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「能登牛」を全国ブランドにすることが“寺岡畜産”の使命。震災をチャンスに変えたい

寺岡畜産株式会社

更新日:2025年8月5日

従業員とその家族、300人の暮らしを守る

2024年1月2日 被災した「てらおか風舎 富来本店」の様子 画像提供:寺岡一彦

 2024年1月1日、あの日は私、寺岡一彦(てらおか・かずひこ)にとっては9年ぶりのお正月休みでした。家族と自宅でくつろいで、すっかり酔っ払って寝ていたところを、知人からの電話で起こされたのを覚えています。その電話を切った直後、一度目の大きな揺れに見舞われました。直後の二度目の揺れは立っていられないほどで、のちに、ここ志賀町が能登半島でも最大の震度7を記録したことを知りました。  津波警報が出ていたので、ジャージとサンダルのまま高台へ避難しました。警報が解除されてから避難所へ向かったのですが、人であふれ返っていて。自宅も全壊して住める状況ではなかったので、そこから3日間は車中泊、その後友人の経営する旅館にお世話になり、最終的には金沢のホテルに2次避難しました。それから4ヶ月近くは、毎日金沢から志賀町へ車で往復6時間かけて通い、店の再開のために奔走する日々でした。  レストランの様子は、地震の翌日には確認に行くことができました。能登では2007年にも大きな地震がありましたが、そのときとは被害の大きさが桁違いで、一目見て「これは当分営業は無理だ」とわかりました。

2024年1月2日 1人では動かせないようなフライヤーなどが移動していた 画像提供:寺岡一彦

 ただ家族をはじめ、従業員も全員無事だったことは唯一の救いでした。とはいえ、従業員のなかにも家を失い、白山市やかほく市のみなし仮設に入居した人もいます。金沢にもレストランの支店があるので、そちらへ異動して働いてくれている人もいますが、転居先の近くで新しい仕事を探すと決めた人も5人ほどいました。富来(とぎ)本店でも金沢店でも仕事はあって、むしろ人手不足なのですが、従業員が住むところまで用意できる状況ではありませんでした。  当社にはグループ全体で80人の従業員がいます。パートナーや家族を含めると、300人近くの生活を守っていかなければなりません。もともと、売り上げの半分以上を占めるのは七尾市の和倉温泉にある旅館や飲食店でした。地震から1年半ほどがたち、旅館や飲食店も少しずつ営業を再開しつつありますが、弊社としての売り上げはまだ従来の10%程度です。いまは和倉温泉に頼らずとも雇用を守っていけるだけの利益を上げるために、試行錯誤しています。  でも私には、富来ロータリークラブ(※)会長(取材時)と志賀町観光協会の専務理事としての役割もあります。いかに地元を盛り上げていくかを考えると同時に、会社を守るためにはどうしても地元の外にも目を向けていかなければいけない。そのジレンマに悩む日々です。 ※ロータリークラブ:自分の職業や専門分野を生かして、地域社会や国際規模での奉仕活動を通じてさまざまな社会課題に取り組む奉仕団体。全世界200以上の国にネットワークを形成している。

