石川県輪島市。輪島塗の産地として知られるこの街には、それぞれの工程に特化した専門の職人たちがいます。
今回伺ったのは、漆を塗る前の素地(そじ)をつくる「木地屋(きじや)」として創業80年を誇る“四十沢木材工芸”です。二代目の四十沢宏冶(あいざわ・こうじ)さんは、伝統的な木地作りの傍ら、県外のデザイナーらとともに、現代の生活に静かに馴染む新しいプロダクトを発信し続けています。
震災から2年。四十沢さんと妻・葉子さんに、輪島のこれまで、そしてこれからの歩みについてお聞きしました。
[取材・構成 伊藤璃帆子]
木目の美しさに、そっと光を当てる

“四十沢木材工芸”の四十沢宏冶です。父が創業した木地屋を継ぎ、長年、輪島塗の下支えをしてきました。
木は、器として使える大きさになるまで100年もの時間を山で過ごします。そのたくましい生命を、さらに100年先まで愛されるかたちに整える。それが僕たちの仕事です。

伝統工芸の世界は、どこも厳しい状況にあります。かつての僕は「業界全体をどうにかしなければ」と考えていましたが、一つの工程を担う立場から全体を変えるのは、容易なことではありませんでした。
そんなとき、「まずは自分たちの仕事を活性化させ、元気になることから始めてみよう」と考えを切り替えたのです。

転機は、妻が木地に天然のくるみ油や蜜蝋を塗ってみたときのこと。
僕たちは、今の暮らしの中で自分が本当に使いたいと思える漆器のかたちを模索していました。工房で毎日目にしている、削りたての木地が持つ柔らかな表情。それが今の食卓にすっと馴染むことに、彼女が気づかせてくれたのです。


木目を活かすこの方法で、自分たちがいいと思うものを少しずつ製造して発信していくと、評判は上々で、取引先も順調に増えていきました。しかし、本業である漆器の木地製作も多忙を極め、開発スピードが追いつかないという悩みも抱えるようになりました。

そんなときに出会ったのが、デザイナーの大治将典(おおじ・まさのり)さん。大治さんは、モノのデザインだけではなく、全体のディレクションもしてくださる方で、一緒につくったプロダクトをさまざまな展示会に出展するようになりました。そのおかげで2年目の売上は漆器用の素地に並ぶまでに成長。商品を見に来てくださる方たちが増え、工房の隣にショールームを建てることにしました。
しかし、ショールームが完成した2ヶ月後に、あの震災がやってきたのです。
希望をつなぐ灯りをともして

2024年1月1日。お正月を家族で過ごそうとしていたときでした。激しい揺れのあと、外に出ると、遠くでは土煙が上がり、目の前の家が轟音を立てて崩れていきました。信じられない光景に、とても立っていられる状況ではありませんでした。


避難所での生活を経て、足の悪い母を連れて自宅避難に切り替えましたが、電気も水も止まったまま。そんななかでショールームだけは1月3日に電気が復旧し、暗闇の街でぽつんと灯りがともりました。

肝心の工房は壊滅的なダメージを受けていました。4階建ての建物は筋交いが破断してグラグラになり、工房の中はあらゆるところに倒れた機械が散乱していました。しばらく仕事ができないことを覚悟せざるを得ませんでした。


従業員たちは、自宅が被災して住めなくなってしまった方が多く、一時的に全員が輪島を離れました。私たち家族は輪島に残り、どうにか仕事を再開できないかと奔走していました。このままでは輪島から職人がいなくなってしまう──。この先の見通しは立たなくても、職人と気持ちが離れないようにと、僕はLINEで会社の状況と「必ず再開するから戻ってきてほしい」という意思を伝え続けました。
地震から数か月経ち、一人、また一人と工房に従業員たちが戻ってきてくれました。みんなの気持ちがこの場所にあり続けていたことが、本当に嬉しく、ありがたかった。
復興を支えてくれた人たちへ──その優しさに応えたい
地震の後、輪島には多くの支援者やボランティアの方が来てくれました。夜は真っ暗になってしまう街で、せめてショールームの灯りだけは消さないようにしていたところ、立ち寄ってくださる方々がこんなことを仰ったんです。
「輪島に来たからには、地域にお金をおとしたい気持ちがあります。でも、今はお店も買えるものもなくて……。仕方なく、金沢に寄って手頃なお土産を買っているんです」
その言葉に滲む輪島への優しい想いに、胸が熱くなりました。それなら、今の輪島の空気や、人々の記憶をそっと持ち帰れるものをつくりたい。
そんな想いから生まれたのが「輪島の雫」です。

