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二度の災害を越え“もとやスーパー”が描く復興のかたち、泊まれるスーパー「MOTOYA Base」への挑戦

二度の災害を越え“もとやスーパー”が描く復興のかたち、泊まれるスーパー「MOTOYA Base」への挑戦

もとやスーパー

更新日:2026年1月14日

 石川県輪島市町野町(まちのまち)。奥能登の山あいにあるこの町で、長年、暮らしの土台を支えてきたのが、1961(昭和36)年創業の「もとやスーパー」です。地元の人にとっては、食料品や日用品を買う場所であると同時に、「行けば誰かに会える」「町の様子が自然とわかる」──そんな拠り所として、世代を超えて親しまれてきました。

 その「もとやスーパー」を、2024年、二つの大きな災害が襲います。元日に発生した最大震度6強の能登半島地震。そして、9月21日の奥能登豪雨です。なかでも豪雨の被害は深刻で、店内には2メートルを超える泥水が流れ込み、商品や設備、車、そして生活の基盤そのものが押し流されました。

 それでも、社長の本谷一知(もとや・かずとも)さんは歩みを止めませんでした。全国から集まったボランティアや協力者の力を借りながら、懸命な復旧作業を重ね、わずか70日で営業を再開。さらに本谷さんは、町野の復興、そして能登の復興に必要な次の一手として、「泊まれるスーパー」という新たな構想を掲げ、クラウドファンディングに挑戦します。

 2024年12月に初めて実施したクラウドファンディング「大地震と大洪水で崩壊した石川県輪島市町野町『もとやスーパー』を能登の復興拠点に!」では、670万円を超える支援が集まりました。その資金をもとにスーパーの設備を整え、全国から訪れるボランティアの滞在拠点までも用意することができました。

 そして2025年12月、本谷さんはクラウドファンディング第2弾として、「総額2億円 被災過疎地に“防災×観光”の拠点をつくりたい」という目標を掲げ、再び挑戦を始めました。融資や補助金も活用しながら、泊まれるスーパー「MOTOYA Base」の実現に向けて、歩みを進めているところです。

[取材・撮影・構成:坂下有紀]

町野で暮らしを支えてきた地域密着のスーパー

“もとやスーパー”を営む「有限会社もとや庄治商店」の三代目・本谷一知です。現在は家族と従業員あわせて5名でスーパーを運営しています。

「もとやスーパー」社長の本谷一知さん
「もとやスーパー」社長の本谷一知さん

「もとやスーパー」は祖父が始めた、何でも扱うよろず屋が原点です。戦後まもない1946(昭和21)年、満州でラジオ技術に携わっていた祖父が復員し、ラジオの設置を手がけながら魚の行商も始め、日用品や家電まで扱う店へと広げていきました。時代の流れに合わせて店は少しずつ形を変え、町の暮らしを下支えする商店として60年以上、何世代にもわたり皆さんに親しんでいただいてきました。

 2024年1月1日、お正月のゆったりとした時間を破るように、最大震度6強の能登半島地震が発生しました。町野も大きく揺れ、「もとやスーパー」では天井の一部が落ち、商品棚が崩れました。

【画像3:能登半島地震のときの様子】
能登半島地震で町野町の多くの家屋が倒壊。本谷さんの自宅も倒壊し、当初は店で寝起きし2026年1月現在、仮設住宅で生活している
能登半島地震で町野町の多くの家屋が倒壊。本谷さんの自宅も倒壊し、当初は店で寝起きし2026年1月現在、仮設住宅で生活している

 元日はスーパーを休業していましたが、翌日の初売りの準備を整え、正月用に注文を受けた寿司やオードブルを準備し終えたころでした。近所では倒壊する家屋が続出し、父と一緒に閉じ込められた住民らの救出作業を手伝いました。日が落ちると、懐中電灯や乾電池を求める客が訪れ、売り場にあった水や紙おむつは集まった人たちに配りました。

