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笑顔を生みながら、便利で安心な暮らしを。 “町野復興プロジェクト実行委員会”

笑顔を生みながら、便利で安心な暮らしを。 “町野復興プロジェクト実行委員会”

一般社団法人町野復興プロジェクト実行委員会

更新日:2026年5月28日

 地震と豪雨、2度の大災害の直撃を受けながら、「住民自ら、楽しみながら復興に進む」ことを目標に活動する、輪島市町野(まちの)町の“町野復興プロジェクト実行委員会”。イベント開催で前を向く力を取り戻し、災害を経たからこそ顕在化した地域の問題を、一つ一つ解決しています。代表として活動している、山下祐介(やました・ゆうすけ)さんにお話を聞きました。

[取材・構成 柳澤美樹子]

災害に強く、暮らしやすい町野へ

 地域の真ん中を町野川が流れ、日本海の曽々木(そそぎ)海岸に至るのが輪島市町野町です。2024年1月1日の能登半島地震では、海岸沿いを走る国道249号線の至るところで崖が崩れて通れなくなりました。町野町から能登町(のとちょう)に抜ける山側の道路も、どうなっているかわからない。停電し、携帯電話の電波も通じなくなって、情報はない。町野は孤立しているのかもしれないけれど、それすら確かめのようのない状態でした。

 翌日、山の方から車で来た人がいて通れることがわかったので、どこまで行けるかわからぬまま行ってみました。途中、公衆電話があったので試しに輪島市役所に掛けてみるとつながったのが、やっと外部と接触できた瞬間でした。大渋滞のなか、のと里山空港にたどりついたら自家発電でフリーWi-Fiも通じていたので、自分のSNSすべてに現状を伝えました。

 その後は、私が情報を集めては発信する担当のようになって、1月いっぱいは電波の入るところに移動しては発信したり返事をしたりという毎日でした。その経験が、“町野復興プロジェクト実行委員会”のベースになっています。

地震で大きな被害を受けた町野(撮影日:2024年1月 写真提供:山下祐介さん)
地震で大きな被害を受けた町野(撮影日:2024年1月 写真提供:山下祐介さん)

災害に備えて「まちのラジオ」開局へ

 外部との情報のやりとりもですが、避難生活を送るのに必要な給水や炊き出しの予定などを地域の住民に知らせることができず、情報難民が発生しました。地震の8カ月後に起きた豪雨でもそうでした。その経験から、誰もが正確な情報をすぐに得られる手段が必要だと感じ、ラジオ局の開局を考えました。国の制度に、災害時などにFM波を使ってラジオ局を設置する「臨時災害放送局」というものがあるのです。

 免許は市町村などに対して発行されるので、輪島市が取得して私と賛同してくれた有志が運営委託される形で、2025年2月からの試験放送を経て7月7日、正式に開局に至りました。現在は、月曜日から金曜日の昼12時から90分の生放送「まちのWA!」を含め、毎日24時間放送しています。「まちのWA!」では、生活情報や周辺の交通情報など、生活に必要な地域の情報も伝えていて、仕事や家事をしながら、多くの方々に聴いてもらっています。スタジオは、「まちのテラス」という仮設商店街に隣接して、商店街の中でいつもラジオが聴けるだけではなく、いつも買い物ついでに放送局の様子も気に掛けてもらっています。この場所に開局できたことには意味があります。まちのラジオを運営しているのは、20代から50代までの10人余り。ほとんどがほかにも仕事を持っていて、ダブルワークでやっています。

 正式開局して1カ月ほどたった2025年8月にはまた大雨が降ったのですが、雨の予報や道路の通行止め、バスの運行、避難所の開設状況などの情報を伝えました。

 河川や道路も震災前の状況には戻っていないこともあり、地域に住む方々は大雨などの自然災害にものすごく不安を感じています。そのため、自然災害が発生するリスクが高まった場合のほか、地域で停電が発生したときなど、地域の人たちに速やかに情報を伝える必要性があると判断したときには、スタッフが昼夜を問わずスタジオに待機し、いつでもリアルタイムな情報発信ができるように努めています。

まちのラジオのスタジオからは24時間ずっと放送が続けられている
まちのラジオのスタジオからは24時間ずっと放送が続けられている
仮設商店に隣接するラジオ局。芸能人などのサインが内外にいっぱい
仮設商店に隣接するラジオ局。芸能人などのサインが内外にいっぱい

町野のアシを確保する

 町野では、災害でタクシー事業者がゼロになってしまいました。このあたりから輪島市の市街地までは約20kmあり、市街地に向かう路線バスは災害後も運行していますが1日3往復のみ。運転しない人や道が悪いなかでの運転に自信がない人は、通院や買い物にも困っていました。それを解決するため、2025年1月10日から町野町在住者と町内で活動している人を対象に、“町野復興プロジェクト実行委員会”が「おでかけサポート・町プロ交通」の運行を始めました。

 その後、地域の生活に必要な交通手段と認められ、7月15日からは輪島市の事業「輪島市公共ライドシェア」になりました。運行エリアは、隣の南志見(なじみ)地区も含んだ東部地区に拡大され、南志見地区のタクシー会社と連携しながら、地区内の移動及び、市街地との往復を、平日のみ有料で運行しています。

事業を進めるお金と、遊びに来てくれる人

自由に使える安定的な収入

「輪島市公共ライドシェア」は、輪島市が事業費を負担していますが、「まちのラジオ」やそれ以外のイベント等の活動は、各種補助金・助成金のほか、多くの皆様方からのご寄付を活用して実施しています。しかし、補助金の多くは、使途や時期が限定されているなど制約があって使いにくく、申し込みのための申請書など書類作成にとても手間がかかります。

