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能登に光を、地域に寄り添う力を──能登町発のボランティア団体“のとテラス”の挑戦

のとテラス

更新日:2025年7月7日

能登町で生まれた地元発のボランティア団体

 ボランティア団体「のとテラス」の代表を務める池崎千佳子です。2024年元日に発生した能登半島地震、そして同年9月の奥能登豪雨という、2度にわたる大規模な災害は奥能登地域に深い爪痕を残しました。そんななか、私たちは災害からの復旧・復興と、能登で暮らす人々の暮らしを支えたいという想いを持つメンバーで、民間ボランティア団体「のとテラス」を立ち上げました。私たちの活動と想いを、仲間と一緒にお話しさせていただきます。 メンバー紹介  右から(取材日の活動に参加していた4名)
池崎千佳子(いけざき・ちかこ) 「のとテラス」代表、通称「いけちか」。能登町柳田地区の出身で、小松市で夫と3歳・5歳の子どもと暮らしながら、週末になると能登へ足を運び、支援活動に取り組んでいる。遠隔地のため、普段は経理や補助金、XでのSNS運用などを担当。華奢な見た目に反して力仕事も得意。 けいた 能登町出身、能登町在住、貴重なパワー系担当。震災直後から自主的に地域のために動いていた。仕事でも復興支援に関わっていることを活かし、地域のニーズを拾って「のとテラス」や連携先などへつないでいる。能登町在住ということもあり平日でも動けることが多く、「のとテラス」の縁の下の力持ち的存在。 松谷内 愛(まつやち・あい) 能登町岩井戸地区の出身。実家は能登町柳田地区の中心地で「おべんとう 愛里(あいり)」を営み、震災直後は避難所で食事支援なども担っていた。家族が暮らすのは岩井戸公民館(旧岩井戸小学校)前の仮設住宅で、金沢から通いながら住民向けのレクリエーションを行うサロン活動を続けている。 山崎瑞稀(やまざき・みずき) 輪島市三井町から来て活動に参加。実家のハイエースは大きな戦力。「のとテラス」のSNS担当で、2025年7月7日に輪島市町野に開局した災害FM「まちのラジオ」のパーソナリティーも担当することに。その他、輪島市で開催されるイベントの補助も行う。支援活動を通して感じたことや経験、地域の声を放送でいろいろ話せたらと思っている。

実家の倉庫が、復興支援の拠点に

ちかこ:私たちの活動のきっかけは2024年9月21日の奥能登豪雨でした。能登町柳田の実家は床下浸水し、周辺では孤立集落が発生するなど大きな被害がありました。金沢で支援物資の寄付を募り、被災地に提供してくださる団体があり、そこから能登へ運んでいましたが、物資を直送した方が早いと気づいて、父に頼んで倉庫を貸してもらいました。  能登に支援物資の荷受け拠点ができたことで、水害対応の支援物資の整理、配布に協力したいと人が集まってきました。年代や住む地域も違い、誰も面識はありませんでしたが、豪雨被害を目にして「何とかしたい」という同じ目的と想いを持って集まった同志でした。

「のとテラス」の拠点倉庫で現地メンバー4名にお話をうかがいました

 当初は金沢で物資を募って配布してくれる民間団体の能登支部のような役割でしたが、その団体から物資の引き上げが始まり、支援活動の方向性の違いが明確になったことから、2024年12月15日に現在のメンバーで独立しボランティア団体「のとテラス」を立ち上げることにしました。

地震の記憶と経験が、支援活動の原動力に

ちかこ:「のとテラス」は現地メンバー5名と、能登支援のオリジナルグッズの通販サイト「のとあつめ(https://sites.google.com/view/notoatsume2024/)」を運営する遠隔メンバー2名からなる計7名。現地メンバーは豪雨後の支援物資の荷受け・整理などの作業に集まったメンバーのうち、同じ想いを共有する能登出身者で、全員が2024年の元日に能登で被災していました。 あい:あの地震は衝撃的でした。終わりましたね。実家のある集落が孤立し、金沢に戻ることもできず避難所で過ごしました。実家は仮設住宅で暮らしながら、いま再建中です。

