石川県珠洲市の交差点で、夜にぽつんと灯がともる小さなキッチンカー。関西出身の秋房大介(あきふさ・だいすけ)さんと、石川県出身の妻・和佳奈(わかな)さんが、震災を乗り越えて続けているラーメン屋“TORITO-N”(トリトン)です。
もともと、秋房さんはイタリア料理のシェフですが、どうしてラーメン屋になったのでしょうか。その背景には、お客さんとの絆から生まれた、あたたかいエピソードがありました。
[取材・写真・構成 伊藤璃帆子]
兵庫から珠洲へ──奥能登芸術祭が導いた新たな挑戦

“TORITO-N(とりとん)”の秋房大介と申します。
私が石川県珠洲市への移住を決意したのは、妻となる和佳奈と結婚する前の2023年初旬、新たなキャリアを模索していた時期のことでした。移住を決断するまで、私たち二人は共に兵庫県のイタリアンレストランで料理人として腕を磨いていましたが、その職場を辞め、次なるステージを探していたのです。
そんな私たちにとって、人生の転機となったのは、妻の両親からの思いがけない誘いでした。彼らが珠洲市で営む「イタリアン・カフェ こだま」を拠点に、「珠洲で飲食店をやってみないか」という提案でした。
▶シロシル能登
「おいしいね たのしいね」が珠洲の未来へ“こだま”するレストラン
詳しく話を聞くと、その背景には、開催に向けて準備が進められていた「奥能登芸術祭」の存在がありました。芸術祭開催に伴い、珠洲市には観光客の増加が見込まれていましたが、昼食を提供する場所が極端に少ないという地域特有の課題があったのです。

妻の実家である「イタリアン・カフェ こだま」は、珠洲市で地元の方たちに愛されるお店です。義両親からの具体的な提案は、この「こだま」のキッチン設備で仕込みを行い、その料理を、観光客が集まる売店や屋台といった場所でランチとして提供するというアイデアでした。
私にとって、これはまさに願ってもないチャンスでした。初期投資という大きな壁を抑えながら、自分たちのアイデアと技術でゼロからお店を作り上げていく経験は、何物にも代えがたいものです。義両親からの心温まる、そして非常に現実的な支援を受け、私たちは珠洲への移住を決意しました。
そして、2023年2月27日に住民票を珠洲市に移し、新生活をスタート。移住からわずか2ヶ月後の春、私たちは念願の小さなお店をオープンしました。
多様なニーズに応える小さな売店“TORITO-N”をオープン

もともとイタリア料理のシェフである私は、開業当初はイタリア料理一本で勝負するつもりでした。しかし、妻の同級生にフォカッチャを出した際、「これ、どうやって食べるの?」と尋ねられたんです。フォカッチャやバーニャカウダといったメニューは、まだ馴染みがなく、近所に妻の実家のイタリアンレストランがあることもあり、同じ路線では競合してしまう。そこで、「みんなが食べたいと思っているけれど、まだ珠洲にはない料理」に挑戦しようと、発想を転換しました。




2023年9月に始まる芸術祭のニーズに合わせて、キッチンカーも始めました。販売拠点を「道の駅すずなり」の前に移し、手軽に楽しめるメンチカツなどのワンハンドフードから、地元グルメとして能登牛のローストビーフ丼などお腹を満たすメニューまで幅広いラインナップを取り揃え、芸術祭期間中は本当に多くのお客様で賑わいました。
▶シロシル能登
廃駅からはじまる奥能登の旅──珠洲の「いま」を伝える“道の駅すずなり”

奥能登は食材の宝庫です。良い食材を探し回り、その素材を生かしながら、お客さんが喜んでくれるようなメニューを増やしていきました。
肌寒くなると、「温かいものが食べたい」という声が増え、秋にはおでんの提供を始めて、大寒波のクリスマスからは、私自身が大好物である豚骨醤油ラーメンもメニューに加えました。「替え玉」の習慣がない地域で、食べ方を聞いてくる高校生もいるほどでしたが、除雪作業員の方や雪かきを終えた近隣の方々が訪れてくださり、初日から大盛況となりました。
避難生活を経て、結婚式。そして再び珠洲へ

2023年は、大晦日まで営業し、元日は休む予定でした。そんなときに、能登半島地震が襲ってきました。
幸いにもキッチンカーや什器は無事でしたが、ライフラインの復旧の見通しが立たず、やむなく珠洲を離れることを決断。金沢を経由して大阪で避難生活を送りました。
大阪では、震災後の2月に予定していた結婚式の準備に明け暮れました。さまざまな声が聞こえるなか、予定通りに挙げた結婚式。華やかな席の笑顔の裏には、複雑な思いもありました。でも、結婚式という明るい話題が、自分たちにとって心の支えにもなっていたんです。

