石川県の能登半島中央に位置する穴水(あなみず)町。かつて義母が切り盛りした食料品店だった場所で、パティシエとして地域に愛される洋菓子店“お菓子工房Hanon”を営む滝川若葉(たきかわ・わかば)さん。2024年1月1日に能登半島を襲った大規模な地震で断水が続くなか、彼女の背中を押し、再びオープンを決意させたのは、地域の人々からの「お店を開けてほしい」という声と、小学生の娘さんと共に描いたクッキーのデザインだった。
かつて経験した阪神淡路大震災で味わった無力感、そして今回、能登半島地震での被災。二つの震災を経て、なぜいま再びこの場所でクッキーやケーキを焼き続けるのか。お菓子を通じて、生まれ故郷に「日常という幸せ」を取り戻そうと奮闘する滝川さんに話を聞いた。
[取材・校正 米谷美恵]
パティシエをめざした原点は小学生のときに食べたクリスマスケーキ

最初にパティシエを目指したのは小学生のころです。転校してきた友達のお母さんが、クリスマスにケーキを作ってくれたんです。お母さんがケーキを作るなんて……。衝撃を受けました。
当時は輪島に住んでいましたが、材料も簡単に手に入らないし、レシピも今のように出回っていませんでしたからね。そこから少しずつケーキに興味をもつようになり、高校卒業後、大阪のお菓子の専門学校に進みました。「能登に帰りたい」という気持ちが強かったので、穴水に嫁いできました。まずはこの場所に慣れること、そして子どもがほしかったので、パティシエの仕事はしばらく休むことにしました。
店をオープンしたのは2018年10月です。この場所で主人の母がお豆腐を作ったり、地元の野菜を販売したりする食料品店を営んでいました。私がパティシエをしていたことを知って、近所の方からの「孫に誕生日のケーキを買ってあげたいけれど穴水にお店がない。もしお嫁さんが作れるなら作ってほしい」というリクエストに、最初は家の台所で、手に入る材料でケーキを作っていたんです。
そんなケーキでも、喜んでいただけて、何度か頼んでくださったり、別の方を紹介してくださったり……。もしかして需要はあるのかなと思っていました。でも、小さいうちはできるだけ子どもと一緒にいたかったので、頼まれたらケーキを作って、という感じでした。
そのうちに母が自分の年齢や店や道具の老朽化などを考え限界を感じるようになって、「店をやめる」と言い出したんです。一方でこのままやめてしまうのももったいないと思ったのか、「この場所でお菓子屋さんをしたらいいんじゃない?」と言ってくれたんです。
阪神淡路大震災と能登半島地震。二つの震災を経験

実は、阪神淡路大震災も経験しています。大阪の専門学校を卒業後、神戸に就職したころのことです。幸運にも住んでいたアパートは無事でした。
そのときの記憶といったら、途方に暮れてコンビニの前で座り込んでいる人やトラックの上で毛布を巻いて寝ているご夫婦がいたり、道路が車の大渋滞で、土埃がすごくまっていたりした光景です。
ラジオすら持っていなかった私は、高速道路が落ちていると聞いても、まったくその様子は想像もできませんでした。実際にその光景を目にしたとき、初めてことの大きさを実感したくらいです。
当時は今のようにインターネットやSNSでの情報はありませんでしたから、電話ボックスには無事を知らせようとする人の列ができていました。実際には10円を入れても電話はつながらないことを確認するだけ。それがわかっていても、誰もが無言で電話をかけるんです。
私はといえば、輪島市にある実家と電話がつながったのは、翌日か、翌々日か。「生きとったんか」と電話の向こうで父が涙声で言っていました。
2024年1月1日の能登半島地震のときは、たてつけがしっかりしていたおかげか、蔵が倒れかかって家にもたれかかった状態にはなりましたが、家は無事でした。
正月でしたから、私たち家族は穴水待ちの中心部はずれにある主人の母の実家に親戚みんなで集まっていました。その家も古く、壁が落ちあらゆる戸が外れて危うかったのですが、なんとか柱は倒れず、私たちは無事でした。地震後は、家族みんなで近くの小屋に移動して、そこにあった炭で火を起こして暖をとりました。そこは小さいながらも自家発電機もあって電気をつけることもできたので、しばらくみんなでそこに泊まることにしました。
しかし、避難した小屋は暖は取れたもののみんなで過ごすには狭かったので、車の中なら安全だと考えて車中で過ごし、2週間後に電気がつくことを確認してから、穴水に戻りました。
蔵が倒れかかってはいたものの家自体は無事でしたから、親子で寝起き、食事をしながら、片付けをしたり、みんなの安否を確認しに行ったりの毎日でした。
お正月だったことが不幸中の幸いだったのか、食糧に困ることはありませんでした。冷蔵庫の中の方がむしろ暖かいくらいの寒さだったおかげで、思った以上に食べ物が長くもちました。もし地震が夏に起きていたら、暑さで食べ物はダメになっていたと思います。田舎ですから、周りに野菜を作っている人も多いこともありがたかったです。
葛藤のなかで踏み出した再開と、娘と形にした復興クッキー

