2024年1月1日に発生した能登半島地震から、2年の月日が流れました。復興への歩みは進んでいるものの、今もなお多くの方々が仮設住宅での生活を余儀なくされ、慣れない環境による体の不調や、将来への不安を抱えながら過ごしています。
被災地において、住まいやインフラの復旧は最優先事項です。しかし、それだけでは「本当の意味での復興」には至りません。長引く避難生活のなかで失われつつある、心身をリフレッシュさせる娯楽や、思い切り体を動かす機会。日常に活気を取り戻すための「心の栄養」が、いま強く求められています。
そんな能登の地に、スポーツの光を灯し、人々の笑顔を取り戻そうと立ち上がった一人の男性がいます。石川県輪島市で整骨院を営みながら、3人制女子プロバスケットボールチームを運営する、合同会社Break through代表・谷 遼典(たに・りょうすけ)さんの挑戦を追いました。
[取材・構成 伊藤璃帆子]
絶望の淵で直感した「スポーツの可能性」

合同会社Break through代表の谷 遼典です。地元である輪島で中学のころからバスケットボールを始めましたが、競技中に怪我をした経験から「支える側」を志すようになりました。鍼灸師、柔道整復師を目指し、京都の大学へ進学。金沢の整骨院に勤務後、2016年に「てて鍼灸整骨院」を開業しました。
バスケはプレーするのも、観戦するのも大好きです。以前、スポーツチームをつくって町おこしをしている事例を見て、能登でもプロバスケットチームを立ち上げたいという思いがありました。少子高齢化が進む能登に、関係人口を増やすための「スポーツの核」が欲しかったんです。その夢を叶えるために少しずつ準備していましたが、2024年1月1日、能登半島地震がすべてを飲み込みました。



元日は家族と大阪にいましたが、ニュースで変わり果てた故郷の姿を見て、3日後には輪島に戻りました。自宅も職場も被災し、私は車中泊をしながらボランティアでマッサージの施術をして回りました。そこで目の当たりにしたのは、避難所生活で体が固まった人々の姿。そして、それ以上に気掛かりだったのが、心が塞ぎ込んでしまっているような精神面の危うさです。「痛い」「疲れた」「先が見えない」。そんな暗い言葉ばかりが溢れるなか、「いまこそ、明るい話題が必要だ」と直感しました。
震災を経て加速した決意。暗い話題を「誇れる話題」へ

避難所で「明るい話題」の必要性を痛感した私は、すぐに立ち上がりました。震災からわずか数ヶ月後、運営母体となる「合同会社Break through」を設立。以前から声をかけていた選手に、再度協力をお願いしました。実績も資金も白紙の状態でしたが、ボランティア活動を通じて出会った仲間たちと議論を重ね、チームの構想を形にしていきました。
そうして2024年6月、ようやくクラウドファンディングに漕ぎ着けました。「地震の悲劇を忘れないために、能登にプロチームを作る」という私の呼びかけに、全国から多くの温かい支援が集まりました。
▶READYFOR 3×3バスケ女子プロチームを新設して能登に活気を呼びたい!
チーム名の「ECHAKE-NA(えちゃけーな)」は、能登の方言で「かわいい、愛らしい」という意味です。公募した案のなかから4つまで絞り込み、そこから地元の小中学生の子どもたちに投票してもらって決めました。自分たちが選んだチーム名という愛着を持ってほしかったからです。
また、チームロゴやグッズのデザインは、震災後に能登へボランティアとして何度も足を運んでくれていた金沢の大学生たちに依頼しました。彼女たちが現地で感じた「能登の空気感」を形にしてもらうことで、徹底して地域に根ざすことにこだわりました。輪島や七尾はもともと女子バスケが非常に強い地域です。「もしかしたら、この地から日本一になれるかもしれない」。そんなワクワクする予感が、被災地に光を灯すと信じています。
3×3(スリー・エックス・スリー)がもたらすスピード感

私たちが取り組むのは、5人制ではなく3人制バスケ「3×3(スリー・エックス・スリー ※旧名称はスリー・バイ・スリー)」です。ハーフコートで行われ、わずか10分で試合が決着するスピード感は、バスケを知らない人でも一瞬で熱狂に引き込まれます。
3×3を選んだのは、少人数でも試合ができ、運営コストを抑えつつ世界的なプロリーグ「3×3.EXE PREMIER」に参入できる点が魅力だからです。そして、何より「選手と観客の距離」が圧倒的に近い。

チームに集まってくれたのは、石川県内でも有名な実力者や、大阪から名乗りを上げてくれた選手など、志を共にする6名です。彼女たちは仕事を持ちながらプレーするデュアルキャリアを体現しており、そのひたむきな姿は、そのまま「立ち上がる能登の象徴」となって、テレビや地域の会話を通じて浸透し始めています。
居場所を失った子どもたちへ。屋内施設から始まる「遊び」の再生

2025年11月、輪島市内の衣料品店跡地を改装し、「NOTO COMPLEX PLAY GROUND(ノト・コンプレックス・プレイグラウンド)」をオープンしました。ここはチームの練習拠点であると同時に、子どもたちのための「全天候型遊び場」です。この施設は、ロックユニット「COMPLEX(吉川晃司さん・布袋寅泰さん)」の震災寄付金を活用して整備されました。

震災後、多くの公園が仮設住宅や資材置き場になり、子どもたちの体力低下は深刻な問題だといわれています。家でゲームばかりになり、ストレスを抱える子も多かった。しかし、ここでバスケやスケボー、ダンスを始めた子どもたちは、驚くほど活き活きとした表情に変わっていきました。

バスケットコートはプロの試合も開催できる本格的な仕様です。「ここに来れば、プロの選手がいる。自分たちもここで大会に出られるかもしれない」。そんな交流と憧れの場を作ることが、心の復興には不可欠だと考えています。


ゲームばかりして引きこもっていたある小学生が、ここへ来てスケボーやダンスを始め、今では月に20回も通うほどになりました。思いきり体を動かして遊ぶ姿を見て、やって良かったなと心から思います。
復興のその先へ:外から関わる「きっかけ」を求めて

仕事として人々の体に向き合ってきたからこそ、感じていることがあります。「心の栄養」がなければ、体は治らない。能登の外にいる皆さんにお願いしたいのは、「遊びのコンテンツを教えにきてほしい」ということです。午前中や昼間の空いている時間に、高齢者に運動を教えてくれる人、子どもたちに新しい遊びや文化を伝えてくれる人。
「ECHAKE-NA NOTO」が5年後、10年後の能登において、地元の子どもたちが憧れ、進学後に再び帰ってくるための「理由」になれるよう、私はこれからも、必要とされる限りこの場所を守り続けます。
能登に、ただの復興ではない、えちゃけーな熱狂を。私たちの挑戦はまだ始まったばかりです。
取材後記

谷さんは終始、「自分はそれほど熱い人間ではないです。誰かが代わりにこの施設をやってくれてもいいと思います」と静かに笑っていました。しかし、人々の痛みを取り除く専門家だからこそ、「心と体の健康のために楽しめるコンテンツが必要」という確信に至ったのだと思います。それは、疑いようのない、谷さんの優しさなのだと感じました。
インタビューを終えたころ、小学生が2人入ってきて、楽しそうにスケボーの練習をしていました。数年後、能登の未来を担う子どもたちが、この場所から飛び出して元気に外を走り回っていることを願ってなりません。

