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農家の「働き方」の未来を求めて“瀬法司農園”が描くオーガニックビレッジ

瀬法司農園

更新日:2025年5月10日

新しい「働き方」で、職業としての農家を魅力的に

 瀬法司農園は、瀬法司公和(せほうじ・きみかず、44歳)が珠洲市岩坂町で15ヘクタール(15万平米)の農地を運営する中小規模の農家です。この規模の米農家としては多めと言える9品目の品種を扱い、近年では有機農法に力を入れています。従来は野菜の有機栽培でも多くのお客さんに愛されて来ましたが、震災と豪雨災害をきっかけに全体像の見直しを行い、今後は米農家に絞っていく方針を固めました。  珠洲市は震災前から人口の流出が懸念される状況でしたが、震災と豪雨災害がそれを加速させています。一次産業の担い手である若年層の流出がさらに深刻化しています。  そうしたなか、瀬法司農園では、収入を維持しながら農作業の時間を大きく減らす「働き方の見直し」をしてきました。これにより捻出できた余剰時間を家族と過ごす時間に充てたり、農作業以外のことに取り組む時間に充てることが出来るようになりました。  若い世代が職業として農家を選択するためには、農家の「新しい働き方」が必要になります。瀬法司農園の経験を地域で共有し、無理なくやり甲斐をもって働ける農家の姿を示していきたいと思っています。  また、農家という職業を魅力あるものにするには、社会の関心と需要の高まりが期待される分野を視野に入れる必要があります。  珠洲市では、2025年4月28日、石川県内で初めて「オーガニックビレッジ宣言」を行いました。瀬法司農園代表の瀬法司公和は珠洲市オーガニックビレッジ協議会(https://suzu-organicvillage.com/)の会長を務めています。環境に優しく、職業としての農家をより魅力的にする有機栽培を、地域ぐるみで作り上げていきたい。そんな目標を持っています。

スマート農業で地域ぐるみのオーガニックビレッジを創る

瀬法司農園の「働き方改革」

 金沢で飲食業界に就職した瀬法司公和は、28歳で稼業を継ぐために珠洲にUターンして来ました。そのころ、結婚して家族を持ちましたが、家族を支えるには当時の収入では不足していました。北陸では、農閑期の冬期には、他地域に働きに出たり、造り酒屋で働いたりする選択肢がありますが、家族との関係上、その選択肢はありませんでした。そのため、米以外の作物で収入を多様化する選択をし、野菜の有機栽培を始めました。  瀬法司農園の有機野菜は、多くの人に愛され、収入の多様化にも寄与しましたが、今回、震災の被害への対処と高齢の父親の引退を想定した作業の見直しのなかで、休止する判断をしました。  栽培する品目の整理のほか、作業手順の見直しも徹底しました。伝統的に「これはこの手順でやらなければ」とされる工程も思い切って省略しました。  そして、ICT時代の「スマート農業」を導入しました。有機農法では、古くから「アイガモ農法」と呼ばれる雑草の抑制法がありますが、これにヒントを得た「アイガモロボット」を導入しました。あらかじめスマートフォンで入力した田んぼの図面データに沿って、アイガモロボットがまるでロボット掃除機のように田んぼを巡回し、水田内の水をかき回して濁らせます。それによって雑草の光合成が妨げられ、生育を抑制できるのです。農薬を使わず、自然環境とお米に優しいだけでなく、農家の除草の手間を大きく削減できるのです。 

古来の「アイガモ農法」にならった「アイガモロボット」。スマートフォンで入力しデータに基づいて田んぼの敷地の隅々まで巡回し、水を掻き回すことで雑草の光合成を妨げる抑草方法 (2025年4月29日撮影 写真提供:瀬法司農園)

 こうした努力の結果、瀬法司農園では、Uターンした当初は日の出から働き出して夜にはクタクタになるような作業量でしたが、今では時間にして当時の半分、だいたい半日で農作業が完了するようになりました。そして、収入を維持することにも成功しています。  新たにできた時間には、農作業以外のことができるようになりました。2人の子供のうち下の高校生の息子は、実家を離れて野球に打ち込んでいます。今では息子の野球の試合を見に行けるようになりました。  こうした時間が持てることは、若い世代が農業を職業として考えるには、どうしても必要なことだと思います。

