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廃駅からはじまる奥能登の旅──珠洲の「いま」を伝える“道の駅すずなり”

廃駅からはじまる奥能登の旅──珠洲の「いま」を伝える“道の駅すずなり”

道の駅すずなり

更新日:2026年3月20日

 珠洲に着いたら、まず向かってほしい場所があります。かつてのと鉄道能登線の列車が行き来した珠洲駅の跡地に立つ“道の駅すずなり”です。棚には奥能登の産直品が所狭しと並んでいますが、それは単なるお土産ものではなく、能登の「いま」を示す情報なのです。

 道の駅すずなりの事務局長・田中 薫(たなか・かおる)さんに、震災後のすずなりと、これからの珠洲についてお話を聞きました。

[取材・写真・構成 伊藤璃帆子]

販売者登録400軒。能登の産品が並ぶ道の駅

道の駅すずなり名物のソフトクリームを持つ田中 薫さん
道の駅すずなり名物のソフトクリームを持つ田中 薫さん

 道の駅すずなりの田中 薫です。

 かつてこの場所にあった珠洲駅。1964年に国鉄の駅として開業しましたが、過疎化と利用者の減少を経て2005年に廃駅となりました。線路はなくなりましたが、プラットホームは今も残っています。今はすずなりの休憩スポットになっていて、ここで「すずキッチン」のお弁当を食べたり、一息ついてから珠洲の各地へ向かう人もいます。

かつての珠洲駅プラットホーム。今は道の駅すずなりに隣接する休憩スポットとして残る
かつての珠洲駅プラットホーム。今は道の駅すずなりに隣接する休憩スポットとして残る
すずなりの店内には所狭しと品物が並ぶ
すずなりの店内には所狭しと品物が並ぶ

 すずなりの棚を眺めると、能登の「いま」がわかります。能登半島の東側、外浦と呼ばれる海沿いの地域で作られる揚浜式の塩、能登半島の山間部で育つ肉厚なしいたけ、海底の粘土から生まれる珠洲焼、地産にこだわった日本酒──。旅に来た方がここで奥能登を知ってくれたらいいですね。

珠洲焼は中世に珠洲市周辺で焼かれた陶器で、釉薬を使わない焼き締めが特徴
珠洲焼は中世に珠洲市周辺で焼かれた陶器で、釉薬を使わない焼き締めが特徴
棚に並ぶ珠洲の塩。お土産として一番人気がある
棚に並ぶ珠洲の塩。お土産として一番人気がある
地元民に愛される昔ながらの品や季節限定品なども並ぶ酒の棚
地元民に愛される昔ながらの品や季節限定品なども並ぶ酒の棚

 販売者として登録している会員は現在約400軒。ほとんど個人の生産者さんです。珠洲にとどまらず、奥能登らしいものなら、来る者拒まずで置きます。

能登の原木しいたけは、地元の人にも大人気
能登の原木しいたけは、地元の人にも大人気

 季節ごとに商品も変わるので、いつ来ても新しいものに巡り会えます。春はたけのこ、秋はブランドしいたけ、冬は海藻のカジメ。カジメは奥能登ではよく食べられる海藻で、生のまま刻んで味噌汁に入れたりします。馴染みのないものを見つけたら、ぜひスタッフに声をかけて聞いてみてください。

地震から営業再開。喜んだのは利益のためじゃない

地震で被害を受けたすずなり(2024年1月1日 道の駅すずなり撮影)

 2024年1月1日、閉店後のレジを締めようとしていたところに地震が来ました。最初は少し商品が落ちた程度の揺れ。それが突然、激しくなった。棚から商品が次々と落下して、お酒の瓶も大量に割れて、店内はめちゃくちゃになってしまった。大津波警報が鳴って、スタッフ全員、貴重品だけ持って高台へ逃げました。その日は誰も家に帰れませんでした。

 被災後は、働くスタッフも、珠洲の生産者さんも減りました。なんとか店を再開させたのは4か月後。棚に並んだのは箱菓子と、地物は、その日の朝採れたたけのこくらい。

 それでも、珠洲に残った生産者さんたちは、この場所の再開を待ち望んでくれていました。一人、また一人と、商品を持ってきてくれた。皆さんが戻ってくるのは、利益のためではなかったんです。

