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“惚惚(horebore)”「壁画アート」で見えない能登の未来を可視化する新プロジェクト、進行中!

“惚惚(horebore)”「壁画アート」で見えない能登の未来を可視化する新プロジェクト、進行中!

惚惚(horebore)

更新日:2026年2月6日

 札幌から能登に移住し、珠洲市でのホテル開業や“惚惚(horebore)”ブランドでの喫茶店経営など、さまざまなことに挑戦してきた畠山 陸(はたけやま・りく)さん。令和6年能登半島地震・奥能登豪雨での被災を経て、前回2025年6月の記事では金沢への店舗移転を模索しているまでを紹介しました。その後、紆余曲折をたどりながらも前に進み続ける畠山さん。震災3年目の現時点で見据える能登の未来と新たな活動について語っていただきました。

[取材・構成 関口威人]

福島で「心に刺さった」プロジェクトを能登でも

 地震からちょうど1年が過ぎた2025年1月、福島県へ視察に行く機会がありました。東日本大震災・福島第一原発事故の影響と復興の状況を見て回ったのですが、なかでも印象的だったのが「壁画アート」でした。原発が立地する双葉町の建物の壁に、色彩豊かなイラストやメッセージを描く「FUTABA Art District」というプロジェクトです。

 放射線の影響でしばらく人が入れなかったエリアなので、何もなかったり、何が生まれるかわからなかったりする状態のなかで、その壁画はすごく心に刺さったというか、感情を揺さぶられました。

 そのときは、能登にああいうものはないから、いつかやってみたいなと思う程度でしたが、いざ能登で公費解体が進み、街並みがほとんどなくなると、知らない人には家があったことすら気づかれないようになる。これでなにか能登らしいものを感じてほしいというのも野暮だなあと気づきました。

 能登のよさとか、やさしさとかと言われますが、だいたいは目に見えないもの。それを視覚化できないかと考えたときに、壁画という手法はかなりいい。ただ、福島ではアーティストさんがかなり細かい絵やメッセージを描いていて、それはそれですてきでしたが、より地域らしさが残る形ってないかなと考えました。

 地域の人が自分たちで関わり、外から来た人たちも参加して自分ごとにできる。そのためには細かい絵というよりは模様のような、パターン系のアートにすれば真似をしやすいし、地域の文脈みたいなものを付与できるのではないか。それを地域の事業者さんのプロダクトのパッケージにしてもらうなどしたら、地域のIP(知的財産)を生み出すことにもなる。そんなことを考えながら2025年10月、壁画アートを輪島市の「のと復耕ラボ ボランティアBASE三井」で実験的にやってみました。

輪島市の「のと復耕ラボ ボランティアBASE三井」で実施した壁画アート(撮影:2025年10月 「はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト」提供)
輪島市の「のと復耕ラボ ボランティアBASE三井」で実施した壁画アート(撮影:2025年10月 「はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト」提供)

子どもたちから「枠をはみ出す」自由さ学ぶ

 これは三菱UFJフィナンシャル・グループのアコムによる「はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト」に採用された企画で、同社の支援と「はじめてコーチ」としてアーティストの田中紳次郎(たなか・しんじろう)さんの指導を受けられました。

はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト|アコム

 壁画といっても、使わせてもらったのはボランティアBASE内に立てられたインスタントハウス。その360度の白い面に、僕がデザインした奥能登に伝わる農耕儀式「あえのこと」や輪島の漆文化をイメージした模様を、筆と塗料で描くことにしました。

“惚惚”の仲間や地元の子どもたちに手伝ってもらい、みんなで手を絵の具だらけにしながら仕上げてもらいました。なかなか難易度の高い壁からのスタートでしたが、いいものができて、次につながる手応えを感じられました。

 なによりよかったのは、子どもたちの自由さです。

 僕はデザイナーでもあるので、フレームやレイヤーも計算してマスキングをするなどの段取りをしていました。でも、子どもたちはそもそも枠を枠として捉えていないというか、枠をはみ出すのが当たり前。それがピュアな人間のクリエイティビティなんだなとわかりました。

