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能登の空に伸びる「垂直の枝」“陽菜実園”が美味しさでつくり出す価値

陽菜実園

更新日:2025年6月30日

 陽菜実園(ひなみえん)は、能登町国重に2.6ヘクタール(26,000平米)の畑を持つ果樹農家です。私たちは平核無柿(ひらたねなしがき)という渋柿を中心に、栗やブルーベリー、キウイ、銀杏などを、大地にやさしい無肥料栽培で作っています。  肥料を与えないで立枝など元気な枝を残し木のホルモン活動を活発にすることで、強く元気な木になり、甘くて美味しい実をつけます。元気な枝には元気な果実がなります。  陽菜実園で作る柿やブルーベリーなどの果実は、雑味が少なく濃い味でお客さんに美味しいと評価してもらっています。  2024年元日の震災では、農園も大きな被害を受けました。果たしてこの先、ここでやっていけるのか、心が揺らいだ時期もありましたが、今ではこの地でやって行く決意を固めました。  日々創意工夫を重ねて、ひたすら美味しい果実を育てていきたい。美味しい果実を通じて、確かな価値を作っていきたい。突き詰めれば、それが今の目標になっています。  そしてそれは、能登の一次産業の価値を守り、さらに高めていくことに繋がっていくと信じています。

農法には妥協せず、離農する農家の畑は引き受けていく

DOHO STYLE 肥料は与えず、上に伸ばし元気に育てる

 美味しい果実は決して偶然にはできません。元気な木を作るために、農法には徹底してこだわっています。  陽菜実園の農法は、広島の農業技術者、道法正徳さんが提唱する 「DOHO STYLE」に、私の経験を加えたものです。DOHO STYLEでは、果樹栽培の常識に反して、垂直に伸びる枝を残します。通常、柿の枝は横枝を残して、上に伸びる枝を剪定するものとされます。十分な肥料を与えて育てた木は、元気すぎる立枝に実がならないので、剪定してしまうのです。  しかし、無肥料栽培で垂直に伸びる枝を残すと、木は元気な枝に元気な実をつけるようになります。収穫の秋、実の重みで頭を垂れた枝から収穫する「ひなみ柿」は、高い糖度と雑味のないすっきりした味わいになります。

陽菜実園では果樹栽培の常識に反して、垂直に伸びる枝を剪定せずに残します(2025年4月28日撮影)

 通常、平核無柿の糖度は14度から15度くらいで、16度を超えると糖度が高いと言われますが、陽菜実園の柿は安定して17度、中には18度から19度にもなる実もあります。糖度では、バナナとアメリカン・チェリーがライバルだと思っています。  子どもを育てる親として、体に優しく、自然環境に優しい農家でありたいと思っています。今は環境負荷が低い農薬を選んで少量だけ使用していますが、環境への負荷が本当に高いのは、川へと流れ出す肥料の方です。私が無肥料にこだわるのは、元気な木を育てるためであると同時に、大地に優しくありたいからなのです。

上に伸びる枝で植物ホルモンは活性化。甘い実をつけた枝は頭を垂れます(2025年4月28日撮影)

無添加・無燻蒸にこだわったドライフルーツ

 陽菜実園で作っている平核無柿は渋柿で、渋を抜いて干し柿などにしています。私たちは、この干し柿に加工していく工程にも、安心・安全、美味しさを追求しています。  まず「無燻蒸」には強くこだわっています。オレンジ色の色止めと、虫よけやカビの防止のために使われるのが硫黄燻蒸です。私たちはこの硫黄燻蒸は、絶対にしないと決めています。無添加の干し柿作りに徹底してこだわり、小さなお子さんでも安心して召し上がっていただけるようにしています。  また、食物酵素を壊してしまわないよう、低温乾燥で旨さを凝縮させています。  その努力はお客さんにも伝わっています。陽菜実園の干し柿を美味しいと言ってくれるお客さんのためにも、まだまだ試行錯誤を続けていきます。  果物は市場では、大粒であるか、傷がついていないかといった外見基準で評価されることが多いですが、味でも評価してほしいと思っています。私は栽培や加工にこだわり、その価値をさらに高めるように努力していきます。

