七尾駅前の複合施設パトリアの一角にある居酒屋「うめ呑み屋」の店内に入ると、営業前の静かな店内で書類をテーブルいっぱいに広げ、“ナナイベ合同会社”の代表社員・酒井健伍(さかい・けんご)さんがノートパソコンの画面に向かっていました。
今回お話をうかがう酒井さんのお仕事は、イベント運営・飲食店の経営・コンサルティングを中心に、能登半島地震で被災した事業者の復興支援など多岐にわたっています。待ち合わせたうめ呑み屋は、酒井さんが能登で立ち上げに関わり、現在は代表として経営する飲食店で、夜は居酒屋として賑わう一方、営業時間外は酒井さんのオフィスにもなっています。パソコンを閉じた酒井さんは、能登に来ることになった経緯から語り始めました。
[取材・構成 坂下有紀]
日本郵政から能登へ、事業承継という地域課題に関わる
僕は埼玉県の出身で、郵便局の親会社である日本郵政グループの社員として働いていました。2022年、地域課題解決プロジェクト(ローカル共創イニシアティブ)の一環で、ここ石川県七尾市に出向してきたのが能登との出会いです。

日本郵政の元社長・増田寛也さんの著書『地方消滅』にも象徴されるように、地方の担い手不足は深刻な課題です。日本郵政としても、社員を地域に送り込み、現場のなかで課題解決に関わる取り組みを始めていて、その一期生として参加することになりました。いろいろな地域が候補としてありましたが、僕が事業承継に関心があったことから、出向先は七尾市の株式会社ノトツグに決まり、代表の友田 景(ともだ・けい)さんのもとで能登の事業承継支援に関わることになりました。
実際の現場に入ってみると、事業を継続させたい思いはあっても、後継者がいないことで廃業を選択してしまうケースが本当に多いことを実感しました。事業承継は単なる経営の問題ではなく、そのまちの産業と暮らしをどう未来につなぐかということです。僕はそこに深く関わりたいという思いが強くなりました。
能登で経営難に苦しむ事業者と出会い、困りごとを目の前にしながら見過ごすことができず、まちづくりの活動やボランティア活動も開始しました。その活動の一つとして独立を考えていた居酒屋の店長・梅棹公継(うめさお・まさつぐ)さんのお手伝いと、七尾駅前のにぎわい創出を行ってほしいという住民の皆さんのご要望を受けて、七尾駅前を盛り上げるための会社として “ナナイベ合同会社”を設立するお手伝いを実施しました。当時はボランティアでしたが、いまでは私がナナイベの代表を務めています。

梅棹さんは2023年11月に七尾駅前の複合施設パトリア1階に、うめ呑み屋をオープンしました。七尾市の鹿渡島(かどしま)定置網から直送される鮮魚を使った海鮮料理が自慢の、地元密着型の居酒屋です。旬の魚介類はもちろん、地元で育まれた野菜や食材をふんだんに取り入れ、「地域で一番安くて美味しい店」をコンセプトにしています。
会社を辞めて、能登で生きることを決断
そろそろ出向の終了時期が近づき日本郵政の仕事へ戻る2か月前、2024年元日に令和6年能登半島地震が発生しました。地震発生時、実家に戻らず七尾市にいたので、僕も体験したことのない揺れを経験しました。
そのとき僕がいた駅前の商業施設パトリアは、上層階に七尾市の行政フロアがあり、市の津波避難ビルにも指定されているため、多くの人が続々と避難してきました。2度の大きな揺れの後も余震が続き、市内は道路や家屋の被害も大きく、帰宅できない人たちがパトリアの施設内に滞留する状況になりました。僕は防災士の資格を持っていたこともあり、施設内で対策本部を立ち上げることを提案しました。

うめ呑み屋の店内にあった食材で炊き出しを始め、パトリアに入居するニトリさん、ドン・キホーテさんとも連携し、避難してきた人たちに物資や食料の提供を行いました。パトリア1階にはABCクッキングスタジオと連携した「里山里海キッチン」があり、料理教室用のキッチンを炊き出しの調理場にし、発災から数日間は寝る間もなく炊き出し調理を続けていました。数日して避難者が正規の避難所に移り、料理教室のキッチンには市内の料理人チームが加わって避難所弁当を調理する拠点に変わりました。
被災した街を目の当たりにしたとき、僕はこのまま東京に戻ることはできないと痛感しました。日本郵政からも「半年は能登にいていいよ」と被災地支援を続ける許可をいただき、そのまま七尾市に残り日本郵政の業務を行いながらボランティア活動を続けることにしました。
七尾市内では地震被害と断水で営業できなくなった飲食店が多くあったため、ナナイベ合同会社でパトリア1階の広場に被災した飲食店が設備を共有しながら営業できる場をつくり、2024年2月1日から3日までイベント形式で「能登屋台村」を開催しました。

