ロゴ
画像

重機も操る医師が守る、輪島市町野町の再建と健康──町唯一の診療所“粟倉医院”

医療法人山桜会 粟倉医院

更新日:2025年05月25日

自分たちの手で、町野町を再生させる。

 震災、そしてその後の豪雨でこの街の景色は大きく変わりました。  私、大石賢斉(おおいし・まさなり)の診療所も震災で全壊し、半年後に作った仮設診療所も豪雨で天井まで水が来てしまいました。  自然の力は絶大だなと感じた1年でした。でも、皆の力が集まれば、自分たちの手で変えられる景色もあると信じています。  町野の仲間や町の外から応援してくださる方のエネルギーを集めて、自分たちの手で町を再生させていく。行政におんぶにだっこではなく、自力をつけた、強い町になっていく。それが本当の意味での復興だと考えています。  災害はいつ起こるか分かりません。でも、次に別の地域で大災害が起こったとき、頼られる町になれるくらい、強い町になれればと思っています。

お祭り、ログハウスづくり……少しずつ、景色を変えていく

「自分たちの手で、自分たちの町を作っていく。」そのために、さまざまなことに取り組んでいます。  震災後、診療所があった場所は更地になっていたのですが、豪雨災害で土砂がかなり流れ込んできました。  公道や大きな土砂崩れは行政が直していきますが、私有地や細かい道までは手を入れることができず、ボランティアさんの力を借りることになります。でも町内でも重機を使える人が増えれば、自分たちの手でも直していくことができる。  石川県医師会、東京都医師会の皆様のご協力もあり、重機をご提供いただいたり、ヤンマーさんに重機の講習会を開いていただいたりしたので、実際に免許を取ったメンバーで作業をしながら重機の練習も同時に行っています。

大石医師が実際に操縦していた重機

 この春には、この診療所の跡地で「桜フェス」というお祭りを開催しました。  いろんな方に協力していただき、ほかの場所からこの更地に土砂を持ってきて、土をならして、やぐらを組んで、自分たちでいちからお祭り会場を作ったんです。10日間ほどの突貫工事でしたが、多くの人が集まり楽しんでくれました。  自分たちの手でも、いろんな人の力を合わせれば、できることがある。小さくても景色を変えていくことができる。目に見える形でそれを示していくことで、この町の活性化に繋がると信じています。

2025年4月に開催された「桜フェス」の様子(大石医師提供)

「桜フェス」は夜まで続き賑いをみせた(大石医師提供)

 今は、ログハウスの建設を計画中です。  震災で大量の倒木が発生しました。戦後の建築ラッシュの際に植えられた杉たちの根が浅いから、山の地盤が弱くなった、という話もありますが、倒れた杉たちだって人間を困らせるためにそこに根付いていた訳ではない。  この杉たちをなんとか有効活用ができないか、という思いもありますし、住宅の建築費用が高騰し、新しく家を建てることが難しくなってきているなかで、実際に自分たちでログハウスを建てることで、自分たちが自立していくためには、何が足りないのか、どんな技術や力が必要なのか、というのも洗い出したいと思っています。

町野町の復旧・復興に来て、見て、携わってほしい。

 ぜひ、町野町を訪れてほしいです。重機で道をつくったり、私有地を整備たり、ログハウスを建てたり……活動に携わってもらうことは、町の力にもなりますし、来ていただいた方も何かしら知識や経験を持って帰ってほしいなと思います。  なんだか医者が言うことじゃないかもしれませんが(笑) でも、こんな活動をしている奴もいるということを知ってほしいですね。

ご本人も取材者も、大石さんが医者であることを忘れそうなインタビューでした

町野町の健康を守る“粟倉医院”

 粟倉医院は、町野町唯一の診療所で、元々母方の祖父が開業した病院です。祖父が引退した跡を父が継ぎ、僕は北海道の大学を出て関西の病院で働いていたのですが、10年前に父が亡くなったのを機に、こちらに来て跡を継ぎました。  2025年5月現在、中学校の保健室を借りて診察を続けながら、診療所を再建しているところです。  町の再建活動に取り組みながら、みんながワクワクと活発に暮らす町にしていくことで、病気の少ない、健康でイキイキとした町にしたいと思っています。

事業者プロフィール

医療法人山桜会 粟倉医院

代表者:大石賢斉 所在地:石川県輪島市町野町粟蔵ホ19甲

取材後記

 お医者さんの取材と聞いて向かった先にいたのは、まさに重機を操縦している最中の大石さんで、想像していた姿とのギャップに驚いたのが始まりでした。 「お話を聞いた活動は、普段のお医者さんの仕事に追加してされていることですよね。正直大変ではないですか?」  取材終わり際の私の問いかけに、大石さんはおっしゃいました。 「正直、楽しいからやっているんですよね。僕自身がこの活動を一番楽しんでいると思います。  それに、ワクワクした気持ちで、イキイキと身体を動かして生きる人って容易なことでは病気にならないんですよ。そんな人を増やして、この町の患者さんをゼロにするのも、僕の目標なんです。」  ああ、大石さんは本当に「町野町のお医者さん」なんだなと思いました。  取材を行った2025年4月時点では、町野町の中には山が大きく崩れた場所が残っており、その壮絶な傷跡に、自然に対して畏怖の念を抱かずにはいられませんでした。  都会で便利に暮らしていると、そんな自然の脅威を目の当たりにすることも、身の危険を感じることもほとんどありません。  でも、果たしてそのままでいいのだろうか。本当の意味で、強く生きるとはどういうことなんだろうか。  日に焼けながら重機を操縦する大石さんの姿に、言葉に、町の景色に、考えさせられた取材でした。

島田真衣(しまだ・まい、会社員・ライター)

 奈良県出身。鉄道会社のローカル線活性化企画・広報を経て現在は日用品メーカーの広報・オウンドメディアを担当。趣味は一人旅、大自然を満喫すること。

注目の記事