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海なき街から九十九湾へ、26歳が営む古民家宿。今は復興拠点、明日は地域の未来を耕す“TSUKUMO STYLE”

TSUKUMO STYLE

更新日:2025年5月17日

26歳の移住者「若者が住み、働ける集落に」

 能登町越坂(おっさか)で、古民家を改修した体験型宿泊施設「TSUKUMO STYLE」(ツクモスタイル)を運営しています。いまは26歳、出身は長野県伊那市です。能登に移住を決めたのは、もともと海や釣りが好きだったことに加えて、大学時代のインターンシップで九十九(つくも)湾の美しさや地域の人たちに魅せられたことがきっかけでした。

TSUKUMO STYLEのすぐそばから望む九十九湾(撮影:野上文大朗)

九十九湾:大小の入り江からなるリアス式海岸で日本百景の一つに数えられている。屈折が多く、入り江が九十九を数えるとして九十九湾の名に。透明度の高い海水と豊かな海の幸で知られるこの地域は、能登の観光スポットとして人気を集めてきた。 参照:能登町観光ガイド(https://notocho.jp/experience/1065/)
 九十九湾を望む能登町越坂。「おっさか」と読みます。正確な数はわかりませんが、震災前にはこの地区に70~80世帯ほどだったのが、いまは50~60世帯ほどに。65歳以上の高齢者人口が多くを占め、僕は地域の皆さんから「住んでくれるだけでありがとう」と言われるほど、若者は貴重な存在となっています。 地域を訪れる観光客から収益を得つつ、、自分たちの食べる野菜を育てたり、魚をとったりする──。そんな自給自足の豊かな暮らし方ができる場所として、この集落を残したい。これが僕の思いです。

能登町越坂で体験型宿泊施設「TSUKUMO STYLE」を営む小林昇市さん(撮影:野上英文)

観光客から復興作業員へ、変化した宿の役割

「TSUKUMO STYLE」は、カヤック、SUP、シュノーケリングといった海のアクティビティを提供する体験型宿泊施設です。古民家を改修して2023年9月にオープンしたのですが、週末を中心に徐々に予約が入るようになっていました。

古民家を改修した体験型宿泊施設「TSUKUMO STYLE」(撮影:野上英文)

 ただ、2024年1月1日の能登半島地震で状況は一変しました。観光どころではなくなったのです。  震災の発生時は長野の実家に帰省していたので、現地の様子を知る術がありませんでした。能登町越坂の家や集落がどうなっているか分からないあいだは、精神的にとても辛かったです。  宿は壁のひび割れや瓦の落下などの被害はあったものの、建物は倒壊を免れました。 震災から約10日後、営業を再開しました。この辺りは宿泊施設が元々多くないので、復興を進めるには作業員の方々の宿泊場所が必要となり、貸し出すことになりました。

復興作業員が泊まる一室。窓を開けると、海面に日差しが反射していた(撮影:野上英文)

 2025年5月現在、道路復旧工事などに従事する人々が2カ月単位で入れ替わりながら宿泊しています。輪島市などの現場に、宿から1時間近くかけて通う作業員もいます。 観光客に戻って来てもらいたい気持ちに変わりはありません。とはいえ、まだもうしばらくは復旧作業が最優先。被災された方も大勢いらっしゃるので、「良かった」とは絶対に言えないんですけど……こうやって能登が注目を浴びていることを少しでもチャンスと捉えて前進していかなければ、と思っています。

TSUKUMO STYLEの共同リビング・ダイニング(撮影:野上文大朗)

求む! Webサイト制作のプロフェッショナル

 まだしばらくは観光客が戻るまでの準備期間と捉えています。  このインタビューを受けるさっきまで、TSUKUMO STYLEから坂道を登ったところで畑作業をしていました。古民家と一緒に譲り受けたんです。このへんは、家を買うとだいたい畑もついてくるんですよ(笑)。  3アール(90坪)の畑には雑草が生えていました。シルバー人材センターから派遣していただいた方に耕してもらって、自分で「マルチ」という黒いビニールシートを敷いて、穴を開けてレモンの木を植えました。 自家製レモンでレモンサワーを作りたいと思っています。併設のカフェでレモンサワーづくりの体験もサービス提供したいですね。  ほかにも、小型船舶免許やダイビングライセンスも新たに取得して、近い将来、観光客が来られるようになったとき、「TSUKUMO STYLE」の体験プログラムを増やそうと考えています。

