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いしりが拓く伝統とリブランディング。47年企業、イカの町で再挑戦 "カネイシ"

有限会社カネイシ

更新日:2025年6月10日

能登の伝統的な「いしり」を世界へ

 能登町小木で有限会社カネイシを経営している、新谷伸一(しんや・しんいち)です。法人化から47年、先代からずっと水産業に携わってきました。  水産物の仲卸業がメインでしたが、約20年前から「いしり」(別称:いしる)という能登の伝統的な魚醤(ぎょしょう:魚介類と塩を原材料にした調味料)を本格的に製造・販売するようになりました。

奥能登に古くから伝わる魚醤油「いしり」(カネイシのWebサイトから)

 いしりは、イカわたを原材料にした調味料です。地元では昔から漬物の味付けや干物の隠し味として伝わり、使い方は非常にシンプルでした。それが20年ほど前に地元商工会の取り組みで海外にPRしたところ、思わぬ反響を呼んだのです。  最初はニューヨークのマンハッタンで、ミシュランの星を獲得している著名なシェフに集まっていただいて、この調味料を使って何か作ってもらうというテストキッチンを開催しました。そうしたところ、「私だったらこう作る」という提案が次々と出てきて、フレンチのクリームスープの味付けに使うといった、私たちがまったく想像していなかった用途が生まれました。  この話題性を日本に逆輸入して、国内のマーケットを広げていきました。国内でも都市部の方にとってはそれまで家庭にない調味料で、新しく受け入れられて市場が拡大していきました。

魚醤油「いしり」の製造現場(カネイシのWebサイトから)

 いしりは割と癖がある調味料です。地元の人たちですら「これ何に使うの?」みたいな感じで言う人もいたんですけど、そのうまみを少し使うことによって、料理に深みが出ることが改めて分かりました。  我々は生産者であって、料理人ではありません。だから、「こういう商品を作り続けています」とポンと置いて、あとはプロの方にその商品のニーズや用途を開発してもらうということも大切です。

「仲卸業47年に幕」イカ激減で事業転換を決断

 カネイシの本業は、会社そばの小木港で水揚げされたイカを仲買いして、全国の加工メーカーや大手商社に卸す事業でした。売上ベースで8割以上が仲卸業で、残り2割が加工業でした。  小木は能登半島でも比較的大きなイカの水揚げ基地で、港の前には遠洋漁業の比較的大きな漁船があります。6月から12月の半年間で日本海一円を移動しながら操業して、釣れたてのイカを船の中で凍らせて持ち帰るんです。

小木港に停泊するイカの遠洋漁業船(撮影:野上文大朗)

 ただ、カネイシは2025年4月、祖業の仲卸業から撤退することを決めました。  理由はイカの水揚げ量の激減です。ピークは1980年から2000年頃でしたが、それ以降は下がり続け、24年は23年と比べて10分の1しか水揚げがありませんでした。温暖化による海水温の上昇や近隣諸国の乱獲などが理由として言われています。どんな背景であれ、結果として水揚げ量がぐっと少なくなってしまいました。  仲卸は「数をこなすビジネス」です。それができなくなったということで、47年の歴史に幕を下ろすことにしました。海に揚がるものがなければ、商売もやっぱり成り立ちませんから。あとは担い手の高齢化というのもあります。

有限会社カネイシの代表取締役、新谷伸一さん(撮影:野上英文)

 地震の影響もないわけではありませんが、ここの港は、幸いにも通常通り出漁はしています。ただ、海の中の話なので、地震が魚に与えた影響は人間の知るところではありません。イカの水揚げは減少傾向にあって事業が厳しいところに、地震が重なったという形です。  小木の町はかつて、イカ漁業で非常に潤った時代がありました。1980年から2000年頃の繁栄期には、この地域全体が目に見えて繁栄していたのです。でも今は、イカの水揚げ量減少にともなって、残念ながら、町も衰退してきています。そういう状況のなかで、私たちは加工業の方に軸足を移していくしかありませんでした。

「ここはイカの町・小木」と記された看板(撮影:野上英文)

