石川県七尾市。能登の春を象徴する「青柏祭(せいはくさい)の曳山行事」。国の重要無形民俗文化財指定およびユネスコ無形文化遺産にも登録される日本最大級の曳山祭(ひきやままつり)だ。高さ12メートル、重さ20トンにおよぶ巨大な「でか山」が、狭い家並みをかすめながら走る姿は圧巻の一言。しかし、令和6年能登半島地震は、この伝統の祭りにも深い爪痕を残した。震災を乗り越えた今、いかにして祭りを復活させたのか。そして100年先へ何をつなごうとしているのか。“青柏祭でか山保存会”会長、副会長の御三方に「青柏祭」そして「でか山」への熱い想いを語っていただいた。
【出席者】
- 会長:府中町でか山総代 丸岡俊宏(まるおか・としひろ)さん
- 副会長:魚町でか山総代 髙瀨勝成(たかせ・まさなり)さん
- 副会長:鍛冶町でか山総代 藤橋和彦(ふじはし・かずひこ)さん
[取材・構成 米谷美恵/取材協力 七尾市]
三つの山町と連町がつくる伝統の組織図
─── 「でか山」は、それぞれの町内ごとに作るのでしょうか?



丸岡俊宏さん(以下丸岡、敬称略)
鍛冶町(かじまち)、府中町(ふちゅうまち)、魚町(うおまち)の山町(やまちょう)から三つのでか山、山車(だし)が出ます。でか山が誕生したころの七尾は、同業者が一定地域に集まってできた城下町で、「鍛冶町は七尾城の時代から銀治職人の集団が住み、府中町は四十物(あいもの・塩干魚)業者の町として、魚町は石崎村の移動漁業で魚の荷揚げ場としてなりたっていた」といわれています。山町は互いにその財力と心意気を競い合い、でか山の高さも大型化していきました。

七尾は、日本海交易の港町として栄え、海産物を扱う問屋や荒物店(あらものてん:日用品や生活雑貨を扱う店舗)が軒を並べていたといわれております。「北前船」の寄港地として大きく発展しましたが、明治以降の交通網の変化や鉄道の開通により、海運を中心とした流通の役割は次第に縮小していきました。
─── 祭りを運営する役割分担はどのようになっているのでしょうか。
髙瀨勝成さん(以下髙瀨、 敬称略)
まず「後見人(こうけんにん)」が山車の動きの指示を出します。実際に動かすのは若い衆ですが、「若衆頭」、「世話人頭」という役付きがその組織を束ね、全体をまとめています。

藤橋和彦さん(以下藤橋、敬称略)
部署も細かくわかれとるんです。綱は「綱元(つなもと)」、車輪は「車元(くるまもと)」、梃子(てこ)は「梃子元」。大体5〜6人ずつの組織になっとる。山車を動かすには、部署だけでも25人、そこに若い人が10人、20人と入って、でか山作りに常時60人。当日は運営に大体100人ぐらいが携わって、それにプラスして曳手(ひきて)が加わります。綱を曳く場所がないぐらいにギチギチになるときもあります。

震災の爪痕 。苦渋の決断から神社復活への歩み
───令和6年能登半島地震は、祭りにどんな影響を与えたのでしょうか?

丸岡
府中町の「印鑰(いんにゃく)神社」では、床下地面が沈下してしまい、拝殿の引戸が開かなくなりました。また、倒壊したフェンス、漏水する水道管や山車の部材を収蔵している「山蔵(やまぐら)」の土壁や床の張り替えなどの修繕が必要になりました。鳥居は倒壊こそしませんでしたが、ヒビが入ってしまい放置しておくと危ないということで、ようやく去年(2025年)の暮れに補強工事を終え、二年がかりで一通りの修繕を終えることができました。
藤橋
鍛冶町は、山蔵が傾いて倒れる寸前でしたので、鉄骨を入れて補強しております。
髙瀨
魚町は、震災前は約1,400世帯ありましたが、この震災で仮設住宅に行ったり更地になったりで、約230軒減っています。これだけ世帯が減ると、祭りの協力金についても考え直さなくてはいけないと思っとります。

