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「炭に宿る300年の魂」地震で消えた火と窯を再び灯す 茶道用の炭焼き職人 “ノトハハソ”

株式会社ノトハハソ

更新日:2025年6月4日

「命がつながる地域」を炭焼きで実現する

 石川県珠洲市東山中町。わずか21世帯、40人弱が暮らすこの小さな山間の地で株式会社ノトハハソの代表をしている炭焼き職人の大野長一郎(おおの・ちょういちろう)です。  昔ながらの手作りで作る炭は、茶道のお茶会で使う炭がメイン。茶炭(ちゃずみ)や茶の湯炭(ちゃのゆずみ)、菊炭(きくずみ)と呼ばれています。炭の断面が丸く菊の花のように美しい。火がつきやすく、煙や炎も上がらず、燃え残らずにすべて灰となります。茶会で魅せる火として日本の伝統文化を支えています。  茶道人口は約100万人と言われ、炭の需要は年間100トン以上。僕も7キロ入りを1箱として出荷していますが、いつも数箱をまとめて注文されるお客さんもいらっしゃいます。供給が需要に追いつかない状況が続いています。

大野長一郎さんが製造販売している茶道専用炭(ノトハハソのWebサイトから)

 周辺の里山で耕作放棄地を開墾して、材料となるクヌギという木の植林をこれまで20年ぐらい続けてきました。  経営理念(ビジョン)は「生命(いのち)がつながる地域を共創する」。単なる炭焼きではなく、植林から伐採、窯入れ、炭焼き、選別、梱包、出荷まで全工程を一貫して行っています。

茶道用の炭の材料となるクヌギの木(撮影:野上英文)

 2017年から「炭焼きビレッジ構想」を掲げ、当初は6人の職人を育て、年間1億円の産業にする目標を目指していました。里山保全活動だったものが街づくりの活動になり、そこからさらに集落での自立自活に向けた取り組みに発展していったのです。  しかし、2024年1月1日の能登半島地震で工場と4基あった炭焼き窯が全壊。生産が完全にストップしてしまいました。今は収入がゼロです。生産ができていないので、どうにもこうにも、とても困っています。  ここまで追い込まれたら、もう高級路線しかありません。美しさナンバーワンにこだわり、プレミアムよりも上のラグジュアリー市場まで振り切ってやろうかなと思っています。  ここ数年で3度の地震に見舞われましたが、前を向くしかありません。自分がなりたいというよりも、そうしないと残っていけないだろうな、と。2〜3年後には「日本一の炭焼き職人から、世界一」を目指したいと思っています。

パソコンにスライドを映しながら取材に応える大野長一郎さん(撮影:野上英文)

カーボンニュートラルを達成した小さな集落

 ノトハハソの取り組みの特徴は、環境保全と地域再生を一体化させている点です。この20年間で7,000〜8,000本のクヌギを植え、生物多様性の向上とCO2削減の両方を実現しています。  今では集落の人たちが田んぼをやめたあとに、自分で勝手に植えてくれたり、植えて育ったやつを切っていいよとか言ってくれたりします。  その成果は科学的にも証明されています。2019年には年間61.7トン相当のCO2削減に成功しました。  これは日本人34人分の年間CO2排出量に相当します。「2050年までにカーボンニュートラルな日本にする」と菅義偉総理(当時)が言いましたけど、40人弱が暮らすこの集落はもうすでにそれを達成できているんです。

茶道用木炭の出荷用段ボールに待機中のCO2「−61.7t」を示すラベル(撮影:野上文大朗)

 クヌギ林の生物多様性に関する研究では、驚くべき発見がありました。  クヌギだけ育てばいいと思ってやっていたのに、クヌギ林の方が耕作放棄地と比べて植物種が約2倍に増加していたんです。人が適時、木を植えて育てたり、たまに切って、また草原に戻ったりという変化を与えることが、多様性を維持、または向上していくということが分かりました。

大野長一郎さんが里山で進めるクヌギの植林(ノトハハソのWebサイトから))

 これらの環境保全への貢献が評価され、私たちのクヌギ植林地は環境省の「自然共生サイト」として石川県内で唯一認定されています。  集落の自立への取り組みも特筆すべき点だと言えます。  この集落は水源となる井戸を持っていて、井戸から汲み上げた水を浄水・ろ過する施設を集落で運営しています。オフグリッド(自給自足)の仕組みづくりから、地震の発生後、市内で一番早く、水が復旧した地域になりました。

環境省によるクヌギ地植林地の「自然共生サイト」認定書(撮影:野上英文)

日本一、世界一の菊炭やき職人を一緒に目指そう

 直面する最大の課題は、窯の再建と人材確保です。工場は地すべり防止区域のイエローゾーンに指定されている場所に建っていたため、移転を考えています。新たな窯の開発に着手しました。  免震・耐震機能を持ち、移動できる金属製の窯を開発中です。2024年だけでなく、前年の23年、前年の22年と3年連続で地震によって窯が壊れてしまった苦い経験から、生産が止まらない体制を作りたいんです。

地震で崩れた炭焼き用の窯(撮影:野上英文)

 2024年12月から2月まで、窯の再建で協力を呼びかけるクラウドファンディングを実施しました(https://camp-fire.jp/profile/notohahaso_oonoseitan/projects)。1基に1,000万円を3基分で3,000万円。目標には届かなかったものの、1,000万円を超える支援が集まり、金属製窯1基の製作が決まりました。あきらめずに再建を目指します。  人材確保も大きな課題です。育成が一番難しく、補助金を使って法人化して就労環境を整えたりしましたが、定着は簡単ではありません。 少ない労働で高収入を得られる魅力的な仕事にしなければ、若い人は来ません。だからこそ、プレミアムな価値を超えた「ラグジュアリーで勝負しよう」というわけです。  人材を呼ぶには持続可能な地域づくりも必要です。現在は地域内で出資して設立した「珠洲市特定地域づくり事業協同組合」を通じて、マルチワーカーの人材確保(https://www.suzu-kurashigoto.com/)を進めています。組合は、古民家を改修して移住者が安心して住み、働ける場所の確保にも取り組んでいます。  日本一、世界一の菊炭やき職人を一緒に目指してみませんか!

