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「能登はこれから面白くなる」“日の出大敷”五代目網元が復興にかける心意気

有限会社日の出大敷

更新日:2025年10月6日

震災後10日で漁を再開

日の出大敷に所属する漁師は全部で20人。漁獲高は年間2,000tに達する。震災の起きた1月は、売り上げの多くを占めるブリの最盛期だった(画像提供:中田洋助)

 能登町鵜川(うかわ)で定置網漁を営む漁師集団「日の出大敷(ひのでおおしき)」の五代目網元、中田洋助(なかだ・ようすけ)です。    2024年の元日。実家に親戚がみんな集まって、そろそろ早めの夕食にしようかと準備をしていたときに能登半島地震が発生しました。あまりの大きな揺れと、大津波警報の発令で、何が起きているのかよくわからないまま避難したのを覚えています。    2日ほど経って、どうやら鵜川地区が能登町のなかではいちばん建物の被害が大きいことがわかりました。ほとんどの近隣住民が避難していた鵜川小学校に、会社のストーブや灯油、お米などを持って行ったり、不足していた飲料水を買いに金沢まで車を走らせたりしました。    1月4日頃には自衛隊も各地区に派遣され、じゃあ次に自分ができることは何だろうと考えたんです。最低限の衣食住が確保できれば、そこからみんなが考えることは暮らしの再建だなと。そのためには、生活していくためのお金が必要になります。自分は事業をしているので、従業員に給料を払えるように漁再開の準備をすることに決めました。

日の出大敷の頭文字「ひ」と能登半島の形を掛け合わせたモチーフに、アクセントとなる赤丸が日の出大敷の漁場を表しているロゴデザイン

 特に鵜川地区は能登町の中でも被害が甚大な地域だったので、あらゆる事業の再開が遅れるだろうと予測できました。そんな地域だからこそ、漁を再開することが1日でも早い復興に繋がると思ったんです。そこで、1月7日までに氷や船の燃料の手配、出荷のための市場とのやりとりを完了しました。あとは地震によって生じた港周辺の陥没部分や段差に、従業員と一緒に砂利を敷いたりコンクリートを撒いたりして、出荷用のトラックが通れるように道路を直しました。そして1月8日に、震災後初めて沖まで船を出したんです。  ただ実際に漁をするまでは「こんな状況で、本当に再開していいんだろうか」とかなり悩みました。周囲の人たちはみんな避難所生活を送っていて、「仕事のことなんて考えられない」といった雰囲気でした。従業員も漁を再開すると聞いて、「ほんとかよ?」と思ったんじゃないかと思います。  でも従業員たちと一緒に沖に船を出してみたら、網も大丈夫で魚も入っていました。それに網を引き上げて実際に魚が獲れると、みんな笑顔になったんですよね。その時はまだ出荷できる状況ではなかったので、獲れた魚はそれぞれが好きなものを持って帰ったり、避難所でふるまったりしました。みんな魚なんてしばらく食べていなかったので、「おいしい」と言ってくれて。従業員や周りの人の反応を見て、やっと「あぁ、再開してよかったのかな」と思いました。  もちろん、震災後はそれぞれの事情でなかなか漁に出られない従業員もいました。避難所で生活している人もいれば、倒壊した家の片付けや、さまざまな手続きに時間を取られる人もいましたから。でも地震後1年間は、仕事に出てこられるかどうかは関係なく、給料の減額はしませんでした。少しでも早く暮らしを立て直せるよう、漁ができるメンバーで、できない仲間の分も補填する方針でやってきました。

2つの交流拠点で、地域コミュニティの再建と関係人口創出を目指す

「鵜川みんなの番屋」イメージ図(画像提供:中田洋助)