被災した飲食店が集まり、ラーメン、寿司、おでん、カレーなどを提供し、3日間で4,000人以上のお客さまで賑わいました。このとき、飲食店と地域住民の皆さまから感謝の言葉と、継続の強い要望をいただきました。ご要望に応える形で、2024年3月1日から金・土・日曜の週3日だけ営業するスタイルで常設の能登屋台村をオープンすることになり、営業は2025年4月13日まで続きました。

能登屋台村の運営ボランティア、がれきの撤去などの復興支援活動に奔走するなか、僕は「会社を辞めて、ここで生きていく」ことを決断しました。2024年9月に日本郵政に退職の意思を伝え、12月に退職し、能登に人生を賭けることにしました。
今では僕がナナイべ合同会社の代表になるとともに、地域に愛されながらも高齢で継続が難しくなった焼肉店を事業承継することも決まり、ナナイベ合同会社で「うめ呑み屋」と「焼肉まる」の2店舗を経営しています。
能登屋台村の運営で知った「能登かき養殖」の危機
震災後、能登屋台村やうめ呑み屋を運営するなかで、地元の牡蠣業者さんから「牡蠣は育っているのに、剥き手がいないから出荷できない」という悲痛な声を聞きました。
七尾湾の牡蠣は年間約900トンが出荷される重要な地域産業です。地震と津波で護岸や養殖設備に被害はありましたが、被害を免れた牡蠣が海中で成長していました。本来であれば1月から春にかけて出荷の最盛期を迎えるはずが、産地では高齢化に加え、震災で地域外へ避難した人が多く、牡蠣の殻を剥く職人「剝き子(むきこ)」さんが激減していました。

ある水産会社では、20人いた剥き子さんが4人にまで減っていました。これは1社だけの問題ではなく、この地域には同様の課題を抱える水産会社が約20社あり、地域産業全体が存続の危機に直面したのです。

良質な牡蠣が育つには、きれいな水質と、山から海に流れる豊富な栄養分が必要です。自然が豊かな能登は、牡蠣の生産地として最適な条件を満たしています。自然の恵みを蓄えた能登の牡蠣は、エグみが少なく、ミネラル豊富でマイルドな甘みが特徴です。口に含むと、磯の香りとクリーミーな舌触り、じんわりと広がる旨味と満足感を与えてくれます。

しかし、せっかく助かった牡蠣も、震災後は人手不足が理由で出荷量が制限されていました。この課題を解決したいと考え、僕はクラウドファンディングで「能登を“かっき”あるまちに! 機械化&シェアで牡蠣産業をアップデート」というプロジェクトを立ち上げました。
▶︎クラウドファンディング 締切:2026年2月28日まで
能登を“かっき”あるまちに! 機械化&シェアで牡蠣産業をアップデート
このプロジェクトは、生産効率を上げ、漁師さんの負担を減らし、収入を増やして「若い世代や未経験者でも担い手になれる」新しい牡蠣産業のモデルづくりを目指しています。集まった資金を使い、苦境にある漁師さん達を救うため次の3つの仕組みをつくる計画です。
1. 牡蠣剥き機の導入
メーカーや大学と連携し、能登の牡蠣に適した剥き機の開発・導入を進めます。
2. 設備の共同利用(シェア)の仕組み化
小規模な事業者が高額な機械を個別に買うのではなく、地域全体で利用できる共同牡蠣剥き所を作ります。
3. ブランディングと販路開拓
「能登かき」ブランドの付加価値を高め、日本各地や海外に対して販路開拓をしていきます。

「水産業の経験もないよそ者に、本当にそんなこと実現できるの?」と思われるかもしれませんが、ナナイベ合同会社の創業から約2年間、僕たちは机上の空論ではなく、現場に入り込み、泥臭く結果を出すことにこだわってきました。
開業1ヶ月で震災被害にあった居酒屋うめ呑み屋の再生、高齢で廃業を考えていた焼肉店から事業承継した焼肉まるの経営、そして能登屋台村の実施と被災店舗の支援活動。また、2024年7月には、大黒摩季さんらをお招きした復興ライブ「With Noto Revival Festival in Nanao」をパトリアで開催し2,000人を動員しました。
これらは私やナナイベ合同会社メンバーの力だけで実現できたものではありません。能登復興の力になりたいと願うさまざまなパートナーや、地域の方々のご協力のおかげです。ナナイベ合同会社の大切な役割の一つが、「やりたいことに挑戦したい」「能登に関わりたい」という方の受け皿になることだと思っています。