店の再開は、水が出るようになったあとの2月19日でした。この辺りではとても早い方だったと思います。とはいえ、周りのお店はどこも空いていないし、こんな状態で店を開けていいのかなという葛藤はずっとありました。
公民館で炊き出しのお手伝いをしていたのですが、みなさんと顔を合わせて話ができるだけで安心できるんですね。周りの方たちも「店を開けたらみんな元気になるから」と言ってくれました。その言葉に背中を押されましたが、私のなかではまだ迷いがありました。
そんななか、心にグッとくる言葉をかけられたんです。 名古屋から来られた支援団体の炊き出しのお手伝いで、たこ焼き製造のサポートに入ったときのことです。焼き上がったたこ焼きにソースを塗って青のりを振ってパックに入れて……という私の一連の動きを見て「普通の人の手際じゃないね」と驚かれたんです。
「ケーキを焼いていました」と話したら、「お店が再開したらぜひ復興クッキーを焼いてほしい。再開したら買いに行くから」と言われたんです。そのとき、ハッとしました。それならできるかもしれない。復興を呼びかけるクッキーを作って店を再開したい。そう強く思いました。

みんなその日を生きるだけで一生懸命だったと思います。情報を集めるのも公民館に置いてある新聞だけ、たまに電波塔のある場所に行って連絡を確認するとか。そんな繰り返しでした。水が出るようになったらお店を再開したいと思いながら、時間ばかりが過ぎていってあっという間に1月下旬。
それでも何かしなくてはと、外に遊びに行くことができない小3の娘に相談しながら、復興クッキーのデザインを考えました。「手を握っているほうがいいんじゃない?」「笑っているのがいいよね」……。二人でアイデアを出しあって、ハートの中で笑顔の二人が手を握りあっている様子をクッキーにしました。事情を話してクッキーカッターを神戸の作家さんにオーダーしたら「こういう支援の仕方もあるんですね。喜んでお手伝いさせていただきます」とすぐに取り掛かってくださいました。
それまでも本当にいろいろな人に助けていただいていましたが、改めてみんなで手を取りあい、協力しあって少しずつ前に進んでいこうという想いをクッキーに込めました。
私にとっての能登。未来へつなぐ日常の幸せ

私にとって穴水は、ほっとできる場所です。都会に出たこともありますが、戻ってくると安心できます。それは、自然はもちろんですが、人との距離がとても近いからだと思います。
人がたくさんいるのに誰も自分のことを知らないという都会での感覚がここにはありません。長い間、田舎を離れていても、戻って来ると小さいころから知っている人たちが、今も能登で生活していて、話しているうちに記憶が蘇る。やっぱり生まれ故郷であり、みんな同じような空気感を持っていて安心できるんです。
震災をきっかけに使われるようになった関係人口という言葉のように、私とつながってくれた方たちとこれからも交流を続けていきたいと思っています。みなさんが「来てみたらとてもいいところだった。また能登に来たい」と言ってくださるんです。人とつながってそう思われたのか、景色を見てそう思われたのか、人によって違うとは思うのですが、来ていただいたときに「おかえり」と言えるような関係になるのが理想です。
震災で人は減ってしまいましたが、お誕生日ケーキを作ってほしいというリクエストはいただきます。誕生日にせよ、地域の集まりにせよ、みんなが集まって食べることに意味があると思うんです。

一緒にお祝いができることが喜びだし、当たり前の日常って実は本当に幸せなことなんだなって、震災があって改めて思えるようになりました。小5の娘のクラスは17人しかいない。でも、人数が少ないからこそ、お誕生日ケーキを通じてお祝いができるし、その成長を一緒に見守れる。本当に幸せです。
商店街の中には、まだ前に進めないお店もありますが、そのお店が再開するまで、元気でこの店を続けることで街が少しでも元気になったらいいなと思っています。
取材後記
震災からの復興について語られることが増えました。大きな復興ではないものの、滝川さんのように、自分の暮らす場所で自分のできることをせいいっぱい続ける人の結集が今の能登の復興の根底にある。お話を伺いながらそんなことを思いました。
滝川さんがめざすのは「心の復興」。震災直後、誰もが自分のことで精いっぱいだった時期に、娘さんと一緒に「どんな形のクッキーならみんなが笑顔になれるか」を考えたことが、滝川さんの復興の初めの一歩でした。
「大きな夢はない」と滝川さんは言います。けれど、目の前の一人ひとりの誕生日に寄り添い、帰ってきた人には「おかえり」と声をかける。その積み重ねこそが、今の、そしてこれからの能登に必要なことなのかもしれませんね。
クッキーに描かれた笑顔のように、穴水の街に穏やかな笑い声が戻ることを願ってやみません。記事を書きながら、滝川さんの「おかえり」の声を聞きに、またHanonを訪ねてみたいと思っています。

