珠洲に着いたら、まず向かってほしい場所があります。かつてのと鉄道能登線の列車が行き来した珠洲駅の跡地に立つ“道の駅すずなり”です。棚には奥能登の産直品が所狭しと並んでいますが、それは単なるお土産ものではなく、能登の「いま」を示す情報なのです。
道の駅すずなりの事務局長・田中 薫(たなか・かおる)さんに、震災後のすずなりと、これからの珠洲についてお話を聞きました。
[取材・写真・構成 伊藤璃帆子]
販売者登録400軒。能登の産品が並ぶ道の駅

道の駅すずなりの田中 薫です。
かつてこの場所にあった珠洲駅。1964年に国鉄の駅として開業しましたが、過疎化と利用者の減少を経て2005年に廃駅となりました。線路はなくなりましたが、プラットホームは今も残っています。今はすずなりの休憩スポットになっていて、ここで「すずキッチン」のお弁当を食べたり、一息ついてから珠洲の各地へ向かう人もいます。


すずなりの棚を眺めると、能登の「いま」がわかります。能登半島の東側、外浦と呼ばれる海沿いの地域で作られる揚浜式の塩、能登半島の山間部で育つ肉厚なしいたけ、海底の粘土から生まれる珠洲焼、地産にこだわった日本酒──。旅に来た方がここで奥能登を知ってくれたらいいですね。



販売者として登録している会員は現在約400軒。ほとんど個人の生産者さんです。珠洲にとどまらず、奥能登らしいものなら、来る者拒まずで置きます。

季節ごとに商品も変わるので、いつ来ても新しいものに巡り会えます。春はたけのこ、秋はブランドしいたけ、冬は海藻のカジメ。カジメは奥能登ではよく食べられる海藻で、生のまま刻んで味噌汁に入れたりします。馴染みのないものを見つけたら、ぜひスタッフに声をかけて聞いてみてください。
地震から営業再開。喜んだのは利益のためじゃない

2024年1月1日、閉店後のレジを締めようとしていたところに地震が来ました。最初は少し商品が落ちた程度の揺れ。それが突然、激しくなった。棚から商品が次々と落下して、お酒の瓶も大量に割れて、店内はめちゃくちゃになってしまった。大津波警報が鳴って、スタッフ全員、貴重品だけ持って高台へ逃げました。その日は誰も家に帰れませんでした。
被災後は、働くスタッフも、珠洲の生産者さんも減りました。なんとか店を再開させたのは4か月後。棚に並んだのは箱菓子と、地物は、その日の朝採れたたけのこくらい。
それでも、珠洲に残った生産者さんたちは、この場所の再開を待ち望んでくれていました。一人、また一人と、商品を持ってきてくれた。皆さんが戻ってくるのは、利益のためではなかったんです。
「日常が始まる」「またここでスタートできる」
再開したすずなりには、震災を乗り越え、これから元に戻っていくんだ、という期待と喜びに満ちた生産者さんの顔が並んでいました。
出せる日がくるまで、待っとるよ──地震と豪雨、珠洲から消えたもの

地震の影響がやや落ち着き始めたころ、今度は豪雨に襲われました。1月の地震で傷んだ建物が次々とダメになった。9月は、新米の時期でもありました。地震のあとに頑張って育てたお米が、乾燥中に水をかぶってしまった。事業者さんたちの心のダメージを思うと、私たちも本当に辛かった。

生産者さんの状況を確認しようと電話するたびに、「しばらく出せんね……」と言われました。正直、わかっていたことなんです。でも、連絡せずにはいられなかった。生産者さんを少しでも励ましたい。その一心で「待っとるよ、出せるタイミングまで待っとるよ」と伝え続けました。農家さんのなかには、わざわざすずなりまで顔を出しに来てくれる人もいました。
冬の風物詩だった海藻類も、その年からほとんど届かなくなりました。地震で外浦の海底が隆起して、藻場が遠くに行ってしまったからです。水産加工の事業者も、震災前は3社あったのが、いまだに本格再開できていない。それでも、カニカマの技術で介護食を作り始めたり、カニ漁だけ再開したり、それぞれが自分なりの一歩を踏み出しています。
「私たちは元気です」──すずなりが起点となる、珠洲の歩き方

すずなりには地産の品物を販売する機能のほかに、もうひとつ、観光案内所という顔があります。横にはバスの基地があって、外から入ってくる人の多くがここに降り立ちます。復興の過程でボランティアや支援者が「お土産を買いたい」「珠洲のものが欲しい」と言ってくれた。生産者には売る場所が必要で、外から来た方には珠洲を知る場所が必要だった。自然と、そういう役割が生まれていきました。

いますぐは難しいのですが、将来的には珠洲の観光コンテンツとして、体験メニューを再開したいと思っています。ダイビング、刺し網漁の体験、写経、陶芸──。この土地はいまも昔も豊かです。海に行けば、見たこともない大きな魚が釣れたり、山に行けば山菜が採れたり。来てくれた人はみんな「いいところだ」と言ってくれます。

復興したと言えるまではまだ遠いですが、私たちはこの先も珠洲で生きていくし、いまできることを積み上げて、案外元気にやっています。
珠洲のいまを、すずなりに見にきてください。
取材後記

2024年の地震から二年以上が経った今も、奥能登の復興は道半ばです。道路も交通も、まだ十分には整っていない。かつて賑わっていた場所が更地になっていることも珍しくない。観光で訪れるのはまだまだハードルが高いのが現実で、ネットで調べても出てくるのは震災前の情報ばかりです。今の能登に行けるのか、何が残っているのか、外からではなかなかわからない。
だからこそ、すずなりに行ってみてほしい。今も営業を続けている生産者、塩や珠洲焼、今も旬を迎える野菜や海藻——棚を眺めるだけで、生き続ける能登の「いま」が見えてきます。
道の駅すずなりが再開した日、棚に並んでいたのはたけのこだけでした。それが今は、塩も、珠洲焼も、しいたけも、酒も並んでいる。棚が埋まるたびに、また一人、珠洲で生産する人が戻ってきたということです。