丸岡
令和6年能登半島地震は体験したことのない規模の災害でしたので、先のことはまったく見通しが立ちませんでした。そんななかでも「祭りをやりたい」という気持ちが強く、「5月には道路も直って祭りができるんじゃないか」と楽観的に考えもしましたが、まったくの的外れでした。祭りの準備に2か月以上かかることを考えると3月に入ってからの判断では遅いので、2月には「中止」の判断をせざるを得ませんでした。
───それから1年経った令和7年。2年ぶりの祭り完全復活までには大変なご苦労があったと聞いています。

髙瀨
山町(府中町・鍛冶町・魚町)で動けるところは動きながら、「ここの道路、この場所がダメ」などの調査をしました。一番気をつかったのは電線の下をでか山が通れるかどうか。電力会社にも「本当に大丈夫か」と何度も確認しました。七尾にはでか山を通すために、全国で1番背が高いと言われる電柱もあるしね。
丸岡
電柱を高くしないと、12メートルあるでか山が動けないからね。
髙瀨
12メートル以上の高さがあるでか山はダメだって。組み立ての完成間近には、電力会社が高さを測りに来る。
丸岡
電線がギリギリになるところは、実際にでか山が通れるかをチェックしていました。民家に引き込む電線でちょっと引っかかったところがあったね。4月に入っても道路工事は続いていたし、まさにギリギリのタイミング。「ようやく開催できた」という思いでした。
青柏祭、でか山は春の訪れとともに始まる、能登の祭りの先陣を切る祭りです。ほかの地域も「でか山がどうなるか」と注目していました。なんとか「復興ののろし」をあげられたかなと思います。
でか山の醍醐味 は「大梃子 辻回し」。深夜から始まる過酷な奉納
─── 青柏祭の1番の魅力はどこだと思われますか?


藤橋
でか山が、90度、直角に曲がるところやね。
丸岡
ハンドルのない山車を90度方向転換させるんです。4つの車輪に加えて「5番目の車輪」があって、テコの原理を利用して、大梃子(おおてこ)で山車を一時的に浮き上がらせて、「5番目の車輪」に心棒を入れると、そこが軸になって回るんやわ。まさに先人の知恵です。
藤橋
大梃子の角度やらなんやら、場所によって違うことを全部覚えていかんならんし。山を止める位置で微妙に曲がり方が違うから、必ず同じところに止まるというわけじゃない。山ごとに同じ動きじゃないし、毎年作っていても同じようにならんから、その年その年の動き方を見極めながらやってかんならん。「今年の山はこんな感じやな」と。それはやっぱり経験がないとなかなかできない。そう考えると、ある程度責任をもつ立場になるまではゆうに10年以上はかかる。
───運行スケジュールもかなりハードだと伺いました。
丸岡
府中町のでか山は、深夜1時に動き出して朝方の7時に 大地主神社(山王神社)に奉納するのやけど、休憩して自分の地元に戻るのはその日の夕方。寝る間がないのです。
髙瀨
各山で動く時間帯が違うんです。僕らの動き出しは朝の8時やからまだ楽な方で。5月3日は1番激しい夜山の迫力が見られます。終わるのは23時ぐらいですかね。21時ぐらいに曳き始めて、短い距離を2時間ぐらいかけてゆっくりゆっくり、楽しみながら、惜しみながら進んで、最後の見せ場を作っとるわけです。
丸岡
でか山は民家の屋根よりも高く、軒先をかすめるように走るんやけど、震災後、家屋の解体が進み、ぽっかりと空いた空間が広がっいて、これまで見てきた景色とは、少し違って見えるね。ぶつける場所が少なくなったけど、寂しいね。
将来のでか山の車輪を作るためにケヤキを植樹

