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世界に求められ、未来に続く輪島塗の復興へ“輪島塗 しおやす漆器工房”

輪島塗 しおやす漆器工房

更新日:2025年6月2日

「立っていられなかった日」──元日の記憶と再開後のご支援

塩安眞一さん(輪島塗 しおやす漆器工房の店舗にて)

 能登半島はこれまでも何度か大地震に見舞われています。2007年の地震のときは、私、塩安眞一(しおやす・しんいち)は営業で鳥取に出張中でした。テレビの速報を見て、慌てて輪島に戻って社員に訓示したのを覚えています。  でも2024年の震災は、それどころじゃなかった。震災当日、私は店の隣の建物にいて、最初の震度5では「大丈夫かな」と思ったんです。でもその後、本震がきた。あんな揺れ、経験したことがなかった。本当に突き飛ばされたような感覚でした。  久しぶりに帰省していた孫たちを避難させて、ただただ命を守ることだけを考えました。  それでも、他の輪島塗の工房に比べて、建物の被害は比較的少なく、従業員も無事でした。このため、2月の初めには店を再開することができました。  支援の気持ちを込めてくださったとわかる注文もいただきました。「営業を再開した」というニュースをご覧になった小松のお寺さんからは、代金先払いで、箸の注文をいただきました。本当にありがたかったです。

「売る場所を探して、動く」──出稼ぎ、ラグジュアリー、そして顧客満足

 今回の震災をきっかけに、輪島塗があらためて注目されました。だからこそ、今のうちに動かないといけないと思っています。  2007年3月の能登半島地震のあとにも、東京で展示会があったのですが、すぐには参加できなかったのです。そうこうしているうちに、同年7月に新潟中越沖地震が発生し、人々の(支援の)意識が能登より新潟の方に向いてしまった。我々が東京の展示会に参加できたのは同年8月になってしまい、お客様からは「あなたたち遅いわよ」とお叱りをいただいてしまったのです。  その教訓を踏まえ、石川県が参加中止の方向で動いていた東京での展示会に、私たちはあえて出店することにしました。その結果、ものすごい数のお客様にお越しいただきました。もう応援、応援で。本当にありがたいことです。  2025年5月現在、団体観光客のご来店は震災前の数字に遠く及ばず、週にバスが2本程度。以前とは違い、食事処も無いし、道路を始めとしたインフラ面の安全性の心配ももちろんあるわけだから、それはやむを得ない。それでもお越しいただく方に対して、できることを精一杯しようと、工房見学も自分や息子が丁寧に説明するようにしています。社員任せにしていたころよりも、ずっとお客さんの満足度は高い。年中無休で対応しています。少しずつ、個人客を中心にお客様は戻ってきている。感覚的には2024年の秋より3割ほど増えました。  能登にお越しいただく観光客の数が回復するのには時間がかかるのかもしれません。しかし、我々は回復するのを待っているだけではいけないと思っています。  現在、売る場所を探して、全国を回っています。京都・清水寺からもお声かけをいただいたほか、ホテルの催事、百貨店の企画など、今までご縁のなかった場所からも声がかかるようになりました。  また、海外との取引も増やそうとしています。もともと、某有名海外ラグジュアリーブランドのバングルに使われている漆は、実はうちのものなんです。大手百貨店経由で話がきて、震災で生産をストップしていましたが、今年からまた再開しました。今は違うラグジュアリーブランドからも話がきています。  こういうラグジュアリーな世界との接点は、こちらから売り込んでもなかなか難しい。でも、向こうから声がかかるような「モノづくり」でありたい。それがうちの目指す道です。

「つくり手がいなくなる前に」──次世代育成と世界への発信に向け能登の外の人に願うこと

 輪島塗という伝統工芸を持続可能なものとしていくためには、課題は山積みです。職人の育成もその一つ。輪島塗の製作は工程ごとに職人・工房が分かれていて、必ずしも順番がその通りというわけではなく、順番が入れ替わることもあるのですが、木地師・塗り職人・研ぎ師・蒔絵師・沈金師・呂色師と各工程の専門の職人・工房が連携プレーで対応しています。どの工程の職人・工房が欠けても、成立しないのです。

職人さんの下地作業風景(塩安眞一さんのInstagramより)

 しかし、職人を育てるにあたって、昔のように徒弟制度で無給で……というわけにはいきません。今は最低賃金や労働環境の改善にもしっかり対応したうえで、技術が未熟でも仕事を任せなければなりません。 「木地師」による木材の加工から「呂色師」、販売まで、一連のつながりとして、全体を支える仕組みをつくらなければならないのです。現代では、職人学校のような仕組みが必要なのかもしれない。既にそのような動きが始まっています。でも、そういった職人学校で学ぶだけでは十分ではなく、実際に木地屋や塗り師屋でインターンのような形で修行する仕組みが必要です。我々の工房はそういった場所を提供できます。ただしそのためには、公的な支援が欠かせません。

女性職人さんたちも中塗り作業で活躍(2025年5月7日撮影)

 能登と輪島塗の未来のために、ご協力をお願いしたいことがあります。私たちは海外との関係をもっと広げたい。しかし、うちは今まで輸出業務をやってこなかった。だから、英語での発信も十分にできていません。海外に向けて情報発信してくれる人、外国人向け・外資企業向けのPRを英語で手伝ってくれる人がいたら、本当にありがたいです。  漆という素材に魅力を感じて、「何か一緒にやってみたい」と思ってくれる人。そういう人と、ぜひ繋がっていきたい。能登にお住まいでなくとも、あなたのご経験やお力添えこそが、輪島塗の未来を支えてくれるものと期待しています。

塩安眞一さんとベテラン職人さん(2025年5月7日撮影)

輪島塗 しおやす漆器工房について

 1858(安政5)年に初代塩安忠左衛門が輪島塗の職人として事業を開始してから167年。輪島塗が作られる工程も見学できる輪島塗の老舗店舗兼工房です。  工房では約10人の職人が作業を行っており、実際の塗りの工程を見学できます。  店舗ではお椀など生活に使用するものを中心にアクセサリーも充実しており、さまざまな美しい輪島塗の商品をご覧いただけます。

事業者プロフィール

輪島塗 しおやす漆器工房

代表者:塩安眞一 所在地:石川県輪島市小伊勢町日隅20番地(のと里山空港I.C.より車で約30分) ※見学は電話(0768-22-1166)やメール(shioyasu@titan.ocn.ne.jp)などで要事前相談

取材後記

 2025年5月、震災の爪痕がまだ残る輪島市へ取材にうかがいました。市内の多くの輪島塗工房は再開できていません。その状況を目の当たりにし「日本が誇る伝統工芸である輪島塗の存続危機だ」と、直観的にそのように感じました。  しかし、取材に応じる塩安眞一さんの発する言葉は、淡々としていながらも輪島塗業界全体を俯瞰した未来に向けての強い決意が感じられました。  単に震災前の状況に復興するだけでなく、世界から求められるような輪島塗、漆器産業になっていくことが自分たちの進むべき道──。そんな決意を持った「輪島塗 しおやす漆器工房」の今後に注目していきたいと感じました。 

和(ひとし)

 青森県出身。千葉大学卒業後、金融機関に勤めるかたわら、ソーシャルフリーランスとして活動。プロボノとしてさいたま市や市川市などでウォーカブルなまちづくりに関わる活動や、青森県でローカルの事業者と接していくなかで、まだ光が当たっていないプレーヤーに少しでも光を当てたいと願い、インタビューライターとしても活動を開始する。

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