ロゴ
「ちょんがりぶし」で知られる“日本発酵化成”。震災を経て新たな一歩を踏み出し、焼酎を造り続ける意味とは?

「ちょんがりぶし」で知られる“日本発酵化成”。震災を経て新たな一歩を踏み出し、焼酎を造り続ける意味とは?

日本発酵化成株式会社

更新日:2026年3月29日

 石川県唯一の本格焼酎専門蔵として知られる“日本発酵化成”(にほんはっこうかせい)。戦後、満州に設置された大陸科学院でビタミン研究の第一人者であった鈴木梅太郎(すずき・うめたろう)のもとで醸造や発酵を学んだ創業者が、故郷・能登で一旗揚げようと立ち上げたのだという。焼酎を作っているのに社名に「酒」「焼酎」の文字がないのは、もともと海洋研究や発酵に関する事業を多岐にわたって手がけていたから。合成清酒から芋焼酎、そして麦焼酎へ。時代を先読みしながら歩んできた焼酎メーカーはいま、能登半島地震という未曾有の試練に直面している。石川県珠洲市に本社、蔵を構える“日本発酵化成”代表の藤野浩史(ふじの・ひろふみ)さんに、震災から丸2年が過ぎたいま、焼酎づくりへの思い、そして能登の未来を聞いた。

[取材・構成 米谷美恵/撮影協力 水口幹之]

「今は売らずに造れ」。その理由は?

 米がない時代の合成清酒から始まり、芋焼酎、そして麦焼酎と今にいたっています。しかし、日本酒で知られる石川県ですから、創業当時は「安酒なんていらない」と厳しい言葉を浴びせられたこともあったようです。そんなとき、創業者である祖父は「焼酎は日本酒とは違い寝かせておくことでおいしくなる。だから『今は売らずに造れ』」と言ってあえて売らない期間があったと聞いています。

 その後、県議会議員を何期か務めた祖父は、国政に挑戦して落選。会社も行き詰まってしまい、一時焼酎づくりを止めていたのですが、なぜかその間に焼酎がいい具合に熟成され、売り出しを再開したのだそうです。

 焼酎は、ウイスキーと同じように何年も熟成させることができます。現在、古いものだと40年以上の焼酎もあります。出来立ての焼酎は荒々しい味がしますが、時間の経過と共に、度数の強さをあまり感じさせない柔らかな味わいに変化していきます。ウイスキーは古くなるとすごく付加価値がつくんですが、焼酎の場合、なかなかそうはいかず……。

遅々として進まない補助金申請や工事。製造再開まであと3年!?

現在店頭に並んでいる焼酎のラインナップ
現在店頭に並んでいる焼酎のラインナップ

 当社では、コロナ禍のころから製造が止まっていますから、今、残っている焼酎は、最低でも作ってから5〜6年は経っています。震災で設備がダメになって、焼酎を造れなくても営業を続けていられるのは、これまで熟成させてきた焼酎があって、それを瓶に詰めて販売できているからなんですけどね。でも、商品によっては今年、来年でなくなるものもありそうです。

 地震のとき、タンクから焼酎が漏れることはありませんでしたが、ほとんどが傾いてしまい、ボランティアの方に手伝っていただいて、なんとか立て直した状態です。

震災で傾いたタンク。新しい建物に移動するのは大きな費用と労力が見込まれる
震災で傾いたタンク。新しい建物に移動するのは大きな費用と労力が見込まれる

 それを修理するためのなりわい補助金を申請しているのですが、その工程が複雑で時間がかかっています。それが終わらないと次の工事に進めません。また、地元の業者さんにお願いしたいのですが、みなさん手いっぱい。工事の依頼先を探すだけでも時間がかかっています。そうこう考えると、製造再開までにはまだ3年くらいかかる見込みです。

あれは夢!?  倒壊した家から逃げたあの日

壊れた家から命からがら逃げ出した (画像提供:藤野浩史)
壊れた家から命からがら逃げ出した (画像提供:藤野浩史)

 令和6年能登半島地震が起きたときは、母と一緒にいました。古い家なので、潰れる、圧死するのではないかと思いました。でもとっさに逃げ込んだ場所の屋根が開いたんですよ。そこから母を連れて逃げたんです。あのときは夢を見ているかのように感じていました。

 家の居間で寝ていた病気療養中の父を助けに行こうとしましたが、家が倒壊しているし、裏からも入って行けない。津波警報も出ていたので、今助けに行って津波が来たら死んでしまうかもしれないと思って、母に「諦めて逃げよう」と言ったんです。幸いなことに避難所で電話が通じて、父が無事だとわかっんです。翌朝、どうにか助けに行くことができました。