TSUKUMO STYLEの併設カフェ。再開に向けて準備を進めている(撮影:野上英文)

 課題は、もちろんあります。  ひとつめとしては、Webサイトを今後どうするか困っていますね。  いまの公式サイトは創業期に突貫工事で手作りしたものです。創業パートナーの一人がシンガポール人のため、サイトの記載は英語と日本語が混在しています。外国人向けに作ってあるのは良い点なのですが、日本人にとっては「あまり優しくないサイト」になっています。

具体的に必要な支援1

・Webサイトの刷新(例えば、日本語版・英語版の切り替えができる) ・オンラインの直接予約システムの構築(民泊サービス以外の予約) ・UI/UXデザインの改善 ・SNSでの発信やスマホ対応の強化  また、震災前は民泊の「Airbnb」での予約が中心でしたが、今後さらに多くのお客様に来ていただくには、自社サイトでも直接予約できる仕組みが必要です。  SNSの発信も時々やっていますが、Webサイトと共に魅力的な発信を一緒に考えていただける人がいたら、ありがたいなと。

古民家を改修したTSUKUMO STYLEの外観(撮影:野上文大朗)

長野から能登へ、移住を決めた「海釣り好きの少年」

 海に魅せられたのは幼少期のことです。海のない長野県で育った僕は、父親と年一回、伊豆半島での海釣り旅行を心待ちにする少年でした。  小学生の頃の夢は「毎日海で釣りをして暮らすこと」でした。釣りをしていると、DNAに刻み込まれた興奮みたいなものをビンビンと感じるんです(笑)。    機械工学を学ぶため、高専から金沢大学へと進学しました。大学3年生だった2020年、偶然参加した能登でのインターンシップが人生の転機となりました。穏やかな九十九湾の風景と地元の方々の温かさに心を奪われ、「ここに住みたい」と強く思うようになったのです。  その思いは進路にも影響を与え、大学院進学後は研究テーマを機械工学からトラフグの養殖研究に変えたほどです。研究のため頻繁に能登へ通ううちに、地域との絆はさらに深まっていきました。

TSUKUMO STYLEの近くにある観光船キップ売場(撮影:野上英文)

 2023年9月、金沢で観光業に携わっていた2人の女性パートナーと共に、九十九湾をのぞむ築70年の古民家を改修しました。3人がそれぞれ50万円を出資し、地元金融機関から融資を受けての船出でした。  宿の運営だけでは今は暮らしていけず、複業スタイルですね。平日は、珠洲市に本社機能の一部を移転させた 医薬品製造販売大手「アステナホールディングス」の地域創生事業に携わりながら、週末の宿運営と両立しています。安定収入があるからこそ、新しいことに挑戦できる面があります。  アステナの地域創生事業では、能登の素材を活かした化粧品開発にも取り組んでいます。地域資源を活用した事業の可能性を日々探りながら、TSUKUMO STYLEを拠点に「観光✕一次産業」の新たなモデルを模索しています。

TSUKUMO STYLEをモデルケースとして、若者が能登で働き、暮らせる集落づくり目指す(撮影:野上英文)

 将来の構想として、いくつかのプロジェクトを温めています。  この集落では立派な空き家がどんどん増えていて、もったいないと感じています。 「建物は大丈夫だけど、上下水道の配管が駄目になった」「息子さんが別の家に住んでるから」といった理由で空いたままになっている能登の古民家を、良い形で活用していきたいんです。  いまのTSUKUMO STYLEのように民宿のような形で、さらに2カ所、3カ所と増やしていくことも十分に可能だと考えています。    また、酒蔵見学ツアーを近くの酒蔵と協力して開催したいと思っています。震災後、一時的に金沢に移って酒造りを続けている酒蔵さんとのつながりがあります。その方が能登に戻ってきたときに、能登の「観光✕日本酒」という形で盛り上げていきたいです。  

具体的に必要な支援2

・観光と一次産業を組み合わせた事業への助言や協業 ・「空き家を民泊へ」のサポート ・九十九湾でのマリンアクティビティの拡充 ・レモンを植えるのをお手伝いいただける方

夕陽が沈む九十九湾(撮影:野上文大朗)

能登らしい生き方ができる場所を守り、残したい

 何より、この越坂地区の集落としての魅力を守り、残したいという思いが強いです。  ここには「地域を訪れる観光客から収益を得つつ、自分の食べる野菜を育て、魚を獲る」という暮らしの豊かさがあります。そうした能登らしい生き方ができる場所として、若者が戻って来ることができる、働ける場所を作っていくことが目標です。  自分のような若者がもっと増えれば、この集落の景色はいつか変わるはず、と信じています。

