「能登上布(のとじょうふ)」は、石川県能登地方で神話の時代から織り伝えられてきた最高級の麻織物で、日本五大上布の一つに数えられます。約2,000年前、崇神(すじん)天皇の皇女が中能登地方で機織りを教えたことが起源とされ、蝉の羽のような透け感と、ひんやりとした涼やかな風合い、シャリ感と光沢を併せ持つ繊細で高級感のある麻織物です。
江戸時代に技術が向上し、明治時代には皇室の献上品に選ばれるまでになりました。最盛期の昭和初期には120軒以上の織元がありましたが、着物需要の減少などにより、現在は石川県羽咋市下曽祢町(はくいししもそねまち)の“山崎麻織物工房”一軒を残すのみとなっています。
2024年の能登半島地震では、奥能登地域に比べれば被害は少なかったものの、工房の周囲だけでも100棟に及ぶ建物が被災し、その後解体されました。地域には、数字だけでは測れない喪失感が残っています。
能登上布最後の灯を守る工房が、地震を経てもともし続けていく希望とは──。山崎麻織物工房4代目の代表・山崎 隆(やまざき・ゆたか)さん、その姪で将来工房を継ぐ予定の専務・久世英津子(くせ・えつこ)さんにお話をうかがいました。
[取材・執筆 籔谷智恵/構成・撮影 坂下有紀]
「もう終わりだ」と思った、元日のあの瞬間
山崎:山崎麻織物工房は1891(明治24)年に紺屋(染め屋)として創業しました。創業は130年余ですが、能登上布そのものは約2,000年の歴史を持つと言われている織物です。
かつてこの周辺には多くの織元がありましたが、現在は当社が伝統の技を継承する唯一の織元となりました。織元も織子も減少するなか、代々守ってきた伝統の技を次世代につなぎたいと能登上布を作り続けています。幸いなことに、近年は能登上布に魅せられ、情熱を持った職人が集まってくれて、通いと在宅のスタイルで働いてくれています。
私自身もサラリーマンをしていましたが、亡くなった父のあとを継いで4代目を務めています。石川県加賀市に家があり、平日は工房の隣の実家に住み込み、土日は加賀市へ帰る単身赴任のような暮らしを続けてきました。
久世:私は金沢市に住んでいて、普段は母の実家である羽咋市の山崎麻織物工房に通って仕事をしています。元はまったく違う仕事をしていましたが、2016年ごろから本格的に山崎麻織物工房の仕事に関わるようになり、今では商品企画や営業などを中心に能登上布の継承と発展に取り組んでいます。
令和6年能登半島地震が発生したあの日のことは忘れられません。年末年始は工房がお休みでしたが、毎年、元日は羽咋の山崎家に親族が集まるのが恒例で、2024年の元日も能登へ向かっていました。
地震が起きたのは能登に向かって車で走っているときでした。家には祖母が一人でいたので「急がなくちゃ! 里山海道が封鎖される前に行けるだけ行こう!」と車を飛ばし、到着したのは発災から30分後でした。

工房の1階は機織りの道具が少し倒れていた程度で、ほっとしました。しかし、2階にあがったときは言葉が出ませんでした。2階は織機にかける糸の下準備をする場所で、その機械がぐちゃぐちゃに倒れていたんです。機械はどれも古い木製で、同じものを新しく作ることはできません。
壊れてしまったら、うちのものづくりは続けられない。「もう終わりだ」と絶望し意気消沈していましたが、代表である叔父が詳しく調べて「何とか直せそうや」と言ったとき、一気に目の前が明るくなりました。

山崎:地震当日は加賀から羽咋に向かっていて、普段なら2時間くらいの道を3時間かけて辿り着きました。倒れた機械も、よく見れば私が直せる範囲で大丈夫という状態でした。その後は加賀の家と工房を行き来しながら、工房や母屋の片付けを少しずつ進めました。
久世:それでも工房の復旧には時間がかかりました。たて糸を巻き取る機械「整経機(せいけいき)」が故障して、生産は約1ヶ月間ストップしました。近所には解体せざるを得ない被害が大きな家もあり、この辺りでは2週間ほど断水するなど、生活面でも深刻な状況が続きました。