 地震発生から停電と断水の日々が続きました。その間も店を閉めずに営業し続けました。買い物や支援物資の受け渡し拠点として、そして何より「人が集まって、状況を話せる場所」として、もとやスーパーに灯りをともし続けました。

 店を訪れた地域の人たちは、互いの無事を確かめあい、情報を交換し、ときには不安な気持ちを言葉にしながら、少しずつ日常を取り戻していきました。それは「買い物の場を越えた居場所」という、災害のさなかに自然と生まれた「もとやスーパー」の役割だったと思います。

地震は自力で何とかできた、でも水害は無理だった

 震災からの復旧は、自力での再建を目指しましたが、同年9月21日に発生した奥能登豪雨は別次元でした。

【画像4】
溢れた川の水、崩れた山の土砂などが町を飲み込んだ(画像提供:もとやスーパー)
溢れた川の水、崩れた山の土砂などが町を飲み込んだ(画像提供:もとやスーパー)

 川から溢れ出た水は2メートルを超えて町を襲いました。その日もスーパーは営業していたので、店内にいる人を誘導して2階へ避難しました。店も町も泥水に飲み込まれ、店内の商品をはじめレジ、金庫、通帳と車9台(マイカー・社用車)がすべて押し流されました。

 豪雨の被害ではさすがに「すべてを失った」と感じました。一時は鬱状態と診断されるほど心身ともに追い込まれました。それでも「何とかしなくては」とSNSで状況を発信し始めると、一気に反響が広がりました。全国から多くの人が駆けつけ、泥かきや復旧作業を手伝う流れが生まれ、それを見て自分自身の意識も大きく変わりました。

今も店内の柱や壁には浸水時の水位を示す跡が残る
今も店内の柱や壁には浸水時の水位を示す跡が残る

 かつての自分はけっこう意識高い系で、努力すればできないことはない、俺なら何でもできると思っていました。関西の大手スーパーでの修行時代も、がむしゃらに働き、年間2,000冊の本を読み、休みの日は体を鍛えるか、全国のスーパーを見に行って研究していました。いつも完璧主義で、常に野望とエネルギー満タンで走り続け、会社がスローガンに掲げていた「社会貢献」という言葉はきれいごとだと思っていたんです。

 けれど2024年9月の豪雨被害をきっかけに、ボランティアで来てくれた人と話をするなかで、意識が変わったことを自覚しています。平日は仕事があるので週末だけでもと言って何度も来てくれる人がいた。家族連れも多くて、子どもたちも泥かきを手伝ってくれて。話を聞くと「自分のために来ている」と言う人が多いんですよ。そういう人たちは心身ともに健康で、自己実現している方が多かった。

水害直後のスーパーの様子(画像提供:もとやスーパー)
水害直後のスーパーの様子(画像提供:もとやスーパー)

 助けてくれることが純粋にありがたかったし、全国の方々がメッセージや横断幕を届けてくれて、心強い応援が再始動の原動力になりました。報酬が発生しないボランティア活動にも関わらず、全国にこんなにも熱心な人たちがいること、これが日本の可能性であり、財産なんだと強く感じました。

 そして、「誰かの役に立ちたい」「社会に関わりたい」というニーズが、確かに存在することにも気づきました。その実感が、泊まれるスーパー「MOTOYA Base」の実現へと背中を押してくれました。

全国から届いたメッセージや横断幕(画像提供:もとやスーパー)

70日で再開した「奇跡のような店」

 SNSでの発信をきっかけに、全国各地からボランティアの方々が町野に集まってくれました。平日は仕事をしながら週末に通ってくれる人、長期の休暇をとって滞在する人。大手建設会社の社員や大工さん、学生グループ、個人ボランティア……。

