
二次避難者の相談窓口から復興の地域づくりへ──“ひなさぽ”の次のステップ
避難者・被災者支援サポートボランティア(任意団体)ひなさぽ
更新日:2025年10月20日
ひなさぽの初期の相談窓口で二次避難者の相談に応じる小家伸吾さん(撮影:2024年2月 ひなさぽ提供)
二次避難先のホテルで困りごとに対応
小家さんが最初に相談窓口を設置したときの様子(撮影:2024年2月4日 小家さん提供)
SNSで発信すると各地から協力者が
最適な「組織化」を支援するために合流
ひなさぽの活動を振り返る坂井理笑さん(撮影:加藤直人)
初期の活動でボランティアメンバー募集を呼び掛けた画像(ひなさぽ提供)
奥能登豪雨でマップ作りや子育て支援も
奥能登の細かい地名を入れた地区分けマップ。作成は、ひなさぽメンバーの坂本のどかさん(ダウンロード https://drive.google.com/drive/folders/1N1TvKRMylF6OFxW6FOltom46fs_3PHvw)
奥能登豪雨で園庭が使えなくなった園児を対象とした自然体験支援プロジェクト(撮影:2024年11月 ひなさぽ提供)
山形での経験をいかせないかと石川へ
初期の相談窓口での小家さんと、山形から応援に駆け付けた遠藤正則さん(右)(撮影:2024年2月 ひなさぽ提供)
避難者を行政や弁護士らにつなぐ役割
意味と形を変えながら続く活動
小家さんが金沢で再開した整体院で、ひなさぽの活動を振り返る小家さんと坂井さん(撮影:2025年7月25日 加藤直人)
事業者プロフィール
取材後記
自身の被災体験から支援活動までを淡々と語る小家さんに、私は何度も「どうやって自分のことと他の人への支援を両立していたのですか?」と聞きました。 小家さんは「自分のこともしていたけれど、そんなに計画立ててやってはいなかったので、空いた時間を人のために使っていました。同じような立場の人が相談にのることで、たとえ問題が解決しなくても安心はしてくれる。それがやりがいでした」とまた淡々と答えられました。 一方で、今は金沢を拠点とし、能登と距離ができてしまっているのも確か。今後の能登との関わりについて聞くと、小家さんは少し考えたあとに「僕が得意な健康の分野を生かしながら、能登でも活動できることをしていきたい」と一言。すると、隣で聞いていた坂井さんがすかさず「待ってるよ!」。ひなさぽ「第4期」の始まりを予感させる掛け合いでした。
関口威人(せきぐち・たけと、ジャーナリスト)、加藤直人(かとう・なおと、カメラマン)
関口威人 1997年、中日新聞社に入社し、初任地は金沢本社(北陸中日新聞)。整理部記者として内勤を終えたあとに片町や香林坊で飲み歩き、休日は能登や加賀をドライブで走り回りました。現在は名古屋を拠点とするフリーランスとして、主にヤフーニュースと東洋経済で防災や地域経済などについて執筆しています。 加藤直人 三重県伊勢市出身、在住。地元の行事やモータースポーツを被写体としながら、地域防災活動にも取り組み、能登では特に技術系ボランティアの活動を追い掛けてきました。現在は伊勢神宮の2033年の式年遷宮に向けた各種行事も記録しています。


