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ただいまとおかえりが交わる場所であるために──珠洲“海浜あみだ湯”の願い

海浜あみだ湯

更新日:2025年7月28日

北見から金沢、そして珠洲へ

 珠洲市の公衆浴場“海浜あみだ湯”で運営責任者を務めている新谷健太(しんや・けんた)」です。北海道北見市で育ち、金沢美術工芸大学へ進学。大学時代にはサッカーサークルのキャンプやアートプロジェクトで何度も珠洲を訪れ、「やっぱり、いいまちだな」と思うようになりました。  2017年、相方の楓 大海(かえで・ひろみ)とともに珠洲市へ移住。関係性を編み直すアートコレクティブ「仮( )-かりかっこ-」を立ち上げ、地域との関わりを深めながらアートを軸にした活動を本格的に始めました。  移住直後には、地域おこし協力隊として大学と地域をつなぐ役割を担いました。市長との対話を通じて、珠洲市における教育の課題を強く感じるようになり、「珠洲でも子育てがしたい」「珠洲からでも美大を目指せる」と思ってもらえるような環境づくりを目指し、2022年には奥能登に住む子どもたちに対して教育支援する「NPO法人ガクソー」を立ち上げ、地域の教育格差の是正に取り組んでいます。  2018年には「ゲストハウス仮( )-karikakko-」を開業。2019年には、まちづくりとコミュニティ運営を目的に「一般社団法人仮かっこ」を設立し、飲食営業を伴う「cafe & bar 仮(しげ寿司)」をスタートするなど、地域に根ざしたさまざまな活動を展開してきました。  そして2023年からは、公衆浴場“海浜あみだ湯”の運営管理者としての活動も始まりました。

通い湯から、担い手へ

 銭湯はもともと好きでした。移住前の学生時代には、金沢の銭湯でアルバイトをしていたこともあります。  移住してからは、あみだ湯が「ゲストハウス仮( )-karikakko-」の近くにあったので自然と通うようになりました。通っているうちに、80歳近くのオーナーと仲良くなっていって。僕自身、ボイラーの焚き方や配管の仕組みなどある程度わかっていたので、体力的にきつくなっていたオーナーのもとで、当時ボランティアのような形であみだ湯を手伝っていました。  2021年〜2022年ころ、オーナーからあみだ湯によく通っていたガクソーのメンバー4〜5人に、「あみだ湯を引き継げないか」という相談を受けました。僕自身、ちょくちょくお手伝いはしていたけど、本格的に運営責任者になったのは、経営的にも厳しくなってきた2023年。コロナ明け後のタイミングでした。

地域の仲間と笑顔を交わす、あみだ湯オーナー

まちに息づく、銭湯の人格

 僕が銭湯を好きだったのは、日本独自のコミュニティや“温浴”という文化そのものに惹かれていたからです。  実は、銭湯の料金は物価統制令という戦後の法律の名残で、金額を独自に決めることができません。いわゆる一般公衆浴場の入浴料は、自治体ごとに上限が定められているんです。スーパー銭湯ではなく、いわゆるまちの銭湯がその枠組みにあたります。資本主義が当たり前の現代において、こうした公共性をもつ空間は珍しく、銭湯が社会インフラとして残っているという点に強く惹かれています。  銭湯は、まちにひとつあるだけで、コミュニティの拠点や社会のケアとして大きな役割を果たしていると思います。そこには、そのまちならではの空気があります。たとえば、午前中にはおばあちゃんたちが、夕方には漁師さんたちが集まって、自然と会話が生まれる。時間帯や訪れる人によって、まるで“人格”があるかのように雰囲気が変わるんです。  銭湯は、日常の延長にあるようでいて非日常でもあり、非日常のなかで日常を取り戻すような場でもある。そもそも裏表がないというか、人と人がゆるやかにつながり、まちの気配がそのまま溶け込んでいる。そういう場所だから、僕は銭湯が好きなんです。

