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価値ある能登を未来につなぐ--門前に居場所を作る“NOTOTO.”

一般社団法人NOTOTO.

更新日:2025年5月23日

多様な人が働ける能登を未来につなぐ

 一般社団法人NOTOTO.(のとと)は、大きな地震被害を受けた能登を、能登の人と、能登以外の人と共に、多様な人や生物、文化をリスペクトし合いながらアクションできる地域として、次世代につなげていくことを目指しています。  2025年現在、輪島市門前と珠洲市に担当理事を配置して、その地域の特性やニーズを踏まえた復興活動を支援しています。  門前の現段階では、「働ける場所」を創出するプロジェクトを始動しています。  ここに暮らし続けるためには、生活の糧を得る仕事が不可欠ですが、それは人とのつながりや喜びを生む場にもなります。  住まいや職場を失って、仮設住宅内中心の生活が続くと、人と話す機会が減り、孤独感を募らせる人が多くいます。「働ける場所」ができれば、そこが「集える場所」になり、地震による心の痛みや喪失感を癒すことにもつながります。

ランドリーカフェから始めるコミュニティ

 輪島市の市街地から南西に20kmほどの門前地区は、700年以上前から曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)の門前町として歴史を刻んでいます。明治時代の大火で大本山機能は神奈川県横浜市鶴見に遷され、ここは「總持寺祖院」と呼ばれるようになりましたが、訪れる参詣者や修行僧も含め、寺と共にある街です。  この地区は2007年にも震度6強の大地震に見舞われて、家屋の3分の1が全壊・半壊の被害を受けました。そこから17年、ようやく復興したところに起こったのが、2024年1月1日の能登半島地震でした。

1.まず、門前にランドリーカフェを

 発災後1年余りが過ぎ、仮設住宅への入居は完了し、仮設商店街も営業を始めています。建物の公費解体も進む段階に入りましたが、新しく住居や店舗を再建するところまではまだほとんど至っていません。

解体が進み、街並みの中に更地も目立っている(2025年3月)

 そこで今、進めようとしているプロジェクトが「ランドリーカフェ」=カフェを併設したコインランドリーです。  なぜ真っ先にコインランドリー? というのが他の地方の方には理解されづらいと思いますが、 ・北陸地方は一日の間でも天気が安定せず、戸外に洗濯物を干しづらい ・冬は雪も寒さもあって余計に乾かない ・面積の狭い仮設住宅には、室内に洗濯物を干すスペースがない ・復興事業者やボランティアにもコインランドリーの需要がある という事情があるのです。  洗濯そのものの必要性があるので、事業として成立し、そこには雇用が生まれます。生業を失った住民も多いなかで、一つ一つ働く場を創造していくことには意義があります。  さらに、洗濯から乾燥までには1時間強の時間がかかるので、その間、利用者がカフェで時間を過ごしてくれれば、カフェだけの利用者やスタッフも含め、コミュニケーションを取れる場ともなります。  2025年3月に目標額1,000万円のクラウドファンディングが成功し、実現に向かって進み出しています。

ランドリーカフェの完成予想図。井戸端会議場にもなりそうだ

2.総持寺通り商店街の活動を支援

 總持寺の門前町は、寺の仕事をする職人が住み着いたのに始まり、次第に生活必需品の商店などが集まって形成されていきました。善光寺の長野や神宮の伊勢のように、参詣者向けの店や宿で広がった門前町とは異なります。

總持寺祖院の崩れた石垣(右側)から門前の街並みが続く(2025年3月)

 そのため、総持寺通り商店街は地元の人の生活と密接に関わってきました。商店街の中には輪島市櫛比の庄(くしひのしょう)「禅の里交流館」があり、總持寺祖院の歴史の展示や集会の施設として機能していますが、私、宮下杏里(みやした・あんり)は2020年からこの施設の管理を市から委託され、まちづくりの中心となってきました。  地震発生直後は自身も避難所で過ごし、現在も仮設住宅住まいと、被災者の一人でありますが、避難所の炊き出しなどに始まり、住民を元気づけるイベントの開催など、住民の暮らしに寄り添った活動を続けています。  2024年11月にプレハブの仮設商店街が開設されて飲食店、陶器店など9店舗が営業を始め、元の店舗を修繕して営業を再開しているところもありますが、組合会員の3分の1ほどは店を開けられずにいます。  商店街は住民の買い物に必要なだけではなく、ここに来れば知った顔に出会える場であり、地域として子どもたちも見守る存在でもあるのです。その復興に向けて、課題を解決しながら門前のコミュニティを守っていきます。

2024年11月から営業開始した仮設商店街

活動を助けてくれる人を求めています!