材料には、震災で解体せざるを得なくなった建物から出た古材を使いました。輪島で一番大きな神社である重蔵神社さんの解体資材を使わせていただいた際は、神社の歴史を預かるようで、身が引き締まる思いでした。


雫は、輪島の住民の涙と、支援してくれた方たちの汗のかたち。小さな釘の跡は、かつてそこにあった人の営みの痕跡。これを手にした人が、ふとした瞬間に輪島を思い出し、また街へ帰ってきてくれる。そんな人と街を結ぶものになれば嬉しいです。
「非合理」のなかにある価値とは

輪島を元気付けるのは、中の人じゃなく外の人。これは僕が以前から感じていたことなんです。地域に住む人間にはそれぞれの本業があるので、地域全体の仕事をしたくても片手間になってしまうし、視座に偏りも出てしまいます。
「地域のことを考えてくれるデザイナーさんが輪島に来てくれたらいいのに」
そう考えているなかで見つけたのが、新山直広(にいやま・なおひろ)さんというクリエイティブディレクターが書いた「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる:地域×デザインの実践」(学芸出版社)という本。非常に面白く、参考にしていたら、偶然、その本の共同著者である坂本大祐(さかもと・だいすけ)さんとお会いする機会に恵まれました。彼に輪島のことを話していると、うちの工房でトークイベントをしてくれるというありがたいお話をいただきました。


出会いからお付き合いが続くうちに、新山さんが地域の課題や困りごとにデザインでアプローチする団体「LIVE DESIGN SCHOOL(以下LDS)」を立ち上げるとのことで、輪島でメンバーを集めて企業枠で参加し始めました。
2025年11月には、自分たちがイニシアチブを取って、輪島市内でフィールドワークを開催しました。いきなり地域の課題をぶつけるのではなく、まず輪島を知って好きになってもらうことが大事だと考え、僕たち夫婦でいろんな場所を案内しました。いざ回ってみると、震災で失われた場所も多く、以前の街並みの魅力を伝えきれなかったことが残念でしたが、それでも参加者の皆さんは僕たちに新しい視点を与えてくれました。
たとえば、SNSが使えない高齢者のための「紙の新聞」のアイデアや、100年後の森をつくるための計画など。
外からの視点によって輪島の価値が次々と掘り起こされていきました。

フィールドワークで地元を案内していると、自分たちが見慣れている景色のなかに、目からウロコな発見がいくつも潜んでいると知りました。 たとえば、輪島の名勝として知られる千枚田の美しい風景は「農業を合理化しなかったからこそ残っているもの」。千枚田は機械化が困難な田んぼで、江戸時代からの手作業による農法が続けられています。合理的なことばかりを考えれば、とうの昔になくなっていた可能性がありますが、多くの人々が知恵と努力で伝統と景観を支えているからこそ、価値として世界農業遺産に認定されたという事実。
かつての僕は、伝統工芸をもっと効率化し、合理的にすべきだと考えていました。けれど、手間をかけること、非合理に見える手仕事、そのなかにこそ、人が豊かに生きるための知恵が詰まっている。
外から来た友人たちが教えてくれた視点は、僕たちが守るべき「輪島の価値」を、優しく照らし出してくれました。
輪島を、会いたい人がいる街に

震災によって、輪島が抱えている問題が一気に噴出して、10年先送りにしていた問題に、今すぐとりかからねばならなくなりました。いま変わらねば、きっと一生変わらない。輪島にとって、ここからが一番大事な時期だと思います。
輪島がこの先どこへ向かうのか。僕は、既存の住民だけではなく、外から来てくれる皆さんとともに、目指すかたちをつくっていきたい。私たちでは気づかない輪島の魅力が、まだまだたくさんある。外の人の目があれば、そういった大切なものを発見できて、もっとすてきな街になると思います。
全国の皆さん、ぜひ輪島に遊びに来てください。名所を見るのはもちろんですが、ここに住む僕たちにも会いに来てほしい。輪島は、一度来てくれた人は皆が好きと言ってくれます。皆さんにも、この街の空気を味わい、好きになってもらえたら、それが何よりの力になります。
僕たちは今日もここで、木の香りと共に皆さんをお待ちしています。
取材後記

四十沢さんが手掛けている「輪島の雫」。実は、買って終わりではなく、輪島に通う目的になるような構想があるのだそう。次に訪れたときに、一緒に持ってきてもらえたら、今度はその雫に漆を塗ったり、絵付けをしたりできるようにしたいと話してくださいました。
輪島に来れば、人との出会いがある。人とつながることで、その人に会いにいきたいという気持ちが芽生える。そうして、一回きりではなく、ずっと地域と繋がってくれたら──。小さな雫のなかに込められた四十沢さん夫妻の、温かい願いが、どうか多くの方に届きますように。