 土砂のかき出し、壊れた床や壁の補修、仮設の売り場づくりまで、「ここはまかせて」「自分はこの部分をやるよ」と、それぞれができることを持ち寄り、豪雨からの約2ヶ月間で、のべ2,000人もの人が復旧作業に関わってくれました。

 その結果、豪雨からわずか70日後の2024年11月30日に「もとやスーパー」は復活オープンすることができました。支援の輪が重なり合い、実現した奇跡のような復活でした。

水害後の復活オープン初日の賑わい(画像提供:もとやスーパー)
水害後の復活オープン初日の賑わい(画像提供:もとやスーパー)

 ただし、店は元通りではありません。営業できたのは被災前の店舗スペースの三分の一。売り場面積も品揃えも絞り込み、縮小した規模での再開です。それでも、再開を待ち望んでいた地域住民の方々にとって「もとやスーパーが開いている」こと自体が希望になったようです。久しぶりに並んだ生鮮食品やお惣菜を前に、「またここで買い物ができる」という喜びがあふれていました。

【画像9:店内の様子】
売り場は狭くなっても、生活に必要な野菜、お肉、魚、豆腐などの生鮮食品をはじめ、酒類やパン、調味料、インスタント食品、日用雑貨や衣類なども扱っている
売り場は狭くなっても、生活に必要な野菜、お肉、魚、豆腐などの生鮮食品をはじめ、酒類やパン、調味料、インスタント食品、日用雑貨や衣類なども扱っている
「もとやスーパー」自慢の手作り惣菜やお弁当、地もの・朝捕れの新鮮なお刺身
「もとやスーパー」自慢の手作り惣菜やお弁当、地もの・朝捕れの新鮮なお刺身

 売り場は狭くなりましたが、復活を支えたボランティアからの横断幕やメッセージを掲げ、店舗の奥のスペースには、こたつや寝具、子どもたちが触れる楽器やボードゲームを置きました。買い物に来た人が、ついでに腰をおろし、世間話をしたり、子どもがゲームで遊んだり。少し話して、ちょっと笑って帰る、そんな時間と場所が必要だと感じていました。

 地震と豪雨を経て、町野の多くの住民は仮設住宅に暮らし、先の見えない不安と向き合い続けています。心の不調を抱える人も少なくありません。支援団体の方が開いてくれるお茶会も大切だけれど、そこに行きづらい人もいる。商売人のところなら、少し愚痴もこぼしやすい。だから、店の前で炊き出しをしたり、支援物資を配ったり、人が集まるきっかけをつくり続けたいんです。

 もう一つ、復旧復興に関する大きな問題があります。奥能登には宿泊できる場がほとんどないという点です。町野の場合も復旧作業にお越しいただいても、宿泊施設がある地域とは往復3時間以上の移動が必要で、作業可能な時間は短くなり、肉体的にも負担が大きかった。そこで、取り急ぎではありますがスーパー内の空きスペースにテントや毛布を用意し、休憩していただけるスペースを設けました。

2024年12月の訪問時には、ボランティアの宿泊・滞在拠点の整備が進められていた
2024年12月の訪問時には、ボランティアの宿泊・滞在拠点の整備が進められていた

 なりわい補助金を利用し、クラウドファンディングで支援いただいた資金も活用しながら、輪島市の市街地、能登町、珠洲市への中間に位置する町野町の「もとやスーパー」に復興拠点としての機能を持たせました。この地域で暮らす人のために、自分の仕事をどう使うか。そんな問いに向き合いながら、地域に寄り添う新しい商いの形を模索しています。

「もとやbase」があることで、住民が集い、ボランティアが集い、被災地を応援したいという個人・団体などから飲食の振る舞いや演奏会などのイベント企画も次々と舞い込んできた
「もとやbase」があることで、住民が集い、ボランティアが集い、被災地を応援したいという個人・団体などから飲食の振る舞いや演奏会などのイベント企画も次々と舞い込んできた