実家のように落ち着ける、あみだ湯の休憩スペース

再開に込めた地域への想い

 2024年1月1日。パートナーと遅めの年越しそばを食べながら、自宅でゆっくり過ごしていたときに、突き上げるような大きな揺れに襲われました。食器棚が倒れ、壁が崩れ、メガネが吹っ飛び、砂ぼこりで前が見えなくなりました。最初は何が起きているのか、すぐには理解できませんでした。  窓の外を見ると、隣の家の屋根の瓦がこちらに向かって崩れ落ちていて、ようやくこれはただごとではないと実感しました。津波が来るかもしれないととっさに思い、すぐに高台に避難。幸いなことにあみだ湯は津波の被害はなく無事でした。  あみだ湯は、1月18日に営業を再開することができました。行政の方々からは「水道の復旧は2〜3ヶ月の次元では済まない」と聞いていたのですが、幸いなことに、あみだ湯は地下水を汲み上げて薪ボイラーでお湯を沸かしているため、上水道の影響を受けずに済みました。  避難所では、多くの人がお風呂に入れない日々が続き、衛生環境の悪化が心配されました。もしこの状況が続けば、何かしらの感染症が広がり、人命に関わるかもしれない。そう考えたときに、改めてお風呂という存在の大切さに気づかされました。  衛生面の心配だけではなく、通信環境が途絶えていたことも地域住民の不安をかきたてていました。特に高齢の方は固定電話が使えないと連絡手段がありません。そんななかで、あみだ湯は地域の安否確認の場にもなりました。「生きとたっか」と声をかけ合う場面もあり、とても嬉しかったです。  だからこそ、地域住民のために一日でも早く本格的な営業に戻したいという気持ちで施設の修理などを進めていました。

被災した家財や廃材を弔うように燃やし、今日も入浴されるお客さんのお湯を温める

珠洲への恩返しを胸に

 震災後、パートナーは金沢に二次避難し、みなし仮設住宅での生活が始まりました。けれども、珠洲に残った自分は目の前のことに精一杯で、とにかく「まずは水道インフラが復旧して、地域の皆さんがお風呂に入れるようになるまでは、自分がやらなければ」という気持ちが強かったです。  2017年に移住してから、もう7〜8年が経ちます。その間にお世話になった方々も本当にたくさんいます。これまでにも、たとえば豪雨のときには一緒に泥かきをしたり、声をかけ合って励ましたりしてきました。そういうなかで、僕のような移住者が地道に活動を続けることで、「おかげさまでなんとか珠洲にいられるよ」と言っていただけることもあり、やっぱりできる限りのことをやり切って、恩返しをしたいという気持ちが強くなっています。

2024年9月豪雨で被災した住宅の泥かきを仲間たちと手伝う

 恩返しという意味では、教育の取り組みも続けていきたいと思っています。ガクソーに通っている子どもたちの進路や、卒業後の次のステップまでしっかり見届けたい。珠洲市内には10の地区があり、それぞれに学校があるのですが、人口減少の影響で統廃合の課題も出てきています。そうしたなかで、NPOとして行政と市民のあいだに立ち、地域の声を集めて、よりよい形をつくるための役割を果たしていければと考えています。  それこそが、今の珠洲市にとって一番大事なことなんじゃないかと、僕は思っています。

人が面白い、文化が深い珠洲

 珠洲市の魅力は、何より人間性にあると思っています。もともと移住したきっかけのひとつでもありますが、やっぱり半島の突端という土地で育まれてきた文化と人柄は、なかなか他では出会えないものだと感じています。  すごくユーモラスで面白い人たちが多いですし、自然とともに生きているので、野菜もたっぷりあって、魚も自分で獲って調理する。そういった暮らしのなかにある“交換経済”のような関係性に巻き込まれていくのが、とても楽しいんです。  たとえば、「年貢や〜」なんて言いながらお米を置いていってくれたり、「草刈り手伝って〜」と言われて行くと、お礼に野菜をもらったり。そういうやりとりが日常のなかに自然とあるんですよね。  僕がひとつ、まちを見るときの“面白さの指標”にしているのが、「調味料を自分たちで作っているかどうか」ということなんですが、珠洲では海水をまいて塩を作ったり、醤油や味噌を自家製で仕込んだりしています。そうした豊かな食文化も、珠洲の大きな魅力のひとつだと思います。

お風呂あがりの、くつろぎのひととき

「ただいまとおかえりを温める」あみだ湯の想い

 あみだ湯のWebサイトを作るにあたって、「ただいまとおかえりを温める」というキャッチコピーを考えました。  この言葉には、あみだ湯を、家のような、居場所のような存在として感じてもらえたらという思いを込めています。  いつ来ても変わらない空間。誰かが「ただいま」と言えば、「おかえり」と返せるような、そんな温かさを灯し続ける場所でありたいと思っています。  たとえこの先、もう一度地震が起こるようなことがあったとしても。 復興の過程で、地域のなかにすれ違いや分断が生まれてしまったとしても。 あみだ湯は変わらず、風呂屋として、居場所として、ここに在り続けたい。  それは、損得や効率とは関係なく、ただ水を温め続けるという行為そのもののなかに、意味があると思うからです。

