼らに全部やってもらうのでは時間的にもコスト的にも見合わない。その分はボランティアの力を使ってもらうことでやりくりしています。大工仕事が好きで、石川県内から片道2時間かけて時間がある限り週末通ってくれている中学生もいます。  実は被災地にとって家、住宅はものすごく重要な問題なんです。「必要な物資はありますか?」と聞かれると「家」って答える人がいるくらいですから。  解体を急ぎ過ぎてしまったことも問題になっています。解体してしまったあとに、「本当は直せたんじゃないか?」と言う人がいるくらいですから。実際に家を解体した人の多くは、今後どうやって再建するかの目処が立っていません。  そんななか、コストを抑えられる「タイニーハウス」と呼ばれる建物・住宅が注目されています。うちでもカフェを開くのにおしゃれなタイニーハウスを作ろうと盛り上がっているのですが、資材の高騰が問題になっているなか、「うちの山の杉を切れば資材はめっちゃあるじゃん」って。切って加工して使えるようにして、地元の木材で再建するという流れを作ろう。林業と建築をうまく絡めることができれば、山もきれいになりますから。そんなことができるようになればいいなと思っています。  最近、団体を社団法人として登記したので、法人としてもう1軒の物件を購入してボランティアの活動拠点を作ろうとしているところです。

インバウンド招致も視野に。「さだまるビレッジ」の次の構想

新しい拠点となるボランティアハウス。詳細はSNSで発信予定です

 東京から能登までは飛行機で1時間ということもあまり知られていないようです。実は能登から金沢へ行くより近いくらいなんです。それを踏まえて、能登の現状を知ってもらえれば、もっとたくさんの人が来てもらえるのではないかと思います。  これまでインバウンドの受け入れはほとんどしてきませんでしたが、自然の多い能登に興味を持ち、ゆっくり過ごしたいという外国の方は少なくないと思うんです。海や山もあって魚もおいしい。必ず需要はあるはずです。  最近、震災後に発足させた支援団体を社団法人として登記したので、物件を購入して新しくボランティアの活動拠点を作りました。そこでは、次の動きとして、さまざまな人の受け入れだけでなく、観光的な部分などにも力を入れていきたいと考えています。  このまま衰退していくと言われていたこの奥能登に、地震がきっかけとはいえ、外から人が来てくれているという状況は奇跡です。その力をうまく活用して何かを生み出していくことが、今とても必要だと思っています。

事業者プロフィール

取材後記

「『さだまるビレッジ』というおもしろい活動をしている人」と聞いて、「さだまるビレッジ」に対する想像(妄想)が膨らみました。取材当日、ビレッジという名前から想像し難い立派な門の前でウロウロしていると、キャップを被り日焼けしたあづささんが登場。失礼を承知で「『さだまるビレッジ』って何をするところですか?」と聞いてみると、「よく聞かれます」と苦笑い。その飾り気のない笑顔に一瞬で惹きつけられました。あづささんは、私がシロシル能登の取材でお話を聞いた多くの方々のなかで、唯一の移住者です。地震をきっかけに、挨拶を交わす程度だった地域の人たちとの距離感は一気に縮まったそうです。移住者ならではの客観的な視点を持ちながら、理想の村づくりを目指し、内の人と外の人を繋いでいます。その周りには、あづささんの人柄に惹かれたたくさんの人が集っています。

米谷美恵(よねや・みえ、インタビューライター)

インタビューライターとして20年以上にわたり、メディアや企業、自治体など、さまざまなジャンル、媒体で2,000人以上の方々にお話を聞いてきました。好物は「人の話」。人、場所、物、想い。そのすべてに寄り添ったコンテンツ作成を心がけています。話し手の言葉に耳を傾け、ことばを整え、読んだ人の心に届くように形にしていく──。「対話から生まれる想い」を大切にしています。

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