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「里山がある暮らし」を繋ぐ“のと復耕ラボ”の3Sな復興

一般社団法人のと復耕ラボ

更新日:2025年4月28日

能登の里山の持つ価値を、未来に受け渡す

 能登半島地震が発生する前は、輪島市三井町にある茅葺き屋根の古民家・茅葺庵を中心に「里山まるごとホテル」(https://www.satoyamamarugoto.com/)というスローツーリズムの運営をしていました。地震が発生して三井町も大きな被害を受けたことから、昨年2月より、活動の重点を生活基盤の復旧に置き「一般社団法人のと復耕ラボ」を設立のうえ、民間ボランティアセンターの運営を始めました。地域の皆さんからニーズの聞き取りを行いながら、ボランティアの募集と滞在支援と現場のマッチングや進捗管理を行い、2025年4月末までに、のべ3,500人を超えるボランティアの方々を受け入れました。  民間ボランティアセンターの運営を通して、解体される立派な古民家が非常に多いことに気が付き、それらの古民家に使われていた古い建材などを集める活動も開始しました。私たちはこの活動を「のと古材レスキュープロジェクト」(https://notofukkolabo.net/kozai/)と呼び、回収した古材を他の建築物の内装材や家具などに利活用することで、能登の里山の重要な構成要素である古民家の持つ価値を、未来に受け渡していければと考えています。   のと復耕ラボは、復興の「興」の字を、あえて「耕」に書き換えています。これは、私たちのミッションステートメントが、“能登半島の里山の『暮らしを耕す』ことを通して、地域内外の人との関係を深め、持続可能で豊かな地域づくりに寄与する”だからです。『暮らしを耕す』ことで、能登らしい復興モデルを生み出し、能登の里山の持つ価値を未来に受け渡していきます。

古材レスキュー活動の様子

「3S」=Slow, Small, Social な復興

 のと復耕ラボでは、これまで行ってきた復旧を目的とした活動に2025年4月末で一区切りをつけ、5月からいよいよ復耕(復興)を目的とした活動に入ります。私たちの復耕コンセプトは「3S」が大事だと考えています。それは…… ・Slow:無理せず、ゆっくりと、人と自然のサイクルにあわせて活動する ・Small:できることを少しずつ、自分たちの手に余ることはしない ・Social:コモンズ(共有財産)たる里山を通して、地域の持続性を高める  この「3S」のコンセプトに則り、私たちはいま、3つのことに取り組んでいます。

①米作りの開始

 のと復耕ラボが拠点を置く古民家・茅葺庵の裏手にある里山のふもとには、広い田んぼが広がっています。私たちは、この田んぼのうちの何枚かを地域の人からお借りして、来年から米作りを始める予定です。日本中でお米が足りない今、できれば今年の田植えに間に合わせたかったのですが、準備などにかかる人手や時間を考えると、無理はできません。ここは、自らの復耕コンセプトに従って“Slow”に始めることにしました。

茅葺庵の裏側には圃場が広がる

②近隣の古民家の再生

 茅葺庵の近隣には、人が住まなくなってしまった古民家が数軒あり、そのうちの1軒は茅葺庵と同じような、茅葺屋根の古民家です。私たちは、それらの古民家のうちの3軒を再生させ、能登の里山での暮らしを体験できる施設として運営することを検討中です。実は近隣には3軒だけでなく、もっと沢山の立派な古民家が解体の順番待ちをしています。もったいない気持ちになのですが、大きな古民家となると取得費や修繕費もかかり自分たちの手に余る可能性もあるため、“Small”に活動を進めていくことにしました。

茅葺庵の向かい側にある茅葺きの古民家

③里山を再生する

 茅葺庵から道を挟んで向かい側にある里山は、能登半島地震と奥能登豪雨で土砂崩れが発生し、里山の入口にある神社のお社も壊れてしまっています。私たちは、この場所で自伐型林業を営むことによって里山を再生させようと思っています。自伐型林業を行うために、まずは山に道をつけるところから始めます。道がなければ、山に入ることができませんし、切った木を搬出することもできません。そのため、今は少しずつ道を作っている状態です。  これらの里山再生のプロセスも、「復耕サポーターズ」と銘打って、これまでのボランティア活動と同様に、様々な方の参加や協力を得ながら進めていきます。そして、里山活動に関わってくださる方と、この場所を訪れたお客さん、地域住民の皆さんが楽しむことができるコモンズ(共有財産)にしていきたいと考えています。これも私たちの復耕コンセプト"Social"に従った活動です。