そんななかでも織り手さんたちが、発災10日後くらいから集まってきてくれました。皆それぞれに被災していたのに、断水のなかでも工房の片付けを手伝ってくれて、在宅で仕事ができるようになった人から機織りも再開してくれました。みんなのおかげで、発災から1ヶ月で工房は再稼働できるようになりました。

山崎:織り手さんは工房に通う人と、自宅で機織りをする人、合わせて19人います。農閑期に機を織る、昔からの地域文化のなかで続いてきた仕事です。なかには自宅が被災して引っ越さなくてはならない方もいました。そうすると機織りもできなくなるので、地震後すぐは生産量も全体的に落ちて、大変でしたね。



久世:工房は復旧できましたが、実は築90年の母屋が準半壊の判定を受けています。壁や梁などに大きなヒビが入り、床は最大で6cm沈んでしまい、応急処置だけでまだ直しきれていません。ようやく2026年の秋ごろに水平に直す工事の予約が取れました。専門家によると「現状維持で10年は持つけれど、それ以上は難しいかもしれない」とのこと。しっかりと後世に伝えていくには資金を投じた改修が必要だそうです。
山崎:この座敷は反物を見ていただくショールームでもありました。工房はものづくりを知る場所、ここは積み重ねてきた時の重厚さを感じられる場所です。その両方から能登上布の伝統を感じていただけるよう、昔ながらの土壁や木材の趣もできるだけこのまま残しつつ、安心してこの空間に来てもらえるように、専門家の方と相談しながら修復計画を進めています。

久世:現存の建物に耐震補強をする場合、機能を加える工事になるので、生業補助金は使えないと聞いています。伝統建築の改修にはまとまった資金も必要です。今はこの空間を守っていくことを目標に、出展の度に各地の皆さまからご支援を頂いている催事での販売を重ねながら、自分たちで資金を積み上げているところです。
灰と青の間、能登のひかり
久世:震災後は、復旧のため、能登の今を知ってもらうため、催事や展示会への出展を積極的に行うようになりました。展示会は主に東京、大阪、名古屋の百貨店で開催され、売り場に立っていると「能登が大好き」「能登にまた行きたい」と、皆さんが本当に温かい言葉を掛けてくださるんです。催事への出展が能登を知ってもらうきっかけになっていると感じられ、すごく嬉しく思っています。

震災があって、能登上布でしか表現できないこととはなにかを強く感じるようになりました。湿度が高くて雨もよく降る、能登の風景はいつもグレーがかっている。私はそれがとても美しいと思っています。その色を手織りの麻織物で表現することで、マットなグレーに透け感が出て、軽やかになるんですよ。
おそらく私たちの織物でしか表現できない、能登の色彩がある。それを都市で暮らしている方、能登を知らない方に、実際に織物を見ていただきながらお話しできると、これまでとはまた違う能登の魅力が伝えられると感じています。

被害が少なかったとはいえ、工房周辺の風景も変わってしまいました。2〜3キロメートル圏内で100軒ほどが解体されていて、倒れたままの建物、更地になった場所もたくさんあります。風景の変化はやっぱり心に堪えるもので、大きな喪失感がありました。でもそこで、記憶のなかにある能登の優しい風景が浮かんできて。そういうものを表現したいと、震災後は毎年のテーマを決めて発信しています。
2026年のテーマは「灰と青の間、能登のひかり」です。美しいとは思っても、ずっと天気が悪いと後ろ向きな気持ちにもなります。でも、いっときの晴れ間の光に、灰色の空、青空、どちらの美しさも教えてもらえる。その感覚を表現しています。
テーマについては、都会で開催している催事でも「能登の優しい色合いがわかる」と言ってくださり、伝わっている実感もあります。それが励みになって、一歩ずつ前に進めています。

日本の美意識を日常に
久世:私が能登上布の仕事に関わるようになったのは、2016年ごろのことです。ドイツでの見本市に出展したことをきっかけに、本格的に商品企画を担うようになりました。それまでは博物館に勤めていたので、織物の世界はまったくの門外漢でしたが、不思議と違和感はありませんでした。理由はおそらく子どものころの記憶にあります。


