珠洲市正院(しょういん)町は、令和6年能登半島地震で最も大きな被害を受けた地域の一つ。地震前には約1,100人が住んでいたというこの地域で、若手を中心に復興のあり方を話し合い、行動しているのが“正院町まちづくりワーキンググループ”です。事務局長の沢野未佳(さわの・みか)さんに、その活動内容やメンバーの思いなどについて語っていただきました。
[取材・構成 関口威人]
若い人が気軽に集える「コミュニティカフェ」から
私、沢野未佳(さわの・みか)は正院町で生まれ、正院町で育ちました。2024年当時は市内のホテルで働いていたのですが、元日の地震で休業になってしまい、しばらく避難所で運営のボランティアなどをしていました。
それから半年が経っても、まだ水が出ないような地区もあり、みんな疲れていてポジティブになれなかった時期。日中に高齢の方が集まるお茶会などの場はあったのですが、若い人たちが気軽に集まれる場はありませんでした。そこで、まず集まって顔を見るような場をつくりたいと思い、仮設住宅団地内の集会所をお借りして週一回の「コミュニティカフェ」を始めました。
夜に仕事を終えた人たちも立ち寄れるようにしましたが、学校の校庭を使った仮設団地でお酒は禁止だったので、あくまで「カフェ」。雑談をしながら、「復興ってどういうことなんかね」みたいな疑問を持ち寄り、モチベーションを上げる場。そんな雰囲気のなかから、町のために「自分たちがなにか頑張ってできないか」となり、2024年8月に結成されたのが“正院町まちづくりワーキンググループ”でした。

ワークショップやアンケート通じて意見を集約
参加条件は60歳未満、または「30年後の未来を考えたい」という人。実際には20代から50代で、年代的には40代が一番多くなっています。会員制などではなく、誰でも参加できるスタイルに。見学も自由で、開かれた場として現在は毎週木曜日、午後7時半から正院公民館で会議をしています。
それぞれに仕事を持っていて、毎週必ず集まれるわけではないのですが、コアメンバーが10人ぐらい。ほとんどが地元で生まれ育った住民です。正院町といっても結構広くて、他の地区に住んでいて名前は知ってるとか、人づてにたどっていくとわかるという程度で、お互いそこまで交流はありませんでした。それがなんとなくコミュニティカフェで集まって顔見知りになったような感じですが、みんな責任感が強く、頼れるメンバーが集まったと感じます。代表は宇都宮大輔(うつのみや・だいすけ)さんで、私が事務局長という肩書きとはいえ、フラットな会なので厳密な組織立てのようなものはありません。意思決定のグループでもないので、まずはみんなの意見を集約しようと、ワークショップを開いてアイデアを出してもらったり、全町民を対象にしたアンケートを実施したりしました。
そうしたなかで、個別の問題解決みたいなことにも取り組みました。街が暗いという意見が出たらイルミネーションを点けようとか、地区のお祭りの曳山が解体されて災害ごみになると聞いて「救出」しようとか。街全体の話でないときは、ワーキンググループのできる範囲で、ピンポイントで解決していきました。

「未来会議」の企画運営も担い、復興の方針案まとめる
でも一方、若い人たちだけでまちづくりの話をしても進まないのではという意見もあり、全町民が会員のまちづくり協議会「正院町未来会議」が2025年2月に発足。その企画・運営をワーキンググループが担うことになりました。
一般的なまちづくり協議会というのは、どうしても区長さんたちが中心でやられているかと思います。しかし、実際のところ区長さんは復旧の対応に追われてしまったり、行政などからの連絡が区長さんに集中してしまって疲弊したり、そもそも区長さんがいらっしゃらない地区もあったりします。また、まちをつくるには若い人や女性の意見を取り入れることも不可欠です。そこで、未来会議は全年代から男女同数で理事を選び、幅広く意見を集約するような体制で発足しました。
前述のようにワーキンググループは意思決定のグループではありません。一方で、私たちが「こういったことが必要だ」「こういうことをやりたい」と考えたら、月に一度の未来会議の理事会に提案し、各年代の方々にお話を聞いて「こういうことならやってみよう」と承認してもらいます。例えば今後の住まいについての勉強会や、新しい公民館とこれからの防災について考える会をワーキンググループから企画提案し、承認されて実際に運営しました。

