ロゴ
画像

“カタリバ”代表今村久美さんが思い描く災害支援の新しいかたち【前編】──発災4日後から始まった「避難所」で生活を共にする子ども支援

認定NPO法人カタリバ(認定特定非営利活動法人カタリバ)

更新日:2025年10月6日

 2001年、当時大学生だった今村久美さんが「10代の子どもたちにナナメの関係を」というコンセプトで立ち上げた認定NPO法人カタリバ。生まれ育った田舎で感じた同調圧力と大学入学と同時に暮らし始めた都市部のエリート層との分断に対する今村さんの問題意識がその原点にある。2011年の東日本大震災では自らが被災地に入り、子ども支援に取り組むなか、「外からの支援」の限界を痛感。地域住民が主体となる支援のあり方を模索した。そして2024年1月1日の能登半島地震。発災から3日後には現地入りし、4日目には避難所で子どもの居場所を開設。東日本大震災のときの経験を活かした新しい災害支援の形を実践している。  前編では、今村さんに、カタリバの歩みと能登半島地震支援の取り組みについて話を聞いた。

「ど真ん中に!」 ── 現地に入り込む支援

能登町の「みんなの子ども部屋」の様子(写真提供:カタリバ)

 発災直後は、カタリバのメンバーが現地に入り、子どもの居場所「みんなのこども部屋」を開設しました。避難所の一角に開設したこのスペースは、避難所運営の皆さんと連携のうえ、必要な許可を得て実施しているものです。  そのうえでさらに「今、子どもにとって必要なことは何か」を、もの、人、交通の便など、さまざまな角度から探して、教育委員会と連携したり、自前でできることはお金を集めてやったりと、可能な限りの支援を行ってきました。  大切なのは、離れた場所から一方的に支援するのではなく、被災地のど真ん中に行き、現地の声に耳を傾けることです。  そのために、カタリバでは避難所運営者や地域の方の了承を得たうえで、現地に滞在しながら支援活動を行いました。そこで共に生活しなければ、被災している人たちが「今、何を感じているのか」がわかりません。できる限り避難所などに一緒に生活しながら、日々刻々と変化するニーズを捉え、現場に即した形での支援を、いつも大切にしています。  たとえば、避難場所には子どもの遊び場がありません。子どもにとっては、遊べない、疲れない、眠れないというサイクルが生まれ、生活リズムが不規則になってしまいます。また保護者の方は、家の復旧作業をしようにも幼い子どもがいると作業に集中できません。そのような状況がわかり、避難所のなかに子どもの居場所「みんなのこども部屋」をつくりました。

一人ひとりに合わせた細やかな支援

一人ひとりに必要なものを、心を込めて梱包しました(写真提供:カタリバ)

受験シーズンだからこそ──進路をあきらめさせない

 また地震が起きたのは1月。中高生にとっては受験直前でした。災害によって進路が変わってしまう子がいないように、中3、高3の受験生に受験費用の奨学金を給付しました。それ以外にも費用面で問題を抱える受験生たちと繋がって、「どの奨学金を使えるのか」を調べて、Webサイトに掲載したりするなど、できる限りすべての子が目指している進路をあきらめることのないようにフォローしました。

1,500人分の衣類を一人ひとりに合わせて

 例えば、輪島市の中学生は白山市(はくさんし)に一斉集団避難して、授業を継続しました。しかし家があるエリアは雪が積もらないという子も多く、長靴を持っていなかったり、衣類や勉強道具を家から取り出せなかったりして、真冬なのに半袖を着ている子も目に付きました。そこで、輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の小・中・高の生徒約1,500人一人ひとりに洋服と靴のサイズをヒアリングして、それぞれに合った衣類や学用品などをセットして届けました。

東日本大震災の教訓──与え続けることではなく主体性を引き出す支援を

子どもを応援する能登の市民活動を支援しています(写真提供:カタリバ)

東日本大震災の経験から学んだこと

 時間が経っていくなかで大切にしていることは、支援は「与え続けることとは違う」ということです。与えられることに慣れてしまうと、結果的にその人の自立を奪ってしまうこともあると思います。どうしたら被災者一人ひとりが、この災害をいかに自分の力に変えていけるのか、私たちが寄り添っていくのかが重要です。  これは東日本大震災の経験から学んだことでもあります。  東日本大震災のときは、カタリバが支援活動の主体となり、地域の方々が私たちの取り組みに「参加する」という関係性で、さまざまな支援プロジェクトをスタートしました。  当時の私たちは善意で動いていましたが、最初の段階でカタリバが先導し、地域の方がそれに加わる構図になってしまったため、結果的に「与えられるものに参加する」関係性になっていました。  そこから少しずつ、地域の方々一人ひとりの主体性を一番に考えた活動へとシフトしていきました。たとえば「大槌高校魅力化プロジェクト」では、当時のメンバーだった大槌町に住む塾の先生やお母さんたちが、今でもその取り組みに携わったり、地元の教育委員になったり、学校ボランティアとして活躍したり、震災後の活躍が、結果的に地元の子どもたちにとっての価値になったなと感じています。