ここは母の実家で、夏休みや冬休みに訪れるたびに、祖父が仕事をしているのを目にしました。図案を一生懸命描いて、「この仕事を守るんや」という熱意が、背中から伝わってきました。その後ろ姿が、今の原動力になっています。祖父が頑張って守ってきたものを、自分なりの形で繋いでいきたい。多分、幼いころに祖父の姿を見ていたから、繋いでいきたい気持ちが強いんだと思います。
あと、私は絣(かすり)模様がとても好きなんですよ。単純に、かわいいと思う。「絣を一人でも多くの人に知ってほしい」と思っています。そのうえで会社のロゴには「絣を後世に伝えていく」「絶対に着物を守る」という二つの想いを込めています。

ただ、いくら私たちが能登上布の着物を着てほしいと思っても、着物を着るのが難しい方もいらっしゃいます。ストールや小物など現代生活で取り入れやすいものもご用意していますが、一方で身に纏ったときの凛とする感じは、なかなか伝わりにくい。纏った時の心地よさを伝えるには服が重要だと思い、2022年にファッションのブランド「凛装(りんそう)」も立ち上げました。
この「凛装」は「最高級の夏着物を味わう凛とした特別な日常着」をコンセプトに、着物や和装から着想を得た、伝統の手仕事でつくる能登上布の新たな装いを提案する上質な日常着のブランドシリーズです。
伝統的な夏着物の能登上布が持つ独特の麻のつややかさと、透けて張りのある服をまとう心地は、着物を着ると心が整うように、「凛(=心身を正す)」とした日本の美意識を感じることができます。デザインには和のテイストも入っているので、日本の美意識を感じられる日常着として、仕事用のジャケットとして、多くの方に手に取っていただけると嬉しいですね。


関わりシロ──能登上布を通じて、能登とつながる
実際に「能登へ来てください」と言っても、なかなかハードルが高いですよね。能登を移動するには車が必要ですし、土地勘がないとわからないことも多い。他県の方とお話ししていると、いまだに震災当初のように「奥能登へ行くのは迷惑がかかるから行かない方がいい」といった認識で、情報が上書きされていないとも感じます。
そこで私たちが県外のさまざまな売り場に立たせてもらい、能登の現状をお伝えすることで「もっと行っていいんだ」「能登へ行きたい」と感じてもらうことも大事だと思っています。一人ひとりとお話しする、草の根運動ですね。
能登上布を見かけることがあったら、立ち止まって見てみてください。催事や展示会で実際に布に触れていただくことも、能登の手仕事を知る大切な機会になります。すぐに能登を訪れることが難しくても、身の回りの接点から、関わりを少しずつ広げてもらえたら嬉しいです。

1)直営店・オンラインストアで能登上布をご覧ください
山崎麻織物工房では着物生地だけではなく、アクセサリー、ストール、洋服、さまざまなブランドを展開しています。工房に併設のSHOPで直に商品をご覧いただくことができますが、遠方の方はオンラインストアもぜひご利用ください。
現在、工房では一般の方の見学を受け入れています。工房の1階は見学無料、2階の特別工程の見学は4,000円で、見学は月~土曜(祝日除く)の事前予約制です。織機体験は受け入れを休止中です(2026年4月現在)。
2)展示会で能登上布をご覧ください
百貨店や展示会への出展のお誘いもたくさん頂くようになりました。能登上布がいろいろな形で、能登の自然風土、人々の暮らし、伝統、さまざまなものを伝えてくれると感じています。展示会やイベントの情報は公式サイト、SNSなどで発信しています。
取材後記
喪失感や悲しみは、定量化して測れるものではありません。それぞれの人が何をどう感じたか、見つめることがとても大事だと思いました。相対的には大きな被害ではないとしても、傷ついていないわけではない、比べてしまうと見えなくなるものがあると思います。
そのうえで、だからこそ、能登上布を伝えていく決意を新たに、さまざまな挑戦を続ける山崎麻織物工房の姿勢は、とても眩しく映りました。
Instagramの山崎麻織物工房の投稿からは、ものの美しさだけではない、人のあたたかな想いが感じられます。その理由が、今回の取材を通じて改めてわかった気がしました。丁寧につくられたものは、ただ「もの」であるだけではなく、その土地の風土や美しさまで伝えてくれます。「もの」を通じて、能登と繋がる。一つ繋がれば、そこから深まり、広まっていく。どういった形でもまず一歩踏み出すこと、その一歩が大切だと思います。