「日常が始まる」「またここでスタートできる」

 再開したすずなりには、震災を乗り越え、これから元に戻っていくんだ、という期待と喜びに満ちた生産者さんの顔が並んでいました。

出せる日がくるまで、待っとるよ──地震と豪雨、珠洲から消えたもの

甘みが強くもちもちとした食感が特徴の、能登のこしひかり
甘みが強くもちもちとした食感が特徴の、能登のこしひかり

 地震の影響がやや落ち着き始めたころ、今度は豪雨に襲われました。1月の地震で傷んだ建物が次々とダメになった。9月は、新米の時期でもありました。地震のあとに頑張って育てたお米が、乾燥中に水をかぶってしまった。事業者さんたちの心のダメージを思うと、私たちも本当に辛かった。

能登を応援するステッカー
能登を応援するステッカー

 生産者さんの状況を確認しようと電話するたびに、「しばらく出せんね……」と言われました。正直、わかっていたことなんです。でも、連絡せずにはいられなかった。生産者さんを少しでも励ましたい。その一心で「待っとるよ、出せるタイミングまで待っとるよ」と伝え続けました。農家さんのなかには、わざわざすずなりまで顔を出しに来てくれる人もいました。

 冬の風物詩だった海藻類も、その年からほとんど届かなくなりました。地震で外浦の海底が隆起して、藻場が遠くに行ってしまったからです。水産加工の事業者も、震災前は3社あったのが、いまだに本格再開できていない。それでも、カニカマの技術で介護食を作り始めたり、カニ漁だけ再開したり、それぞれが自分なりの一歩を踏み出しています。

「私たちは元気です」──すずなりが起点となる、珠洲の歩き方

旅人が行き交うすずなり。珠洲各地への起点となっている

 すずなりには地産の品物を販売する機能のほかに、もうひとつ、観光案内所という顔があります。横にはバスの基地があって、外から入ってくる人の多くがここに降り立ちます。復興の過程でボランティアや支援者が「お土産を買いたい」「珠洲のものが欲しい」と言ってくれた。生産者には売る場所が必要で、外から来た方には珠洲を知る場所が必要だった。自然と、そういう役割が生まれていきました。

すずなりは珠洲の観光名所を知ってもらうための役割も担っている
すずなりは珠洲の観光名所を知ってもらうための役割も担っている

 いますぐは難しいのですが、将来的には珠洲の観光コンテンツとして、体験メニューを再開したいと思っています。ダイビング、刺し網漁の体験、写経、陶芸──。この土地はいまも昔も豊かです。海に行けば、見たこともない大きな魚が釣れたり、山に行けば山菜が採れたり。来てくれた人はみんな「いいところだ」と言ってくれます。

大人気のソフトクリームも季節ごとにフレーバーが変わる。取材時は、スズえびすかぼちゃ味。規格外のかぼちゃを使用し、珠洲で収穫されたものを無駄なく美味しく食べられる。その他、揚げ浜塩フレーバーも人気
大人気のソフトクリームも季節ごとにフレーバーが変わる。取材時は、スズえびすかぼちゃ味。規格外のかぼちゃを使用し、珠洲で収穫されたものを無駄なく美味しく食べられる。その他、揚げ浜塩フレーバーも人気

 復興したと言えるまではまだ遠いですが、私たちはこの先も珠洲で生きていくし、いまできることを積み上げて、案外元気にやっています。

 珠洲のいまを、すずなりに見にきてください。

取材後記

道の駅すずなりに残る、かつてのと鉄道珠洲線の駅だったころのプラットフォーム

 2024年の地震から二年以上が経った今も、奥能登の復興は道半ばです。道路も交通も、まだ十分には整っていない。かつて賑わっていた場所が更地になっていることも珍しくない。観光で訪れるのはまだまだハードルが高いのが現実で、ネットで調べても出てくるのは震災前の情報ばかりです。今の能登に行けるのか、何が残っているのか、外からではなかなかわからない。

 だからこそ、すずなりに行ってみてほしい。今も営業を続けている生産者、塩や珠洲焼、今も旬を迎える野菜や海藻——棚を眺めるだけで、生き続ける能登の「いま」が見えてきます。

 道の駅すずなりが再開した日、棚に並んでいたのはたけのこだけでした。それが今は、塩も、珠洲焼も、しいたけも、酒も並んでいる。棚が埋まるたびに、また一人、珠洲で生産する人が戻ってきたということです。

事業者プロフィール

道の駅すずなり

住所:石川県珠洲市野々江町シの部15番地

記者プロフィール

伊藤璃帆子

伊藤璃帆子

コラムニスト&フォトグラファー、たまに料理人。デジタルマーケティング会社勤務を経て、コンテンツプランナーとして独立。企画から制作までワンストップで手がけるマルチクリエイター。また、料理家としても活動中。ケータリングユニットを主宰し、アートな食空間を提供している。 Instragram @catering_unit_sessio Facebook 伊藤 璃帆子