地震で天井が崩れて無くなった炭焼きの窯。大野長一郎さんは再建を目指す(撮影:野上英文)

300年続いた火が消え、「炭の魂」から再生へ

 炭焼き業は、父が1971年に創業しました。私は22歳だった1999年にこの道に入り、創業50年を迎えた2021年に「株式会社ノトハハソ」として法人化しました。  人は、繰り返し自然の恵みをもたらしてくれる森を「柞(ははそ)」と呼び、大切に守りつないできました。それで、能登柞(ノトハハソ)です。  炭焼きだけではなく、地域文化の創造にも取り組んできました。能登地域では「キリコ祭り」が世代間交流の場として地域コミュニティを維持してきましたが、人口減少により維持が難しくなっています。  ただある時、「お米を作っても赤字なのに、何を神様に感謝しろって言うんだ」と語る高齢者の声を聞きました。心の中で「あ、終わったな」と思ってしまいました。全員がそう思っているわけではないのですが、世代間の交流が生まれるポイントが失われてしまったんです。

ノトハハソの事務所に置かれた火鉢(撮影:野上英文)

 危機感を抱いて2013年から「火起こし神事」を独自に始めました。  炭を焼くのにライターの火を使っていたのですが、ある時からすごく違和感を感じるようになったのです。調べてみると、「火は古ければ古いほど崇高である」という文献がありました。古い火を求めましたが、手に入れる事が難しく、自らが火打ち石で起こした火で炭を焼くようになりました。  火打ち石で起こした火で炭を焼き、その火を毎日絶やさず維持する生活にチャレンジ。この取り組みが認められ、石川県内で300年以上消えずに続いてきた火「火様」を継承することになりました。  この「火様」はもしもの時のために、私を含む3人で分けて守っていたのですが、残念ながら、今回の地震で全部、消えてしまいました。300年の歴史に幕が下りたのです。  ただ、その3人で話し合った結果、「崩れた窯の下敷きになっている炭が、火様で焼いた最後の炭である。新たな火を熾(おこ)し、その魂が宿る炭を通して新たな火種とし、守り繋いでいくことを始めよう!」と、2024年4月6日に火熾し神事を行いました。

ノトハハソの窯工場にある神棚に「復興」の2文字(撮影:野上英文)

 地域と自然をつなぐ新たな文化創造への挑戦は続きます。  珠洲では、海水を沸かす揚げ浜式製塩法という塩作りの海水の濾過に炭が使われていたり、農作物の土壌改良剤として炭を活用したりと、炭がそれぞれの産物をつなぐ役割をしています。  里山の活動と並行して、クヌギ植林地を活用した「クワガタツアー」も実施してきました。  植林地では、わずか30分間で数十匹のクワガタが採れます。今の若い子たちは「採る体験」が少なくなっており、この価値はすごく大事だと思っています。そんな自然に触れる体験を珠洲で提供したいですね。

地震で崩壊した窯の前に立つノトハハソの大野長一郎さん(撮影:野上英文)

事業者プロフィール

株式会社ノトハハソ

代表者:大野長一郎 所在地:石川県珠洲市東山中町(現在は移転準備中) 創業:1971年(2021年法人化) 事業内容:茶道用炭「茶炭・菊炭」の製造・販売、クヌギ植林活動、環境保全型事業

取材後記

 山間部にあるノトハハソを訪ねた。工場の入口にある事務所で迎えてくれた大野長一郎さんは、迷彩服にタオルでハチマキ姿。“現場感”あふれる姿だが、インタビューではPC画面を横になめらかなプレゼンをしてくれた。  茶道用の炭焼き職人、大損害を受けた窯の解体と再建へ──。そんな「伝統産業の危機」という“紋切り型”の取材になりかねなかったが、予想は良い意味で裏切られた。 「プレミアムを超えた差別化」「生物多様性」「CO2削減とカーボンニュートラル」……。どれも世界の潮流を捉えた挑戦ばかりだ。  それでいて、革新さだけを追っているわけでもない。「火熾し神事」や「地域コミュニティ」といった伝統への思いも、同じ熱量で語っていく。大野さんは同世代だが、昭和と平成、令和が同居した「ハイブリッド人材」と言うべきか。いずれにしても、地域の新しいリーダーの姿を感じた。  収入ゼロは、その言葉以上に苦しい状況だ。それでも「立ち止まったらおしまい」と言わんばかりに、大野さんは魂を込めて次の一歩を踏み出す。

取材者

野上英文(ジャーナリスト)

 神戸出身、中学2年生で被災。2003年に朝日新聞社入社、初任地の金沢では連載『石川と阪神淡路大震災』『能登球児は、いま』などを企画・執筆した。新潟中越地震や3.11、インドネシア・スラウェシ島地震などで災害報道に携わる。2023年にユーザベースに参画、編集者・パーソナリティとして活動し、25年にはNewsPicks防災部を有志で立ち上げて減災・防災の情報発信をしている。著書に『戦略的ビジネス文章術』『プロメテウスの罠4』ほか。

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