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「珠洲には生き抜くための知恵がある」事業者とマルチワーカーをつなぐ“珠洲市特定地域づくり事業協同組合”

珠洲市特定地域づくり事業協同組合

更新日:2025年6月20日

能登半島の最先端でマルチワーカーの移住支援

 珠洲市特定地域づくり事業協同組合で事務局を務めている、馬場千遥(ばば・ちはる)です。地域内の事業所で組合を作り、そこで雇用した「マルチワーカー」と呼ばれる人材を派遣する仕組みを運営しています。2022年4月に事業を始めた北陸初の取り組みです。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合を通じて働くマルチワーカーたち(提供)

 この制度は総務省の補助制度を活用しており、地方の過疎化や人手不足、人口減少といった問題と向き合っています。地方の小さな事業所・企業は季節労働が多く、通年で人を雇うほどの余裕がありません。例えば農業なら夏は忙しいけど、冬はあまり仕事がない。逆に酒造りは冬が一番のハイシーズンで、夏は仕事が少ない。  一方、移住者は安定した収入や自分に合った仕事を探したい。地方の新しい地域でせっかく暮らすなら、いろんなことに挑戦したい。将来的に起業のために地元の人たちとつながりたいというニーズもあります。そんな双方をマッチングする事業として始めました。

珠洲の組合員事業者と移住ワーカーをつなぐ珠洲市特定地域づくり事業協同組合(提供)

春夏は米作り、秋冬は酒造り。一年で複数の仕事

 「マルチワーカー」の「マルチ」とは、年間で2カ所以上の事業所で働くことが条件です。これは総務省が指定するルールですが、2つのパターンがあります。  一つは「春夏は米作り、秋冬は酒造り」というように季節で仕事を切り替えるパターン。もう一つは「週5日のうち3日を飲食店、2日を馬の世話」といったように、週の中でマルチに分けるパターンです。

マルチワーカーには2つの働き方がある(提供)

 現在、組合員は16事業者。農業、林業、酒蔵、牛や馬の牧場、宿泊業、飲食店、お土産物屋さんなど多岐にわたります。  業務内容もさまざまで、牧場では馬の餌やりや手入れ、牛の搾乳といった仕事があります。農業では、米農家だと田植えや稲刈り、草刈りが中心になりますし、さらにはケールという栄養価の高い野菜の栽培をしている農業法人もあります。炭焼き工場もあり、植林や育林・伐採作業といった林業分野にも携わることができます。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合を通じて働くマルチワーカーたち(提供)

 地場産品の製造に携わる仕事もあり、酒蔵では酒造りの補助作業や瓶詰め、ラベル貼りなどを担います。在来種の大豆を使った豆腐づくりを行っている道の駅もあります。  サービス業では、宿泊施設や飲食店での仕事があり、現在は震災後の復興需要の高まりにより、忙しさが特に増している状況です。  どの職場で働いても月給は一定(月額20万円程度)で、さまざまな経験を積める仕組みとなっています。  地域の自然や風土に根ざした仕事に惹かれて移住を決める方も多い。全国で同様の組合が約200カ所ほどあるなかでも、珠洲市は幅広い業種がそろっていることも大きな魅力のようです。

震災でみた事業者の踏ん張り

 2024年1月1日に起きた能登半島地震の被害は甚大です。珠洲市内の約半数の住宅が全半壊となり、港は隆起によって使用できなくなりました。津波被害が大きいエリアもあり、大規模な土砂崩れも発生しました。  どこも事業どころではなく、生活も危うい状態だったので、2024年の1〜3月は組合員事業所は休業しました。マルチワーカーは当時9人いましたが、多くの住宅が被災し、日常生活もままならない状態だったので、実家などへ避難してもらいました。  当初は「このままもう続けられない事業所が多いのでは」と心配しましたが、水も来ていないなかで営業を再開する飲食店があったり、宿泊施設が復興支援業者を受け入れはじめたり。あと動物相手の仕事は、休むわけにはいきません。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合を通じて働くマルチワーカーたち(提供)

 こんな時でも、というか、こんな時だからこそ踏ん張り、立ち向かう事業者さんばかりで、本当に勇気づけられました。事業を続々と再開し、「マルチワーカーに働きに来てほしい」という組合員事業者からの声を受けて、2024年4月から派遣事業を再開しました。  再開当初はマルチワーカーも9人から4人に減ってしまいましたが、その後「復興の力になりたい」という思いを持った方々が、24年度から25年度にかけて移住してきてくれました。今では、総勢10人のマルチワーカーが市内の事業所で活躍しています。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合を通じて働くマルチワーカーたち(提供)

