のと里山空港から珠洲市内に入って、しばらく車を走らせると目に飛び込んでくるバウムクーヘンのオブジェ。メルヘン日進堂の目印だ。その4代目で代表取締役石塚愛子(いしづか・あいこ)さんは令和6年能登半島地震のとき、見附島を臨む自宅2階で過ごしていた。押し寄せる津波、倒れる電信柱、流される車、昨日まであった道がわからない。ただ見ている以外なすすべがないまま、石塚さんは不安な一夜を過ごしたという。
翌日、水が引いた道なき道を石塚さんが向かったのはメルヘン日進堂。水道は止まり、スタッフは二次避難しているのだから当然店は開けられない。しかし「ここで立ち止まるわけにはいかない」と、ボランティア団体に工場を開放し、地元企業の協力でトイレカーを設置、キッチンで作った炊き出しを地域の人に振る舞った。
震災時のそれらの活動は大きく評価され、石塚さんは令和7年度「いしかわ女性のチャレンジ賞」を受賞。これまでの経験や知見を基に、売るだけではなく、能登・珠洲というこの場所でしかできないこと、美味しいお菓子を全国の人に知ってもらうための戦略作りに挑んでいる。
震災から3年目に入った今、石塚愛子さんは何を思っているのだろうか? 故郷への想い、お菓子作りにかける情熱などを熱く語ってくれた。
[取材・構成]米谷美恵
能登の里山でとれた野菜・米を材料にしたバウムクーヘン

珠洲は、日本一人口が少ない市です。震災後の令和7年12月現在、珠洲市の人口はおよそ9,600人と発表されていますが、実際には5,000人を切っているのではないかと感じています。
メルヘン日進堂はなんとか事業を継続、おかげさまで創業112年を迎えさせていただいております。震災後の今の状況のなかで、事業を継続させていくには、やはり人がしないことを率先してやっていくしか生き残る道はなく、その一つとしてオーダーメイドのバウムクーヘンを手がけ、大手企業さまよりのご注文をいただくことも増えております。
実は、2007(平成19)年能登半島地震のときに、道路が寸断、道路交通に大きな支障が出て、材料が入ってこない経験をいたしました。自給自足ができて材料があったらと悔しい思いをしたものです。
さて、バウムクーヘンの材料は、卵、バター、小麦、砂糖の4つです。震災で道が寸断されて材料が手に入らない状況も経験しましたから、今後、材料は能登産かオール石川産、県内で調達できる材料にする必要があるのではないかと考えています。
その経験から野菜などさまざまな材料をできるだけ能登産でという取り組みはしておりましたが、その必要性を令和6年能登半島地震で改めて強く感じたのです。それを機に輪島産米を使用した「う米輪」の製造、販売を開始しました。
創業110周年で行った社会実験、「白い卵」へのこだわり

2023年3月4日、バウムクーヘンの日に、弊社は創業110年を迎えました。110年と一言で申し上げていますが、決して順風満帆だったわけではなく、先人たちが苦難奮闘、足を止めずにつないできてくれたおかげで今があると思っております。私は4代目ですが、とにかくまっさらな気持ちで、地域の皆さんに感謝を届けたいと考え、感謝を表す「白いバウムクーヘン」を製造いたしました。
お米を餌にした鶏が産む卵は、黄身の部分が白くなり、いわゆるアレルギーを引き起こすアレルゲンが非常に少ないといわれています。その白い卵を使って作ったの「白いバウムクーヘン」です。
弊社では、口から体に入る原材料にこだわり、常にその価値や意義を考えながら研究を進めています。
「珠洲に来ること」そのものを目的に。発送なしの限定販売が証明した価値

そして、110年を迎えたバウムクーヘンの日に大きな社会実験に挑戦しました。「白いバウムクーヘン」をこの日1日限り、本店でのみ発売すると決め、インターネットでは情報だけを発信しました。これは、たくさん売ることが目的というより、どんなお客さまがこの珠洲という場所にある私どもの店に来て買ってくださるのか、商品の価値を見極めたかったのです。
そしてバウムクーヘンの日である3月4日。『熱狂マニアさん!』というTBS系列のバラエティー番組の取材として、バウムクーヘンマニアさんと、タレントの3時のヒロインさんが、わざわざ飛行機を使って閉店間際に来てくださり、「白いバウムクーヘン」を購入してくださいました。
この番組の反響で、オンエア後は問い合わせの電話がやみませんでした。そこで4月18日からゴールデンウィークが終わるまで期間限定での販売を決めました。福岡県や愛媛県など日本全国さまざまな場所からお客さまがいらしてくださり、ありがたいことに、ゴールデンウイーク中に本店のみで4桁の販売個数になりました。
たくさんのお客さまが「白いバウムクーヘン」を買うためだけに、珠洲まで来てくださったことに本当に感激いたしました。
珠洲市で商売を持続していくために挑戦した究極の社会実験でした。「ここでしか買えないものを作ることで人は動く」。この成功は、人口減少に悩む珠洲で商売を続けていくための、大きな自信となりました。
「地球はケーキのように柔らかい」。SDGsウェディングケーキモデルが示す能登の現状