───運営面で困っていることはありますか。
髙瀨
震災前からもずっと変わらないけど、祭りの担い手の確保やでか山の部材(材料)不足ですね。なかなか手に入らない。
丸岡
天然のケヤキとかカシとか硬い木が必要なんやけど、使えるようになるまでは100年くらいかかる。20年くらい前に、3町ともでか山の車輪を作り替えたんやけど、そのときはアフリカのブビンガという巨木を使いました。府中町の総事業費は2,600万円ぐらいかかりました。以前の古い車輪は80年ぐらい使っとったという話です。
藤橋
車輪も木材を組み合わせて作っとるんですよ。芯材になるところと、その芯の周りを囲む「駒(こま)」を組み合わせて丸い車輪にして。大工さんや造船関係の技術が必要なんです。でも最近はそういう技術をもった人はもうおらんけどね。
髙瀨
昔の材料はケヤキやった。今じゃ太いケヤキなんて手に入らないし、あってもすごいお金がかかる。
丸岡
だから、将来に向けて部材を確保するために、ケヤキの木の植樹をしているんです。「七尾市希望の丘公園」の一角に、市が提供してくれた「でか山の森」があって、これまでに200本ぐらいの樹木を植えました。年に2回、関係者が集まって草刈りをやっとるんです。でも、材料になるころにはうちらは誰もおらんだろうけど(笑)
将来の祭りの担い手の子どもを育てていく
─── 伝統をつないでいくために、どのような取り組みをされていますか。
髙瀨
鍛冶町さんは、小学生に教えているね。組み立てができたころに、小学4、5年生を呼んで、「山の高さ」や「重さ」についての質問を受け付けたり、道具をさわらせて山を少しだけテコの原理で動かしてみたり。そうやって関心をもってもらう。
藤橋
そうそう、興味をもった子が山に入ってきてくれることを目的としてスタートさせた事業やわいね。
髙瀨
鍛冶町さんは、子どもに「木遣歌(きやりうた)」を教えて、本番に子どもを山に乗せて動かすこともやっとる。経験のある子は、やっぱりまたやりたがりますから。
丸岡
そういう子どもがまた大きくなって、20歳近くなると若い衆に入ってくる。僕らも、子どものころの思い出が今も生き続けているから、後世に引き継いでいこうという気持ちで、祭りを保ち続けています。
青柏祭へ参加する皆さんへ
───最後に、来場される方へメッセージをお願いします。

丸岡
でか山は日本一でかい曳山で、荒々しい祭りです。実際にでか山を見るとその大きさに皆さん驚かれますわ。
藤橋
観光客の方は「曳いていいんかな」と迷うかもしれんけど、普通にふらっと来てください。難しいことはありませんから、どうぞ参加してください。
髙瀨
朝、来てくれたらいい。軍手も配布しとるし。町内関係の特別な装いでなくても大丈夫ですが、サンダルじゃなくてスニーカーを履いて、足元だけは注意してください。
丸岡
最近は、スマホで、でか山の位置情報がわかるようにもなりました。「青柏祭の曳山行事(でか山)」は、大地主神社に奉納するまでは、神事としてでか山を巡行します。5月4日の青柏祭の神事では、注連切り(しめきり)の神事(結界の儀)が行われ、宮司が参道の青竹に張られた注連縄を太刀で切り落とすと、祭儀が祝祭に移る。「これまでは神社の神事であったものが、これからは氏子の祭りなる」とされています。

藤橋
震災の影響で泊まるところがなかったり、地元もまだ復興の途上やから不便なことがあったりするかもしれんけど、ぜひふらっと来てみてください。
丸岡
昔は、1年に1回、農作業を終えて一息つくころに、七尾の町に出て、でか山を見て、露店で賑わう街を歩く……。それが楽しみやったみたいです。ぜひ、一緒にでか山を曳いて、その迫力を体感してください。
取材後記
山町の誇り
お三方の話から感じたのは、先人から受け継いできた祭りを次の世代につないでいくために「当たり前のことを当たり前にやる」ということ。震災の瓦礫(がれき)を片付け、電線の高さを測り、100年先の木を植える。目の前の問題の解決に向け、たんたんとできることを積み重ねていく。とはいえそこには悲壮感はなく、でか山を運営すること、そして未来へつないでいくことは、みなさんにとっては当たり前のことなのだと感じました。でか山は七尾の人たちの日常の一部であり、誇りでもある。今年のゴールデンウイークは七尾を訪れ、でか山の熱を実際に感じてみたいと思います。