「地域の方」と「よそ者・若者」のバランス

 もちろん、外からの関わりがまったくいらないということではありません。地域の方とよそ者(外部の支援者など)、若者のバランスが大事だと思っています。  もう外の人たちだけが張り切って支援するっていうかたちは、そろそろ卒業してもいいのかなと思っています。決して悪いことだとは思っていませんが、特に復興支援に関してはそういう団体は多いので、できれば私たちは関わり方のバランスを考えながら、地域の方や若者を主役に据えた活動をしたいと思っています。

奥能登地域内外をつなぐ「第3のセクター」という可能性

 奥能登にはお祭りや地域の集落ごとのコミュニティがしっかり残っていると感じました。  一方で、地域内のつながりだけではなく、地域外との橋渡しや、柔軟に役割を分担できるようなNPOのような 「第3のセクター」の存在は、まだ十分には育っていないのかなとも感じました。  たとえば、外部の子ども支援団体が短期的に遊び場を開いてくれるような活動も大きな意味がありますが、地域の方が継続してそうした場を育て、仕事として担っていけるような仕組みが加わると、より地域に根づいた取り組みに発展していくと感じました。

能登の人たちから学んだこと

自ら現地に出かけ子どもの支援活動を牽引する今村さん(写真提供:カタリバ)

「なければないでやっていこうよ」。工夫しながら何かを創り出す能登の人たち

 個人的には能登にこんなに自分が関わるようになるとは思っていませんでした。生まれ育ったところにちょっと方言が似ているということもあって、私はとても能登が好きです。  また、自然の猛威も豊かさも感じられる年齢になったこともありますが、自然のなかで、自分が、人間が、人の手では再現できない能登の海の揺らぎなどに本当に癒されているなと感じています。  今、私は都会に住んでいて、生活するにはとても便利だし、好きなのですが、能登にいる間は、自分のなかに何かを取り戻すような感覚があります。  また、能登で、地元で頑張ろうとしている人たちにものすごいエネルギーがあって、教えてもらうことがとても多いんですよね。たとえば料理の仕方を地域の方に教えてもらったり、「自分たちでできることをやろうよ」と、工夫しながら、さまざまなものを創り出したりしている人たち。「なければないでやっていこうよ」というその感じがすごくいいな、好きだなと思える人がとても多いんです。

災害を力に変える人たちを応援し続けたい

 災害が起きたことで、それまでにはなかったリソースがよくも悪くも被災地に注がれます。外からの支援者も、お金もメディアも。外の人間である私が言うと怒られるかもしれませんが、災害を経験したからこそ、湧き上がる底力を発揮するのか、もしくは支援を受け続けるか。これはもう2択だと思っています。  支援のなかで力を失ってしまうのではなく、たくさんの機会があるからこそ楽しんでやっていこうという人たちを、やっぱり私は応援したいし、とても刺激を受けています。  だからこそ、これからも災害が起きたらすぐに駆けつけて、私たちがその時の自分たちのリソースの中でできることを続けていきたいと思っています。  ──カタリバ代表今村久美さんが思い描く災害支援の新しいかたち【後編】──「地域の力を育て、分断を乗り越える社会を目指して」(https://www.sirosiru.jp/articles/ne3d97f233998)へ続く

今村久美さんプロフィール

 慶應義塾大学卒。2001年にNPOカタリバを設立し、高校生のためのキャリア学習プログラムの提供を開始。2011年の東日本大震災以降は子どもたちに学びの場と居場所を提供、コロナ禍以降は、経済的事情を抱える家庭に対するオンライン学習支援やメタバースを活用した不登校支援を開始するなど、社会の変化に応じてさまざまな教育活動に取り組む。ハタチ基金代表理事。地域・教育魅力化プラットフォーム理事。文部科学省中央教育審議会委員。東京大学経営協議会学外委員。朝日新聞パブリックエディター。石川県令和6年能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボード委員。

事業者プロフィール

認定NPO法人カタリバ(認定特定非営利活動法人カタリバ)

代表者:今村久美 所在地:東京都中野区中野5丁目15番2号

取材後記

米谷美恵(よねや・みえ、インタビューライター)

 インタビューライターとして20年以上にわたり、メディアや企業、自治体など、さまざまなジャンル、媒体で2,000人以上の方々にお話を聞いてきました。好物は「人の話」。人、場所、物、想い。そのすべてに寄り添ったコンテンツ作成を心がけています。話し手の言葉に耳を傾け、ことばを整え、読んだ人の心に届くように形にしていく──。「対話から生まれる想い」を大切にしています。

注目の記事