能登半島地震から2年。建物の解体が進み、ようやく再建への歩みが始まりましたが、インフラを整えるだけで復興が終わるわけではありません。
人が働き、語り、暮らしをおくる「営み」そのものをどう未来へ手渡していくのか。物理的な再建の先にある「生業(なりわい)の再建」という問いに、一軒の飲食店として向き合っているのが、輪島市のレストラン“mebuki-芽吹-”(めぶき)の池端隼也(いけはた・としや)さんです。
震災から始まった取り組みと、今、地域の再生に必要なことについて、池端さんにお話を伺いました。
[取材・構成 伊藤璃帆子]
料理を通じて知った地元・輪島の魅力

能登・輪島の和食店“mebuki-芽吹-”の池端隼也(いけはた・としや)です。輪島で生まれ育ち、大阪の辻調理師専門学校を経て、大阪本町のフレンチレストラン「CALENDRIER(カランドリエ)」で修行しました。その後に渡仏して星付きレストランで本場の技術を学び、大阪で自分の店を構える予定で帰国。そんなタイミングで輪島に住む母に病気が見つかってしまったのです。
一度立ち止まり、家族との時間を大切にしようと輪島へUターンしました。「とりあえず一年」のつもりで帰郷したことが、私の人生を大きく変えることになります。
しばらくは、実家を手伝いながら母の様子を見ていましたが、あるとき、僕が料理人だと知る輪島塗に携わる方たちが、ケータリングをオーダーしてくれました。そのオファーを機に故郷のことを調べてみると、この地が優れた食材の宝庫で、古くから受け継がれる独自の文化がある場所だとわかったのです。
そのころの輪島には、高級レストランもなく、ランチは500円程度が当たり前。僕自身、土地のことを調べるまでは、輪島は何もないありふれた田舎だと思っていました。
フランスの田舎の方には、世界中からお客様がやってくる星付きオーベルジュがいくつもあります。そういう場所と比較しても、輪島は引けを取らない魅力を持っている。少しずつでも自分たちの手で情報を発信していけば、必ず成功できると確信しました。
僕がこの土地で小さく始めた店の名は「L’Atelier de NOTO(ラトリエ・ドゥ・ノト)」。フランス語で「能登のアトリエ」という意味です。輪島塗の塗師が住んでいた古民家を改装し、地元の食材や伝統工芸品などを使って能登半島の魅力を発信し続けました。
ひたすら能登の食材と向き合って、ついに獲得した一つ星。土地の豊かさを一皿に込め、能登というキャンバスに料理を描く日々は、何物にも代えがたい幸福でした。
瓦礫の中から取り出した大鍋。極限の輪島で「温もり」を繋ぎ続けた日々

2024年1月1日。初詣の帰り道で激震に襲われ、目の前の道路は崩壊。命からがら辿り着いた輪島の街は、家屋倒壊と火災で変わり果てていました。店の床一面には、砕け散った何百本ものワイン瓶。その光景を前に、スタッフは泣き崩れました。
「もう、これは無理だ」。家族を避難させ、一人輪島に残った私は、何かをせずにはいられませんでした。

瓦礫をかき分け、店から一番大きな鍋を引きずり出しました。電気もガスも水もない極限状態。前日から何も食べていない人々のために、店にある食材をすべて使い、炊き出しを始めました。温かい料理を口にして「ありがとう」と泣くお父さんの姿は、今も目に焼き付いています。

1月5日に始めた炊き出しは、避難所となった小学校へと広がり、最終的には毎日2,000食を作る規模にまでなりました。
近隣の居酒屋、ラーメン店、農家など、さまざまな仲間が調理から配達までを担い、ワシントンDCから駆けつけた「ワールド・セントラル・キッチン*1」の支援も力になりました。
*1:ワールド・セントラル・キッチン(WCK) は、料理人ホセ・アンドレス(英語版)によって創設された、世界各地の被災地で食支援を行う国際支援団体。能登半島地震の際も、発生直後から最新の調理機材や食材を持ち込み、地元の料理人たちと共に炊き出しの拠点を支えた。

震災から4か月。仮設住宅の建設が進む一方で、私たちは不安に襲われました。炊き出しという「目の前のやるべきこと」がなくなったとき、直視しがたい過酷な現実が迫ってくるからです。街を離れる人々。灯りが消えた夜。このままではコミュニティが消えてしまう。「街を明るくするためには、飲食店の灯りが不可欠だ」。その思いが、私を突き動かしました。
“mebuki-芽吹-”に込めた、能登の再生