昼食休憩は松谷内さんの実家のお弁当屋さんのお弁当。仲間で一緒に美味しいものを食べるとモチベーションも上がる

みずき:うちも今は仮設住宅で暮らしながら、家を建て替え中です。 けいた:自分の家も傾いてしまいました。一部損壊だけど今も住んでいます。 ちかこ:うちも傾いたり、壁が落ちたけど一部損壊でなんとか建っています。地震直後は小学校の避難所に入ったんですが人で溢れていて、小さな子どもを連れていたので車中泊に切り替えました。子どもに、トラウマになるような嫌な思い出を残してはいけないと思って「今日もキャンプだぞ、やったな!」なんて言って励まして過ごしました。 あい:岩井戸の公民館の避難所も人で溢れていて、大変な状況でした。うちも妹の双子の赤ちゃんがいたので「もう駄目だ」って、1月3日に車を出して割れたままの道路を通って脱出しました。

取材で伺った日の依頼案件は、仮設団地がある岩井戸公民館前の通路で崩れた部分を埋める作業

ちかこ:私も1月3日に脱出。一応、道路が通れるという情報だけはあったので。柳田小学校はトイレが限界でした。水道、電気といったライフラインは何もなく、携帯電話の電波も入らないから輪島の朝市通りの火災も知らなかったけど、家の近くの山から輪島の方向の空が赤く染まっているのは見えました。

華奢な見た目に反して力仕事も得意という池崎さんは、思いやりと逞しさを備えた頼もしいリーダー

あい:飛行機事故も知らなかった。津波は、さすがに山間部までは来ないと思っていた。 ちかこ:でも、ありえないと分かっていても、津波が川を遡上してきたらどうしようと思うくらいあまりにも酷い揺れで、すごく不安だった。 けいた:自分が現状確認のため外へ出た際、松波地区や白丸地区は津波が入ってきていたし、白丸方面に至っては火事が起きて空が真っ赤だったのを覚えています。 ちかこ:震災後は能登のために何かしたくて、でも子どもが小さくどうしても遠隔での活動が中心になるので、能登のバス停のマグネットをプレゼントする「能登バス企画」という活動をしていました。能登の人の心の支えになればと思って。

故郷の地名が書かれたバス停マグネットは、能登の人々の心の拠り所になった

 豪雨の日、私は小松市にいましたが、地震からようやく落ち着いてきたタイミングでの災害だったので、めちゃくちゃ悔しかった。実家も床下浸水し、近隣も土砂が流れ込みすごい惨状でした。会社に2週間の休みをもらい、夫に「よろしく!」と言って子どもを任せて能登に籠りました。さすがに未就学児を連れて行くには危険だったので。いてもたってもいられずフルスロットルで、できることは何でもしました。 「のとテラス」のメンバーは能登の出身者なので、震災や豪雨水害を直接体験しています。それぞれの被災の記憶と、地元の人々とのつながりが、私たちが活動を続ける原動力とモチベーションになっています。

「地域の声に応えたい」──現場に寄り添う民間支援の強み

ちかこ:「のとテラス」の活動は、仮設住宅や山間部の集落への支援物資の整理や配布、仮設団地での交流イベント、地元の要望に応じた力仕事や草刈り作業まで多岐にわたります。

豪雨被害後の泥出し作業も、他のボランティア団体や地元の人と協力して実施

「のとテラス」として最初に手掛けた活動は、冬期の備蓄支援でした。仮設住宅に移って初めて迎える冬だったので、孤立・停電・雪崩・土砂崩れに備えて、もしもの場合は助けが来るまで持ち堪えられるように、孤立しそうな山間部の集落に「今は食べずに冬を越したら食べてね」と伝えながら備蓄用の食料をお渡しし、その後は暗い仮設を明るくしようと、能登町役場と連携してソーラーライトなどを配りました。 NHKで活動が取り上げられた 「大雪による集落の孤立に備え食料品を届ける」 https://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/20241220/3020022656.html  最初は寄付を募ってスタートしましたが、フードバンクさんと提携できたので、地震と豪雨で2度孤立した地元の岩井戸地区だけでなく、能登町・珠洲市・輪島市の山間部、能登の豪雪地帯の仮設住宅や集会所、個人のお宅などにも食料を届けられました。2024年12月いっぱいかけて、かなり広範囲を回りましたね。 あい:あと、大変だったのは、豪雨水害で全国から集まりすぎた古タオルの対応。社会福祉協議会、輪島高校、ボランティア派遣団体などに大量に余っていたタオルをテラスで引き取って、15万枚くらいあったと思いますが、貰い手を探して配りました。