「地域ぐるみ」のオーガニックビレッジをつくる

 農作業以外に割けるようになった時間の新しい仕事として、珠洲市オーガニックビレッジ協議会の会長の仕事をしています。以前は自分の農園のことがすべてでしたが、今は次世代に引き継ぐ農業を考えるために時間を割くようになりました。  オーガニックビレッジとは、『有機農業の生産から消費まで一貫し、農業者のみならず事業者や地域内外の住民を巻き込んだ地域ぐるみの取組を進める市町村のこと』(農林水産省のWebサイトより)で、農水省ではその先進的なモデル地区を順次創出するための呼びかけをしています。  珠洲市では、2023年に市内の生産グループ、流通事業者などが珠洲市オーガニックビレッジ協議会を設立しました。2025年の現時点では、生産者数、作付面積ともに小規模な状態ですが、今回の珠洲市オーガニックビレッジ宣言を機に、数値目標に沿って取り組みを加速していきます。  具体的には、有機農業に取り組む農家への体系的な技術指導や、先行する農家から学ぶセミナーの開催を通じたスキルの向上を図ります。スマート農業もそのひとつです。

珠洲市オーガニックビレッジ協議会がコンピューター技術を提供するビニールハウス (2025年4月29日撮影)

珠洲市オーガニックビレッジ協議会がコンピューター技術を提供するビニールハウスで育つ苗床(2025年4月29日撮影)

 また、堆肥などの有機資材の供給体制を、個々の農家の枠を超えて整備していきます。引退した競走馬の活用事業と連携した供給体制なども検討されています。また、地域ぐるみの持続可能な有機農業を軌道に乗せていくには、流通や販売、広報といった取り組みも重要です。この点には市内の企業の力強い協力も得られています。企業の情報ネットワークを活かした有機農産物の流通販売の促進や契約栽培の促進も行われています。  珠洲市内に本拠地を置く株式会社NAIA(https://company.naia-astena.jp/)では、2024年5月にヘルスケアブランド「NAIA」を立ち上げ、能登の自然素材だけを使ったヘルスケア商品群を販売しています。瀬法司農園が酒蔵に納めた酒米からできた酒粕も、NAIAのフェイスマスク商品などに使われています。こうした企業の尽力が試行錯誤が欠かせず高コストになりがちな有機農業において、安定した収入をもたらしてくれる助けになっています。酒米の有機栽培はぜひ成長させていきたいと思っています。  職業としての農業を考えるとき、こうした社会の関心と需要の増加に対応し、地域ぐるみで協力し合える環境はきわめて重要です。そして、農家の所得を向上させることで、次世代の農業の担い手を惹きつけられればと考えています。

オーガニックビレッジには「地域の外」からのサポートが必要

 オーガニックビレッジは、地域ぐるみで有機農業に取り組むための仕組みですが、より良くしていくためにはこの地域と一緒になって取り組んでいただける「地域の外」からの知見も必要です。  例えば新しい技術の情報、新しい販路に関する知見、地域活性化や街づくりへの協力、環境保全に関するノウハウや情報、人的なサポート、協力してくださる団体や企業のご提案などを求めています。地域のためのオーガニックビレッジですが、決して閉ざされたものではなく、広く開かれた存在でありたいと思っています。  地域の外からのサポートをしていただけそうな方、具体的な取り組み方法については、ぜひ珠洲市オーガニックビレッジ協議会にご相談ください。

瀬法司農園について

 瀬法司農園は、珠洲市岩坂町にある家族経営の農園です。父親から引き継いだ米農家に、これまで有機野菜を加えて多様化をしてきました。金沢からUターンし、付加価値の高い有機野菜の生産を志し、ともに農家としては素人だった元ダイビング・インストラクターの足袋抜 豪(たびぬき・ごう)さんとともに農業生産法人べジュール合同会社を立ち上げました。ゼロからの出発でしたが、試行錯誤を続け、やがてお客さんにおいしいと高く評価される野菜を生産できるようになりました。4年後にべジュールを離れることにし、瀬法司農園で妻との共同事業として人参や小松菜などの無農薬野菜を生産し続けました。「瀬法司農園の野菜」は、多くの方々に愛され、地元でも評判になったと思っています。  2024年元日の震災では「それまで見たこともない光景」に心が揺らぎました。水田に水を引き込むパイプラインは破損し、水が引けなくなりました。自分の力だけではどうしようもない大きなインフラの復旧という過程のなかで、果たして続けていけるのか、不安になりました。