「海浜あみだ湯」公式サイトより

関係性が人を動かす場所に

 珠洲市の復興については、交通インフラの問題を乗り越えてまで関わりたい、来たいと思ってもらえる人や関係性をどう築くかが大事なんじゃないかと思うんですよね。  単純な観光とか、ただ消費するだけの関係ではなくて、それぞれの人が、それぞれの場所で何かを受け取ったり、共有したりできるようなつながりを。  すごく抽象的な話になってしまいますが、それぞれのコミュニティ同士でつないでいくことが必要なんじゃないかなと感じています。   たとえば、僕らで言えばアートの分野で活動していることもあって、現代アーティストの方々がよく交流してくれて、珠洲にもよく足を運んでくれるんです。   最近でいうと、公共空間や路上を舞台としたアートプロジェクトを展開するアートチーム「SIDE CORE(サイドコア)」が、金沢21世紀美術館で個展を開催するんですよね。そのときに、僕らとつながって、珠洲でも何かをやりながら、美術館側とも共同で作品をつくったりして。来場者向けに、能登半島をめぐる体験ツアーのような企画も組んでくれたりしています。  そうやって、アートならアート、農業なら農業、漁業や焼き物など、どんな分野でも、それぞれの業界のなかで密な関係が自然と生まれてくるといいなと思っています。

今、珠洲とつながるということ

 2024年1月1日の震災から1年半が経ちました。 僕はようやく古民家が見つかって、少しずつですが自分の暮らしを再スタートできています。  移住仲間のなかには、ようやく家族が珠洲に戻ってきて、奥さんや子どもとの暮らしを再開できた人もいます。逆に、珠洲を離れるという選択をした人もいて、20代半ばから40代くらいまでの世代は、珠洲市に残れないという選択をした人もいます。  ただ、珠洲市の現状は依然としてかなり厳しいままです。2025年1月時点の人口は約8,000人。2023年12月と比べて37%も減少していて、高齢化率も60%近くになりそうです。まちとして経済が成り立つのかどうか、僕ら風呂屋も含めて、かなり厳しい状況だと感じています。  そういう意味では、復興関連の予算もこれから大きく減っていきますし、助成金などの支援も限られてくるでしょう。  だからこそ、「なんでもいいから珠洲に関わってみてほしい」と思うんです。  ボランティアでももちろん構いませんし、それだけではなく、もし可能であればビジネスや継続的な活動、自分ごととしての関わり方をしてもらえると、なお嬉しいです。   どんなかたちでもいいので、珠洲に“可能性”を見出して、関わってくれる人が増えてくれたらと願っています。  そうした関わりの場として、あみだ湯の2階やゲストハウスなど、長期滞在が可能な場所もご用意しています。滞在しながら、あみだ湯の清掃、ボイラー管理、番台業務、さらには地域のお困りごとの解決などにも力を貸していただけると、とてもありがたいです。

震災後、あみだ湯の清掃を手伝ってくれた仲間たち

事業者プロフィール

海浜あみだ湯

代表者:新谷健太 所在地:石川県珠洲市野々江町5 TEL:0768-82-6275

取材後記

 取材前にWebサイトに掲載されている記事などを拝見し、世界観や物事の捉え方がとても興味深く、「どんな方なんだろう」とお会いするのを楽しみにしていました。珠洲市では「しんけん」の愛称で親しまれているそうです。  実際にお会いすると、お団子ヘアがトレードマークで、どこか抜け感のある佇まい。地元のおじいちゃんと楽しそうに会話をされていて、最初はつかみどころのない印象を受けました。  でも、いざお話を伺ってみると、珠洲市のために多岐にわたる活動をされていて、銭湯に対する想いや地域へのまなざし、そしてそれらを実行に移す力に、自然と尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。  移住者だからこそ見える珠洲市の魅力。そして、地元の方と同じくらいの熱量でまちと向き合うその姿勢が、本当にかっこよかったです。  地域住民や移住仲間、学生など、さまざまな人の“中心”にいるような存在だと感じました。純粋に、またお話を聞きたくなりました。そして、あみだ湯にもつかりに行きます。

高橋 唯(たかはし・ゆい)

 IT企業でBtoBの法人営業・広報業務を経験後、PR代理店の広報部にてインターナルコミュニケーション施策、社内報制作、プレスリリースやメディアリレーション構築に携わる。  都内で開催された能登を感じるイベントに参加したことをきっかけに、実際に自分の目で能登を見て、地域の方と直接話したいという想いから、本企画にプロボノライターとして応募。

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