ナナイベ合同会社の関わりシロ
今回のクラウドファンディングは、牡蠣産業のアップデートに必要な資金のためでもありますが、何よりも一人でも多くの方に能登の牡蠣の魅力を届けたいと思って立ち上げたものです。能登の牡蠣を実際に味わってみる、周りの人に能登の牡蠣を伝えていただくなど、無理のない形で、このプロジェクトに参画していただけると嬉しいです。
1) クラウドファンディングを応援する 締切:2026年2月26日まで
集まった資金は、牡蠣剥き機の導入・開発費用、リターン商品(殻付き牡蠣)の仕入れ・発送費などに使用します。リターンのなかでも殻付きの「能登かき」を選んでいただけば、生産者の応援に直結します。
▶︎クラウドファンディング 締切:2026年2月28日まで
能登を“かっき”あるまちに! 機械化&シェアで牡蠣産業をアップデート

殻の洗浄作業などは必要ですが、殻付き牡蠣であれば剝き子が減少した生産者の負担を軽減して出荷できます。しかも、殻付き牡蠣は「殻に守られた状態」なので、濃厚なエキスを逃さず、高い鮮度でお届けできます。ぜひ、殻付きのまま食卓に並べて、産地直送の贅沢な味わいを楽しんでください。
当社のパートナーである有限会社山口水産の取締役であり、YouTuberでもある山口翔太(やまぐち・しょうた)さんが、手軽で美味しい牡蠣の調理法をYouTubeでアップしているので、それもぜひ参考にしてみてください。
2)うめ呑み屋、焼肉まるにご来店ください
うめ呑み屋、焼肉まるにぜひご来店ください。安くて美味しい海鮮、お肉でお迎えします。また、ナナイベ合同会社では3店目の直営店として牡蠣小屋の開店も目指しています。オープンにはまだ時間がかかりますが、ぜひ楽しみにしていてください。
3)スタッフ・プロボノを募集しています
ナナイベ合同会社では、我々の事業に関心があるスタッフを募集しています。補助金を活用し18ヶ月×20万円の予算が確保できているので、地域の課題解決に一緒に取り組んでくれる方はぜひご連絡ください。主に居酒屋や焼肉店などの飲食事業、事業承継に関する事業、能登かき再生事業(共同作業場・販路の開拓)などに関わっていただきます。
ナナイベ合同会社は「自分からやるのが当たり前」という精神で動いています。私たちが向き合っているのは、地元の味が続く店、使いやすいイベントの場、地域産業を支える仕組みづくりです。地域に雇用・回遊・域内循環を生むこと、課題を見つけたら解決に踏み出すこと。「待つより、動く」姿勢にワクワクできる人は大歓迎です。

ナナイベの事業は国内外へと拡大しています。金沢駅そばのネオ屋台ストリートに能登屋台村として出店したり、国内の能登復興支援イベントにも出店してきましたが、2月にはタイへ出張し、一般社団法人きたまえJAPANがバンコク市内で開催した石川フェアに参加し販路の拡大に努めました。
僕は能登を単なる「被災地」として復旧させるだけでなく「挑戦するのが当たり前の文化が根付く場所」にしたいと考えています。事業承継の仕事をするなかで「子どもには継がせたくない」という悲しい言葉を何度も聞きました。そんな空気を変えたい。
牡蠣産業を守り、再構築することは、その第一歩です。少し先の将来には、地元産の牡蠣が美味しく食べられる牡蠣小屋をオープンし、空き地を活用した柚子栽培、若者の起業支援なども予定しています。
地域の産業を次々に盛り上げ、「課題があったら、挑戦して解決するのが当たり前」という文化を能登からつくり、「能登を“かっき”あるまち」にしたい。──この構想には、たくさんの人の力が必要です。まずは能登の牡蠣を味わうことから、この挑戦に関わってください。

取材後記
事業承継支援として能登に関わり始めた酒井さん。最初は一人の外部人材でしたが、震災をきっかけにこの地で生きることを決断し、飲食店の再建、屋台村の立ち上げ、そして牡蠣産業の再構築へと取り組みを広げています。
能登に入り込み、地域の課題を「誰かの問題」ではなく、「自分の課題」として引き受ける。「困っている人がいるなら、自分ができることをやる」と率先して立ち向かう酒井さんは、「課題があれば、解決に挑戦する能登」であってほしいと語っていました。能登が単なる復興の途上にある場所ではなく、「挑戦が生まれる場所」であることを示しているように感じられました。