そうやって1年近くさまざまな意見を集約し、未来会議として取りまとめたものを2025年8月、「正院町復興まちづくり方針案 ver.1」として泉谷満寿裕市長宛てに提出しました。
正院町は海側エリア(正院、小路、川尻)と山側エリア(飯塚、岡田、平床)で環境や人の考えていることも違います。そこで、方針案ではそれぞれにわけて「まちなみや景観に配慮した復興(災害)公営住宅等の整備」「新たな機能を備えたコミュニティ拠点施設の再整備」「安全な居住地エリアの確保」「産業の維持と振興」「地域の文化継承に向けた取り組み」の5項目を、市への意見と要望としてまとめました。
例えば、海側の公民館は既存位置での復旧ではなく移転・再整備をして、町の復興のシンボルとなるような建築にしてほしいとか、山側の復興(災害)公営住宅は、必要数と景観を配慮して、旧保育所に整備された木造型仮設住宅の活用を図ってほしいといった意見や要望が書かれています。
正院町未来会議を構成する「全町民」には、地震後に町を出ていかれた人たちも含まれています。そういった人たちとも交流会を開いて、この方針案について意見を伺い、正院町に関わるすべての人たちが復興への希望を持つことができる方針にしたいと考えています。交流会は2026年1月17日に、金沢市内で初開催することが決まっています。
「優しく明るい」先人から続く町のよさ伝えたい
復興やまちづくりって、正解はないと思っています。私たちはまちづくりの専門家ではありませんし、専門家の方に意見を聞くこともありますが、考えていることはやはり地域ごとにぜんぜん違います。だから、とにかく当事者が一生懸命に考えて、手探りでトライしてみることが重要なのではないでしょうか。
一方で、真面目に議論するだけではなく、この先の未来になにか楽しいことができないかと、ワーキンググループは明るい雰囲気でやっています。正院町自体、「優しくて明るい人が多いね」と外の人から言われることが多い気がします。それは先人の方々が明るく、前向きに若い人たちの挑戦を見守ってくださったからだと思います。こんなふうに若い私たちにまちづくりの企画・運営を任せてくれる地域って、少ないのではないでしょうか。そういった町のよさみたいなものが伝わればいいなと思っています。
ただ、私たちも仕事をしながら無償で活動しているグループなので、どうしてもなにかやるときに参加できる人は少なく、外から人を受け入れようとしても負担が大きく、しんどくなってしまいます。
最初のころはボランティアさんをいっぱい集めて、手伝ってもらっていました。「なにかできることがあるかもしれないので話を聞かせてください」という視察や会議の見学も結構あったのですが、1回きりというパターンが少なくありませんでした。正院町には宿泊する場所がないということもありますが、私たちが1時間半ガッツリと会議をやりすぎて、来てくれた方たちとのコミュニケーションが十分に取れていなかったのかなと、事務局長として私も反省しているところです。
理想としては、関わりシロを主体的に見つけてくれたり、やりたいことがマッチして、「それやりましょう」と面白がってくれたりするような個人や団体の方に関わってほしい。そのために、自由に出入りしていただける場所を、これからもつくり続けていきたいと思っています。

取材後記
沢野さんにインタビューさせてもらった翌日は、ちょうどワーキンググループの会議がある木曜日だったため、夜7時過ぎに公民館を訪ねました。仕事を終えたメンバーがポツリ、ポツリと集まり始め、コーヒーやお菓子を手に和気あいあいとした雰囲気。しかし、交流会の内容や段取りなど、決めるべきことは真剣に議論をして決め、「復興ってさあ…」という深い話に入っていきます。沢野さんが言われていた通りの「場」がそこにありました。
正院町は地震から約2週間後、車で珠洲市内を回るなかで通りましたが、あまりの被害の激しさに通行止めの箇所が多く、なかなか近づけない印象を持ってしまったのが正直なところです。でも、今回の取材を通して町の全体像や、この1年余りの住民の皆さんの議論を知ることができました。少しずつですがもっと近づいて、これまでのまちのよさと、新しいまちのよさを見つけていきたいと思っています。