 自宅は全壊でした。私と妻、子ども2人は、敷地内にあった離れが無事だったので、今はそこに住んでいます。震災の直後は本当に、夢か現実かわからないような感覚でした。私自身はほとんど避難所には行かず、車の中か、真っ暗な家でキャンプ生活みたいな感じで過ごしていました。妻と子どもは2か月ほど避難所に、両親は病気もあるので金沢のみなし仮設住宅に移りました。
ひどい地震があっても混乱しなかったのは、地域のコミュニケーションがあったから

 私は珠洲で生まれ育って、ほとんど外に出たことはありません。ここは自然も豊かですし、住みやすい場所だと思います。都会に行くと、みなさん忙しそうにされていますが、ここではそういったこともありません。

 震災後は、ずいぶん人が減ったなと感じています。新聞などで公表されている数字よりもだいぶ減っているのではないでしょうか。でも、あれだけひどい地震があったのにも関わらずそれほど混乱することもなく過ごせたのは、避難所に行っても顔見知りが多く、コミュニケーションが取れていたから乗り越えられたのかなと思っています。

 私が小さいころは、珠洲にはたくさんの子どもや若者がいました。でも最近は、子どもの同級生もどんどん減っていっているし、外に出てしまう若い世代も少なくありません。

飯田町燈籠山祭りの様子(2025年7月筆者撮影)
飯田町燈籠山祭りの様子(2025年7月筆者撮影)

    私が生まれ育った飯田町の人にとって、燈籠山(とろやま)祭りは特別なものです。でも準備をする人が減ってしまった。うちの町内で小学生のいる家は1軒だけになってしまいました。昔は子どもの踊り手がいるのが当たり前だったのに、今は純粋に飯田で育ったという子がとても少なくなりました。各家庭がお金を出しあって祭りを支えてきたけれど、家が減れば当然そのお金も減るのですから、これから祭りを続けていけるのか、心配です。 

 それでも、悲観ばかりしているわけでもないんです。能登全体で言えることかもしれませんが、落ち込んでいる人が少ないと思います。皆、なんとかなるだろうくらいに思っているのかもしれません。

能登で焼酎を造り続ける意味は?

焼酎が寝かされているタンクの前で。夫婦二人三脚で苦難に立ち向かいます
焼酎が寝かされているタンクの前で。夫婦二人三脚で苦難に立ち向かいます

 石川県は日本酒が有名な県なので、「能登の焼酎」と言うと「え!?」という反応が返ってくることが多いです。

 でも、私は能登で焼酎を造ることに意味があると思っています。夏は暑く、冬にはタンクに雪がかかる。そういう寒暖差は熟成された焼酎の味に影響していると思うんです。焼酎は年を重ねると柔らかくなる。出来たての荒々しさがなくなって、度数の強さを感じさせない、まろやかな味わいになっていく。それが能登の焼酎の個性だと思っています。

 これから建設予定の製造所は今より小さい規模になりますが、焼酎だけにこだわらず、ジンやスピリッツなど、違う原料やスタイルのものにも挑戦したいんです。それが少しでも珠洲の役に立てたらうれしいです。

編集後記

 取材のあと、「酒好きだがふだんはあまり焼酎は飲まない夫におすすめの焼酎は?」と藤野さんに相談したところ、10年貯蔵の「富士の華」を薦めてくれました。案の定「口当たりがいい」と言いながら、夫はその日の気温に合わせて、お湯割だったり、ロックだったりにして晩酌を楽しんでいます。その様子を見ながら、いまだに傾いているタンクの中で、10年もの長い間、熟成されてきたんだなぁと思うと、感慨もひとしおです。夫が言うところの「口当たりがいい」=藤野さんのおっしゃった「やわらか」という意味でしょうか。

 地震のあった日、命からがらで家から逃げたという藤野さん。そんなことがあったとは想像できないくらい、淡々と、でも力強く、生まれ育った珠洲のまち、そして焼酎づくりへの思いを話してくれました。今なお、復旧の最中、震災被害の修復が終わって焼酎作りを再開できる3年後、藤野さんにとってはようやく復興の日が訪れるのかもしれません。

事業者プロフィール

日本発酵化成株式会社

所在地:石川県珠洲市野々江町ア部58番地 代表者:藤野浩史

記者プロフィール

米谷美恵

米谷美恵(インタビューライター)

インタビューライターとして20年以上にわたり、メディアや企業、自治体など、さまざまなジャンル、媒体で2,000人以上の方々にお話を聞いてきました。好物は「人の話」。人、場所、物、想い。そのすべてに寄り添ったコンテンツ作成を心がけています。話し手の言葉に耳を傾け、ことばを整え、読んだ人の心に届くように形にしていく──。「対話から生まれる想い」を大切にしています。
「ちょんがりぶし」で知られる“日本発酵化成”。震災を経て新たな一歩を踏み出し、焼酎を造り続ける意味とは? - シロシル能登