能登町宇出津(うしつ)の街外れに、40年あまり地元の人たちから愛されてきた“ぶらんか”という喫茶・スナックの店があります。令和6年能登半島地震後、ママさんとして店を切り盛りしてきた店主の西田由紀子(にしだ・ゆきこ)さんが、避難生活や高齢のために店をたたむことを決断。しかし「店の灯りを消したくない」という声が上がり、地元出身のイラストレーターで漫画家の「なとみみわ」さんが経営を引き継ぐことになりました。
35年間の東京生活を経て故郷に戻り、震災を経験して「何か自分にできることはないか」と模索していたなとみさん。スナックはもちろん飲食店の経営は初めてで、4月17日のプレオープンに向けて奮闘しています。そんな「新米ママ」に、新たな店や町への思いを聞きました。
[取材・構成 関口威人]
久々の「あばれ祭り」で「やっぱり宇出津」
私、なとみみわは「なとみ」が姓で「みわ」が名前。このひらがなのペンネームでずっと仕事をしています。
18歳で宇出津を離れ、東京に出てからも里帰りはほとんどしていませんでした。しかし、ケアハウスにいた母が姉と同居することになって、姉になぜかと聞いたら「お母さんと過ごせるのは最後かもしれない」って言われて、「じゃあ私も帰ろう」と。震災のちょうど1年前、2023年の3月に石川に帰ってきました。
最初は金沢市近郊の姉の家に住むつもりだったんですが、東京生まれの息子も一緒に行くというし、犬もいたので姉の家の近くで部屋を借りて住み始めました。ところが結局、母は施設から出てこない。一方で、久しぶりに宇出津に戻って「あばれ祭」を見たら「やっぱり宇出津がいいな」って思って。そこで、宇出津の実家をリフォームして母と住もうと準備に入りました。そんな矢先に、震災が起きたんです。

漫画や炊き出しで奥能登を支援するも無力感
2024年1月1日の夕方は、富山県にいました。家族でお茶をしにいこうと、元日もやっているという富山市内のスタバに向かって車を走らせていたんです。そうしたらあの地震。そんなに揺れは感じなかったのですが、とりあえず高速道路を下ろされ、近くのコンビニの駐車場に車を停めてスマホを見たら、目を疑うような状況で。私たちのいる場所も津波警報区域。どんどん送られてくる友人や知人からの安否確認の連絡。ネットからも「逃げろ逃げろ」と絶叫するアナウンサーの声が聞こえ、慌てて山の方へ。これは本当にやばいなと思いました。
携帯はつながったので姉や母にも連絡が取れ、一安心。その後、なんとか石川に戻れ、姉の家も母の施設も私の住まいも大きな被害はなかったのですが、心配だったのは能登町や輪島市、珠洲市などの状況でした。親戚や同級生が家の倒壊やガラスなどの散乱で家の中にいられず、車中泊や避難所で過ごしていると言います。なんとか力になりたいのに、何もできない無力感。歯がゆい思いが募りました。
震災以前から、私は地元紙の北國新聞で義母の介護を題材にしたエッセイ漫画の連載をもっていました。地震後は被災地から届くほっこりした話を「のとはやさしや」というタイトルで描き続けました。
さらに、この年の2月にはキッチンカーを購入しました。料理は得意ではなかったのですが、お酒が好きだったので、いつか「旅するスナック」として移動スナックをしたいという夢があったんです。調理師免許をもっている息子と一緒に営業許可を取って、各地の炊き出しや復興イベントに参加。息子がつくる能登豚を使った豚丼などを提供しました。
それでも、私は安全な場所にいる。奥能登の知り合いから復旧・復興の話を聞くたびに「みんなは頑張っているのに私は……」という後ろめたさを感じていました。結局、震災でいったん止まっていた実家のリフォームを進め、昨年の8月に母と一緒に宇出津へ戻ってきました。

