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「森が喜ぶ森づくり」に支援の力を!自然体験施設“ケロンの小さな村”

ケロンの小さな村

更新日:2025年6月26日

ケロンでしか体験できないワクワクをつくる!

 高校を卒業後、東京に上京していましたが、幼いころに遊んだ「ケロンの小さな村」でのワクワクした体験が忘れられず、今しかできないワクワクを求めて仕事を辞め、2023年12月、23歳のときに石川県へ戻ってきた、副村長の古矢拓夢(ふるや・たくむ)です。  これから「ケロンの小さな村」で、どのようなワクワクができるかと楽しみにしていた直後、2024年1月1日の震災にあいました。

開村時、一番初めに作った石窯の「ヘラクレス」。「ケロンの小さな村」の歴史を一緒に歩んだ大切な石窯だったが、震災で崩壊したため復旧を目指している

 祖父であり村長の上乗秀雄(じょうのり・ひでお)が、大切にしているこの場所が、見るも無残な姿になり言葉を失いました。しかし、「自分の好きな町を復興したい!」と強く思い、祖父と一緒に再び「ケロンの小さな村」の復旧復興を目指しています。

自然豊かな能登の強みを生かした復興

 私が生まれた時代は、何でもある環境であったため、自分で何かを率先してすることはありませんでした。しかし、「ケロンの小さな村」をはじめ、能登は自然豊かな場所です。良く言えば自然豊か、悪く言えば何もない場所ですが、ここでしかできないことはたくさんあります!  何もないからこそ、自分たちの手で新しいものを作ることができます。  私が以前住んでいた東京は、お金を払えば欲しい物がなんでも手に入る、楽しい場所でした。しかし、心の奥底から湧き出てくるワクワクした感情はありませんでした。自分たちの手で、まだ見ぬ新しい物を作り上げるワクワクは、能登町だからこそできることです。 「ケロンの小さな村」を訪れる人には、ここでしかできない体験をしてもらいたいと思っています。最初は必ず自分の手で触って、温かいや冷たい、ゴツゴツしているや柔らかいなど、手から伝わる体験をしてもらいます。  そばにいる保護者には「ケロンの小さな村」のルールである“大人はこどもに注意をしすぎない”を、伝えます。自由に、初めての体験をたくさんこどもたちにしてほしいからこそ、その体験を止めることだけはしてほしくありません。  ここが賑わえば、能登半島は賑わうと思っています。だからこそ、まずは「ケロンの小さな村」からできることをして、大人もこどももワクワクできる場所を目指して、復旧復興するのみだと思っています。

両サイドにある山も含め、ワクワクできる体験が詰まっている「ケロンの小さな村」

震災は、自然と人との関わり方を教えてくれた

 2007年、祖父が耕作放棄地約1,000坪を取得しました。水は枯れ、雑草は生い茂り、ツタが野放図に絡み合う荒地を祖父と祖母が毎日再開墾して、農地として生まれ変わりました。  カエルの大合唱が聞こえるこの場所を、「ケロンの小さな村」と名付け2009年から営業しています。  自然に囲まれた環境を活かした遊具や山の遊歩道、川遊び場など、すべて祖父が作りました。樹齢100年を超えるトガの木に建てたツリーハウス「とがのきハウス」には、寄贈された本がたくさんあり、森に囲まれた場所で読書をすることもできます。  このような場所も、震災で多くの被害を受けたため復旧している最中です。復旧をしていて気づいたのですが、手を入れて遊び場にした場所は崩落しました。しかし、まったく手を入れず自然のままにしていた場所は、震災の被害を免れました。  この経験を経て、人の手を入れる怖さや恐ろしさを知り、そして学びました。人の都合で森の形を変えるのではなく、そこにある自然や景色を残す足し算方式が、「森が喜ぶ森づくり」だと気づかされました。  だからこそ「ケロンの小さな村」では、100年先も自然が共存できる森づくりをおこなっています。

ケロンの森づくりに共感できる企業と出会いたい

「ケロンの小さな村」は、開村当時から“自然と人との関わり方が学べる体験施設”として営業をしています。大型の機材を入れて、復旧復興や新たな森づくりをしたくはありません。地道で時間がかかっても、人の手でできることをしたいと思っています。  全国各地で活躍する環境団体「森のたね」が、震災前より「ケロンの小さな村」の森づくりに協力をしてくれています。「森のたね」が大切にしている“100年後の森をつくる”という考え方に、私はとても共感しています。 「森のたね」に所属する“森の案内人”のゆうきさんが、横浜からここへ定期的に来て、森の復旧復興を手伝ってくれています。

