2024年1月1日に起きた「令和6年能登半島地震」。当時、テレビの映像に映し出されていた瓦礫(がれき)の山はすでに片付けられ、被災地の様子はニュースから遠ざかりつつある。現地では今も復興の歩みが続いているが、能登から遠く離れた場所で暮らす人々の記憶は薄れ始めている。
石川県七尾市の中心部、一本杉通りに店を構える“漆陶舗あらき”(うるしとうほあらき)は、震災で店舗を失いながらも、わずか一年足らずで再建を果たした。8代目として店の伝統を守り続けている新城純一(あらき・じゅんいち)さんに、再建までの道のり、そして若い世代と共に進める能登の復興について話を聞いた。
[取材・構成 米谷美恵]
かつて北前船が行き交ったころ、輪島塗は生活の器だった

うちは創業が江戸時代の元号でいえば「嘉永」年間、8代目の私に至るまで七尾のこの地でずっと店を構えています。昔は北前船(きたまえぶね)が行き交い、生活の器として輪島塗が使われていました。その流れのなか、曽祖父が輪島から来たというご縁も含めて、私どもは輪島と取引を続け、輪島塗を中心にし、お客さまに品物をご提供しています。
昔から輪島塗を扱う当店は、当然、輪島の職人や塗師屋(ぬしや)と顔が見える関係が続いています。「こういうものを作ってほしい」「お客さまがこういうものを求めています」などとやり取りすることで、お客さまのご要望に応えて器を提供してきました。
昔は輪島塗は生活の器として日常的に使われていましたが、最近は高価になったこともあり、普段使いは安価な器で、輪島塗は美術品や贈答用として、という傾向になってきているかなと思います。
甚大な被害を受けながらも前に進もうとする輪島の人々。背中を押されて再建を決意

2024年1月1日の震災では、店内の8、9割の展示品は破損してしまいました。建物は無事のようでしたが、よく見ると傾いていて使い物になりません。基礎がダメだったんですね。解体を余儀なくされましたが、解体するにしても時間がかかるといわれました。私としては一刻も早く復興したかったので、その年の8月には自費解体、震災の翌年、2025年3月には新しい建物を着工、11月1日に入居となりました。
本当は、年齢や後継ぎのことを考え、店を閉めることも考えていました。しかし震災後に訪ねた輪島は、七尾よりはるかにひどい被害を受けていました。そんな状況でもお付き合い先や職人たちは、前を向いて「仕事を続けていきたい」と言うのです。それを聞いて、これまでこの人たちに支えてきていただいていたからこそここでうちが辞めては申し訳ない、輪島の皆さんが作ったものを全国に販売することで少しでも恩返しできたらなと、一念発起、再建を心に決めました。とはいえ、再建を決めたものの、この先どう進めていけばいいのか白紙からのスタートでした。
若い経営者との出会いと共感。「食と器」を切り口に地域、全国の人とつながりたい

自分の店の再建も含めた震災復興を考えるなかで、飲食店を経営する若い経営者たちと出会いました。うちはこういった伝統工芸を中心に器を扱っています。それもあって「食と器」という切り口で地域の人とつながり、そこを目指して全国から一人でも多くのかたに来ていただいて、石川の「伝統工芸」を販売する店、石川の「食」を発信する店として、次の世代につなげていく。そういう話を彼らにしながら進めています。
年齢が全く違う彼らが、私の考えに共感してくれたことがとてもうれしいです。私が「こうしてほしい」「ああしてほしい」と望むのではなく、彼らが描く次の世代を作っていってくれれば、この町はまたにぎわい、次の時代につながっていくはず。彼らの自由な発想で次の時代を作っていってほしいと思っています。
私は、彼らのような若い存在はウェルカムです。新しい血が入ることで地域が活性化していくと思いますから、想いをもった全国の若い方たちが地域に入ってきていただけることは大歓迎です。
ぜひ一人でも多くの人に来ていただきたい……。現状では、事業承継などの問題もあり、なかなか次の時代につなげていくこと自体が厳しいなか、新しい血が入ってくることは、地域の活性化という側面から何よりありがたいことだと思います。
能登のなかの一つの地域として存在し続けるということ

