
七尾の日常を少しずつ地震前の姿へ。住民自らの手による復興を支援する“おらっちゃ七尾”
おらっちゃ七尾
更新日:2025年7月27日
支援が届かない場所に、自分たちで手を差しのべる
私、今井健太郎(いまい・けんたろう)は、一般社団法人sien sien westの代表理事をしています。能登半島地震が起こった当初、能登半島一円を見て回ったのですが、支援団体の多くは能登半島の北部、能登町、輪島市、珠洲市といった奥能登地域に集中し、支援を行っていました。
でも私が現地を見て強く感じたのは、「能登半島最大の都市である七尾にもかなりの被害があり、確実に支援を必要としている人がいる」ということでした。地震発生当初は、自主避難所に100名程の方が避難しており、地域の住民の方々が避難所の運営をしていました。
避難・復旧に関する専門的な知見を持った団体が、まだ入っていない状態だったため、これらの知見を持つ私がサポートに入ることに決めました。実際にサポートに入ってみると、住民から家の片づけを手伝って欲しいといった声が多くありました。
私1人では対応は難しいと判断し、ボランティアの協力を得るための準備として、ボランティアが寝泊まりできる活動拠点を七尾に設けることにしました。2024年10月には民間災害ボランティアセンターおらっちゃ七尾となりました。
「おらっちゃ七尾」では、七尾市全域の困りごとに対応しています。立ち上げ当初はスタッフが3名であったため、まさに「寝る間も惜しんで」活動をしていました。
今では、スタッフも25人規模にまでなり、七尾市・七尾市社会福祉協議会とも連携して、多くの方にボランティアとして協力していただいています。
増えるボランティア、膨らむ運営負担

2025年6月7日 七尾市・おらっちゃ七尾 講堂にて
七尾市の被害状況が周知され、また電車で来れるという利便性の高さから、ボランティアの数は日に日に増えてきました。でもその一方で、資金面や運営の負担は大きくなっています。送迎用の車両確保、活動資材、現場調整……人が来れば来るほどコストも膨らむ点が、現在(2025年6月)の課題です。
助成金や寄付、七尾市からの委託費などで運営をまかなっていますが、それだけでは継続が難しいのが実態です。また、新たな災害が起きれば、ボランティアの流れが変わってしまう可能性もある。そのため今の活動が一時的なものに終わってしまわないように、私たちは日々「持続可能な支援体制」を模索しています。
地域の手で、地域を守る仕組みを育てる
私たちの願いは、支援活動をいつまでも続けることではありません。最終的には、地域の人たちが自分たちの力で立ち上がれる環境をつくることです。そのために、私たちは地域の会議にも積極的に参加し、住民が希望されているものの、スキルやマンパワー不足で対応が難しい案件について、お手伝いをするという考え方で臨んでいます。
自分たちの力で立ち上がれる環境づくりとは、例えの話として解体後の空き地に草が生い茂る問題が発生したとします。私たちが草刈りをしてしまえば一時的には綺麗になります。でもそれでは、私たちがいなくなったときに、また草が生い茂ることになってしまいます。
そのため、地域の方々が自分たちで草刈りができるようにするために、地域でカバーし合う仕組みを地域の方と共に作ったり、必要であれば道具の準備や使い方を教えたりと、地域が自ら課題を解決できる仕組みづくりを、コミュニティ支援を通じてサポートしています。先日も、住民の方からベンチが欲しいという要望があったため、ベンチづくりの経験があるボランティアを招き、ワークショップを開催しました。
また、行政との連携も欠かせません。七尾市の地域づくり支援課や福祉課と情報を共有し、在宅避難者や支援が必要な高齢者へのアプローチも行っています。七尾市と災害協定を締結し、広報も行政に担ってもらうことで、私たちの活動に対する住民からの信頼を、少しずつ積み重ねてきました。
七尾の今を知ってほしい。支援のその先へ

2025年6月7日 七尾市・おらっちゃ七尾 今井代表とスタッフ
能登半島地震から1年半が経過し、七尾市民のなかには「だんだん忘れられている」と感じている人も少なくありません。たとえば、別の地域で大きな災害が発生すると、そちらに耳目が集まってしまい、ボランティアに関わってくれる人が少なってしまうのではといった不安です。
この記事をご覧になっている方に、特に伝えたい点としては、「七尾市のことを忘れないでほしい」「七尾市の方のために何かアクションをおこしてほしい」という2点です。
地震によって、大事なものを失ってしまった方が多く、喪失感にさいなまれている方も少なくありません。そのような方々に県内・県外問わずに多くの人が心を寄せることによって、生活再建に向けて前向きな気持ちを持てるようになります。
ボランティアセンターを立ち上げた理由の一つとして、住民の方が抱えている地震という嫌な思い出を、ボランティアと交流することで、いい思い出に塗り替えてもらいたいという点もありました。
復興という言葉にはゴールがあるように見えますが、私たちが目指すのは「支援のいらない街」です。支援に依存するのではなく、自分たちで自分たちの地域を守っていける状態。そのために、若い人や外から関わってくれる人たちと協働しながら、持続可能な地域社会を築きたいと考えています。
事業者プロフィール
取材後記
取材当日は週末であり、七尾から和倉温泉までは電車で向かいました。車内には、ボランティア活動のために和倉温泉へ向かっていた方も数多くいました。 当日は、好天ということもあり、6月としてはかなり暑い日でした。この暑い中、熱中症に気を付けながらも作業を続ける皆さんの強い「思い」を感じ取ることができ、私にとっても非常に意義のあった取材でした。 今後も、復興支援活動が順調に進むことを、心から願っています。
三枝 徹(さえぐさ・とおる、ライター)
東京都出身、千葉県在住。 システムエンジニアの経験を経て、現在はWebメディアの取材ライター、NPO法人の広報を行っています。