マルチワーカー不足、そして「住むところがない」

 珠洲市内の他の事業者さんから「組合に新たに加入したい」という声があるなかで、現状はマルチワーカーの数が不足している状況です。  求人にはそれなりの反応があるのですが、受け入れの妨げになっている最大の課題が「住居不足」です。  珠洲市はかつて、空き家バンク制度が充実していて、月2〜3万円で借りられる物件も多く、それが珠洲の魅力でもありました。しかし、地震でほとんどの家が壊れてしまいました。  地元の方ですら仮設住宅での生活を余儀なくされているなかで、移住希望者が住める家がほとんどないのが現状です。  民泊事業者の力を借りて、手を入れればまだ使える空き家をリノベーションしてシェアハウスを整備しています。市内の事業所はまだまだ人手が足りない状況なので、今後も少しずつですが住める場所を確保して、移住者を迎える準備を整えていきたいと思っています。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合を通じて働くマルチワーカーたち(提供)

具体的に必要な支援は「やっぱり人」

 やっぱり一番ありがたいのは、珠洲へ移り住んで、マルチワーカーとして復興の力になってもらうことです。今の珠洲に最も必要なのは、復興や生業を担う「人」だと思っています。  派遣先となる組合員事業所は、農林業・製炭業・酒造業など「能登らしさ」を担う地場産業だったり、復旧・復興を支える人々の受け皿となる宿泊業・飲食店だったり、珠洲の再生に欠かせないものばかりです。  そうした複数の事業所で働き、復興を支え、幅広いスキルや人脈を身につけていただく。いずれは市内事業所への就職や独立開業して、地域の担い手となっていただけたらと願っています。  とはいえ、移住はハードルが高いものです。  現在、専従の事務局員は私1人。経理・人事・営業・広報などを一手に担っていて、正直手が回っていない状態です。もっとコミュニケーションに時間を割きたいし、マルチワーカーのキャリアアップや組合員事務所の認知度向上にも力を入れたいと思っています。  こうした状況から、マルチワーカーと組合員向けの研修メニューや、Webサイトのコンテンツ充実などについて、一緒に考えて取り組んでいただける方がいたら、とても心強いです。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合を通じて働くマルチワーカーたち(提供)

生き抜くための知恵、そして支え合い

 私が田舎暮らしに惹かれた理由のひとつに、「都会より田舎の方が災害時に生き残れそう」という思いがありました。  いま珠洲で住んでいるのは、約100人の集落なのですが、発災時は正月だったので観光客や帰省客も含めて140人ほどいました。全員が幸い無事でしたが、3日間孤立し、停電が解消したのが1月12日、断水が解消したのは2月23日でした。  人口の半分が75歳以上という超高齢化地域なので、避難所生活が長引くとリスクを伴うという危機感から、1月11日に多くの高齢者と女性は加賀市のホテルへ集団二次避難しました。私を含む約15人が集落に残り、2月下旬まで避難所で助け合いながら暮らしていました。  電気が復旧しなかった当時は、薪風呂が使えるお家で、山水を薪で沸かして、みんなで代わる代わるお風呂に入りました。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合の事務局、馬場千遥さん(撮影:野上文大朗)

 電気が復旧してからも、地元の設備屋さんのアイデアと技術で、山水を避難所近くのお家の宅内の水道管に流し込んで、蛇口から水が出るようにしてもらいました。数日おきに「今日お風呂沸かしたから入りにおいで!」とお風呂を開放してくれて、みんなで順番に利用させてもらっていました。 「昔もこんな風に近所のお風呂を借りに行ったなあ」と懐かしむ方もいて、地域の結束力を感じました。  電気や水道がなくても、生き抜くための知恵をもっている人たちがいた。だからこそ、未曾有の災害も乗り越えることができたのです。こういうたくましさやあたたかいコミュニティに触れ、私はますますこの地域が好きになりました。

移住者を引きつける珠洲の魅力

 私は奈良出身で、金沢大学の人間社会学域地域創造学類で学びました。学生時代に調査実習で珠洲に2週間程度、滞在したこともありました。卒業後は長野県木島平村で地域おこし協力隊として大学と地域の連携事業に携わり、その後、一度、金沢大学に戻って仕事をしたあと、珠洲市で移住を担当する地域おこし協力隊として、2019年にこの地に移住しました。  興味深いのは、「珠洲っておもしろい取り組みしてるよね」という噂が長野県まで聞こえてきたことです。  珠洲市は、「能登里山里海マイスタープログラム」という大学と連携した社会人向けの地域づくり人材育成プログラムを長年続けていたり、2017年から「奥能登国際芸術祭」を始めたり。ほかにも、いち早くSDGsに取り組んだりと、先進的な取り組みで知られてきました。学生時代に初めて訪れてから、ずっと「珠洲」という街は気になる存在だったのです。

インタビューを受ける馬場千遥さん(右。撮影:野上文大朗)