被災過疎地に総額2億円の「防災×観光」の拠点をつくる

 奥能登の再生はきっと長い戦いになります。引き続き皆さんの力をお借りして、奥能登を再生するには拠点となる施設が必要です。また能登の災害から学んだことを風化させず、語り継いでいくための拠点として、泊まれるスーパー「MOTOYA Base」を作りたいと考えています。

総額2億円かけてスーパーを大規模改修し、「MOTOYA Base」を復興の土台にしたいと語る本谷さん。
総額2億円かけてスーパーを大規模改修し、「MOTOYA Base」を復興の土台にしたいと語る本谷さん。

 私は能登の限界集落に外部から人が来て復興を手伝ってくれる支援の形を「支援循環事業」「限界集落型モデル」と名付けました。日本にはこの奥能登以外にも、同様の課題を抱えている場所がたくさんあります。

 奥能登での取り組みがうまくいけば、同じようなやり方で、同様の課題を抱えている他の地域の復興や町おこしもできると思うのです。今やろうとしていることは、そのモデルケースになるはずです。支援を循環させる文化に貢献する事業です。この国に今必要で非常に重要な事業だと思っています。

豪雨から1年以上が経過した町野の風景。スーパーのすぐ横を流れる河川は復旧工事が進められているが多くの部分は土嚢が積まれた状態で、土砂崩れで露になった山肌も痛々しい
豪雨から1年以上が経過した町野の風景。スーパーのすぐ横を流れる河川は復旧工事が進められているが多くの部分は土嚢が積まれた状態で、土砂崩れで露になった山肌も痛々しい

 復興の要になるのは「最低商圏インフラ」です。泊まれるスーパー「MOTOYA Base」は、暮らしに必要な食品や日常品を揃えたスーパーマーケットを核とし、滞在・交流・学びを提供する拠点として構想しています。

「MOTOYA Base」には、宿泊/買い物/入浴施設/ランドリー/町医者/クリーニングの6つの機能を備える予定です。土地の人たちが暮らし続けるにも、外部から人を受け入れるにも、インフラとしてこれらが不可欠だと考えています。

「MOTOYA Base」構想の初期プラン。なりわい補助金を利用して建物を修繕するプランをもとに、どのように復興拠点となる宿泊施設を兼ね備えたスーパーを立ち上げるか、住民をはじめ多くの人に意見を聞きながら検討した

 支援の力を、次の地域へ循環させたい。被災地を想う善意や田舎暮らしへの憧れだけで人は暮らし続けられない。生活を支える最低限の機能、つまり最低商圏インフラが必要なんですよ。限界集落といわれた奥能登が、地震・豪雨でさらに人口減少するなか、町の未来のためにどうすべきか、自分に何ができるかを考えて導きだしたのが泊まれるスーパー「MOTOYA Base」です。

 まずは宿泊スペースを整備し、ユニットバス付きの個室のほか、ドミトリー、シャワーブース、シェアキッチン、多目的スペース(コワーキング、イートイン、研修室)などを備えた約50人が滞在できる宿泊施設を目指します。復旧工事のため長期滞在する建設業界の人たちの宿不足に対応し、ボランティアや視察ツアーなどの受け入れもしていく予定です。

設計チームから上がってきた「MOTOYA Base」のデザイン案

 その後、スーパー部分に着工する計画ですが、店内には30メートル級の大型カウンターを設置します。スーパーは本来、精肉・青果・惣菜など5部門に分かれ、それぞれにチーフが付きますが、地方のスーパーでは兼任になりがちで、店長が2店舗を兼任することもよくあります。だから、自分はフロント部門とバック部門の2部門制がいいと思っています。この機会に2部門制を体現し、大型カウンターの中にスーパーと宿泊施設の機能を全部入れるつもりです。これは新しい事例としてスーパー業界の人にも響くと思います。

