能登半島のほぼ真ん中、典型的な里山の風景が広がる志賀(しか)町熊野(くまの)地区。ここで農家民宿「古民家こずえ」を営む梢 正美(こずえ・まさみ)さんは、任意団体“くまの地域づくり協議会”などを通して里山の自然と文化を生かした地域づくりに取り組んできました。その延長線上で目指す「小さな体験から始まる大きな循環」の復興ビジョンとは、どんなものなのでしょうか。
[取材・構成 関口威人]
実家を改装した古民家が災害ボランティアの拠点に
私、梢 正美は志賀町で生まれ、地元の高校を卒業して京都の短大に進学。大阪の観光バス会社やイベント企画・制作会社などで働いたのちに、結婚を機に能登へ戻りました。
2013年に実家をリノベーションした民宿「古民家こずえ」を開業。ここを拠点に地域全体の活性化を図ろうと21年に“くまの地域づくり協議会”を立ち上げ、その中核組織として一般社団法人「のとくまの」を設立しました。

令和6年能登半島地震では志賀町も震度7の揺れに見舞われ、この古民家も準半壊の被害を受けました。停電と断水も続きましたが、1月5日には電気が復旧。とりあえず建物が使える状態になったところで、県外から「防災・災害ボランティア かわせみ」というNPO法人の方たちが支援に駆け付けてくれました。
▶ 特定非営利活動法人 – 防災・災害ボランティア かわせみ
「かわせみ」は東京に本部がありますが、災害復旧支援活動は中部本部のある愛知県稲沢市の方たちがメインでされています。もともとつながりがあったわけではなく、今回の地震後に口コミで私とつながって、この古民家を災害ボランティアの活動拠点にできないかと相談され、開放することを決めました。
断水は続いていたのでトイレも使えないと言うと、軽トラックに載ったきれいな仮設トイレが運び込まれ、若い人でも泊まれるように部屋の中が整理されて、多いときで30人ぐらいのボランティアが寝泊まりしながら活動されていました。
熊野地区は11集落で約200世帯、450人ほどが暮らしています。しかし地震発生後、しばらくは正式なボランティアセンターも立ち上がっていなかったので、在宅避難者に支援物資や水が十分に行き届かない状況が続いていました。そこで古民家の納屋や地域内の空いている倉庫に支援物資を運び込み、そこから避難所や在宅避難者のもとへ物資や炊き出しをした食料を届けに行き、状況の確認とヒアリングを重ねることにしました。
その際、見ず知らずのボランティアさんが突然訪ねてくると、不安を感じる方もいらっしゃいます。そこで、くまの地域づくり協議会と「のとくまの」が連携しながら、ボランティアさんと一緒に地域を回るようにしました。私たちが外部の支援団体と地域をつなぐ「ハブ」になったということです。
逆にいうと、私にできるのは「つなぐ」ことしかありませんでした。ただ、そうやって被災者の苦しみや困難の声を拾い、安心して支援につながる関係をつくることを何よりも大切にしていました。

子どもの居場所づくりなどを通して地域が結束
もう一つ、大事にした動きが子ども支援です。
地震後、志賀町には子どもが安心して過ごせる居場所がほとんどありませんでした。そこで、仲間の女性たちと一緒に場所を探し、役場に相談して旧土田小学校の避難所の一室を借りられることに。区長会にも了承をいただいて「志賀こども部屋☆つちだ」を開設しました。
PTAのOBや現役のママたちが集まり、各家庭から絵本やおもちゃ、ポットや毛布を持ち寄ったり、炊き出しもしたりして当番制で運営。最初は毎日開き、やがて週末の土曜を開放日として、学校の授業が本格的に始まった2024年4月まで続けました。それからも各地で子ども向けのイベントなどを開いています。子どもたちが笑い、保護者がほっとできる時間は「心の復興」の一歩になったと思います。
これは「のとくまの」が運営管理事業者として支援し、能登町などで子どもの居場所づくりをしていたNPO法人カタリバにも相談して関わってもらいました。この活動を通して、女性や子どもの視点で避難所支援などをする団体と、こういうことを応援したいという女性たちとつながっていくことになりました。
▶シロシル能登
“カタリバ”代表今村久美さんが思い描く災害支援の新しいかたち【前編】──発災4日後から始まった「避難所」で生活を共にする子ども支援
“カタリバ”代表今村久美さんが思い描く災害支援の新しいかたち【後編】──地域の力を育て、分断を乗り越える社会を目指して
2025年に入ると、解体された民家の跡地などに花を植える「一人一花 in 能登半島プロジェクト」を志賀町でもやろうという話が持ち上がり、私のもとにも相談が。富来地頭町(とぎじとうまち)の空き地と、熊野交流センターでの実施をくまの地域づくり協議会としてコーディネートさせてもらいました。
▶シロシル能登
建築士“岡田翔太郎”が「一人一花 in 能登半島プロジェクト」に込めた願い
熊野交流センターは旧熊野小学校を活用した交流拠点で、かつて子どもたちが学んだ場所であり、地域の憩いの場であり、今回の震災では発災直後から避難所にもなった施設です。その玄関や敷地の周りを花で飾ろうと、地域の人たちで草刈りをして、チューリップの球根などを植えました。
花は人の心を癒やしてくれると同時に、それ自体が小さな命。震災から人の命が守られた記憶の宿る場所で、花がもう一度、命のつながりを思い起こさせてくれます。活動は来年度も継続しようと話し合っていて、復興に向けた再生のシンボルやランドマークになったらいいなと思っています。

