大切な人の人生に、新しいページが書き加えられるとき。私たちは「おめでとう」や「ありがとう」の代わりに、その想いを託せる何かを探します。どのようなものを贈れば、その人のこれからの日々に寄り添えるだろうか。そんな幸せな悩みに胸を熱くした経験は、誰にでもあるはずです。
2023年に輪島で創業した“ヌシヤ株式会社” の代表、浦出真由(うらで・まゆ)さんは、かつて東京でウエディングやギフトの最前線に身を置き、数えきれないほどの「門出の瞬間」を見つめてきました。そんな彼女が故郷・輪島に戻り、現代のライフスタイルに合わせて編み直したのは、性別や年齢、そして「ハレ」と「ケ」の境界さえも軽やかに飛び越える、漆塗りのアクセサリーです。
人生の節目に、さりげなく光る品格。日常に馴染みながら、フォーマルな場でも凛と輝く心強いアイテム。その誕生の裏側にある想いを伺いました。
[取材・写真・構成 伊藤璃帆子]
故郷・輪島への想いと、職人たちの情熱に導かれて

“ヌシヤ株式会社” の浦出真由(うらで・まゆ)です。私は石川県輪島市で生まれ、東京で20年以上、ウエディングやインテリア、ギフト業界でキャリアを積んできました。東京での仕事は刺激も大きくやりがいを感じていましたが、日々を送るなかで、ずっと胸に秘めていたことがあります。それは、「いつか故郷のために役に立ちたい」という思いでした。

きっかけは、帰省した際の実家でのなにげない出来事です。上京して間もないころ、漆芸家である父が、食事をしながら輪島塗のことを熱く語り始めました。
「輪島塗は、日本最大のおもてなしだ」
浦出家では日常茶飯事の光景です。「また始まった」と思いながら汁椀の蓋をあけると、そこには、父が描いた蒔絵がキラキラと輝いていました。蒔絵を見たのは初めてではないのに、なぜかそのときは、湯気をまとってキラキラと煌めく様子から目が離せませんでした。その輝きは、湯気が消えるまでのわずか1分ほどで、儚く消えていきました。
「きれい……」 思わずこぼれた私の言葉に、父は静かに言いました。
「私たちの何十時間、何百時間は、その一瞬のためにあるんだ」
その一言で、私は輪島塗の虜になりました。職人たちがほんの一瞬の煌めきに捧げる情熱。それを知った日から、私の心は少しずつ、輪島へと帰り始めていたのかもしれません。
現代の生活に寄りそう「身に纏う伝統工芸」

本格的に事業をスタートさせたのは2023年のことです。同世代の職人たちが情熱をもって製作に打ち込む姿を誇らしく思う一方で、後継者不足の深刻さや、売上が全盛期の10分の1まで落ち込んでいるという厳しい現実を知りました。
このままでは輪島塗は続かない。職人さんたちのために、私にできることがあるかもしれない。そう考えて立ち上げたのが“ヌシヤ株式会社” です。
輪島塗のような高価な伝統工芸は、現代の若い方にはなかなか購入のハードルが高い商品です。でも、高くなるのには理由があり、職人たちが一つずつ丁寧につくったものには、確かな魅力があります。その良さを知ってもらう入り口として、若手の職人さんたちと共に現代に寄り添う漆芸の形を模索しました。


そうして生まれたのが「輪島塗職人とつくる漆塗りラペルピンとブローチ」です。指先ほどの小さな作品ですが、地の粉を使った下地、中塗り、上塗りといった輪島塗の伝統的な材料や製作工程にこだわり、補強のための布着せ以外を行い、すべて手作業で仕上げています。

ラペルピンの次に手掛けた商品が、シンプルなデザインのピアスとイヤリング、そしてブレスレットです。
漆器といえば、オーソドックスな黒か赤、「うるみ」と呼ばれる茶褐色などのイメージが強いかもしれませんが、私たちは漆に鉄粉を混ぜて酸化させたり、顔料を混ぜて、カラーバリエーションを楽しめるようにしました。その時々の漆そのものの品質によっても出てくる色が変わってくるので、職人さんが漆に合わせて調整してつくります。手に取ったお客様からは「こんなカラフルな漆塗があるんですか?」と驚かれることが多く、複数の色を購入されるお客様も少なくありません。
お色のネーミングにも、ちょっとしたこだわりが。やわらかな繭玉のような「きぬ」、山の草木の葉がゆらぐ「わかな」、新しい芽吹を感じる「しんめ」、曇り空から光がさす能登の「そら」、夕日に染まる空の色「あかね」など、能登の自然を想いながら名付けました。
ピアスの核部分は、養殖真珠の元となる真珠核です。真珠の元となる真珠核(貝殻を丸く成形したもの)に漆をまとわせることで、漆の艷やかな輝きの珠に仕上げました。重さは約1gと軽やかで、カジュアルシーンはもちろん、フォーマルにもぴったりな上品さは、漆器ならではの魅力です。
絶望の淵から救ってくれた、ある職人さんの声