 実行委員会のメンバーはみなそれぞれに仕事をしているので、仕事の合間にそのような作業をするのがかなりしんどい状況です。現状、「人手不足」が課題となっている奥能登ですので、このままではスタッフが疲弊していかないか心配しています。

 わがままなのは承知していますが、もう少し使い勝手のいい、制約の少ないお金が、安定して入るようになると、持続的な事業を続けていけます。自分達で「稼ぐ」という方法も含め、そのような形を整えて協力していただけるようにしたいと思います。

まずは見に来て、話をして

 震災から2年以上経った今でも、能登に行くにはなにか力仕事などを手伝いに行かなければならないと思っている方もいらっしゃるようです。確かにまだ瓦礫や土砂の撤去、土木工事は続いていますが、町野はすでに次の段階に入っています。

 立派な旅館や観光施設があるわけではありませんが、「今、どんな様子なんだろう」と気軽にやってきて、歩いてみたり、町野の人と話したり。仮設商店街など、お店で買い物してもらえるのもうれしいです。

 その上で、自分だったらこんなことができそう、と考えてくれる人がいれば、もっとありがたいです。それは、現地でなくても、家に帰ってSNSで情報発信するなど、それぞれの経験や時間的余裕によって無理なくできる範囲で協力してもらえればと思います。

 その入口として、地元の人が来てくれた人といっしょに歩いて、昔からの暮らしのこととか、地震や豪雨の時の体験などを、世間話のように話せるような仕組みができるといいです。

 実行委員会では落ち着いて活動できる拠点を持ちたいと考えているのですが、そこにはそうした案内所の機能も持たせたいと構想しています。

笑顔で復興に向かっていきたい

ベースはみんなが「笑える日」

 震災の混乱のなかで1カ月が過ぎるころ、避難所で炊き出しをしていた飲食業の富成さんと、消防士の宮本さんと3人で「なんかしよう!」という話になり、とりあえず団体として設立したのが“町野復興プロジェクト実行委員会”でした。

▶シロシル能登
能登の自然を守り、世界に届けたい“日本料理 富成”

 大地震で命の危機が迫り、多くのものを失い、当たり前の生活がいつ取り戻せるのか見当もつかない状況でしたが、そういうときだからこそ、みんなが笑顔になれる機会はつくれないだろうかと考えて実現したのが、イベントの開催です。町でただ一人の開業医のドクター・大石賢斉さんもみんなの心身の健康のために「笑える日が必要」と話していたので、たいへんななかでも楽しい時間をもてるようなことをしようと、震災後約3カ月の2024年4月7日に「桜フェス」を開催したのが最初です。

▶シロシル能登
重機も操る医師が守る、輪島市町野町の再建と健康──町唯一の診療所“粟倉医院”

2024年4月7日に開催された「桜フェス」(画像提供:山下祐介さん)
2024年4月7日に開催された「桜フェス」(画像提供:山下祐介さん)
復興には笑顔がなくちゃ! 2024年4月7日「桜フェス」で(撮影 画像提供:山下祐介)
復興には笑顔がなくちゃ! 2024年4月7日「桜フェス」で(撮影 画像提供:山下祐介)

 外からの応援もあって、その後2024年9月まで毎月違った趣向で続けられたのですが、それも困難になったのが、2024年9月21日から降り続いた豪雨による災害でした。そこからはともかく民間のボランティアの受け入れ・手配でその年が終わりました。

 2025年に入ってようやく、これからの町野のために動き始める段階に入り、まちのラジオやライドシェアにつながっています。

 今後も町野のためになる事業などを通して、将来のまちづくりを視野に入れて持続的な活動をしていきます。

取材後記

 山下祐介さんは、町野の金蔵(かなくら)という集落に2016年に移住してきました。それまでは金沢で、法科大学院を修了して司法試験の勉強をしていたそうです。町野には父方の祖父母の家があり、高齢で健康も不安になった祖父母のために田植えや稲刈りの手伝いに通っていました。移住の前年、一通り米作りをやってみることにして金沢と町野半々の生活を送りました。

 農業経験がほとんどないなか、集落の人に助けられながら1年やってみると、このままでは10年先にはそこで稲作をやる人がいなくなってしまうという現実に気づきました。金蔵のお米は、おいしいと地元でも評判なのに。なによりも、山下さんはその風景が好きなのに。

 自分がやれば、この風景が残る。そこで翌年から新規就農という形で本格的に農業を始めることを決心したのだということです。

 その後、集落で飛び抜けて若い山下さんに、自分の田んぼを任せたいという人が次々に出てきて、1.6haだった耕作地が5年で10haまでになりました。耕作地の広がりに限らず、地域で頼りにされる次世代の立場になったことは充分に想像できます。それが、地震後の活動のベースになっているのでしょう。

 地震から2年余りが過ぎ、まちのラジオがモデルとなったドラマ『ラジオスター』がNHK総合「夜ドラ」で放映され、まちのテラスのなかには、山下さんの米粉おやつの店「こめとわと」もオープン。町野も山下さんも、着実に前に進んでいることが頼もしく感じられます。

【NHK公式】夜ドラ「ラジオスター」

事業者プロフィール

一般社団法人町野復興プロジェクト実行委員会

代表者:山下祐介(代表) 所在地:石川県輪島市町野町粟蔵ニ部80-10

記者プロフィール

柳澤美樹子

柳澤美樹子(旅行作家)

「旅・食・人」をテーマとした著述編集のため、日本中をまわっている。1996年にJTBから発行された『ひとり歩きの金沢能登北陸』を書くにあたって濃厚に能登を取材したことから、能登とのご縁を深め、能登半島地震発災以来、観光分野で能登を応援したいと活動している。 日本旅行記者クラブ個人会員・日本旅行作家協会会員
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