ハーブのある里の日常体験から、持続可能な未来へ
もともと熊野地区は「薬草」の一大産地でした。江戸時代にこの地で生まれた本草学者で豪農の村松標左衛門(むらまつ・ひょうざえもん)が、ここで育っている薬草を塗り薬などにして売ることで地域を栄えさせる、今でいう6次産業化を江戸末期からやっていました。地域にはその農法や暮らしと文化についての家訓が残っていて、それが受け継がれていくことで、この里の美しさが守られてきたんです。
そうした史実をもとに、私たちの協議会は薬草、今でいうハーブと、米どころならではの発酵食を時代に合わせて再現し、地域づくりに生かす「薬草とハーブ くまのプロジェクト」を震災前からやっていました。
金沢大学の佐々木陽平教授の協力を得て、この地域に90種類ぐらいあるとされる薬草のうち約60種類をデータ化。その調査で来ていた絵の上手な研修生に描いてもらったイラストで「くまのおさんぽMAP」を作り、この地域の豊かな自然と人にふれあえる滞在型体験ツアーの企画などを進めていました。「こずえ」とは違うもう一軒の古民家を改修し、1棟貸しのゲストハウスとする計画もあります。

このプロジェクトを震災復興のために発展させ、掲げようとしているキャッチフレーズは「小さな体験から始まる、大きな循環。能登の未来へ」です。
「小さな体験」とは、庭先のお花を見たり、草木染めをしたり、発酵食を味わったりする、地域の日常の当たり前にあること。それにちょっと付加価値をつけて古民家やゲストハウスで体験してもらい、地域の関係人口の創出と増加につなげます。それによって生まれるのが「大きな循環」。持続可能な未来であり、震災を越えて能登が再生していくことを意味しています。
実際にターゲットとしたいのは、忙しい日々を過ごし、頑張りすぎている自分に温もりや整う体験を与えたい女性。彼女たちが、苦難を乗り越えてきたこの地域のお母さんたちとふれあえば、温かさや癒やしを感じられるはずです。それを仕掛けるというより、つながる機会を作ることで自然に体験し、持ち帰ってもらうことをイメージしています。
ここまでのイメージは、地震があるまで私の頭の中でも描けていませんでした。さらに地域の人たちの声を聞いて合意形成して、それを言語化して外に発信していかなければならないと思っています。本当はクラウドファンディングなどもするべきなのでしょうけれど、手が回っていないのが現実です。どなたかに力を貸していただけるとありがたいです。
地震から2年が過ぎた今、振り返って記録することも大事ですが、やっぱり前に向かっている自分たちを見てもらいたいという気持ちがあります。ゲストハウスは2026年夏のオープンを目指して準備しています。ぜひ「小さな体験」をしに、熊野へお越しください。

取材後記
能登町に滞在していた私は取材当日、のと里山海道を車で南に下り、横田インターを降りて下道を西へ。七尾市と志賀町の境に位置する山を越えて熊野地区に入ると、「これぞ里山」という光景が現れ、思わず「おー」と声が出てしまいました。
その里にぽつり、ぽつりと立つ「こずえ」をはじめとした古い民家。一軒一軒の距離は遠いように見えますが、地震の後は近所の人たち同士で声を掛け合い、避難所に来られないお年寄りを見守るなどしていたそうです。梢さんは「自助・共助・公助の中で『近助(きんじょ)』という感覚。本当に昔ながらに根付いている助け合いの文化なのだと思います」と話していました。
「こずえ」と新しいゲストハウスも少し距離はあるそうですが、オープン後はどんなふうに連動していくのか、今から楽しみです。

