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海と共にある黒島の暮らしをつなぐ”湊”の挑戦

一般社団法人湊・株式会社湊

更新日:2025年4月18日

自分たちの手で能登の未来をつくる

「自然と共生し、自分たちの手で豊かな暮らしを創造する」を大きなミッションとして活動しています。その中でも、「自分たちの手で」ということを重視しています。とかく行政批判や、助けに来てくれない不満が出がちですが、前向きで行動力ある人たちと、小さなアクションでも変化を起こしていくことを心がけています。 “湊”は、人や物の集まる場所=プラットホーム 港から船が出て、富を得て戻ってくることで街が栄える、というのが、北前船の時代からのここ黒島の生活です。拠点+取り組み の機能をもつことで、黒島の海と共にある暮らしを取り戻していきます。

黒島に育まれてきた歴史は、伝統的建造物群保存地区に指定された街なみにも表れている

古民家を活動拠点に、海と暮らしをつなぐプロジェクトへ

 湊は、株式会社と一般社団法人があり、役割を分けています。  株式会社湊では、地元の古民家を改装したゲストハウス黒島の運営を中心に、ツアーへの対応などの事業を行っています。  ゲストハウスは、大地震でも比較的損傷が小さかった民家をDIYで改修し、2つのツインルームと、男女共用・女性用2種類のドミトリールームとシャワールーム2カ所などがあり、広い座敷で食事をしたり、同宿の人たちと話したりできます。寒い季節には炎を揺らす薪ストーブも魅力です。

黒島らしい建物がゲストハウスに生まれ変わっている

一般社団法人湊では、構想しているプロジェクトが数多くありますが、着手しているのが、次の2つです。

○「旧北野邸整備プロジェクト」

 黒島集落の旧北野邸を、「豊かな暮らしを創造する」ために集まる人たちの活動基地とするプロジェクトです。  現在は、建築家や建築を学んでいる学生の協力も得て少しずつ改装を進め、作業場や活動する人たちの寝泊まりする場所、資材などの倉庫、地域との交流拠点としての機能をもたせようとしています。

北野邸を着々と整備中

○「船出プロジェクト」

 黒島の漁港が地震による海底隆起で使用できなくなりましたが、港を再建するのは現実的ではない。それなら、桟橋を造るなどの方法で再びここから船を出せるようにしよう、というプロジェクトです。  海と共にあった黒島の人たちは、歩いて行ける漁港から船を出して、魚や海藻、サザエなどを捕ってきて、お母さんは裏山の畑で育てた野菜を採ってきて、夜には海と里山の幸を食卓に、というのが日常でした。それは長い間、住民が海との付き合い方を決めて守ってきての暮らしです。設備を造るのは、そのような営みを若い世代につなぐことなのです。  どうやったら船を出せるのか。今年はその計画の年と位置づけています。

隆起によって、海岸線がこんなに遠くなってしまった

チームづくり、しっかり処理……などの人材求む!

○人の交通整理でチームビルディングを

 現在、課題がありすぎて、自分でも整理がつかずに走っている状況です。  やるべきことの洗い出しは自分にしかできませんが、そこから先、近くにいて人材計画や情報発信、必要書類の作成などを進めてもらえる人を求めています。  特に、それぞれの仕事を、どんな立場の人(雇用・インターン・アルバイト・ボランティアなど)にどのように割り振って進めていくか、チームビルディングができる人材がいるととても助かります。

○コツコツ事務処理の強い味方

 経理、労務などの事務作業は、直接プロジェクトを推進するものではありませんが、期限もあって必ずやらなければなりません。そこに時間を取られてしまうことで、ほんとうにやりたいことができないというジレンマを抱えています。腰を落ち着けて、事務的なことを処理してくれる人を求めています。

○船出プロジェクトの専門人材

 黒島から船を出せるまで、港湾施設や海などに知見があり、実現までのプロセスに寄り添ってもらえる専門家を求めています。  「海底隆起によって失われた漁港に代わる施設を建設!」という前例のないプロジェクトにやりがいを感じて協働していただける方はいらしゃいませんか。