ハイエースで何度も往復して余った古タオルを回収(画像提供:のとテラス)

 全国から送ってくださった善意を無駄にせず、次の人に気持ちよく使ってもらえるようにサイズや色で仕分けて、バトンをつないだっていう感じですね。一番多いときは倉庫いっぱいに山積みでしたが、今ようやく段ボール数箱までになりました。

(左)身長より高く積まれた古タオルの在庫(画像提供:のとテラス) (右)引き取った古タオルの在庫でいっぱいだった倉庫も2025年6月現在は右奥の段ボール数個に。

ちかこ:能登半島地震の発生直後、全国からさまざまなNPOやNGOなどの支援団体が入ってきてくれましたが、外から来てくれている団体も、時間の経過とともに撤退が増えてきて、いずれはいなくなってしまいます。  能登町には民間のボランティア団体が非常に少ないのが現状です。現地はとりあえず生活できるようになってきていますが、まだまだ復興への道のりは長い。ずっと地域に寄り添って活動していける、地元の人間でつくるボランティア団体が必要だと思っています。 けいた:他の団体がほとんど存在しないから、基礎だけでも自分たちで作れたらと思っています。社会福祉協議会さんも手伝ってくれると言ってくれているので。

「個人の想いが起点」──自由で持続可能な支援のあり方

ちかこ:「のとテラス」の特徴の一つが、メンバー各自の活動を尊重しあうことです。団体としての共通目標は「地域の人の声に耳を傾け、寄り添うこと」ですが、私たちは「それぞれがやりたいことを自由にやろうね」というスタンスで活動しています。  活動としては冬期備蓄と古タオルが大きな動きでしたが、災害支援・地域支援の現場では、見えないニーズにどう気づき、動けるかが問われます。私たちは一人ひとりが得意分野を持ち、それぞれのネットワークを活かして活動し、それを他のメンバー同士でサポートし合っています。 あい:私は岩井戸の公民館で毎週サロン活動をしています。もとは私個人が始めた活動ですが、今は「のとテラス」の活動としてバックアップしてもらっています。  2024年の6月まで実家の家族も避難所生活をしていて、私がこっちに来るたびに周りの状況が気になり、仮設住宅ができてからは引きこもりがちな地元のおじいちゃん、おばあちゃん達に元気になってもらいたくて、外に出るきっかけとしてサロン活動を始めました。  公民館がちょうど仮設団地の前にあるので、そこで餅つき、花の苗植え、蕎麦打ちなど本当にいろんなことをやってきました。先日も自分のおばあちゃんと近所のお友達を集めて、フードバンクさんからいただいた化粧品でメイク教室もやりました。

笑顔があふれる岩井戸公民館でのサロン活動(画像提供:のとテラス)

 地元なので、声をかけられたり、サロンでお困りごとを聞いたりする機会も多いです。やれることなら「のとテラス」で引き受けてやりますし、必要に応じて他のボランティア団体さんにつないだりもしています。「のとテラス」の役割は、人に寄り添った、息の長い地域支援なんじゃないかと思います。

移動販売車でお買い物をする岩井戸の仮設住宅に住む皆さんは、松谷内さんが開催するサロン活動の参加者

けいた:自分は仕事の関係で地域や集落のお困りごとを聞くことがあるので、それらを「のとテラス」に持ち込むこともあります。公ではやりにくい、民間でしかできない支援も結構あり、そういうのを「のとテラス」で対応するケースが多いですね。 みずき:輪島市の町野でコンテナハウスを使った災害ラジオが7月7日に開局し、私はそのパーソナリティーをすることになりました。他にも輪島市で開催されるイベントに顔を出して手伝ったりもしています。外からは見えにくい地域の声がたくさんあるので、日々の暮らしや思いを聞き取って、ラジオを通して発信したり、「のとテラス」の活動に活かしていけたらと思っています。

SNS担当の山崎瑞稀さん(左)とサロン活動を行う松谷内さん(右)