「“ぶらんか”引き継いで」に「故郷への恩返し」と決断
そうしたら今年の2月に入って、知り合いから「 “ぶらんか”を引き継いでママをやってくれんか?」と声をかけられました。
宇出津のスナック“ぶらんか”といえば地元では有名で、私も東京にいたころ高校の同窓会の2次会で飲みに行っていました。そこが震災後、ママ(西田さん)が閉店を決め、売りに出されていることは聞いていました。
初めは迷いましたが、実際にママとお会いしたら「なとみさんだったら、ぜひ譲りたい」と言ってくれて。常連さんたちがみんなでお金を出し合い、クラウドファンディングもやろうという話になってきて。
私も宇出津に戻って痛感していたのは、とにかく食べるところがない、夜の灯りがないこと。震災の影響もあって、街からどんどん活気が失われていく。
私が子どものころによく遊んでいた公園は消え、学校帰りに寄ったストアも駄菓子屋もなくなりました。空き地になった思い出の場所を見つめながら、まるで思い出が削られたようでした。
私は大好きな人たちとお酒を飲んで、おいしいものを食べて、やいのやいの笑いながらしゃべりまくる時間がとにかく大好き。1日の疲れも吹っ飛んで「また明日頑張るぞ!」と、パワーがフルチャージできるんです。街にはそういう場所が絶対に必要。私が“ぶらんか”を引き継いで、能登の憩いの場を守り、また次の誰かに渡す。それが今、大好きな故郷にできる「恩返し」になる。
「よし、やろう!」と決めました。

これまでの雰囲気は残して、新しい食事や使い方を
一度閉店して店内のものはほとんどなくなっていたので、イスやテーブルから冷蔵庫、カラオケ機器やお酒などは新しく買わなければなりません。
ママは「なとみさんの好きなようにやって」と言ってくれたんですが、ママのファンもいっぱいいますから、そういう人たちの期待に応えるためにも雰囲気は残して、常連さんたちが愛してやまない「山崎」のウイスキーもそろえてと思っています。私は味がわからないんですが(笑)
その上で、新しい“ぶらんか”としてお昼の時間帯はランチ営業をするつもりです。洋食をベースに息子のつくる豚丼や能登の食材にこだわったメニューを出せれば、「きょうは“ぶらんか”でご飯食べよう」って、地元の人たちも気軽に来られる場所になるかなと。
夜はスナックとカラオケがメインですが、ほかにもいろいろな使い方ができたらと思っています。今、町にはカラオケボックスもないので、若いお母さんたちが子どもの運動会の帰りに打ち上げをしたいとか、高校生がみんなで歌いたいとか、そんなときに貸し切りで使ってもらえるといい。いろんなイベントやコラボもしてみたいので、皆さんからのお声がけもお待ちしています。
能登にはネットで検索しても出てこないような小さなお店や宿が結構あります。そういうお店の情報を集めて、まだ能登に来たことがない人とか、行ってみたいけれど、どうやって行けばいいのかわからない人、「食べるところがあるのかな」って心配な人に宿を探してあげたり、お店を紹介してあげたりする。とりあえず「“ぶらんか”を目指して来て」という入り口、拠点になればいいなと思っています。
まず4月17日から19日のプレオープンに間に合わせなきゃいけません。最低限のものをそろえて、「こんな雰囲気で、こんな料理やお酒を出せるよ」とわかってもらえればいいかなと思っています。そして5月1日から本格的に開店します。これから能登は本当にいい季節に入ります。ぜひ能登に遊び来るときは“ぶらんか”に立ち寄ってください!

取材後記
取材に訪れたのはちょうど新しいカラオケの機械が入った日。「きょうから歌える日なのよー」となとみさんに誘われ、打ち合わせに来ていたプロジェクトメンバーに混じって私もお酒を飲みながらカラオケに興じさせてもらいました。なとみさんも(アルコールなしで)昭和歌謡を熱唱。大いに盛り上がったあと、それぞれは帰宅の途に着き、私は一人でカウンターの裏にある部屋で寝かせてもらうという貴重な経験をしました。
本当は正式な宿泊場所にもしたいそうですが、そこはさすがに準備が追いつかない様子。車で来店の際はハンドルキーパーを確保するなど、お気を付けください。それにしても、ここから本当の復興のパワーが生まれる予感がしました。