「震災翌日、いしりを救え」緊急事態で動いた

 2024年1月1日の能登半島地震では、加工部門に大きな影響が出ました。  震災の発生時は当然、自分たちが逃げることで手いっぱいでした。  翌日、近くの中学校の避難所で話をしていると、名護浦という隣の入り江が大変なことになっているという話を聞きました。見に行ったら道路が崩落していて、近づけなくなっていました。  前年に仕込んだいしりの在庫を、海のへりにある貯蔵施設にストックしてあったんですが、ちょっとやばいと思いました。まだ緊急地震速報が鳴り響いたり、余震があるなかで、フォークリフトを使ってその倉庫へ行って、仕込んだ在庫を安全な陸側の場所に移動させました。

いしり貯蔵施設近くの海岸。地震で岸壁の一部(写真手前)が崩落した(2025年4月撮影:野上英文)

 仕込んでいた在庫に万が一のことがあると、売れる物がなくなってしまいます。それに、いしりは派生商品の原材料にもしているので、喪失してしまうと、うちの生業がもうまったく機能しなくなってしまうところでした。  在庫の一部はダメになったんですが、大部分が奇跡的に無事でした。20〜25トンぐらいはありましたが、なんとか避難させることができたのです。

小木港に停泊するイカの遠洋漁業船(撮影:野上英文)

 地震から1週間ほどは、町にも、在庫を移動させた場所にも電気がこなかったのですが、そこは地元の住民たちで知恵を出しました。イカ釣り漁船の中に冷凍設備があるので、そこを開放してもらったんですね。漁協の船を無事だった岸壁に横付けして、陸上の冷凍庫の中のイカや私たちの製品など、凍らせておかなければならないものをみんなでフォークリフトで運んで積み込んで、なんとかしのぎました。  一番最初にまとまって支援物資を持ってきてくれたのは、函館のイカ釣り漁船でした。イカ釣り漁船の船倉に支援物資を積んで、うちの港に入港してきたんです。 イカ釣り漁業者はライバルというよりも同志という感じで、イカの群れが見つかったらみんなで連絡を取り合う絆が日頃からあるんです。北海道から何日もかけて、水や食料などの生活必需品を運んできてくれて、非常に助かりました。

4カ月間の売り上げ消失から復旧へ

 いしりの在庫はなんとか避難させられましたが、地震発災から4月頃までは、仕事がほとんどできませんでした。4カ月分ぐらいの売り上げがまるまる消失してしまいました。  さらに、仕込みに使っていた建物は無事だったものの、3月ぐらいまでは仕込みに大事な水道水が復旧しませんでした。いしりの仕込みは冬の終わりぐらい、3月か4月に行うんですけど、仕込みが例年よりも1カ月ぐらい遅れました。その影響で、当初に計画した生産量の6割ほどしか作ることができませんでした。

貯蔵施設で仕込み中のいしり(撮影:野上英文)

 一方、カタログ通販などでは、地震という事情はあったものの、通年の供給に迷惑がかからないように、出荷ができる商品から発送するなど、できる限りの対応を続けました。  まだあちこちの道路が崩落していたころなのでトラックも使えず、手押しの台車も使って人力で出荷して、どうにかこうにかで、売り上げを少しは維持することができました。

「支援したい」 町を出入りする人たち

 地震のあった2024年はゴールデンウィークごろを境に、「支援したい」という方々も現れ始めました。おかげさまで製造加工はそういった復興支援によって、ある程度は救われているという状況です。  ただ、商品として出せるものも限られていました。冷風乾燥機を使って魚の干物なども作っていたんですが、原料を調達していた能登各地の漁港の多くがやられて、魚が入ってこないからどうしようもなかったです。

カネイシの会社兼店舗にある売店(撮影:野上英文)

 支援の輪が広がってきて、おかげさまで出せるものをどんどん出していくという形で、売り上げは回復してきています。  でも、人手がやっぱりなかなか確保できなくて、負担が増えてきています。地震直後、この地域がどうなるのか、誰にもわからないような状況です。  高卒で新卒で入った若い女性職員には、震災直後で先の見通せない状況だったこともあり、「将来もあるから」と、当時安全だった金沢などで働くように勧めて、転職してもらいました。今は残った人間でなんとかやっている状況です。