本谷さんがこれまで温めてきた理想のスーパーを具体化する

本谷さんがこれまで温めてきた理想のスーパーを具体化する

 また、店内では購入した惣菜などを食べるイートインスペースも設けますが、ポップアップで飲食イベントも開催するつもりです。飲食は「収益の柱」というより、集客と交流を生む装置としてとらえ、買い物と滞在が自然につながることで、外から来る人と地元の人が交わり、会話そのものが支援になる循環を生むと考えています。

すでに始まっている実証実験の手応え

 構想は机上の空論ではなく、試験的に視察・観光ツアーの誘致でも動き始めています。2025年8月には能登町の「あばれ祭り」を体験するツアーを、60人の定員で募集したところ1日で完売。当日はマイクロバスで能登町の「あばれ祭り」を訪れ、地元民からの解説や祭りの裏側体験が参加者に好評でした。

 関西の社会福祉協議会と提携した草刈りボランティアのツアーも、参加者から大変好評でした。過疎と被災で人手不足になっている能登のニーズとボランティアのマッチングを仕組み化すれば、マネタイズできる可能性も見えました。

「ボランティアに参加して、ありがとうと言われて、温泉に入って帰る」という、被災地との関わりを旅にする提案。これを旅行会社と組み、事業として成立させることが「MOTOYA Base」プロジェクトの第2フェーズの核になります。第3フェーズでは、この事業をモデルとしてシステム化し、全国に展開できればと考えています。

 私はサステナブルな循環が重要だと考えています。無償の善意に甘えるだけではなく、資本主義社会のなかで復興したい、ビジネスとして継続できる仕組みを構築したい。それゆえ、泊まれるスーパー「MOTOYA Base」に関わるメンバーは、信頼を置く人材で固め、設計チーム、クラファンチーム、SNSチーム、申請代行チームなどを組成して進めています。

「MOTOYA Base」の設計プランを持って訪れた設計チームとの打ち合わせ。希望をすべて盛り込み、さらに独自の提案も添えられた提案に大満足。信頼で成り立ち、言いたいことが言えるよい関係が築かれている
「MOTOYA Base」の設計プランを持って訪れた設計チームとの打ち合わせ。希望をすべて盛り込み、さらに独自の提案も添えられた提案に大満足。信頼で成り立ち、言いたいことが言えるよい関係が築かれている

 豪雨被害後は「何か手伝えることはありませんか」「プラットフォームを作りましょう」と、さまざまな提案や支援の申し出もありました。ありがたかったのですが、信頼できる人材と契約を結び、責任ある体制で進めることを選びました。タダ(無償)だとあれこれ頼みづらいし、曖昧になるから。

ドミトリーに使用するベッドも試作
ドミトリーに使用するベッドも試作

 いちばん辛かったのは「私もチームに入れてください」と言ってくれた人に、線を引いたときです。第1フェーズはお金もかかり責任も重い正念場で、自分が考えて実現したいことを着実に進める上で、厳選したメンバーと建物を完成させることに集中しています。

 建物が完成するころには、もっと多くの方に関わってもらえることが増えてきます。これから始まる「MOTOYA Base」プロジェクトに興味を持ち、共鳴していただける方は、ぜひ力を貸してください。

今できること、求められている関わりしろ

 泊まれるスーパー「MOTOYA Base」は、能登のためだけのものではありません。人口が減り、インフラが細り、災害リスクも高まる時代に、日本各地の小さな町が生き延びるヒントを、民間の現場から形にしようとする挑戦です。まずは知ること。次に、できる形で関わっていただくことで、あなたのまちの未来にもつながっていくのではないかと思います。