昭和の時代には、一本杉通りにもバスが走っていましたし、光徳寺という大きなお寺の門前町としての賑わいがありました。この一本杉通りは、5月の「青柏祭」を楽しみに、1年に一度、七尾を訪ねてくるかたもいらっしゃいます。7月の「七尾港まつり」など、1年のさまざまな節目に皆さんが集まってにぎわいが生まれてきました。
御祓川にかかる紅い欄干の仙対橋(せんたいばし)から約4 、500メートルが一本杉通りです。ぜひここにさまざまなお店が復活したり、私たちの取り組みを利用して、全国からここで商いをしてみたい、住んでみたいという方が一人でも生まれたらうれしいです。通りすがりの観光客ではなくて、目的地として来ていただく。昔ながらのお店が何軒もあって、そこを目指して来ていただけるような、そんな場所になってほしいですね。金太郎飴のようにどこを切っても同じような商店街は長続きはしないでしょうから、それぞれのオーナーが個性をもって作ったお店が集合した商店街になっていけたらうれしいです。
七尾だから、一本杉通りだからというこだわりはなくて、能登のなかの一つの地域として存在できればいいかなと……。あと数年はかかるでしょうが、お隣の和倉温泉も復活してくるはずです。そこをめざしてくる人がたまたま七尾という地域を通りかかったくらいがちょうどいいのかもしれません。
この2年間、震災や復興のための出張販売や催事などに積極的に参加してPRをさせていただいてきましたが、能登半島地震が少しずつ風化しているように感じています。ご覧いただいた通り、復興は道半ばどころか、まだまだ始まっていないようなところですが、皆さんの記憶はだんだん薄れていく。被災地である能登をぜひ忘れられないような取り組みを、何かの形でしていけたらと考えています。とはいえ、私一人では限界がありますから、いろいろなメディアや支援してくださっている方のお力を、継続的にお借りしていきたいですね。
難しく考えるのではなく、一度そこを訪ねてみようとか、見に行ってみようとか。ただそれだけでいいんです。どこかに出かけようと考える選択肢として、能登に行ってみようか、そういう動機で来ていただければいいんです。地元にいる私たちがやれることは、普段の生業を精いっぱいやっていくことだけですから、それを全国の方に知っていただくための仕掛け作りが必要です。知恵も力も我々だけでは足りません。そういったことをぜひご支援いただきたいと思います。
石川県の伝統工芸品のセレクトショップとしてその魅力を伝え続ける

私どもは、輪島塗や山中塗、九谷焼など石川県の伝統工芸品全般を扱うセレクトショップだと思っています。輪島塗を中心とした伝統工芸品の良さを一人でも多くの方に知っていただくような仕掛けづくりに注力したいと考えています。
例えば輪島塗は124の工程を経て一つの器ができるのですが、そのなかの工程に「沈金」という技法があります。ほんの一部だけですが、現地に来ていただいて、1時間ほどで体験していただき、輪島塗の世界にふれていただく。そういうワークショップなどの取り組みも考えていきたいですね。それらを食と一緒に体験、提供できる場所に育てていきたいと思っています。
次の世代にいい形で、不動産や事業、人をつないでいくことは、私にとっての気持ちの豊かさにもつながっています。それを見届けながら、自分の人生を仕舞い付けられたらどんなに幸せでしょうか。自分一人でできることには限界がありますが、幸いなことに自分の周りには自分の思いを叶えてくれそうな人たちが集まってきてくれている。そういう巡り合わせについて、本当に皆さんに感謝しています。
私は学生時代の4年間以外はずっと七尾の一本杉通りというこの地で生まれ育ち生活していますから、私の居場所はここしかないと感じています。そんな場所で仕舞いを付ける。それが私の願いでもあります。
取材後記
江戸時代から店を構える“漆陶舗あらき”は、令和6年能登半島地震の被害から立ち上がり、石川の伝統工芸と食を発信する新たな拠点として歩みを始めています。新城さんの信念は、まわりの若者たちの心を動かし、七尾、一本杉通りの未来に向かって歩みを進めています。

そんな新城さんの顔が緩んだのは、毎晩の酒のあての話をしたときです。今晩は何をあてにどの酒を飲もうかと考えながら、毎日仕事が終わると奥さまの礼子さんと連れ立ってスーパーに向かうのだといいます。七尾、一本杉通りを考える緊張の時間から一転して穏やかな時間です。
「ふつうなら引退してもおかしくない年齢」と話す新城さんですが、その役目はまだまだ終わることはないようです。

ちなみに、私もすてきな名刺入れに一目惚れ。購入してしまいました。名刺を出すたびにワクワクしています。