 そこで僕も、壁画だけではなく、自分と能登との関わり方とか、金沢での店づくりで悩んでいたことなどを重ねて、いろいろと考えさせられたんです。

畠山さん(左)と一緒に壁画アートを制作する子どもたち(撮影:2025年10月 「はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト」提供)
畠山さん(左)と一緒に壁画アートを制作する子どもたち(撮影:2025年10月 「はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト」提供)

金沢・石引の店づくりからは「ポジティブに」撤退

 金沢の店づくりというのは、珠洲のホテルの1階でやっていた「喫茶惚惚」の移転という形で、半年以上も模索していました。

▶シロシル能登
暮らしを耕し、日常に美意識を。能登の未来を再編集する“惚惚(horebore)”

 入居しようと思っていた石引(いしびき)地区の建物がめっちゃ好きで、オーナーも大好きな人でした。でも、こだわりのある建物のなかで「惚惚らしさ」を出そうとすると、どうしても制限を感じてしまったのが正直なところ。その制限の範囲内でどうにかしようとか、逆にそれをうまく崩すためにはどうしようとか、いろいろと考えて四苦八苦していました。

 そんなとき、壁画アートの子どもたちを見て気づいたんです。そもそも崩すものなんてない。制限とか慣習とか外部からの声とか、そんなものを「枠」として捉える必要はないんだ。そう考えると気持ちが楽になりました。

 結局、その物件はやめて違う場所とパートナーを見つけることに。オーナーにも了承してもらい、ポジティブな形で退かせてもらうことにしました。

自らデザインした壁画アートの模様を描く畠山さん(撮影:2025年10月 「はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト」提供)
自らデザインした壁画アートの模様を描く畠山さん(撮影:2025年10月 「はじめたいこと、はじめよう!プロジェクト」提供)

ホテル経営にも現実と理想の「ズレ」が広がる

 実は、ホテルの方の経緯も似たところがあります。珠洲市上戸町で古いモーテルをリノベーションして新しいホテルにするプロジェクトでしたが、こちらにももともとオーナーがいて、僕はブランディングに協力するコアメンバーのような形で関わっていました。

 2024年3月のオープンを目指して準備していたところに元日の地震。いったんすべてが止まりました。

 しかし、僕もみんなも絶対あきらめたくはなくて、全国からの支援を受けて工事を再開。2024年7月のオープンにこぎ着けました。奥能登では震災後初めてとなるホテルの開業で復興のシンボルとして話題にもなり、復興の業者さんの宿泊で部屋はずっと埋まっている状態です。正直、それで採算は成り立つので、経営者としては満足するべきなのでしょう。でも、僕のなかでは「ズレ」のようなものが生じてきてしまいました。

 僕はまったく新しい場所のブランディングはできますが、復興業者さんが泊まり続けるという、ある種の合理性で成り立つものに関わるのは、たぶん得意じゃない。能登の復興が続くこれから先の10年、20年を考えたとき、ホテル経営に僕が関わる必要はないんじゃないかという思いが膨らんでいきました。

珠洲市のホテルの1階で営業していた喫茶惚惚の店内(撮影:2024年 畠山 陸さん提供)
珠洲市のホテルの1階で営業していた喫茶惚惚の店内(撮影:2024年 畠山 陸さん提供)

走り続けた1年後、能登との向き合い方を変える

 追い打ちをかけられたのが、2024年9月の奥能登豪雨での水害でした。

 ホテルから車で2分ぐらいの海辺にあった僕の自宅は、地震で半壊したけれど、直せる範囲で直しながらボランティアベースとしても活用していました。しかし、水害で家の周りは崩れ、浄化槽も流されるなどして、さすがにもう住めなくなってしまいました。

 それでも、ずっと支援物資を配ったり、お店もランチ営業だけ続けたりして。なにがなんでも能登でやるんだっていう「能登がんばりスイッチ」みたいなものが入っていたんでしょう。お金もまさに採算度外視で使い、睡眠時間を削って体も酷使したら、心にも体にも限界が来てしまいました。

 そして2025年の1月を迎え、ふと落ち着いてこれからの自分を考えたときに、能登との向き合い方を変えようと決めたんです。

 それまでは能登に場所をつくり、プレイヤーの1人としてやっていくんだという考えにとらわれていました。でも、能登で飲食店をやって、地域の人のために何かを直接的に提供するのは別の人でもできるし、別の人の方が向いているかもしれない。ホテル経営について考えたことも同じです。