式後、生活に戻ってみると、テレビで流れる珠洲の被災地の映像を見ながら、大阪で生きていくか、珠洲に戻るか、夫婦で悩み続けました。
戻ることを決意したのは、珠洲へ移住したときや、お店を応援してくれた人たちとの思い出が溢れてきたからです。「頑張って、それでもどうにもならなかったら閉店日を決めて、きちんとお礼を伝えてから終わりにしよう」と話し合い、珠洲に戻りました。
「まっとった!」ラーメンに長蛇の列

店の水道が復旧したのは3月10日。翌11日には営業を再開しました。避難所での炊き出しは使い捨て容器が多かったため、せめてお店では温かい器でラーメンを提供したい。そう思いつつも、「炊き出しもあるのに、お金を払って食べてくれる人がいるのだろうか」という不安もありました。
しかし、店に行くと、すでに開店を待つ長蛇の列ができていたんです。
「まっとった!」という声。ラーメンを出すと、「美味しい、美味しい」と涙を流して食べる人もいました。厨房から顔を上げて外の様子を見るたびに列が伸びていて、諦めずに戻ってきてよかったと心から思いました。

テレビの取材も入り、気がつけば「被災地で頑張るラーメン屋さん」として話題に。解体工事関係者の間でも「あそこのラーメンは美味しいぞ」と広まりました。その後、妻が妊娠したことをきっかけにワンオペになったため、思い切ってメニューをしぼり、ラーメン屋としてやっていくことにしました。

震災前、お店の前の交差点にはコンビニや道の駅があり、夜でも明るい場所でした。しかし震災後はコンビニが早く閉まり、信号と街灯が点々と灯るだけの寂しい場所になっていました。そこに私たちがお店を再開すると、「元気が出る」「街が明るくなった」と言ってくれる方がいました。この言葉が、何度も心が折れそうになったとき、支えになりました。


解体や復旧工事で珠洲に来ている方々も常連さんでした。夜遅くに仕事が終わってからラーメンを食べに来てくれる方との何気ない会話が楽しくて。「工事が終わったので、明日地元に帰ることになりました」と言って挨拶にきてくださったときは、ほんとうに寂しかった。
震災という困難な状況のなかでしたが、本当に素敵なご縁に巡り合えたと思っています。
「ずっとここでやっていこう」──珠洲での暮らしと、これからの夢

2026年1月に、長女の千陽(ちはる)が生まれました。太陽のような笑顔で明るく元気に育ってほしいという願いを込めた名前です。もう看板娘として、人見知りせず笑顔を振りまいてくれています。
現在、このキッチンカーは月曜から金曜の夜だけ営業していて、日中は別の飲食店で働いています。ワンオペだと昼夜通した営業は難しくて。
千陽が保育園に預けられるようになったら、妻と一緒に昼間から営業できるので、キッチンカーでのラーメン販売も本格的に動かしていきたいと思っています。

“TORITO-N”という名前は、ギリシャ神話の海の神様「トリトン」からきています。始めた場所が海の近くだった、という由来と、義両親のお店「こだま」(森の妖精)とあわせて、珠洲の里山里海を表しています。
珠洲は本当にいいところです。春は山菜、夏は海、冬は鰤・たら・あんこう──。能登牛や、ブランド椎茸「のと115」など、四季折々の旬の味覚は、日本全国どこにも負けないと思います。
自然がすぐ近くに感じられるのもいい。珠洲の海の透明度は、宮古島にだって引けをとりません。
将来は珠洲に店舗を構えたいと思っています。昼は食堂、夜は居酒屋。お酒が飲める場所や毎日来られるような食堂が今の珠洲には少ないので、そういう場所を作りたい。
私たちは、住民がいるかぎり、ずっとここでやっていくつもりです。
取材後記

お店をオープン直後に被災するという不運に見舞われながらも、イタリアンシェフでありながらラーメン店を経営するという予想外の展開を乗り越え、人生の困難な節目を力強く進む若いご夫妻の姿は、復興への長い道のりを歩む人々にとって、何物にも代えがたい大きな励みとなるでしょう。彼らの屈託のない笑顔や、困難をも笑い飛ばすような明るさが、地域の復興を支える精神的な柱となっていることを強く感じました。
次にラーメンをいただきに伺う際には、千陽ちゃんはおしゃべりできるようになっているかも。親戚のおばさんのような気持ちで、その成長を心から楽しみにしています。