1)クラウドファンディング 応援と寄付

 大手企業や各種団体を訪問し、クラウドファンディングへの寄付ではなく「お気に入り」登録を頼んでいます。寄付はもちろんありがたい。でもそれと同じくらい「応援の意思表示」が力になるんです。まずはプロジェクトの記事を見て「お気に入り」登録からでも参加できます。

https://camp-fire.jp/projects/888535/view

CAMPFIRE「防災×観光の拠点をつくる」プロジェクト
https://camp-fire.jp/projects/888535/view

最初の目標である500万円を達成しネクストゴール 1,000万円に挑戦中
2026年1月9日現在の支援総額 6,588,300円 支援者 419人/お気に入り 916
クラウドファンディング締切は2026年1月31日まで

2)SNSをフォロー プロジェクトの進捗を見守る/広げる

 被災地から発信されたSNSのつながりが、いま次の拠点づくりへ進んでいます。
「MOTOYA Base」の進捗を追い、必要なタイミングで情報を拡散することも、立派な関わりです。

公式サイト https://supermotoya.jimdofree.com/
公式Instagram https://www.instagram.com/motoyasuper

3)第2フェーズ以降 現地で泊まる・買う・参加する

 拠点となる「MOTOYA Base」が立ち上がれば、現地を訪れて買い物や宿泊することが支援になります。視察、研修、ボランティア、祭り体験などのツアーも企画され、関わり方は増えていく予定。能登に行ける人は、現地でツアーに参加することも応援になります。

取材後記

 今回あらためてお話をうかがい、本谷さんの「MOTOYA Base」構想が、思いつきや勢いではなく、1年余りの時間をかけて情報収集と実験を重ねながら、丁寧に形づくられてきたものだと知りました。一見穏やかに見える本谷さんですが、強い覚悟と熱量が宿っていることを今回の取材で発見しました。

 筆者自身も「もとやスーパー」にはこれまで何度か宿泊でお世話になり、知人が主催した大判焼きの振る舞いイベント(記事に掲載した画像)を手伝ったこともありました。その際には、地元の方や同じタイミングで滞在していた人たちとたくさんお話しもしました。「もとやスーパー」「もとやbase」という場所が、どれほど多くの人の心と生活を支えてきたのか、その一端を肌で感じた経験でもあります。

 災害ボランティアの滞在拠点として始まった「もとやbase」は、無料で宿泊することができました。心ばかりの募金をしたり、店で買い物をしたりしながらも、どこか申し訳なさを感じていたのも正直なところです。だからこそ、泊まれるスーパー「MOTOYA Base」が完成し、正式に宿泊施設として動き出すことには、大きな意味があると感じています。人と経済が健やかに循環する仕組みをつくること。それこそが、この町がこの先の未来も存続していくために欠かせない土台なのではないか。取材を終えたいま、そう実感しています。

事業者プロフィール

もとやスーパー

もとや庄治商店(屋号 もとやスーパー) 代表者:本谷一知 所在地:石川県輪島市町野町粟蔵二部73-2 日本の優しさで生き返ったスーパー 【クラウドファンディング開催中です🙇‍♂️】 『千年に一度』の地震と豪雨で壊滅的な被害を受けて約2年。 「能登の拠点」として、世界初の泊まれるスーパー「MOTOYA Base」を作るために奮闘中!!

記者プロフィール

坂下有紀

坂下有紀(コミュニケーションディレクター)

富山県氷見市出身、石川県金沢市在住。出版社で雑誌・WEBマガジンの編集を経験後、ワイナリー、酒蔵で編集・企画・WEBマーケティングなどに従事。2017年にフリーランスのコミュニケーションディレクターとして独立。観光・食・工芸などの分野を中心に編集・フォトライターとして活動し、イベントや事業の企画運営にも携わる。2024年元日に氷見市で令和6年能登半島地震、9月21日に珠洲市滞在中に奥能登豪雨を経験。初めての被災を経験し、震災情報の収集・発信、現地ボランティア、支援活動に取り組んだ。能登里山里海SDGsマイスター2024修了、のと里山里海ガイド2024修了(1期生)、認定NPO法人 趣都金澤理事、石川地域づくり協会 関係人口コーディネーター。