石川県珠洲市正院(しょういん)町の仮設商店街の一角に漂う、どこか懐かしく甘い香り。2024年元日の能登半島地震で全壊になった“おきな軒菓子舗”が、2025年2月から仮設店舗での営業を再開しています。
「嬉しかったです。仕事ができるだけでも、ありがたいことです」と語る、三代目店主・瀬戸一盛(せと・いっせい)さんの言葉の奥には、自分の店の復活にとどまらない、静かな願いがありました。珠洲の和菓子屋がみんな元気になってほしい。お菓子が人を元気にするという、三代続く菓子職人としての確信からくる願いです。
[取材・写真・構成 伊藤璃帆子]
「京都から珠洲の味に」。三代つないだ「たいこ饅頭」

“おきな軒菓子舗”の三代目、瀬戸一盛です。
うちは2026年で創業66年になります。初代の祖父が京都の「翁軒」(現在は閉業)で修行して、のれん分けしてもらって珠洲で始めた店です。京都仕込みの技を珠洲の文化と人の好みに合わせて作り直したものを、三代にわたって引き継いできました。基本のレシピは変えていませんが、甘さや柔らかさは時代に合わせて少しずつ更新しています。

私は自宅兼店舗という環境柄、家族が働く姿を見て育ったもので、自分も自然と継ぐものかな、と思っていました。製菓学校には行かず、金沢の老舗和菓子店2軒で計8年修行して、一級菓子製造技能士も独学で取りました。

能登の和菓子には面白い特徴があります。金沢から奥能登に向かうにつれて、和菓子のサイズがだんだん大きくなるんです。うちの「たいこ饅頭」は、金沢以南の和菓子と比べるとおよそ2倍の大きさ。ずっしりとした存在感が、珠洲の菓子らしさなんです。
「仕事ができる、それだけで嬉しかった」。震災から仮設店舗オープンまで

2024年の元日、私は金沢で修行中でした。珠洲にいた父と母が被災したと知ったのは、その日のうちのことです。
実家の店は、ちょうどリフォームの最中でした。2023年5月の地震で準半壊と判定されたため耐震工事を施し、12月にようやく外壁が仕上がったところでした。翌年1月4日から内装に着手する予定だった矢先の、元日の大地震でした。自宅は全壊。積み上げてきた準備が一瞬で消えました。
転機が訪れたのは震災から3カ月ほど経ったころです。石川県小松市で和菓子店を営む父の旧友が、「厨房の空き時間を使っていいよ」と声をかけてくれたんです。それで、「たいこ饅頭」を焼いて珠洲に届けることを始めました。小松から珠洲まで、車で片道3時間。着いたら菓子を渡して、家や店の片付けをして、また小松に戻る。苦しい日々でしたが、行き帰りの道の駅に立ち寄って販路を開拓するという前向きな動きも生まれました。

そして、ようやく完成した仮設店舗。引き渡しが2025年1月26日で、オープンが2月14日。地元のお客さんはもちろん、復興のために入ってきている業者さんやボランティアの皆さんなど、たくさんのお客さんが買いにきてくれます。嬉しいです。仕事ができるということが、本当にありがたくて。
「なくなって初めて、わかった」。お菓子が染み込んでいた珠洲の日常

小松からたいこ饅頭を届けるたびに、お客さんの言葉が増えていきました。「違うやつも持ってきて」「いも菓子は、いつできる?」「こんど小さいのもほしい」。
そのとき改めて気づいたんです。お菓子も、珠洲の暮らしに欠かせない文化のひとつだったんだと。当たり前にそこにあったから、なくなって初めて、どれだけ日常に染み込んでいたかがわかる。とくに「たいこ饅頭」は、珠洲の冠婚葬祭の場でずっと使われてきたものですから。

現在「たいこ饅頭」を作っているのはうちと「多間栄開堂(だまえいかいどう)」の2軒だけです。私が子どものころは25、6軒ありました。後継者不足で10軒になり、震災でさらに7軒に落ち込んで、今は2軒。特別なことをしているわけじゃないんです。でも、誰かが続けなければなくなってしまう。
「大きいのが自慢なのに、小さい方が喜ばれる」。ミニ「たいこ饅頭」が生まれたわけ

うちの「たいこ饅頭」は大きい。それが自慢であり、珠洲の菓子らしさでもあります。でも私が三代目として考えたミニ「たいこ饅頭」は、その真逆の発想から生まれました。
奥能登国際芸術祭で小さいサイズを出してみたら、いろんな味が食べたいというリクエストがどんどん来て。大きい「たいこ饅頭」は一個食べれば満足感がある半面、いろいろな味を試すことが難しい。ミニにすることで、その扉が一気に開いたんです。今は季節ごとに10種類ほどの餡を揃えています。能登産かぼちゃやミルク、抹茶、ほうじ茶、紅茶、ブルーベリーなど。

大きさへのこだわりを手放したわけじゃないんです。でも、小さくしたことでより多くの人に「たいこ饅頭」の世界が届くようになった。いろんな味を少しずつ楽しんでほしいという気持ちが、ちゃんとお客さんに届いている気がします。
「自分の店だけではなく、みんなで」。珠洲の菓子屋へ、エールを

実は、他の和菓子屋にも復活してほしいと心から思っているんです。
お菓子屋が元気になれば、地元の人も元気になると思っていて。今日はあそこのを食べようかな、明日はここのにしようかな、って選べる状態がいい。選べること自体が、暮らしの楽しさじゃないですか。震災で一気に失われた選択肢が、少しずつ戻ってくることが、珠洲の日常の回復だと思っています。

私たち“おきな軒”の目標は、元の場所での再建です。更地になったままの土地が、仮設店舗から車で3分のところにあります。仮設の契約期間は3年なので、それまでに目処を立てて帰れるように。現在は珠洲と野々市の2拠点で動きながら販路を広げています。七尾の道の駅を足がかりに各地への納品も増えてきました。
県外の皆さんも、ぜひ珠洲にお越しください。食べものはおいしいし、魚もおいしい。人もあったかくて、やさしい。都会から少し離れたいとき、田舎の空気を吸いに来てくれたらと。そのときには、ぜひ「たいこ饅頭」を買いに来てください。
取材後記

この日のインタビューには、三代目の一盛さんとともに、二代目の有朋(ありとも)さんにもご同席いただきました。ただ、お父さんはずいぶん控えめ。「息子に任せることに決めているから、三代目だけでいいんです。私は引退したら温泉でも周りながらのんびりお菓子を売りたいと思っていますよ」。そう笑いながら、インタビューの場をほぼ一盛さんに譲っていました。
窮地のなかにチャンスを見出せる、三代目の視野の広さと前向きさが、頼もしく映りました。二代目がそっと後ろに引いて、三代目に場を委ねる。そのやりとりを見ていて、“おきな軒”の次の時代は、もう始まっているのだと感じました。