珠洲市は2018年に「SDGs未来都市」に選定されました。SDGsは国連が掲げる「地球上のすべての人たちが、これからもずっと、この地球で幸せに暮らし続けていくための世界共通の目標」で、2030年までに達成すべき17の目標を設定しています。。
国連のWebサイトでは、SDGsの考え方を整理した「SDGsウェディングケーキモデル」という図式が紹介されています。私はずっとお菓子屋としてこのモデルを実際にケーキで表現したいと思っていたのですが、令和6年能登半島地震によって停電が続いたことで廃棄せざるを得なくなったスポンジを使い、「SDGsウェディングケーキ」を作りました。
実際にケーキを作ったことで「大切なことは、環境の上に社会があり、社会の上に経済があって、一貫してパートナーシップでつながっているという順番と大きさだ」と再認識しました。

では、現在の能登はどうなっているでしょうか?
今の能登では、17の目標の6番目、「安全な水とトイレを世界中に」、13番目の「気候変動に具体的な対策を」が欠乏しているんですね。にもかかわらず、まだ水も通らない、生活環境が整わない場所が残っている能登の状況において、経済の立て直しばかりが語られています。
環境があっての社会、そして経済活動なんです。土台である環境を整えない限り、社会活動も経済活動もないという現状のなかで、なんとか経済を動かそうという思いと現状のギャップが生まれました。そのうえ、「令和6年奥能登豪雨」が追い打ちをかけます。弊社のスタッフ3名も被災しました。それなのに経済の立て直しに到達できるわけがありません。
三度重なった被災と、コロナ禍から続く苦闘

能登では、令和4(2022)年6月19日に震度6弱、令和5(2023)年5月5日、ゴールデンウイークに震度6強の地震があって、弊社本店でも、パネル式の天井が落ちるなどさまざまな被害を被りました。珠洲市内でも、家屋が倒壊したり、けが人が出たりしています。
2度の地震を越え、本店をリニューアルしたところで豪雪。なんとか2023年12月は営業、正月2日の初売りの準備を終えたところで、1月1日にまた震度6強の令和6年能登半島地震。この先どうしようというなかで、追い打ちをかけるようにまた豪雪です。そして、とどめを刺すように奥能登豪雨。
数年のうちに、コロナ、地震、大雪、地震、大雪……。
それでもなんとか、2024年のゴールデンウイーク前に、営業時間を短縮して本店を再開することができました。
日本を支えるひとりとしての責任と、お菓子に託す希望

日本全体には、約336万社の中小零細企業があり、地域を支えています。そうすることが同じように地域で踏ん張る多くの人たちの生活に影響を及ぼす可能性がある。私はそう信じています。
今、私は日本商工会議所青年部で、令和7年度の石川県代表理事という役職を預かりました。自社の売り上げがゼロという状況のなかで、全国で開催される役員会などへ足を運び続けてきたのはなぜか。「日本一人口が少ない」場所から、生き残るモデルを作れば、あとは希望しかないはずです。
人口減少が加速するなかで、震災があったから継続できないのではなく、今の日本の経済の仕組みそのものにおいて変えなければならないものがある。私たち中小零細企業が現場から声を上げ、提言していく。そこに、私がこの役職で動く価値があると思っています。

珠洲は今、消滅可能性都市の筆頭といわれています。震災によって、本来なら15年かけて進むはずだった人口減少が、震災により、わずか1年のうちに一気に加速してしまいました。つまり、珠洲市は今、日本中の地方都市が15年後に直面するはずだった「現実」を、どこよりも早く突きつけられている状態なんです。けれど、今ここで私たちが立ち上がり、新しいモデルを作ることができれば、それは全国にある同じ悩みを抱えた消滅可能性都市といわれる自治体にとって、必ず「希望」や「可能性」になるはずです。
私はお菓子屋です。だからこそ、最終的には「お菓子屋」として発信していきます。 私の思う究極の復興とは、オール珠洲産の原材料でバウムクーヘンを作ること。農家さんに光を当て、ともに育てた材料を最高のお菓子として表現する。そして工程そのものを見に来ていただく「企業視察モデル」を作ることこそが、復興への一番の近道だと信じています。
取材後記
石塚さんが憂いているのは、珠洲、能登、そして日本の未来。お菓子屋さんとして、母として、日本商工会議所青年部・石川県代表理事として、珠洲の現状に直面しながら危機感を覚えているといいます。そして今、石塚さんは「15年後の日本」に視線を向け、日々活動しています。
今回のインタビューを通じて筆者の心に焼き付けられたのは、石塚さんの「視点の高さ」です。多くの人が「復旧(元に戻すこと)」を語るなかで、石塚さんは「復興」を語っています。石塚さんが店で廃棄するスポンジで作ったSDGsウェディングケーキは、わかりやすく能登の苦境と世界の構造を物語っていました。土台があるからその上に経済は乗る。この当たり前な真実、「経済」の意義を、お菓子屋さんとして石塚さんは根気強く問い続けます。
「バウムクーヘン」という、年輪を重ねるお菓子を代々つないできたメルヘン日進堂。幾重にも重なる震災、豪雪、豪雨という苦難の年輪すらも、いつか珠洲の新しい希望の年輪へと変わっていくことは間違いないでしょう。
津波で塩水にさらされても、チューリップや桜は春になると静かに花を咲かせます。その姿に背中を押されるという石塚さんが蒔いた種から芽が出て花を咲かせる姿が目に浮かびました。