地下を通って水田に水を供給するパイプラインの出口。震災で破損したが、なんとか2024年の田植えまでに修理が間に合った(2025年4月29日撮影)

 そうしたなか、種まきや苗作りといった準備は続けていました。幸いインフラの復旧が間に合い、2024年度も5月には田植えができました。  この経験は自分の仕事についてあらためて考える良い機会になりました。飲食業に携わっていた金沢から、そのおいしさの元を作る農家への敬意が生まれ帰郷。そして米に野菜にと試行錯誤した日々。あらためて食を作り出す仕事に誇りを持ってのぞむ機会になりました。  しかし、多くの方々の助けを得て、ようやく豊かに実った稲穂を収穫しようとした矢先、豪雨災害が襲い、倒れた稲は収穫されないまま、今もそのままになっています。水浸しで機械が入れなかったからです。この時の悔しさは忘れられません。

2024年秋、収穫を目前に豪雨災害で倒れた稲。水浸しで長く機械が入れなかったため、そのままになっている(2025年4月29日撮影)

 野菜の栽培は妻との共同事業でしたが、2024年度の冬期は、妻は外に働きに出ました。そして、農園全体の作業効率や収支構造、父の引退時期などを考慮した結果、多くの人に愛された瀬法司農園の野菜は休止とすることにし、今後は米農家に専念していくことにしました。しかし、無農薬野菜の栽培で培った知見は米の生産に活かしていきます。  こうした判断と農地全体の使用配分の見直しの結果、2025年度は震災前の水準まで米の生産を戻せる見通しです。  これからも食生活の基盤であるおいしいお米を生産して行きます。どうかご期待ください。

事業者プロフィール

瀬法司農園

代表者:瀬法司公和 所在地:石川県珠洲市岩坂町ホ111


珠洲市オーガニックビレッジ協議会

所在地:石川県珠洲市上戸町北方一字6番地の2(珠洲市産業振興課内)

取材後記

 新緑と八重桜が美しい4月末の穏やかな午前中、瀬法司さんはご自身の半生について、とても穏やかに話をしてくれました。  金沢からのUターン。無農薬野菜への参入。震災と豪雨災害。そしてオーガニックビレッジの構想。  いずれもキャリアを大きく転換するような決断だったはずなのに、口調はきわめて静かで、論点は整然としていたのが印象的でした。きっと、いつもご家族のために、目の前のことをきちんとなさってきたから、そしてこれからもそうだからなのでしょうか。  瀬法司さんからアイガモロボットのお話をうかがったとき、私はなぜかその元になった「アイガモ農法」という言葉を知っている自分に気づきました。30年以上前に何度も読んだ漫画「夏子の酒」(尾瀬あきら作)に描かれていたからです。有機栽培でしか育たない幻の酒米を育てる主人公の夏子。彼女を励ました「有機農法は世界を席巻する」という言葉。しかし夏子は「世界」どころか村ひとつまとめられない自分に悩む。  ところが、四半世紀以上たった今、現実の世界では、私がうかがう前日に、珠洲市全体が「オーガニックビレッジ宣言」をしているのです。まさに「地域ぐるみの取り組み」として。  もしかしたら「目の前のことをきちんとやること」と「世界を席巻すること」はほとんど同じなのかも知れないなと思えた素敵な時間でした。  最後に写真を撮らせていただいた際、瀬法司さんはインスタ映えなど考える間もなく、そのままの表情で写ってくれました。自然な笑顔の瀬法司さんは、尊敬するお父様から受け継いだ田んぼを背景に、最高に「映え」ていました。

瀬法司農園の田んぼの前で(2025年4月29日撮影)

取材者

長島太郎(ながしま・たろう)

海を泳ぎ、山を走る耐久性アスリート。ラジオ局勤務。20代で世界19カ国をバックパックで歩く。国会記者を経て、ラジオ番組・事業プロデュースに携わる。現在、国家資格 登録日本語教員の取得のため学習中。ケニア人駅伝ランナーに日本語を教えるのが夢。経営学修士。

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