小林昇市さんと、築70年の古民家を改修したTSUKUMO STYLE(撮影:野上英文)

事業者プロフィール

TSUKUMO STYLE

代表者:小林昇市 所在地:石川県鳳珠郡能登町字越坂四字8

取材後記

 20年以上前、新聞記者になり、初めて赴任したのが石川県でした。能登の風土にひかれて、金沢から何度も車を走らせました。九十九湾で温泉宿に泊まったこともあります。穏やかな波と箱庭のような景観が、当時20代だった私には、味わいつくせないほどの贅沢に感じられました。  その当時から、能登では高齢化と過疎化が進んでいました。学校の統廃合もあり、高校野球では単独チームを組めいなケースも。それでも「能登から初の甲子園を」と目指す姿に心を打たれ、3つの地域「口能登」「中能登」「奥能登」を回りました。私のような“よそ者”でも、行く先々で歓迎されたことを覚えています。  今回の災害で、限界集落はさらに厳しい状況に追い込まれています。長野から移住した小林さんが、「住んでくれるだけでありがとう」と周囲から感謝されるのも、うなづけます。   「能登や越坂の未来を背負って立つ」というと、やや重たくも感じられます。ただ、26歳の青年は肩の力がすっと抜けて、どこまでも自然体でした。  思い描いていた観光どころではない状況。それでも復興拠点としての場を提供しながら、畑にレモンを植え、マリンアクティビティの免許を取り、ほかの空き家の活用策に想いをめぐらし、人脈を新たに耕していく……。  そうした日々の小さな営みこそが、いずれ「移住」や「復興」といった“ビッグワード”の変化につながっていく。よそ者でも一丁噛みでも、小林さんの思いや行動に共感して「関わりシロ」に手を挙げる人が増えることを願っています。(野上英文) 訪れて初めて知った九十九湾の魅力(高校生の取材同行記)  TSUKUMO STYLEを訪ねて最初に感じたのは、その静けさと九十九湾の美しい景色でした。「休みの日に行きたくなる場所」だと思いました。  実際に足を運んでみたからこその感想です。震災から復興の途上にあるいま、簡単に行きづらいのは少しもどかしいです。  取材に同行して特に目についたのは、道路の状態でした。大きな道路は通れるようになりました。ただ、地震の影響でところどころ波打ったり、元は2車線だったのが1車線に狭くなったり。夜のドライブでは、走る車が激しく上下する場面も数多くありました。  九十九湾には、空港から車で1時間以上かかります。震災前はその「離れていること」が逆に良かったのかもしれません。ただ、いくら素晴らしい場所でも、「気軽に行きづらい」のは、やはり大きな壁だと感じます。送迎サービスや観光地を巡回するバスなどがあれば、もっと行くやすくなると思います。九十九湾に限らず、能登の観光復興にも当てはまるかもしれません。  小林さんの移住までのストーリーも印象的でした。大学では機械工学を学んでいたのに、インターン経験がきっかけで能登へ。一つの出来事でも、人生の方向性が変わることがあることってあるのですね。将来の進路を考える高校生の私にとって、大きな発見でした。(高校2年生、野上文大朗)

取材者

野上英文(のがみ・ひでふみ、ジャーナリスト)、野上文大朗(のがみ・ぶんたろう、高校生)

野上英文  神戸出身、中学2年生で被災。2003年に朝日新聞社入社、初任地の金沢では連載『石川と阪神淡路大震災』『能登球児は、いま』などを企画・執筆した。新潟中越地震や3.11、インドネシア・スラウェシ島地震などで災害報道に携わる。2023年にユーザベースに参画、編集者・パーソナリティとして活動し、25年にはNewsPicks防災部を有志で立ち上げて減災・防災の情報発信(https://newspicks.com/topics/nogami/)をしている。著書に『戦略的ビジネス文章術』(https://amzn.asia/d/gH7QaQd)『プロメテウスの罠4』ほか。 野上文大朗  2008年、大阪生まれ。転勤族の親と幼少期から国内外で9回の転居をしてきた。現在は関東地方の高校2年生で、Junior Red Cross (青少年赤十字)の活動にも携わる。趣味はプログラミングと動画撮影。一眼レフカメラを手に能登の復興取材に同行した。

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