「ネガティブをポジティブに」イカキングの奇跡

 地域のリブランディングということで言うと、面白い事例があります。  コロナ禍に給付金を使って町が建てた巨大なイカのオブジェ「イカキング」が、物議を醸したというニュースをご存知でしょうか。いまや能登半島で知名度が一番高いモニュメントになっています。

全長13メートルの巨大なイカのモニュメント「イカキング」(撮影:野上英文)

 新型コロナが世界中で蔓延していた時期だったので、そういう話題に世界中が食いついたんですね。CNNやNBC、ドイツの公共放送ZDFなど、海外の大手メディアがみんなこの町まで取材に来ました。  ある冬、イカの上に雪が積もっていたので、スマホで撮った写真を「冷凍イカになってます」とSNSに投稿したら、180万人ぐらいが閲覧し大きな反響もありました。広告代理店の試算によると、その広告効果は数十億円に上るそうです。  ネガティブな要因だったものも、ポジティブに変えられるし、激変する可能性があるということを示したいい例だと思っています。

バズった「冷凍イカ」の投稿(撮影:新谷伸一さん、カネイシ公式Xから)

 こういう地方は視野が狭く、固定観念が生まれがちですが、視野をちょっと広げる。また違った目線で商品や地域を見ることもできるのではないかと思います。その価値をこの能登地域でどう見出すかというか、どうやってリブランド化するかというところが重要です。  いしりも同じです。  地元では「これ何に使うの?」と言われていたものが、外からの目線で評価してもらうことによって、新たな価値を見出すことができました。やっぱりユーザーさんからの目線で商品を評価してもらうということが、何より大事だと思います。

商工会長として「定住人口の確保が最重要」

能登町商工会の会長もしています。会員は町内で550社ぐらいです。  今回の地震で、商工会に脱退届を出す方がかなり多数出ました。高齢化が進んできたうえに、地震でこんな状況になったんだから、もういっそここで事業をやめようという方が非常に多かったんです。  能登半島はもともと「日本の人口減少の最先端」と言われていた地域ですが、地震によって半島の脆弱性というのがやはり浮き彫りになりました。  能登半島は気候の良い時期は観光事業がメインなのですが、せっかく休みを利用して観光を楽しみたいと思っても、こんな悲惨な光景の地域に足を運びたくないという人間心理もあります。一定数がそう思うのは無理もありません。  もちろん、震災復興を助けたいという志の方々もいらっしゃいますが、一般的には悲惨な地域をわざわざ目の当たりにしたくないという方も多いと思います。

カネイシのいしり貯蔵施設で語る新谷伸一さん(撮影:野上英文)

 今までは、地域との交流人口を増やしていきましょうというテーマで、商工会や町は施策をやってきました。他の人とつながりを持って、ここに訪れてくる人の数を増やしましょうということです。  でも今回の地震で思ったのは、やっぱり定住人口が一定数いないと、地域としての機能はもう維持できなくなるということです。  今回の地震でここを離れる方が結構増えたのは事実なんですが、不幸中の幸いといいますか、逆に移住してきて、この地域を新たに気に入ってくれる方もいらっしゃることです。  のんびりした生活が都会の忙しい生活よりも自由にできるという方もいますし、逆にこの震災をチャンスだと思って、ここで事業を起こして地域に貢献したいと、どんどん伸びしろがあると解釈して移住してこられる方もいます。

外部の力も取り込む祭りの新たな継承の形

 この小木地区は、春と秋に大きな祭りがある地域です。春の祭りは「とも旗祭り」といって、船に高さ20メートルぐらいののぼりを立てて港の中をパレードします。秋には「小木袖ぎりこ祭り」という、キリコを担ぐ祭りがあります。

カネイシの事務所にある「とも旗祭り」の写真(撮影:野上英文)

