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能登うまれ能登そだち。“松波酒造”の日本酒で乾杯!

松波酒造株式会社

更新日:2025年4月18日

松波の食や風景とともに味わう日本酒を未来へ

 能登半島地震によって、100年以上続いた酒蔵は倒壊。2025年4月現在、地元での酒造りはできていませんが、加越酒造さんをはじめ全国の酒蔵さんのご協力もあり、大江山ブランドは継続的に販売できています。  でもやはり、大江山は松波の地で醸し、松波の食や風景とともに味わってこそのお酒です。今は更地となっている創業の地で再びお酒を造り、販売し、お客様と一緒に乾杯する。そんな日常を取り戻し、次の世代へ引き継ぐことが現在の目標です。

新旧の「大江山」ラインナップ

お酒を安定供給し、松波で仮店舗をオープンする!

 復興への第一歩は、松波に拠点をつくることです。  地域の状況を肌で感じるためにも、営業拠点となる仮店舗をオープンし、県内外からお客様をお迎えしたいと考えています。  まずは大江山ブランドを止めないために、共同醸造などさまざまなことにチャレンジしています。

○全国5カ所の酒蔵の協力による共同醸造

倒壊した酒蔵からは、“災害NGO結”の協力により、瓶詰めされていた4,000本近いお酒をはじめ、貯蔵タンク、酒米約100袋などを救出。酒米は石川県小松市の加越酒造に運び込まれ、協力醸造酒としてお酒を醸しました。

協力醸造をお願いしている加越酒造にて(撮影:2025年1月) 左から頭・中野さん(加越酒造)、蔵人・金七美貴子さん(松波酒造)、若女将・金七聖子さん(松波酒造)、杜氏・奥田さん(加越酒造)

 さらにMakuakeのプラットフォームを通じた「能登の酒を止めるな!」プロジェクトに参画。土田酒造(群馬県)、伊東株式会社(愛知県)など全国各地の酒蔵の協力による共同醸造にも取り組んでいます。この取り組みには「キャッシュフローを止めない」「ブランドを止めない」「流通を止めない」ことにくわえて「醸造家同士の技術交流」という大きな収穫もありました。

大江山✕敷嶋コラボ酒

 プロジェクトは第5弾まで予定されており、2025年4月には第4弾のお酒「松波柚月」が発売されました。

松波酒造×木花之醸造所「松波柚月」

○救出した大江山、ハイエンド長期熟成酒「双心」を販売

救出されたお酒は、瓶詰めされていたものはボランティアによる洗浄・検品を経て出荷。タンクごと救出されたお酒は、加越酒造の設備を借りて瓶詰めし、販売しています。  いちばん心配だったのが長期熟成酒「双心」。毎年一部のお酒を熟成させるなかで、味の多様性や今後の変化が期待されたものだけを残し続け、2005年、2006年、2015年の3世代を「双心」と命名。20024年春から瓶詰めを始める予定だったラグジュアリー酒です。このお酒も“災害NGO結”や山田社長(加越酒造)の尽力で救出されました。今後は共同でプロジェクトを進めてきた関係者と協議のうえ、瓶詰め・販売へと進めてゆく予定です。

松波酒造 長期熟成酒「双心」

○カッコいいトレーラーハウスで仮店舗をオープン!

酒蔵の跡地にオープンする仮店舗は、オリジナルのトレーラーハウスを検討中です。重視しているのは、大江山の魅力を発信し、復興の旗印となるような「カッコよさ」。お酒の販売はもちろん、地元の美味しいものも用意して、お酒とのペアリングも楽しんでいただけるスペースにしたいと考えています。  現在の生活拠点である金沢から松波へは約130km、車で2時間以上かかるなど通うには厳しい状況なので、周辺の住環境などと合わせて検討する必要がありますが、2025年秋のオープンを目指しています。ぜひ遊びに来てください!