求めているのは「誰かに頼る」ではなく「一緒に考え動ける」仲間

ちかこ:「のとテラス」は、支援を「してあげる」存在ではなく、「共に生きる」存在でありたいと考えています。被災地の人に「ボランティア団体に頼ればいい」「誰かがやってくれる」という空気に慣れて、依存が当たり前になってほしくない。だから「一緒にやりませんか?」と地元の人たちに声をかけたりしています。
あい:サロン活動で花の苗を植えるときも、お金の計算や段取りは地域のおばあちゃんたちにやってもらうようにしています。私はサポート役。小さい頃から顔も知られているので、話も聞いてもらいやすい。多分、外から来た人ではできないこともあると思います。 ちかこ:団体として寄付や支援を募ってはいますが、何よりも必要なのは「地元のために少し動いてみよう」という一人ひとりの想いです。Amazonの「ほしい物リスト」(https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/KUUMXH3XO5RS)を活用し、必要な物資や資金を匿名で支援してもらう体制を整え、助成金なども活用しています。  私たちがやっていることは、本当に地味なことばかり。お金を使う作業があまりないこともありますが、メンバーのボランティア活動にかかる交通費くらいは出したいと考えています。小さなことですが、息の長い支援活動には必要だと考えています。 あい:交通費など最低限の経費があってこそ続けられる支援もあります。なにより、現場に居続けることが大事だと実感しています。
ちかこ:「のとテラス」ではボランティア募集の体制整備や、地域で活動できる人材のリスト化、情報発信力の強化などが今後の課題となっています。外部からの支援ももちろん大切ですが、同時に「地元の中から動ける人」を増やすことが、真の復興につながるとメンバーたちは考えています。  私たちは災害を経験し、地域に根ざした支援の必要性を痛感したからこそ、地元の人間で作るボランティア団体として基礎を築き、大好きな能登を支え続けていきたいのです。ぜひ能登在住や出身者で、私たちの活動に参加いただける方はご協力ください。

飲み物の差し入れを持ってきてくれた岩井戸公民館の館長さんと

事業者プロフィール

のとテラス

代表者:池崎千佳子 所在地:石川県能登町柳田

取材後記

明るい。とにかく明るい。「のとテラス」には能登を照らすという意味が込められているそうですが、このメンバーの明るさや親しみやすさが、間違いなく被災地を照らす灯り、光になっていると実感しました。 彼らが照らしているのは、能登でも人口の多い市街地ではなく、1本道が塞がれば孤立してしまうような山間の集落、雪が降れば外と隔絶されてしまう豪雪地帯など、限界集落や支援の手からこぼれてしまいがちな地域。それは彼らがその土地の出身者で、平時からどれだけ厳しい環境かを熟知し、2024年元日の地震も能登の地で経験しているからこそ、この地を照らしているのだと感じました。 取材の当日、柳田の拠点でお話をうかがったあとに岩井戸公民館・仮設団地へ向かいました。拠点へ行くまでも、拠点から岩井戸へ行くまでも、周囲の山は地震と豪雨で崩れて山肌が露わになり、道路もアスファルトが割れて崩れている場所がありました。 人口が集中する都市部でのボランティア活動や瓦礫の撤去などは、人の目につきやすく報道でもよく取り上げられますが、地域の人々の小さな声に耳を傾ける「のとテラス」の支援活動が本当に暖かで、地元のニーズに沿ったものであると取材を通して痛感しました。岩井戸の仮設住宅に暮らす皆さんとメンバーが気さくに会話する様子、作業後に差し入れをくださった館長さん。その話しぶりや笑顔を見れば、彼らがどのように地元に溶け込み、必要とされているかがわかります。

坂下有紀(さかした・ゆうき/コミュニケーションディレクター)

富山県氷見市出身、石川県金沢市在住。出版社で雑誌・WEBマガジンの編集を経験後、ワイナリー、酒蔵で編集・企画・WEBマーケティングなどに従事。2017年にフリーランスのコミュニケーションディレクターとして独立。観光・食・工芸などの分野を中心に編集・フォトライターとして活動し、イベントや事業の企画運営にも携わる。2024年元日に氷見市で令和6年能登半島地震、9月21日に珠洲市滞在中に奥能登豪雨を経験。初めての被災を経験し、震災情報の収集・発信、現地ボランティア、支援活動に取り組んだ。能登里山里海SDGsマイスター2024 修了、のと里山里海ガイド 2024修了(1期生)、認定NPO法人 趣都金澤理事。

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