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住民と移住者が、能登の未来を共に考え活動する“外浦の未来をつくる会“

特定非営利活動法人外浦の未来をつくる会

更新日:2025年6月30日

電波も届かない完全孤立の状況のなかで避難所の運営

2024年10月から2025年2月まで行われていた給水支援(提供:一般社団法人能登乃國百年之計)

 【「外浦の未来をつくる会」代表 重政辰也(しげまさ・たつや)、以下重政辰也、敬称略)】  僕は生まれも育ちもこの大谷地区です。Uターンで帰ってきて、今は保険の代理店を経営しています。2024年1月1日の地震の時は、この辺りは土砂崩れがすごくて、川沿いの家はほとんどがつぶれてしまいました。幸いなことに、わが家はつぶれなかったのですが、外に出たら波打ち際が遠くに行っていて驚きました。大きな津波が来ると思ったのですが、結果的には隆起したおかげで陸には上がってこなかったのだとおもいます。すぐに子どもたちを高台に避難させて、倒壊した家に取り残された人の救助作業をしているうちにその日は終わりました。車のなかに一晩泊まって、次の日から大谷小中学校での避難所運営が始まりました。  地震後は携帯電話の電波も届かなくなり、行政と連携も取れず、大谷は孤立してしまいました。避難所には最大で400人ほどの人がいて、リーダーの下に組織を作って運営していました。僕は地域の一員として掃除や衛生・食事関係、送られてくるものの受け入れなどを担当していました。    震災後、断水になってしまったのですが、2024年6月にようやく大谷まで水が通り、10月には仮設住宅の引き渡し予定となって希望が持てたところ、9月の豪雨で、1度は水がきた地域もまた全部断水となり、結局復旧したのは12月の頭。震災からおよそ1年かかりました。しかし一部のお宅のなかには、いまだに水が来てないところもあります。   【ボランティアコーディネーター 坂口彩夏(さかぐち・あやな)、以下坂口、敬称略】  行政は、主要な場所、例えば避難所にタンクを設置して、各家それぞれでそこに取りに行ったり、民間の給水支援があったりしましたが、基本的には断水ですから、井戸があるおうちはそのまま使っていましたね。お風呂も12月16日に自衛隊風呂が開くまでは、30分くらいかけてお風呂に入りに行っていました。

震災はきっかけにすぎない。今こそ未来につながる体制を作りたい

「地域の未来につながる体制を作りたい」と話す重政辰也さん(2025年4月29日撮影)

【重政辰也】  大谷地区の孤立が解消したのは2024年1月16日といわれていましたが、半年たった6月に行政主催の復興に関する話をする会でも、復興の話はまったく出てこなかったので、「復興の話をする場所を作らないとまずい」と思って活動を始めました。途方に暮れていたところ友人(株式会社雨風太陽・高橋博之さん)が来てくれて、「まずできることをやろう」と、勇気をくれました。  その後は目の前にある家々の「泥をどけなければ」と必死でした。 以前から人口減少が進み衰退していた地域ですから、震災・豪雨前の姿に戻すだけでは、僕が生きているうちにも消滅してしまう。だからこそ、この地域の未来につながるような体制を作らなくてはと思っています。「今から未来に向けてどうするか」。それを一生懸命考えていきたいです。

周りの人にたくさんのことをもらいながら、私にできることに取り組む

「大谷の人たちは、『どこの誰か』ではなく目の前の私を評価してくれる」と話す坂口さん(2025年4月29日撮影)

【坂口彩夏】   私は移住者です。今はこの地域でボランティアのコーディネーターみたいな感じの役割をしています。昨年(2024年)10月に移住してきたのですが、移住者はその後も少しずつ増えて、今年(2025年)5月には5人になっている予定です。    以前は田舎に閉鎖的なイメージをもっていたので、大谷に来たときはできるだけ地元の人に警戒心を持たれないように気をつけていました。  でも大谷はむちゃくちゃオープンな地域で、良くも悪くも干渉されることもほとんどありません。私がどこの誰でどんな人間であるかなんて聞くこともなく、目の前の私を評価してくれています。    最初はボランティアでしたけど、今は能登復興ネットワークからボランティアコーディネーターとして「外浦の未来を作る会」のサポートをするための右腕派遣という形で、お給料をもらえるようになりました。大谷でやってきたことが、そのまま仕事になった形です。    本当にいろいろな人が、私がここにいられるように工夫してくれたり負担してくれたりしたことを考えても、私自身が周りの人に多くをもらいながら、ぐるぐる回っている感じがします。

能登の景色、時間の流れを取り戻すために

使っていない間に生えた雑草を刈って田や畑を再生する(2025年4月29日撮影)