酒蔵が建っていた場所(撮影:2025年3月)

求む!バックヤード業務をサポートする人材

 店舗・自宅を兼ねていた能登町松波の酒蔵は全壊しました。現在は金沢のみなし仮設で生活しながら、酒造業務の一部を主に小松市の加越酒造で行っているため、業務効率の悪さはハンパないです。営業環境が激変してしまったので、お酒を安定供給することにも日々頭を悩ませています。  見積作成から商品案内、配達、POP製作、SNS更新、補助金申請などの書類作成まで、小さくても大切な仕事が膨大にあり、走りながら考えている毎日です。そんな日々の業務をサポートしてくださる人材を求めています。仮店舗がオープンした際には、その運営を手伝ってくれるスタッフも大募集したいです。  また、イベントや応援販売のお声がけをいただくのは有り難いのですが、お酒の提供・販売には許認可が必要であることをご理解ください。現状、それらの手続きを行う人的・時間的余裕がないので、申請手続き等も含めて応援していただけることを切に願っています。

松波酒造 若女将 金七 聖子さん

奥能登の酒・大江山を醸す松波酒造

 松波酒造の創業は明治元年(1868年)。初代の金七與十郎が銘柄「大江山 おおえやま」と名付け、明治36年(1903年)に法人を立ち上げました。以来、先人が残した伝統を守りつつ、近年は能登の食材を使った日本酒のリキュールを生みだすなど、能登の風土と日本酒の魅力を伝えることにも注力しています。酒蔵見学に訪れるお客様も多く、蔵の一部には有料試飲ができる角打ちコーナーを設けるなど、売上の半分以上はECサイトも含めた直販が占めていました。

酒蔵の仕込み風景(撮影:2017年)

 ところが、2024年1月1日の能登半島地震の発生により、和釜やフネを用いた伝統的な酒造りを行っていた酒蔵は倒壊。酒造に係る免許は地番に紐付けされることもあり、自社でお酒を醸すことができなくなってしまいました。  資金的な課題もあり、同規模の蔵を再建することは困難な状況です。けれど、松波での酒造りを諦めたわけではありません。小規模設備で醸造する「クラフトサケ」で学んだ設備や製造工程を活かしつつ、松波の食や風景とともに味わう大江山の復活を目指しています。

事業者プロフィール

事業者

松波酒造の店頭(撮影:2017年)

松波酒造株式会社

代表者:金七 聖子(若女将) 所在地:石川県鳳珠郡能登町松波30-114

取材後記

 日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録され、海外でも日本酒の評価が高まっています。近年は醸造技術が向上。原材料の米や水を遠方から仕入れることもできるため、設備を整えれば、日本酒はどこでも安定的に造れる時代が来ているのかもしれません。  そんな中、昔ながらの「手造り」で日本酒を醸してきた松波酒造のお酒は、米の作柄や気候、杜氏の代替わりなどによって「その年の味わい」が醸されることが魅力のひとつでした。ところが今回の震災で、自然な味わいを醸してきた甑(こしき)やフネなど長年受け継がれてきた道具も蔵とともに失われ、同様の設備を再建することは難しいといわれています。  では、大江山の味わいは永遠に失われてしまったのでしょうか?  それは違うと思います。科学や技術が進歩しても、お酒の味を決めるのは材料や設備だけではないハズです。酒造りに携わる人、酒蔵を訪れるお客様、ともに楽しむ食、気候風土──そんな酒蔵を取り巻く風景が続いてく限り、大江山の味わいが失われることはない。今回改めて取材させていただき、その思いを新たにしました。  大江山を飲みはじめて四半世紀。松波の仮店舗オープンを待ちわびて、まだまだ楽しませていただきます!

取材者

井上 みゆき(コピーライター)

大手下着メーカー宣伝部を経てフリー。本業の傍ら、酒・食・エンタメを求めて全国を旅する。関越自動車道が全線開通したころ「海沿いをロング・ドライブしたら楽しそう」という単純な動機から初めて能登の土を踏む。その後インターネットやらSNSの時代に入り、酒蔵を中心に友人が増え、さらに奥能登国際芸術祭にハマり、能登通いが加速している。

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