 年に2回もこういう大きい祭りをする地域は、能登でもこの小木地区だけだと思います。ただ、非常に手間のかかる祭りで、制作準備に1カ月ほど時間を要します。以前は外部の人が祭りを手伝うということはなかったんですが、やっぱり人がいなくなると、そうも言ってはいられなくなってきています。  今は手伝ってくれる人を受け入れて、祭りの良さを感じてもらって、関わってもらうということをしています。  今年も「何でもいいし、手伝わせてくれ」というボランティアの方が結構いらっしゃって、「祭りの手伝いでもいいですか?」と聞いたら、「ああ、全然来ます」という感じです。 能登町定住促進協議会(https://nototown.jp/)という組織があって、そこを運営している方は東京から移住してこられたリクルート元社員の森進之介さんという方です。組織を通じて、地元の良さを発信することにより、定住に結びつけるという活動をしています。  やっぱり地元だけの祭りではなくて、外から来た人たちも一緒に体験して交流することで、地元の祭りを継承していくというのが、これからの形なのかなと思います。

リブランディングに欠かせない個性と風土

 もう少し地域性というのを出していかなければならないと考えています。  じゃあ何かといえば、例えば食文化。能登半島の奥にあるので、食が結構、個性的です。魚介もそうですし、農産品もそうですし、それに伴う発酵食品もあります。

カネイシの貯蔵施設で仕込み中のいしり(撮影:野上英文)

 昔のままの原風景もずっと残っています。のんびりした時間に魅せられてこちらに来られる方が多く「俗化されていない」のは、良くも悪くも魅力です。  個人的に改善点として思うことは、アクセスの問題があります。非常に動線が悪いので、例えば、対岸の富山湾や富山市、魚津あたりを結ぶような海上交通があれば、人の行き来ももう少しスムーズになるのではないかと思います。以前は佐渡島までフェリーが出ていたり、七尾市まで高速船で結んでいた時代もありましたが、やっぱり搭乗率の確保が課題です。  のんびりした時間、原風景、人の優しさ、美味しい食べ物。そういうものを、固定観念にとらわれずに、関心を抱いてくれるクリエーターとともに新しい目線で発信していけば、必ず道は開けると信じています。

具体的に必要な支援

・地域の魅力を発信するクリエイター・デザイナーとの連携 ・いしりの新たな用途開発・レシピ提案協力 ・移住・定住促進のための住環境整備支援 ・祭り継承のための外部ボランティア参加促進 ・海上交通など交通アクセス改善への協力

事業者プロフィール

事業者

インタビューした野上英文と新谷伸一さん(右)

有限会社カネイシ

代表取締役:新谷伸一(能登町商工会長) 所在地:石川県鳳珠郡能登町小木18-6 事業内容:水産加工品の製造・販売(いしり、イカの塩辛、各種干物など)

取材後記

 老舗の和菓子屋などで、こんな話をよく聞く。「定番商品であっても、何十年もそのままってわけではない。その時代、時代に合わせて新しく刷新しているものですよ」  能登町小木も、47年企業のカネイシも、未来永劫に「イカの町」を看板にはできない。時代の変化に合わせた再生を考えていた。皮肉にも半島を襲った地震が、その現実を全員に突きつけた。時計の針を一気に進めたようだ。  ただ、希望もある。地元の共助、イカ釣り漁業者のネットワーク、移住希望者。個性もある。手垢のついていない風景、能登の食。さらに、リブランディングの経験もある。いしりの逆輸入による国内の販路拡大、世界からも注目された巨大モニュメントに「冷凍イカ」……。  思い返せば20年以上前、私がはじめて能登を訪ねたとき、ふと目について使い方もわからないまま買って帰ったのが「いしり」だった。今回の取材で能登空港に降り立ったときに、後ろで並んでいた外国人が話題にしていたのも「イカキング」だった。そうして話題を自ら作れる町は、そうそうない。  育んできたDNA。新谷伸一さんが語るように、固定観念にとらわれず、新たなフィールドで手足をでっかく伸ばしてほしい。

野上英文(ジャーナリスト)

 神戸出身、中学2年生で被災。2003年に朝日新聞社入社、初任地の金沢では連載『石川と阪神淡路大震災』『能登球児は、いま』などを企画・執筆した。新潟中越地震や3.11、インドネシア・スラウェシ島地震などで災害報道に携わる。2023年にユーザベースに参画、編集者・パーソナリティとして活動し、25年にはNewsPicks防災部を有志で立ち上げて減災・防災の情報発信をしている。著書に『戦略的ビジネス文章術』『プロメテウスの罠4』ほか。

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