離農する農家の畑を引き受け、能登の農地を守る

 能登町の近郊では、地震や高齢化の影響で、離農して行く方が増えています。陽菜実園では、周辺の離農する農家から1.4ha(14,000平米)の栗の畑を引き継ぎました。  一度荒れてしまった畑を再生するのは大変なこと。能登の農地を守って、豊かな一次産業を守るために、話があればどんどん引き受けていきたいと思っています。  また、より大きな規模で栽培することで、経済的にも様々な可能性が生まれると思っています。

ぜひ陽菜実園にお手伝いに来ませんか? 1+1は2以上になります

取材当日もボランティアの若者がお手伝いに来ていました(2025年4月28日撮影)

 2024年元日の震災では、陽菜実園の農園も大きな被害に遭いました。農園には地割れができ、長い亀裂が入ってしまいました。  精魂込めて育てた木の根がむき出しになってしまい、避難生活をしていたために何ヶ月もそのままになってしまいました。そのためか、1年後の今も、地割れした側の木には、枯れ枝が多くなっていて、枯れてしまわないか心配です。

地割れでできた70センチの段差。急勾配になり、機械を入れる作業ができなくなっています(2025年4月28日撮影)

地割れで根がむき出しになった場所には枯れ枝が多く、枯れてしまわないか懸念されます(2025年4月28日撮影)

 今もさまざまなボランティアの方や、他県の同業者の方が、お手伝いに来てくれます。手伝ってもらうと作業がはかどります。1+1は2以上になります。  農園の四季も美しく、春は新緑の透き通るような緑が美しく、収穫の秋には一面に黄色の世界が広がります。陽菜実園にお手伝いに来てくれたら嬉しいです。  そして陽菜実園の味を味わっていただき、ファンになっていただければ何よりです。

陽菜実園について

 私、柳田尚利(やなぎだ・ただとし)は、能登町国重(くにしげ)で陽菜実園(ひなみえん)という果樹農家をしています。私は2012年に大阪から奥能登に移り住み、2017年に農家として独立しました。大阪時代にダイエットを始めたことをきっかけに、健康な食生活に強く興味を持ち、やがて農家を志すようになりました。  そんな折、石川県で農業研修生の募集をやっていることを知りました。申込期限は1週間後。今思いますと、もし期限が数日後であれば諦めていたかも知れないですし、もっと先なら、気が変わってしまったかもしれない。私は偶然の力と何かの縁に導かれるように、能登に来ることになりました。  輪島市の米農家で、2012年に農業研修を受け、それを終えると移住して就農しました。最初は米農家で働きながら、つねに農産物の価値を上げる方法を考えていました。どうしたら安心安全で自然にも優しい農業ができるのか。どうしたら農産物の価値が正しく評価されるのだろうか。そう考えるうちに、無肥料無農薬農法に関心を持つようになり、「炭素循環農法」を学ぶようになりました。

果樹農家「陽菜実園」誕生

 私は、いつか農家として独立したいと思っていました。その機会は、移住してきて5年目の2017年に訪れ、現在の陽菜実園の農地を持つ農家が、後継者を募集しているというのです。私は農地を受け継ぐことを決め、果樹農家「陽菜実園」としてスタートしました。  陽菜実園では、独立した当初から無肥料栽培にこだわってきました。  しかし、1年目は失敗の連続でした。無肥料であることに加え、農薬も極限まで減らした結果、落葉病やアザミウマの被害が出てしまい、さらにヘタムシが柿の中に入ってしまい、その影響でせっかく収穫してもとても商品にならず、たくさんの柿を捨てることになり、地面をオレンジ色に染めた悔しい思い出もあります。  そんななか、農家仲間から、果樹栽培ならDOHO STYLEを学んではどうかと勧められ、講習会に出るようになりました。そこで学んだことや仲間から教えていただいたこと、自分自身で経験、試行錯誤しながら、強くて元気な木を育てることができるようになってきました。  2023年に、それまで借りていた土地を所有するようになり、農家としてより思い切った取り組みができる環境が整ったところに、2024年元日の震災が発生しました。

