震災と豪雨。二度にわたる自然の猛威にさらされた能登半島。輪島市滝又町(たきまたまち)で、代々守り続けてきた100ヘクタールもの山林と、築75年の古民家を拠点に活動する一人の男性がいます。“能登ヒバを愛する会”会長の宮川 実(みやがわ・みのる)さんです。
かつて林業が地域の屋台骨を支えていた時代から、過疎化と放置林が課題となった現代、そして未曾有の災害。激動のなかで、なぜ今、再び山に光を当てようとしているのか。その情熱と、宮川さんが愛する「能登ヒバ(アテ)」がつなぐ未来への物語を紐解きます。
[取材・撮影・構成 伊藤璃帆子]
東京ドーム約21個分「じいちゃんの山」を守りたい

“能登ヒバを愛する会”の宮川 実といいます。 曾祖父、祖父、父と、代々林業を営んでいましたが、私は公務員として働き、定年を迎えるまで金沢の自宅で過ごしました。輪島市滝又町にある実家は、私にとって正月に帰る場所でした。しかし、実家には100ヘクタールに及ぶ広大な山があります。東京ドームに換算すると約21個分。曾祖父、じいちゃん、そして父が、汗を流して管理し続けてきた大切な財産です。現在、金沢の家と半々くらいで実家に通いながら、山の手入れをしています。

昔は、木を一本切れば家族が1か月暮らしていけるほどの収入になりましたが、いま林業だけで食べていくのは本当に厳しいのが現実です。皆さん、山は自然のものだから放置しておいても大丈夫だと思うでしょう? しかし、そうではありません。人の手でつくられた森は、放置したらどんどん黒くなっていきます。ひょろりとまっすぐ伸びたあの木々は、節ができぬよう人の手で間伐したもので、こうして手入れを続けないと地面の草花が枯れ、保水力が保てず、地崩れを起こしてしまいます。

なにより、息子たちの代になったとき、「ここは誰の山か、どこまでが自分の土地か」すらわからなくなってしまう。そんな危機感を抱くようになり、定年後、石川県立林業大学校の門を叩きました。そこで出会った仲間たちと「卒業したらバラバラになるのはもったいない、ひとつ組織を作ろう」と立ち上げたのが、“能登ヒバを愛する会”のはじまりです。

能登にしかない「能登ヒバ(アテ)」の生命力と魅力を伝えたい

私たちが主役にするのは、能登の誇りである「能登ヒバ」です。能登では「アテ」と呼ばれ、石川県の県木にも指定されています。スギやヒノキに比べて成長が非常にゆっくりで、時間をかけて育つ分、年輪の幅が狭く、木材の密度がギュッと凝縮される。だから、とても硬くて丈夫な木材になるんです。輪島塗などの漆器の木地(きじ)としても使われています。
じいちゃんから「一回植えたら、あとは『ひこばえ(新芽)』に土をかけておけば、植林し直さなくても次が育つ」と教わった通り、強い生命力を持っています。シロアリに強く、湿気に触れるとえも言われぬ良い香りを放つ。クセを熟知している良い職人が扱えば、これほど上質な建材はありません。

“能登ヒバを愛する会”では、単に「木を育てる」だけではなく、山にあるものを活かした遊びも大切にしています。枝に水苔を巻いて根を出させる「空中取り木」体験や、斜面に横棒を渡して作る巨大ブランコ、手作りのツリーハウス。かつて私が子どものころ、山で胡桃を拾い、あけびを取り、さつまいもの上にアテの葉を載せて焼き芋をした、あのワクワクする体験を今の子どもたちにも味わってほしいのです。山は決して怖い場所じゃない。ルールを守れば、最高の遊び場になります。


地震と豪雨が教えてくれた「集落」という絆

2024年1月の震災のとき、私は金沢にいました。滝又の両親と連絡が取れず、向かう途中で車を捨て、山道を歩いて実家へ向かいました。ようやく着いた集落で目にしたのは、住民たちが炊き出しを行い、支え合って生活する姿でした。一人では心細くても、仲間がいれば何とかなる。集落というコミュニティの維持がいかに大切かを痛感しました。

しかし、追い打ちをかけるような9月の豪雨で、林道は無残に削られ、車が通れない状況になってしまいました。崩れた道、解体されていく近所の家々……。集落の住民は、一人、また一人とここを離れていきました。昔は本当にお祭りが賑やかで、蔵の中には輪島塗のお膳が50セットも眠っています。厳しい現実はありますが、だからこそ「人が集まる場所」をここに残さなければならない。そう強く思っています。
貴重な「黒柿」や「大梁」が息づく古民家を案内したい

築75年の実家は、能登ヒバやケヤキ、大杉の一枚板を使った、昔ながらの強固な造りです。地震でも柱が傾かなかったのは、この「硬い木」と立派な梁(はり)のおかげ。この家の中は、今の時代滅多に見られないような貴重な木材がふんだんに使われています。能登の建築文化や木の素晴らしさを守り、多くの人に見て知ってもらうために会としても保存に力を入れています。

玄関を入ってすぐの梁を見てください。この幅と長さで継ぎ目なしの一枚板。大工さんが見たらびっくりすると思いますよ。また、天井などには「黒柿」を使っています。樹齢数百年以上の柿の古木の中で、稀に芯材が黒く変色した非常に希少な最高級材です。墨を流したような美しい木目、これも能登の山の豊かさの証拠です。


この家をただ保存するのではなく、見学してもらったり、ここで学んだり、活用したりすることで、能登の建築文化や木の素晴らしさを肌で感じてもらいたい。それが “能登ヒバを愛する会” としてのもう一つの役割だと考えています。
100年先も、子どもたちの声が響く山であるために

現在、私たち“能登ヒバを愛する会”は、アテ林業・能登ヒバを活かした能登の創造的復興」リーディング・プロジェクトとして運用中です。
▶ATE-NET アテ林業・能登ヒバを活かした能登の創造的復興
能登の外にいる人たちにも、この山にぜひ関わってほしい。プロの技術がなくてもいいんです。一緒に道を直し、ツリーハウスの板を張り、一緒に汗を流す。そんな「手伝いたい」という気持ちが一番の力になります。私もまだまだいろんなことにチャレンジしたい。アイデアはたくさんあるのです。アテの木で作る盆栽や、香り豊かなチップなど、この資源にはまだまだ可能性があります。
10年後、この滝又町に子どもたちの笑い声が戻り、山の楽しさを知る人が一人でも増えていれば、私の挑戦は成功だと思っています。
取材後記

宮川さんの言葉には、先祖への敬意と、次世代への責任感が溢れていました。震災という大きな傷跡が残るなかでも、宮川さんは「山を面白がる」ことを忘れていません。
能登の復興は、その土地が持つ豊かな資源に再び命を吹き込み、人と人との繋がりを再生すること。一人では難しいことでも、外からたくさんの人が関係していけば、達成できることが必ずあります。
その一歩として、“能登ヒバを愛する会” のような活動と繋がり、お話を聞いてみてはいかがでしょうか。ぜひ一度、滝又の山を訪れてみてください。そこには、逞しく生きる能登ヒバと、それを愛してやまない人々の温かな「居場所」が待っています。