起業してわずか半年。これからという希望に満ちていた2024年1月1日、能登半島地震が起こりました。
出展のために大切に準備していた在庫は、すべて瓦礫の下敷きになりました。漆を塗るための大切な土台となる木地(きじ)も、猛火に包まれて消失。自宅は全壊、間借りしていた父の工房も半壊し、目の前に広がったのは、大切にしていた何もかもが何一つ残っていない、あまりにも無慈悲な光景でした。
すべてが「ゼロ」を通り越して、マイナスになった。道具も、材料も、職人たちの仕事場さえも失われた街で、私は「もう辞めなければいけないのか……」と、暗闇のなかで立ち尽くしていました。

そんな絶望の淵にいた私を救ってくれたのは、ほかでもない職人さんの言葉でした。
ご自身の工房も家も甚大な被害を受け、住む場所さえままならないはずの大先輩の職人さんが、私の顔を見て、こう言ってくださったのです。
「真由ちゃん、おっちゃんがやるよ。誰よりも早く仕事を再開して、一番に真由ちゃんとこの商品をつくるから」
「職人さんたちのために」と思って始めた事業でしたが、本当に助けられ、支えられていたのは、私のほうだった。
そしてまだ販路もない私に、「とりあえず、あるものだけでも持って来て。売ってくるから」と、品物を持って全国へ飛び出していく先輩の塗師屋さんや漆芸家の方々。
自分のことだけで精一杯なはずの極限状態にあって、それでも仲間のために、誰かのためにと筆を握ろうとする。その気高く、温かな連帯に触れたとき、私の中にふたたび灯がともりました。
この人たちがいる輪島で、私は諦めるわけにはいかない。
たとえ時間がかかっても、この場所で、この仲間たちと一緒に歩み続ける。そう心に誓ったあの日から、私の新しい挑戦が始まりました。
大切な人に贈りたい、人生に寄りそう小さなギフト

私たちが手がけるプロダクトは、輪島の職人たちの技や伝統を伝える役割を担っていることが、一番の魅力だと考えてきました。より多くの方に直接漆芸を届けるため、震災以降は全国各地のイベントに出展し、地域外の方たちとの交流を大切にしています。

正直なところ、私たちが暮らす奥能登は、震災から時間が経っても復興からはほど遠く、あの日から景色が変わらない場所も多く残っています。それなのに、世の中では震災があったこと自体が過去のことになり、風化し始めている。その温度差に、時折心が折れそうになるのが現実です。
けれど、出展ブースに「ボランティアで毎年能登に行っていますよ」と声をかけてくださったり、能登に心を寄せてくださる方がいる。その存在が、どれほど私たちの励みになっているかわかりません。

先日、催事でピアスを購入していただいた女性のお客様が、とてもすてきなお話をしてくださいました。
「娘が初めてピアスホールを開けたので、初めてのピアスに、何か良いものを贈ってあげたくて」
お嬢さんの新しい一歩を慈しむように、幸せそうな笑顔でピアスを選んでくださったお母様。そのお姿を見ていて、何かがすとんと胸に落ちたのです。
生まれて百日の「お食い初め」や、婚礼の席。振り返れば、日本人の人生の大事な節目には、いつも漆芸がありました。華美すぎず、かといって決してチープではない。腕の確かな職人が手間ひまかけて一つずつ手づくりしているものだからこそ、漆芸は大切な人への贈り物という重みに耐えうるのだと思います。

たとえば、長年勤め上げたお父様が退職されるとき、社章を外したあとの襟元に、新しい人生の誇りとして漆のラペルピンを添える。それは、家族からの心からの「お疲れ様」と、これからの歩みを祝う、世界に一つの勲章になるはずです。
お嬢様がいつか耳元で光る漆芸を見て、お母様の愛情を思い出す。お父様が襟元の漆芸に触れるたび、家族の温かさを感じる。そんな、誰かの人生の記憶に溶け込むような「一生モノのギフト」として手に取っていただけるよう、これからも想いを届けていきたいと思っています。
取材後記

私がボランティアをきっかけに能登に来るようになって、もうすぐ一年になります。そのきっかけをくれたのが、「シロシル能登」を運営する岩城慶太郎さんと、ヌシヤのみなさんでした。
当初は、過酷な経験をした人たちの力になりたいと思っていましたが、気づけばいつも、みなさんの優しさと明るさに救われ、助けてもらっているのは私のほうでした。
能登で最初に訪れた輪島は、私にとって特別な街です。なぜこれほど温かいのか。それは、百以上の工程を分かちあう「分業」の精神や、里山里海とともに生きる暮らしが、人々の心に目に見えない温かいつながりをもたらしているのかもしれません。
浦出さんの届ける漆芸には、そんな輪島の体温が宿っています。絶望を越えて誰かのためにと筆を握る、職人たちの誇り。その小さな輝きが、手にする人の人生を優しく照らしてくれることを願っています。
▶シロシル能登
能登復興の「関わりシロ」を知らせる“一般社団法人能登乃國百年之計”
▶シロシル能登
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