2024年秋には、数百m先まで船を運び海に出すトライアルも実行した

○お母さんたちの畑作業の助っ人

 春から始まる、裏山の畑作業。日常の草取りや水やりはお母さんたちでもできますが、土起こしなど要所要所で人手が足りません。今後、イベント的に募集したいので、参加してください。

"湊"について

 湊を創設した杉野智行は、2021年に県庁職員として輪島市の奥能登土木総合事務所に異動したのを機に、金沢から黒島に移住。県庁の仕事を通してよりも、もっと直接人々の暮らしに関わる活動をしていきたいと考え、黒島の海を子どもたちが体験できる機会の提供、ゲストハウスの開業準備などをしていました。  そこに遭遇したのが、2024年1月1日の能登半島地震。ゲストハウス用に取得した建物は全壊しましたが、別の物件を整備して8月にはゲストハウス黒島を開業。その間3月には県庁を退職し、黒島を拠点に地震からの復興、さらに未来に向けた地域づくりに取り組んでいます。  湊のメンバーは杉野のほかに、経営コンサルタントなどの経験を生かして東京から通ってサポートする坂一博さん(黒島出身)、金沢在住で大工仕事などものづくりに力を発揮する鷹野普治さんがいます。

毎月東京から通って支援する坂一博さん(左) とゲストハウスなどで力を発揮するトビーくん(右)

楽しみ方を知り、技術力のある鷹野普治さん

 黒島では、1年休学してゲストハウスマネージャー兼活動の事務局、地域との連携、スタッフ教育などを担っている大学生のトビーくんが常駐。その他に、10日から2週間ほど泊まり込んで、ゲストハウスの運営などを手伝うヘルパースタッフが、開業以来途切れずにいます。  その他にも、友だちが友だちを呼んで学生たちがやってきては作業を手伝ったり、専門を生かして活動したりしています。  現在動いていることのほかにも、これまで利用されていなかったウニやジビエ(イノシシ)を加工して活用するプロジェクト、耕作放棄地のプロジェクトなど、今後の構想も広がっています。

黒島の暮らしを未来につなぐため、“湊”が計画しているプロジェクト

事業者プロフィール

一般社団法人湊・株式会社湊

代表者 :杉野智行(代表理事・代表取締役) 所在地 :石川県輪島市門前町黒島町

取材後記

 ゲストハウス黒島を訪ねたのは、2回目でした。前回は宿泊者としてネットから予約して泊まったのですが、夕食を摂ろうと準備していると、トビーさんが「これ、近所のおばあさんから教えてもらって作ったんですけど、食べてみていただけますか」と和え物を出してくれました。もちろん大歓迎。大学生の男性から土地の味の和え物をもらえたのは意外でしたが、彼が地域の人の中にそこまで親しく打ち解けていることにもっと驚きました。  トビーさんは杉野さんのやろうとしていることやお人柄に惹かれて、20代の1年を黒島の復興に尽くしながら、ここでしかできない経験と学びを得ているようです。  2度目に訪れた今回は大学が春休みに入ったこともあり、友だちやその友だちも滞在していました。ちょうど地震で破損した地域の御神輿が修理を終えて戻ってきたということで、学生さんたちは御神輿を磨きに出かけていきました。  こうしてゲストハウス黒島を拠点に若い人たちが集まり、自然に地域に出て行くことで、地元の人たちは明るいエネルギーをもらっているに違いありません。 「近所のお母さんから手作りのりんごケーキをいただいたんですけど、どうですか」と、学生さんにお茶といっしょに持ってきてもらって、またもやお相伴。彼女たちが来てなかったら、きっとケーキを焼くこともなかったのだろうな、と想像し、人と人とがつながることでしかできないシナジーが生まれていることを感じました。

ここにバーカウンターを作ろう! と大学生たちが工夫していました

取材者

柳澤美樹子(旅行作家)

「旅・食・人」をテーマとした著述編集のため、日本中をまわっている。1996年にJTBから発行された『ひとり歩きの金沢能登北陸』を書くにあたって濃厚に能登を取材したことから、能登とのご縁を深め、能登半島地震発災以来、観光分野で能登を応援したいと活動している。 日本旅行記者クラブ個人会員・日本旅行作家協会会員

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