 震災後は、本業の漁業の傍ら、「鵜川みんなの番屋(仮称)」(以下、みんなの番屋)運営のために、一般社団法人能登を紡ぐを立ち上げました。みんなの番屋は、日本財団が助成する「みんなの憩いの場」整備計画の地域交流拠点のひとつです。「みんなの憩いの場」は、日本財団による中長期の復興支援の一環として、住民の交流を一層促進することを目的としています。奥能登地域を中心に、全9カ所で建設・運営の計画が進行中です。  鵜川は漁業で栄えてきた町ですし、僕自身も漁師を生業としています。だから鵜川町ならではの交流拠点にするため、魚をテーマにした食堂を併設する予定です。2025年6月には、地域の子どもから高齢者まで約60人が集まって、みんなの番屋をどんな施設にしていきたいか話し合うワークショップを開催しました。計画の段階から地域のみなさんに参加してもらうことも、地域コミュニティの再建へ繋がればと願っています。  また鵜川の隣町、七見(しちみ)でも外部の人を受け入れる拠点づくり「Project UMInochi」を進行中です。古民家の改装を進めていて、2025年冬の運営開始を予定しています。一緒に活動しているのは、外資系IT企業を退職し、東京と能登で2拠点居住をしている藤田 聡さん(シロシル能登記事(https://www.sirosiru.jp/articles/n47fa1ef09184)を参照)です。将来的には企業研修や、子どもたちの体験学習などができる場にして、継続的かつ多様な形で地域に関わる関係人口を創出したいと考えています。  震災をきっかけに何らかの形で能登に関わりたいと思ってくれている方も、いきなり移住となるとハードルが高いですよね。だからこそ、一度足を運ぶきっかけとなるような拠点を作りたい。そのためにも、より深く能登の暮らしに関われるようなコンテンツを準備したいと思っています。  たとえば、外部の人と地元住民とで一緒に行う海の整備や山の整備。森林を豊かに保つことは海の生物多様性を守ることに繋がるので、漁業を持続可能な産業にするためには、どちらも必要不可欠な取り組みなんです。能登の自然や食べ物、暮らしに触れることで、都会ではできない体験をし、リフレッシュして都会の日々に戻っていける、そんな拠点にできたらと思っています。  東日本大震災のあと、東北地方には新しいスタートアップが生まれたり、面白い取り組みに興味を持って移住したりする人が増えている町がポツポツと出てきています。そんなワクワクするようなまちづくりをしていかないと、地方の小さな自治体は廃れていくだけなんじゃないかと思うんです。能登も震災後の数年が、そんな町になっていけるかどうかの分かれ目だと感じています。

能登はこれからめちゃくちゃ面白い土地になる

「人がいて、新しいものが生まれていかないと復興なんてしない」と話す中田さん

 いま必要としているのはとにかく「人」。僕が進めようとしているものを含め、復興やまちづくりのさまざまなアイデアが能登では生まれています。でも、なかなか実現に向けて動かず、形にならないのは取り組んでくれる人が足りないからです。  現状、復興のために新たな取り組みをしている人は、元々自分のビジネスを持っている事業者が多いです。そうすると、どうしても本業の傍ら取り組むことになるので、個人の負担も大きく、計画も思うように進みません。だから、能登での暮らしや震災後のまちづくりに少しでも興味があり、チャレンジしてみたいという方はどんどんこっちに来て、一緒に挑戦してほしいですね。  能登には、まだまだ昔ながらの暮らしが残っていて、農業や漁業といった生業や、祭りをはじめとする文化や伝統が今なお継承されています。都会的な便利さはないし、一見非効率な生活だと感じるかもしれません。でも僕は、その非効率さにこそ人は惹かれるし、学ぶこともたくさんあるんじゃないかと思うんです。  少子高齢化と、それに伴う過疎化の先に地域が廃れていくという事態は、遅かれ早かれ世界中どこでも起こることだと思います。つまり、今の能登の姿は社会情勢の最先端といっても過言ではない。だからこそ、能登が抱えている課題を解決していくようなビジネスや地域の仕組みづくりにチャレンジすることは、これからあらゆる地域が辿る道のひとつの答えになっていくんじゃないでしょうか。  能登はこれからめちゃくちゃ面白い土地になる可能性しかない、と僕は思っています。だから、漁業であれ、みんなの番屋やProject UMInochiであれ、僕のやっていることに少しでも関心を持ってくれた方は、いつでも連絡をください!

事業者プロフィール

有限会社日の出大敷

代表者:代表取締役 中田洋助 所在地:石川県鳳珠郡能登町鵜川27-25乙

取材後記

 中田さんは、地元高校の外部講師として高校生に話をすることがあり、いつも「出られるなら、一度地元を出た方がいい」と伝えるそうです。地元での就職を勧める高校の先生からは「やめてくれ」と言われるんですけど、と笑いながら教えてくれました。中田さん自身、水産大学への進学のために地元を離れ、金沢の漁業網メーカーで経験を積んでから、Uターンして家業の漁業を継ぎました。  大学で、東京生まれ・東京育ちの友人たちに、方言や里帰りできるふるさとがあることをうらやましいと言われ、地元への見方が変わったといいます。「能登の良さ、あるいは他の土地の良さは、やっぱり自分が経験しないとわからない」と話す中田さんの言葉には、実感がこもっていました。  またインタビュー中、「能登の一見非効率な暮らしに、人間の本質があると思っている」と何度もお話されていたことがとても印象的でした。そんな中田さんの目を通して発信される能登の魅力に、触れてみたい。そのためにも、2つの交流拠点が完成したらぜひまた鵜川を訪れたいと思います。

那須あさみ(なす・あさみ)

 山口県出身、長野県在住。フリーランスのライターとして、Webメディアを中心にインタビュー記事やコラムを執筆しています。2024年、能登半島地震の取材で初めて能登を訪れたことをきっかけに、「何か自分にもできることはないだろうか」と思っていたところ、「シロシル能登」を知りました。一人でも多くの人が、能登のいまに関心を持ち続けること、知ろうとすること、その一助になれればと思っています。

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