 私自身も移住者なので、移り住んだばかりの心細さや戸惑いはよくわかります。それに、仕事だけではなく珠洲での暮らしも楽しんでもらいたいので、プライベートな面でのサポートも心がけています。  たとえば、地元の方や他の移住者とのつながりをつくったり、地域の祭礼やイベントへの参加を呼びかけたり。雪の降らない地域から来られた方も多いので、タイヤ交換のタイミングや雪道の運転のコツをお伝えすることもあります。  震災以降は、慌ただしくなってしまって十分にできていないのですが、できる限り顔を合わせてのコミュニケーションを大切にしたいと思っています。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合を通じて働くマルチワーカーたち(提供)

 地震前までは「移住してもらわなきゃ意味がない」という思いが強かったのですが、震災後の今はそんな贅沢を言っていられないくらい、とにかく人がいない状態なので、「ひとりでも多くの人に能登のことを知ってもらい、関わってほしい」という気持ちになっています。  珠洲の魅力のひとつであり、わたしも大好きだった、黒瓦に下見板張り(したみいたばり、板の重ね方が独特な建築手法)の家々が並ぶ美しい町並みや瓦屋根の美しい景観は大きなダメージを受けました。

珠洲の景観の魅力を説明する馬場千遥さん(撮影:野上英文)

 地震で失われたものもたくさんありますが、「すべてなくなったわけではない」というのも事実です。  海や山の景色は変わらずきれいだし、人はあたたかいし、畑仕事や漁に出かけるおじいじゃん、おばあちゃんはたくましくてかっこいい。珠洲が元々もっているポテンシャルは、何も損なわれていないと思います。  むしろ、こういう時だからこそ、見れる景色や出会い、得られる経験があると思うので、ここで何かに挑戦してみたいと思う仲間が、ひとり、またひとりと増えていってくれたらうれしいです。  これからも人と地域をつなぐ取り組みを続け、若者が働き、暮らし続けることができる地域を作っていくことが目標です。

珠洲市特定地域づくり事業協同組合、事務局の馬場千遥さん(撮影:野上英文)

事業者プロフィール

珠洲市特定地域づくり事業協同組合

事務局:馬場千遥 設立:2022年1月(派遣業許可:2022年3月) 事業内容:人材派遣事業(マルチワーカー制度の運営) 組合員数:16事業者(農業、林業、酒造、宿泊業、飲食業など) マルチワーカー数:10人(2025年5月現在) 所在地:石川県珠洲市

取材後記

珠洲の知恵と絆に触れて(高校生の取材同行記)  春休みを利用して、能登の復興取材に同行しました。 「地域おこし」という言葉は聞いたことがありますが、「移住者と地域の事業者の間を取り持つ組合」という形で、実際に取り組んでいる人に会ったのは初めてでした。馬場さん自身も移住者だと聞き、地域に溶け込んで活躍する姿にすごいなと、まず思いました。 「人口減少」も、現地を訪れることによって肌で実感しました。私はひごろ都市部で、「人が多すぎる」「人手が余っているのでは」とさえ感じることもあるので、ギャップが大きかったです。  そんななか被災時の様子として馬場さんが振り返った、共同風呂の話が心に残っています。地域の人々がつないできた知恵や絆が、震災という厳しい状況を乗り越える力になっていたのだ、と知りました。  インタビューをした「木ノ浦ビレッジ」は半島の先端近くにあります。空港から車のナビで見たときは正直、「めっちゃ遠いな」と驚きました。でも実際に来てみると、このあたりが想像以上に素敵な場所であるとわかり、快適に過ごすこともできました。その土地ならではの営みやコミュニティがあることを発見できました。(高校2年生、野上文大朗)

取材者

野上英文(のがみ・ひでふみ、ジャーナリスト)、野上文大朗(のがみ・ぶんたろう、高校生)

野上英文  神戸出身、中学2年生で被災。2003年に朝日新聞社入社、初任地の金沢では連載『石川と阪神淡路大震災』『能登球児は、いま』などを企画・執筆した。新潟中越地震や3.11、インドネシア・スラウェシ島地震などで災害報道に携わる。2023年にユーザベースに参画、編集者・パーソナリティとして活動し、25年にはNewsPicks防災部を有志で立ち上げて減災・防災の情報発信(https://newspicks.com/topics/nogami/)をしている。著書に『戦略的ビジネス文章術』『プロメテウスの罠4』ほか。 野上文大朗  2008年、大阪生まれ。転勤族の親と幼少期から国内外で9回の転居をしてきた。現在は関東地方の高校2年生で、Junior Red Cross (青少年赤十字)の活動にも携わる。趣味はプログラミングと動画撮影。一眼レフカメラを手に能登の復興取材に同行した。

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