「森のたね」のゆうきさん(右)と一緒に森に入り、いろいろなことを教えてもらったことがキッカケで、副村長の拓夢さん(左)は森が大好きになった

 震災で崩れた山道を、森に負担がないように半年以上かけて復旧してくれました。ゆうきさんが横浜に帰ったあとは、教わったことをもとにして自分たちで作業を続けました。 「次はこっちの復旧をしよう!」と話をしていた矢先、2024年9月の奥能登豪雨に襲われ、まだ作業のできていなかった場所が崩落しました。しかし、ゆうきさんと一緒に作業をした場所は被害が無かったため、“森が喜ぶ森づくり”の大切さを改めて感じました。

ゆうきさんの指導のもと、崩れた部分を木材で補修した左側に対し、補修前だった右側は大雨で崩落してしまった

「ケロンの小さな村」の復旧復興だけではなく、さらに進化した体験施設にするため、“森が喜ぶ森づくり”を理解していただける企業の方、協力をしてください! ご連絡をお待ちしております!

行き当たりばったりの18年

 村長であり祖父の上乗秀雄が、定年退職後に購入した耕作放棄地を再開墾して農地としてよみがえらせたことから、「ケロンの小さな村」は始まりました。  整地用の重機で整地しているさいに、地面から水が勢いよく出たため、検査項目が多く合格が難しいい業者向けの水質検査を受けてみたところ、一回で検査をクリアしたほど自然豊かな場所でした。

「ケロンの小さな村」が誕生したキッカケの水源。現在も、このガッチャンポンプから水が出るため、大人もこどもも夢中になって遊ぶ。取材時も、大人が声を出して楽しんだほど

 その後、知り合いの石川県庁の方が視察に来たとき「この水を使用して、何かできないだろうか」と話があったことから、米と水を使用した加工品の製作に取り組むことになりました。村長の趣味がお菓子作りだったこともあり、パンを作り販売することになりました。  村内にあるものは、村長のお手製! 開村当時から人気のパンやピザを焼く大きな石窯「ヘラクレス」も手作りでしたが、震災で崩壊しました。小さい石窯は崩れなかったため、現在はその石窯を使用してピザを焼いています。  パンを求めて村長の知り合いの親子などが遊びに来ることが増えたため、遊び場を作りはじめました。村内のいたるところにあるカエルのイラストは、村長が描いていますが、同じカエルは一匹もいません。

手づくりの遊具や村内の看板など、さまざまな場所にカエルが描かれている

 もともと、壮大な計画のもと開村したのではなく、目の前で起きている光景がキッカケとなり、次々と新たな施設ができました。  こどもが安全に楽しく自然と触れ合える「ケロンの小さな村」は、以前よりもパワーアップした場所にするため、2024年1月から祖父と私が知恵を出し合い、前へ進み続けています。

事業者プロフィール

ケロンの小さな村

代表者:村長 上乗秀雄/副村長 古矢拓夢 所在地:石川県鳳珠郡能登町斉和た部26

取材後記

 副村長の拓夢さんからたくさんのお話を聞かせていただきました。私がする質問に対して、まったく迷いのない回答は、大きな決断と決意があることに、すぐ気づかされました。 「能登町に来てから森が大好きになったため、ケロンというフィールドを使い“人と自然との関わり方”を大人やこどもたちに考えてもらいたい」と、力強くお話をされている姿は、とても印象的でした。震災をキッカケに、「自然と人は絶対に関わらなければならない」と学んだ話は、いろいろと考えさせられました。  外部のイベント等に出店する際に活躍している移動販売車“ケロン号”に出会えるのを、取材前より楽しみにしていました。ここ数年、全国的にキッチンカーや移動販売車は増加しましたが、すべて自分たちの手で車体にイラストを記載したものは、見たことがありませんでした。  こどもたちに自由にイラストを描いてもらうと、思い思いのカエルを描いたそうです。この移動販売車を見ているだけで、心がとても温かくなり涙があふれそうになりました。  優しさがつまった、世界に一つだけの移動販売車をもっともっと多くの人に知ってもらいたいと思います。「ケロンの小さな村」で作られ販売されている米粉のパンをこの移動販売車にのせ、各地で販売しています。  おじいちゃんと孫の挑戦は、まだまだ始まったばかり! 進化を続ける「ケロンの小さな村」に、再び行ける日を楽しみにしています。

「好きな絵を描いていいよー!」と伝えると、こどもたちが一斉に描いてくれた移動販売車。運転中にすれ違うと、思わず手を振りたくなる可愛さ

堀 真由美(ほり・まゆみ、ライター・編集者)

 大分県出身在住。  ローカル雑誌を発行する出版社を経て、さまざまな業種で広報中心の仕事をしてきました。現在は、大分の情報サイトの編集及びライター、イベントプロデュース、広報に関するアドバイスなどを行っています。

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