 極端にいうと、僕は復興のために能登に移住したわけではなく、自分の幸せとか生き方を追求するための移住でした。そういう意味では、能登の復興と、僕が能登に求めたものって真逆なんです。

 ちょうど震災1年の節目でそんなことを考え、オーナーとも話し合ってホテルの経営からは抜け、喫茶店も閉めることにしました。

 本当に悔しいというか、もったいないなという気持ちはありました。でも、きっと僕の役割は能登の復興の次の段階、マイナスをゼロに戻すんじゃなくて、ゼロをプラスにする段階に入ってからなんだろう。そう思って、家もなくなったし、とりあえず金沢に拠点を移そうと決めました。

新たに立ち上げを計画しているオーダーメイド&オリジナルアートの招き猫ブランド「Like Lucky Cats」(撮影:2026年1月 畠山 陸さん提供)

「移動アトリエ」で各地を回りたい

 今は金沢市内の石引とは別の場所で、一つはアトリエとカフェを兼ねたお店を2026年夏のオープンを目指して、もう一つは「Like Lucky Cats」というオーダーメイド&オリジナルアートの招き猫ブランドをこの春にも立ち上げようと計画しています。あとは物販のプロダクトやアパレルなどを、追々能登でもとは思いますが、まずは“惚惚”の世界観とマッチする地域で、海外も視野に展開したいと考えています。

 壁画アートの方は「Noto to Earth(ノト・トゥ・アース)」というプロジェクト名で、地域のIPをつくる、街並みをつくることを目標に進めます。そのためにワゴン車を購入したので、移動式のアトリエとして動かします。塗料や道具をいっぱい積み込み、車中泊ができる仕様にして僕の滞在場所にもなり、キッチンカーとしてチャイも出せたらいい。チャイを片手に絵を描くとかをやってたら面白いですよね。この車が停まっている場所があれば、壁画に限らずなにかが生まれるんだと思ってもらえるように。そこでコミュニティや交流の機会が生まれて、去った後には壁画として地域らしさを残していければいいなと。

 これはけっこう参加したいと言ってくれる人は多いのではないでしょうか。地域の人だけじゃなくて、外の人も年に何回か来てくれるだけでいい。そんな関係人口づくりにも寄与できるかなと思っています。

 関わり方としては、実際に現場で制作するだけではなく、事前の段取りとか、契約書をつくることとかもありますし、地域の文脈を調べるのがめちゃめちゃ大事なので、一緒に調査してもらえるような人がいてくれたらいいですね。

 お金のことは今あまり考えていないので、塗料代や移動費は当面、自分たちで負担することになります。仮にお金を生むとしたら、どこかとコラボするとか、グッズを作るとか。それを社会的に意義のある形で提案して、実際に営業ができるような人がいたら、よりありがたいです。ぜひ我こそはと思う人は、一緒にやりましょう!

壁画アートのための移動アトリエとして活用する予定のワゴン車(撮影:2026年1月 畠山 陸さん提供)

取材後記

 正味1時間弱のインタビューで、畠山さんからは今回の記事には盛り込み切れないほどの「ネタ」が次々と出てきました。その行動範囲は能登や金沢を越え、全国へ。私の名古屋のクリエイティブな知人たちとも当然のようにつながっていました。このまま本当に、世界へ飛び出しそうな勢いです。

 この若さで、あまりにも多くのものを失い、多くのことに傷ついてきた畠山さん。「こんな経験をした人間って、稀有ですよね」と、すっきりした笑顔で話します。その分、多くのものを得て、「枠」を思いっきりはみ出して、また能登で一花咲かせてくれるのだろうと確信しました。第3弾、第4弾の記事を書かせてもらうのが楽しみです。

事業者プロフィール

惚惚(horebore)

代表者:畠山 陸 所在地:能登広域、金沢市

記者プロフィール

関口威人

関口威人(ジャーナリスト)

1997年、中日新聞社に入社し、初任地は金沢本社(北陸中日新聞)。整理部記者として内勤を終えたあとに片町や香林坊で飲み歩き、休日は能登や加賀をドライブで走り回りました。現在は名古屋を拠点とするフリーランスとして、主にヤフーニュース東洋経済で防災や地域経済などについて執筆しています。