灯りが点らない輪島の夜。少しずつ再開する店が増えてきたけれど、今もまだまだ現場は暗くて寂しい。こんなときに、私たち料理人にできることは、店に灯をともし、住民の心のケアができる場所になることです。
私たち料理人も、不安のなかを必死に生きる毎日。店がなくなり収入が絶たれ、しばらく再開の目処が立たない飲食店事業者もたくさんいます。
まず、飲食店の人たちに、生業を取り戻してもらいたい。そう思っていた矢先に、割烹料理店のオーナーが店を閉じると聞き、一緒に炊き出しをやっている輪島セントラルキッチンのメンバーに声をかけ、クラウドファンディングを実施。開店にかかる工事費、修繕費、備品購入にかかる資金に当てるために立ち上げたクラウドファンディング。1千万円の目標を大きく上回る1,500万円強の寄付が集まりました。
▶輪島に復興の狼煙をあげる飲食店『mebuki-芽吹-』を開業したい(池端 隼也(有限会社ポムデーブ 2024/06/17 公開) – クラウドファンディング READYFOR
こうしてたくさんの支援があって立ち上がった“mebuki-芽吹-”は、自分の店を失ってしまった料理人たちと共に「輪島で皆んなが元気になるお店を作ろう」という、未来への希望を込めた場所です。

オープン当時、20人のさまざまなジャンルの料理人が集まって、ラーメン、中華、居酒屋、いろんなメニューを出していました。とにかく住民の皆さんに元気になってもらいたい一心で、老若男女問わず、どなたでも入りやすく、親しみやすい価格帯でスタートしました。



▶シロシル能登
100年先を想う“数馬酒造”の「酒蔵の領域を超えた」使命
私自身も、仲間たちの雇用を守り続けるなかで経営的な苦境もあり、オーベルジュのために蓄えてきた資金も使い果たしました。それでも、夢を諦めるわけにはいきません。
震災から2年が経ち、一人、また一人と自分の店を再開できる方が増えてきました。この“mebuki-芽吹-”も、地元の良いもの、美味しいものをさらに味わっていただけるような本格的な和食店に少しずつグレードアップしていく予定です。
飲食店は、その土地の文化を伝える「メディア」

飲食店はメディアのようなものなのです。能登の里山里海が育む食材には、その土地の歴史、文化、そして生産者の情熱が詰まっています。飲食店は、土地の記憶を届ける最後のアウトプットの場。私たち料理人には、生産者が命を吹き込んだ食材の「真価」を翻訳し、届ける責任があります。

たとえば、輪島でカラフルなイタリア野菜をつくっている上田農園。二代目の上田拓郎(うえだ・たくろう)さんは、とてもセンスがいい農家さんで、独自の方法で高品質の野菜を育てています。フランスでは「ビオディナミ」という独自の哲学に基づく有機農法がありますが、彼の農法もそれに似ています。月の満ち欠けに注目したり、野菜の声を聞いたりするようです。
彼の作った野菜は、本当に格別においしい。そういったものを、安く仕入れるのではなく、僕はきちんと評価して高く買う努力をしたいし、その食材を最高の料理として提供することで、生産者の想いと、能登の食文化の真の価値を発信していきたいのです。
能登には、漁業、農業、林業、酪農、酒づくり、塩づくりなど、土地に根ざした産業があります。こういった生業そのものを、訪れる人に感じてもらう工夫も大事だと考えています。イタリアでは、1980年代から農業と観光を組み合わせた「アグリツーリズム」が広がっていて、能登も同じことができると考えているのです。
能登には現在11箇所の牧場があり、実は僕も牧場を持っています。小さな半島にこれほど多くの牧場があることを知る人は少ないと思いますが、海が見える牧場で、放牧された牛が草をはみ、潮風が吹く丘の上で人がゆっくりと過ごす時間は、北海道の広大さとはまた異なる情景です。
これからは、酪農家自身が観光地としての目線を持つべきだと考えています。たとえば、生乳をその場で加工してチーズやバターをつくる。訪れた人がその場で味わう。
農家や酪農家が普段通りの作業をしている横で、訪れた人がただ風を感じ、手仕事の音に耳を傾ける。そうした時間こそ、観光としての深さをもたらすと思うのです。
料理人の皆さん、一度能登に来てみてください。一級の食材と、独自の文化。生産者との距離の近さ。料理人にとって、これほどいい場所はありません。 震災から2年。建物は少しずつ建ち、道路も整備されていく。建物が再建されたその先に、再び人々の笑い声と、土地に根ざした「営み」が力強く芽吹くこと。それこそが、私たちが信じる真の復興の姿です。
取材後記

“mebuki-芽吹-”を訪れた夜、隣に座っていたお客さんに声をかけられ、ご一緒することに。その女性は、震災前に池端さんのお店で食事したことがあり、すてきな古民家レストランと料理のおいしさが忘れられず、また必ず来ようと心に決めていたそうです。震災でお店がなくなってしまったこと、そして現在はこのお店をスタートさせていることを知り、ようやく来ることができたと話していました。
一度でなく、二度、三度と足を運びたくなる場所には、そこに行かなければ体験できないことがあると思います。器に美しく盛られた季節の恵みも大きな魅力のひとつですが、この土地の人々のあたたかさには、他にはない特別なものを感じずにはいられません。
「また来ます」と席を立つ彼女の笑顔を見て、近いうちに、またこの店で偶然お会いできるような気がしました。
“mebuki-芽吹-”は、能登の食文化が再び芽吹く場所であると同時に、人と人、土地と人をつなぐ場所になっています。