震災で揺らいだ心、あらためて気づいた能登の魅力

 震災の発生時には、故郷の大阪にいました。一瞬でみんなと連絡が取れなくなり、テレビで悲惨な状況を目にして不安が募りました。  1月4日に町野町に戻り、状況を見たとき、涙が止まりませんでした。自宅の被害も大きく、瓦屋根が破損して雨漏りし、氷点下だったこともあり、家の中のいたるところが凍っていました。  さらに、ドライフルーツの加工場も大きな被害を受けていました。内壁のボードが落ち、ヘタ剥き機は倒れ、皮剥き機には棚が倒れ込み、乾燥機は50cm程動いていて、歪んでいて扉が閉まらなくなりました。また長期の停電の影響でプログラムが消えてしまっていて大きなショックを受けました。  2024年1月21日から4月7日までの期間は、加賀市に2次避難しており、ホテル暮らしをしていました。能登を離れていた期間、このまま能登で農家をやっていけるかどうか、心は大きく揺らぎました。農家をやめるつもりはありませんでしたが、もしそれが能登でできないのであれば、他県に移り住むことも考えました。  一方、能登を離れて暮らしてみて、それまで当たり前に思っていた能登のお米や野菜、能登のスーパーなら普通に買える刺身のおいしさなどが、いかに豊かなことだったのかと強く意識しました。あらためて能登の食生活の魅力、一次産業の豊かさに気づかされた時間でした。  果物を買ってくれるお客さんや、農家仲間の方々からの励ましもあり、もう一度、能登に戻って頑張ろうと決意を固めました。  今は脱渋機や加工場の損傷もあり、一般のお客さんとダイレクトに繋がるネット通販を休止しています。再開した際には、是非、お買い求めいただきたいです。  7月末にはブルーベリーの収穫が始まります。  お客様から無限に食べられる「無限ブルーベリー」と言ってもらえた味を是非お試しください。

見事に上に伸びる平核無柿の木の前で(2025年4月28日撮影)

事業者プロフィール

陽菜実園

代表者:柳田尚利 所在地:〒928-0221 石川県輪島市町野町真久チ-1

取材後記

私が陽菜実園にうかがったのは、4月下旬の穏やかな午前中でした。  県道6号線からお寺に向かう小道に入り、急坂を登っていく。鬱蒼とした森を抜けて視界が開けると、そこに陽菜実園がありました。  透き通る新緑。空に向かって垂直に枝を伸ばす柿の木々。柳田さんが情熱を注ぐその農園は、どこか「秘密基地」を感じさせるものがありました。  広大な農園には、今すぐやらなければならない仕事が山ほどあります。それでも柳田さんの表情は常に穏やかでした。  マラソンランナーでもある柳田さんは、「木を元気に育てる」過程を、人の体に例えて表現してくれます。「体は大きくても脂肪だらけ」「細マッチョ」「元気すぎて落ち着きがない」といったように。私はアスリートなので、それらの説明がひとつひとつ腑に落ちました。はじめは、こうした表情がご自身のダイエットや食生活の改善の経験に基づいたものなのだと思っていました。しかし、農園を歩き回って、絶えず剪定する枝を判断して鋏を入れる柳田さんを見ているうちに、なるほど、これは「木の声を聞いている」のだと思うようになりました。木を人と同じように見て、対話しているのだろうと。  「陽菜実園」という名前は、陽射しや菜っ葉、実りという、この農園のイメージであると同時に、ご家族のお名前の一文字ずつと、もしもうひとりお子さんが生まれたらつけたかった文字も含んでいるのだそうです。  柳田さんのお話には、重要な局面でたびたび奥さまの言葉が出てきます。大阪から移住してきた柳田さんの心を常に支えてきたのは、この地で出会った奥さまでした。その奥さまと最愛の娘さん。家族の愛情と手塩にかけた柿の木々に囲まれるこの秘密基地は、春の陽射しの中でとても眩しく見えました。  美味しい果実は、こういう場所で生まれるのだなということを強く感じました。

取材者

長島太郎(ながしま・たろう)

海を泳ぎ、山を走る耐久性アスリート。ラジオ局勤務。経営学修士。 20代で世界19カ国をバックパックで歩く。 国会記者を経て、ラジオ番組・事業プロデュースに携わる。 現在、国家資格 登録日本語教員の取得のため学習中。 ケニア人駅伝ランナーに日本語を教えるのが夢。

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