【坂口彩夏】   おそらく、これまで災害ボランティアは、緊急事態だから手伝いたい、手伝う必要があるからと来てくれていたのだと思います。まだ手伝ってほしいことはたくさんありますが、少しずつ落ち着いてきているから、なかには災害ボランティアに来なくていい、行きたくないという人もいると思うんです。とはいえ、今後、この地域にとって農業復旧はすごく重要になってきます。    何年か使っていない田んぼや畑は、ツタなど野生に生える草の根が張って覆われてしまうのですが、もう一度再生するには、それを刈って土を起こさなければならないんです。実際にその作業は、私のように農業未経験でも、気合いさえあればできるんですよ。気合いのある人がある程度、必要なんです。そのお手伝いは、地域の人が生きていくために大切なことだと伝わってくれるといいなと思っています。 【重政辰也】  大谷だけでなく、能登の人間が生きる、暮らすなかで田畑があって、例えば、今でいうと稲作が始まって、水田に水が張られて、稲が実って……。そういう景色や時間の流れが生活リズムとして存在しています。それを取り戻す、できるようにするという部分を手伝っていただければ、とてもありがたいですね。   【坂口彩夏】  特別な能力はいらないので、ぜひ大谷にボランティアに来て、畑の持ち主と一緒に作業してください。彼らにとってそれが一番心のケアになると思います。自分が役に立てている、自分にできることがあるということは、高齢のかたにとってすごくプラスになりますから。大谷に帰ってきた70、80代の人はみな、「田んぼや畑がやりたかった」と言います。とはいえ、地震や豪雨の被害で、田んぼや畑に亀裂が入ったり、水路がダメになったりしているので、かなえられない人が多くて……。田んぼや畑をやる体力や元気はあるけれど、復旧するにはいたらない。だから、復旧のための作業を、大谷の外から来てくれた人たちと一緒にやることは、彼らの心のケアのために必要なことだなと思うんです。

移住者ではなく、都会から帰ってきた家族のように

【重政辰也】  坂口さんのように何人もの人が大谷に移住してきてくれたことに対しては、もう本当に感謝しかありません。来てくれた方がどのような人なのか最初は少し不安もありましたが、最初に来てくれたのが坂口さんだったし、それ以降も大谷地区に来てくれる人がみんないい人だったからかもしれません。    最初に来た人がその地域と合わないと、地域住民が外からの人を受け入れにくいイメージをもってしまいがちです。そういう意味でも、私たちはすごく恵まれていたのだと思います。    受け入れる私たちは、坂口さんたちから支援サービスを受けているとは思ってないし、地域に増えた若い人たちと過ごしている感じです。だからうまくいっているのかもしれませんね。それでも最初に地域の高齢の方たちに紹介したときは、すごく気を遣いました。今は本当にいい関係性を持てていると思います。地域のみんな、坂口さんのことを都会で育った孫が帰ってきたみたいだって可愛がっていますよ。

外浦の未来のために、もう一度みんなで目線を合わせて前進する

地震の避難から戻ってきた矢先に豪雨の被害が襲いました(2025年4月29日撮影)

【坂口彩夏】  ボランティアといっても特別な技術は全然いりません。それより人と人として出会ってほしいなって思います。外から来た人間の私が確実に言えることは、私自身が能登の人にいっぱい励まされているということ。だからお手伝いと固く考えずに、遊びに来るみたいな感覚で来てもらって、のんびりと風のなかで一緒に作業してください。それをきっかけに能登が好きになって、結果として移住する人も増えたらうれしいですね。お手伝いをしたおじいちゃんとおばあちゃんと仲良くなったら、また会いたくなって、親戚のおうちに遊びに来るみたいな感じ。そんな感じでやれたらいいなと思います。  【重政辰也】  時間の経過と共に、状況もいろいろ変わってきています。震災のときに思っていたことも、今の思いが違っていることもたくさんありますし。私の場合は、おさななじみや親戚など身近で亡くなった人がいたので、やっぱり悲しいし、残念という思いも強くあります。でも一方で、マイナスばかりじゃないというか、こういうことがあったから出会えた人もたくさんいます。何より、震災前より考え方も生き方も楽になった部分もあるし、豊かでいい人生が送れるようになったとも思っています。    震災があって、私だけではなく地域にとってもリセットされたこともあったし、たくさんの人が来たり、新しいことが増えたりもしました。とはいえ、正直なところ、すごく複雑な気持ちがあるのも本当です。だからこそ、私たちの団体が掲げている、「外浦の未来」につないでいくためにやらなくてはいけないこと、できることを、一つずつやっていきたいですね。    今は目の前に課題がたくさんありすぎるので、関わるみんなが共通のイメージを持てていない部分もあります。だからもう一度、「そもそもどういう団体」で、「どういう町にしたいのか」、「どういうことを将来的にやりたいのか」などをもう一度擦り合わせて、みんなで地域の未来に進んでいきたいなと思っています。  ※「外浦の未来をつくる会」の最新情報はInstagramでご確認ください。 

事業者プロフィール

特定非営利活動法人外浦の未来をつくる会

代表者:重政辰也 所在地:石川県珠洲市

取材後記

重政さんと坂口さんは、それぞれ異なる立場でありながら、お互いを尊重し合いながら、日々、目の前の課題に取り組んでいます。そこには「内」も「外」もなく、ただ大谷という街、大谷の人が好きという共通の想いが根底に流れています。話をする二人はまるで兄妹のようです。取材にお邪魔したときは、1年ぶりに開催される大谷鯉のぼりミニフェスティバルの準備の真っ最中。たくさんの鯉が奥能登の海をバックに気持ちよさそうに泳いでいました。その鯉のぼりを見上げながら、地元住民と移住者、そして外部からのボランティアが区別なく、人として力を合わせることで、もしかしたら新しい能登が誕生するかもしれない。そんな可能性を感じました。

米谷美恵(よねや・みえ、インタビューライター)

 インタビューライターとして20年以上にわたり、メディアや企業、自治体など、さまざまなジャンル、媒体で2,000人以上の方々にお話を聞いてきました。好物は「人の話」。人、場所、物、想い。そのすべてに寄り添ったコンテンツ作成を心がけています。話し手の言葉に耳を傾け、ことばを整え、読んだ人の心に届くように形にしていく──。「対話から生まれる想い」を大切にしています。

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