茅葺庵の目の前にある里山。地震と豪雨災害の被害を受けている

求む、ビジョンを共有して活動できる共同経営者

 のと復耕ラボの活動は、しばしば「活動資金はどうやって工面しているの?」とか、「それで本当に生計建てられるの?」とか、資金面でのご心配をいただきます。正直に申し上げると、とても厳しいです。それでも、ご支援いただける方から頂くご寄付や、休眠預金などの枠組みを活用した補助金などを申請することで、これまでなんとかやってきました。私たちの活動をご支援いただいている皆様には、本当に、心より感謝をしております。ありがとうございます。  私たちは2025年5月から、活動の主目的を復旧から復耕(復興)に移したわけですが、今まさに、新たな悩みが出始めています。それは、人手です。特に、経理や総務などのバックオフィス系のサポートをしてくださる方がいると、とても助かります。そのあたりの業務は、今のところ限られた現地メンバーで行なっているため、毎日がとても忙しく、自分自身の『暮らしを耕す』時間すら取れないのが実情です。  また数年後には、地震前から私が行っていた「里山まるごとホテル」のコンセプトをさらに磨き上げた「里山リゾート」を作り上げたいと思っているのですが、その構想を計画・実行するための時間も、今のところまったく取れていません。  だからこそ、ご支援いただける皆さんのお力を、いま一度お借りしたいと考えています。特に、「能登の里山の価値を、未来に繋ぐ」というビジョンを共有して共同経営をして下さる方や、里山リゾート内で飲食店を開業したい方、いらっしゃいましたら是非ご連絡ください!

ご家族と一緒に

「里山のミッキー」になるために

 私は神奈川県川崎市の出身で、能登には大学生になるまで縁がありませんでした。小さいころから、山でキャンプをしたり料理をしたりすることが大好きで、「人と自然の関わり」を学ぶために、東京農業大学の造園科学科に入学し、ランドスケープ・デザイナーになることを志したのですが、これが大失敗。自分には画才がなく、製図台の上で2本の並行な線を引くことすらままならないことに、入学1週間で気がついたのです。  その後、大学では麻生 恵教授の自然環境保全学研究室(通称:風景研)に入ったことで、能登の里山との関わりが生まれます。風景研では、かねてから能登の里山の文化的景観資源を保全するためのフィールドワークを行っており、その時に初めて来たのが輪島市三井町だったのです。  大学卒業後は、東京にある都市計画の会社に就職し、コンサルタントとして働きましたが、東京で働けば働くほど、能登には都会とは異なる豊かさの軸があることを強く実感するようになります。そして、2014年に地域おこし協力隊として、輪島市に移住を果たしました。縁あって「茅葺庵」の運営を輪島市から受託することになり、そこで古民家レストランを開始し、さらにその2年後に「里山まるごとホテル」の営業を本格的に開始しました。  私の人生の目標は「猛烈に里山に詳しいおじさん」になることです。三井町の里山を訪れてくれた人が散策していると、ふらっと現れては里山の楽しみ方を教えてくれたり、美味しい野草の採り方を教えてくれたり……格好よくないですか? 子ども時代の私だったら、そんなおじさんに知り合ったら、あの有名遊園地にいるミッキーに会うよりも感動したと思います。  そんな魅力ある里山を、未来に繋いでいくために、のと復耕ラボの活動を継続していきたいと考えています。

事業者プロフィール

一般社団法人のと復耕ラボ

代表者:山本 亮(代表理事) 所在地:石川県輪島市三井町

取材後記

2024年1月7日(日)午前9時、東京・日本橋。私(取材者:岩城慶太郎)は、勤務先であるアステナホールディングス株式会社の東京本社に能登半島地震を支援するためのボランティアルームを開設しました。そして、その瞬間、まさに文字通り「駆け込んできた」のが、のと復耕ラボ代表の山本 亮さんでした。  山本さんは、能登半島地震の発災当初、東京にある奥様の実家におり、能登の状況を案じながら自分にできることを探していたそうです。そんな折、SNSで東京にボランティアルームが開設されることを知り、電車に飛び乗り、最寄り駅から全力疾走してきました。  それから数日間、山本さんは毎日数十名のボランティアの方々と共に、能登で被災した方々を安全な場所に避難していただく、いわゆる「広域避難」の陣頭指揮を取ります。そして、能登で奇跡的に被害を免れたバス事業者と連携するなどして、500名以上の方の広域避難を実現させました。  それから1週間後の2024年1月15日に、山本さんは自分達が仕立てたバスに乗り、輪島市三井町に戻ります。そして、地域の皆さんの復旧支援や、ボランティアの方々の受け入れを開始。これが「のと復耕ラボ」の復旧フェーズにおける活動の起源となります。私が知る限り、発災以降、最も早く立ち上がった民間ボランティア拠点のひとつでした。  2025年5月、山本さんは、それまで行ってきた復旧拠点としての活動を終え、いよいよ復興に絞り込んだ活動を開始します。復旧から復興へのギアチェンジは、なかなか判断のタイミングが難しいもの。私の会社に駆け込んできた「あの時」のように、さぞ気負っているだろうと思って将来の計画を聞いてみると……あらびっくり。山本さんは、肩の力がいい具合に抜けていて、それでいて100年先をしっかり見据えた、とっても格好いいヤマ男になっていました。格好良すぎてちょっと悔しいけど、友人として、能登復興を志す同志として、私は彼のことを心から誇りに思います。  亮くん、たまにはメシでも行こうね。

東京から支援を行う山本さん(2024年1月8日22時ごろ 取材者撮影)

岩城慶太郎(一般社団法人能登乃國百年之計 副理事長)

2021年10月に生まれ育った東京都新宿区から石川県珠洲市に移住。能登半島地震の発災直後から、孤立集落と人数の特定、空路・陸路での避難手段の提供、避難先での宿泊施設や空き家の提供などを行い、2024年4月に一般社団法人能登乃國百年之計を設立。以降、能登地域の復興に精力的に取り組んでいる。

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