1.門前で事務作業などをサポートしてくれる方

 宮下杏里は、禅の里交流館の運営、総持寺通り商店街のまちづくり、NOTOTO.の理事としての役割と、いくつもの立場で能登・門前の復興に携わっています。 ・これからの復興、まちづくりの計画・実施 ・イベントや集会などの企画・運営 ・行政、住民、支援団体などとの調整 ・さまざまな媒体の取材(現状を知ってもらうのに必須) ・視察の受入 など、多岐にわたるタスクが集中しています。  日々の経費精算や立替金などの経理処理、ファイル整理、プレゼンテーション用のパワーポイントの制作や修正など、細々とした事務作業が得意な方、サポートしてください。  一日の稼働時間は短時間でも構いませんが、できるだけ長期に続けてもらえる方。  遠隔地からのリモートも可能です。

2.住民に癒やしや楽しみを提供してくれる方

 被災者、特に仮設住宅に入居した人たちは、外出のきっかけが減って、運動不足になり、人とのふれあいも少なくなっています。  門前の公民館では、住民が楽しめる催しを実施していますので、インストラクター、講師などに来てほしいです。  ヨガやピラティス、またマッサージなど、体を動かしたり癒されたり、ということは特に喜ばれています。  住民の平均年齢は高めですが、入門クラスと少しハードなクラスなどに分かれると、幅広い人が参加できます。

3.珠洲に常駐して活動する方

 NOTOTO.では、珠洲市でも復興に向けた活動をしています。  これから復興まちづくりが本格化するなか、住民の合意形成やエンパワーメントにいっしょに取り組んでくれる方(有償)を求めています。  ワークショップのファシリテーション、まちづくりのプランニングができる方、行政と住民の橋渡しができる方、ジェンダーに関心のある方は大歓迎です。

ワークショップで、珠洲のまちづくりをみんなで考えた(2025年3月)

被災状況を踏まえた復興に向けてフィールドワークも(2025年3月)

一般社団法人NOTOTO.について

 2024年1月1日に発生した能登半島地震を受け、現在のNOTOTO.共同代表の安江雪菜安江雪菜(やすえ・ゆきな)、松中 権(まつなか・ごん)を中心に、地震翌日の1月2日には民間支援事務局を立ち上げ、 ・緊急物資を被災地に届けるためのコーディネート ・避難所の運営支援 ・そのための資金集め といった活動を開始。  地震直後の命を守るための支援を行いました。

陸路で大量の物資を運ぶのが難しく、船での試験輸送に載せてもらって輸送した(2024年1月)

 震災直後のもっとも厳しい状況が一段落した次のフェーズとして、 「自分たちの能登が、住む人だけでなく訪れる人にとっても、  多様性を大切にし、お互いをリスペクトし合い、  誇りをもって次世代につなげるアクションができる地域になるために活動します」 というビジョンを掲げ、同年4月11日に設立したのが、一般社団法人NOTOTO.です。  そのミッションは、次の3項目です。 1. 生物・人・文化の多様性が日常的に感じられる環境で、生きる力を得られる能登。 2. 住む人も訪れる人も、地域への誇り、居場所、自由を感じられる能登。 3. 世界の人々に新たな知恵を提案する能登。  能登が未来に向けて、誰にとっても価値ある地域であり続けるための活動を続けていく団体ということです。  2024年●月からは、輪島市門前とともに珠洲市でも担当理事を中心に活動しています。

事業者プロフィール

一般社団法人NOTOTO.

代表者:安江雪菜(共同代表) 所在地:金沢市(珠洲市/輪島市門前町)

取材後記

 門前は、ズバリその名の通り、總持寺祖院の門前町です。NOTOTO.の取材前、お寺で副監院の髙島弘成(たかしま・こうじょう)さんにお話を伺いました。境内では、倒壊した回廊や、前田利家の妻・まつの菩提寺の芳春院などの建造物が撤去され、他にもまだあちこちに地震の爪痕が残っています。 「当初は衝撃を受けて気弱になり、周辺のみなさんにもご心配をおかけしてしまいましたが、これまでも数々の困難があって、その都度乗り越えてきての700年なのだと思い直しました。今後は一層、寺と街の人たち、行政が一体となって、復興していかなければと動き出しています」  總持寺は、1898(明治31)年に火災でほぼ全山を焼失し、伽藍の多くは再建されたものの、2007年の地震では30棟の建物すべてに被害を受けました。そのたびに復興してきたのです。2024年10月には、16棟の建造物が国の重要文化財に指定されたことが朗報で、再建に光が差しています。  髙島さんの言う「街の人たち」の活動を取りまとめているのが、宮下杏里さんです。20代で地元に戻りこの仕事に就いたころには、子ども時代から知っている“杏里ちゃん”としか見られず、ほとんどが60代以上の商店主のなかでリーダーシップを取るのが難しかったと言いますが、粘り強く話をし、困りごとに寄り添ったことで、いざ地震が起こったときに力を発揮できました。  そんな彼女がいたからこそ、NOTOTO.でも門前の支援に入ることができ、今も安江雪菜さんとタッグを組んで次の目標に向かっているようです。  しかし、宮下さんが「個人的にいちばん困っているのは、今後住む家。元々、門前には賃貸住宅というものがないから、仮設住宅から出るときには自分で家を建てなければならない」と話すのには、切実なものを感じました。都市部では集合住宅は当たり前にあるので、そこまで思い至りませんでした。  それでも地元でこの先の復興に力を尽くそうという彼女を、応援したいと思いました。

以前の門前を再現したジオラマの前で、宮下杏里さん(左)と安江雪菜さん(右)

取材者

柳澤美樹子(やなぎさわ・みきこ、旅行作家)

「旅・食・人」をテーマとした著述編集のため、日本中をまわっている。1996年にJTBから発行された『ひとり歩きの金沢能登北陸』を書くにあたって濃厚に能登を取材したことから、能登とのご縁を深め、能登半島地震発災以来、観光分野で能登を応援したいと活動している。 日本旅行記者クラブ個人会員・日本旅行作家協会会員

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