全国からの応援を受けて、どこよりも早いレストラン再開を目指す

2025年6月26日 志賀町富来地区 てらおか風舎富来本店の外観

 震災直後は、電気の供給にも不安があり冷蔵庫もいつ止まるかわからず、断水していて出荷するために肉を切るといった作業もできませんでした。そんなところに、東京の取引先のホテルから「大丈夫ですか? 大変な状況でしょうから、普段と違う納品でも構わないので、どんな肉でも送ってください。支援として購入します」と連絡をもらい、そのまま出荷できるブロック肉を送りました。ありがたかったですね。  また能登牛を使ったレトルトカレーなどの商品を、全国各地の道の駅や百貨店、スーパーが取り扱ってくれました。ほかにもふるさと納税や、東京・高円寺商店街の飲食店で実施された能登の食材を使ったフェアなど、本当に全国からたくさん応援してもらったと感じています。  また富来本店が営業できないあいだ、金沢市の百貨店で「能登牛応援弁当」を販売する機会にも恵まれました。全国からの応援に加えて、金沢市と白山市にある3つの支店は幸い通常通り営業ができたので、従業員を誰一人解雇することなく今日までなんとかやってくることができました。  一方、志賀町の富来本店は近隣地域のどの飲食店よりも早い営業再開を目指し、すぐに修理に取り掛かりました。修理には県の「なりわい再建支援補助金」を申請したのですが、同時に自宅の解体も行わなければならず、書類作成や煩雑な手続きには疲弊しました。当時はあまりにもやらなければいけない事務作業が多く、「もういい加減本業に専念させてくれ!」という気持ちでした。  でも、振り返ってみれば「大変」や「忙しい」などと考える暇もなかったですね。それに、どんな時でも笑顔で元気でいよう、というのが私の信条でした。誰かに文句を言ったり、怒ったりするのではなく、とにかく自分にできることをやろうと。腐らずに今日までやってくることができてよかったなと思っています。  苦労した甲斐あって、3月28日には営業再開にこぎつけました。うちの店を再オープンすることが富来地区の希望の明かりになればという一心でした。だから近隣の飲食店もあとを追うようにポツポツと営業を始めてくれたのを見たときは、うれしかったですね。  とはいえ、この辺りは和倉温泉をはじめ宿泊はまだ難しいところも多いので、県内のロータリークラブなどに、日帰りでの観光を提案しています。例えば遊覧船に乗って、うちのお店に限らず地元のお店で食べていってはどうかと。でも地震から1年半が過ぎていても「やっぱり能登はまだ怖い」との本音も聞こえてきて、なかなか難しいなと感じています。そんなわけで、観光客は震災前の8割減という状況です。  だからといって、ただ指をくわえて「和倉温泉が早く以前のように復活してくれないかな」と待っているわけにはいきません。能登に軸足は置いたまま、金沢に新しい店舗を展開できるよう、構想をねっています。

「能登牛」を全国へ。食べて応援してほしい

2025年6月26日 志賀町富来地区 海岸沿いの道路に立てられた「てらおか風舎 富来本店」の看板

 この辺りを実際に見ればわかりますが、更地だらけで、地元の人でさえ住むところを探すのが大変な状況です。宿泊施設も、復旧作業のための作業員の方でいっぱいの状態が続いています。  本音を言えば志賀町の本店で働いてくれる新たなスタッフに今すぐにでも来てほしいと思っています。けれど、町の現状を見ると能登に来て手伝ってほしいとはなかなか言えません。  だから、まずは能登牛に限らず、能登の食材を買って食べて応援してほしいですね。ふるさと納税でも、各地で行われる能登フェアで買い物をするのでも、どんな形でもかまいません。  企業や飲食店の方には、フェアの実施やコラボメニューの提供など、ぜひ能登牛をはじめ、能登の食材を使ってもらえたらと思っています。  私の使命は「能登牛」を、松阪牛や神戸牛などのトップブランド牛に並ぶ知名度にすることだと思って今までやってきました。震災後もその思いは変わりません。能登半島地震では本当に甚大な被害を受けましたが、これをピンチで終わらせずチャンスに変えたいと思っています。どんどん外へ「能登牛」を広めていって、日本各地どこへ行っても、みなさんが知っている全国ブランドにしたい。そのためにも、どんな時も元気と笑顔を忘れずに、一歩ずつ進んでいきたいです。

事業者プロフィール

寺岡畜産株式会社

代表者:代表取締役社長 寺岡才治 所在地:石川県羽咋郡志賀町富来領家町イ−30

取材後記

「てらおか風舎 富来本店」は、海風が気持ちいい海岸にほど近い場所にありました。牧場を模した白い柵に囲まれた芝生の庭やお店の外観は、一目見ただけでは震災の被害はほとんど感じられないほど、きれいに整えられていました。寺岡さんは「被害のあったところはきれいになるまでマスコミにも誰にも絶対見せないと決めていた」といいます。「何事もなかったように再開したかった」と。  その姿勢は、「いつも元気で笑顔が信条」のお話にも通ずるものがあるな、と感じました。同時に、その前向きな姿からは想像もできないような困難や苦悩を、震災後にいくつも乗り越えられてきたのだろうと思います。  寺岡さんが使命だと語る「能登牛」の全国ブランド化が実現すれば、地域のみなさんにとってもまた一つの希望の明かりになるのではないでしょうか。その日が一日も早く訪れることを願ってやみません。

那須あさみ(なす・あさみ)

 山口県出身、長野県在住。フリーランスのライターとして、Webメディアを中心にインタビュー記事やコラムを執筆しています。  2024年、能登半島地震の取材で初めて能登を訪れたことをきっかけに、「何か自分にもできることはないだろうか」と思っていたところ、「シロシル能登」を知りました。一人でも多くの人が、能登のいまに関心を持ち続けること、知ろうとすること、その一助になれればと思っています。

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