能登島・鰀目(えのめ)地区で100年続く旅館“勝雄館”(かつおかん)。創業は昭和2(1927)年、神社のふもとにあった当時の建物は、崖に沿って上下に客室が連なる独特の造りだったという。老朽化を機に平成3(1991)年に現在の場所へ移転。祖父、父に継ぎ三代目となった加地伸弥(かち・しんや)さんは、料理と魚にこだわりながら、“勝雄館”を守り続けてきた。
令和6(2024)年1月1日の能登半島地震、9月の奥能登豪雨で大きな被害を受けた能登島は今なお「復興」にはほど遠い「仮復旧」の状態にある。その能登島で100年の歴史を受け継ぐ“勝雄館”は、震災後の2年をどのように乗り越えてきたのか。加地さんの率直な思いを聞いた。
[取材・構成 米谷美恵]
地面に直接這わせた水道管から出るのはお湯!?
能登島は今なお「復興」どころか「仮復旧」の状態です。農道も長く凸凹のままで、ようやく1カ月前に車が通れるようになりました。そして今、ようやくアスファルトを貼っている段階です。
水道管もいまだにむき出しなんです。地震で地盤沈下や液状化があったため、地中に埋まっているはずの水道管がどこにあるかがわからないらしいんですよ。だから、鉄やゴムのパイプを直接、道に這わせて水道を通してもらいました。料理をするのに、一刻も早く水を使いたかったので。

水道管が土に埋まっていないむき出しの状態なので、夏の間は水ではなくお湯になってしまうんです。お風呂はともかく、うちは魚を扱わなくてはなりませんから……。もうずっと役所に言い続けているのですが、今年になってもまったく手付かずの状態で、いっこうに進んでいません。
夏の間、といってもついこの間まで、水を出しっぱなしにしていても水道管から出るのは水ではなく40度くらいのお湯。苦肉の策で、料理するときはその横に氷水を作っておいて、洗っては氷につけてを繰り返していました。
「さぁ、これから」。せっかくリニューアルしたばかりだったのに。
実は震災の約1年前に、リニューアルオープンしているんですよ。古い建物でしたから、お風呂などの水回りを直したり、トイレを増やしたり、調理場の半分をお客さんが使えるようにしたり。
和室のほうがいいという常連さんもいましたが、これまでの旅館を半分にし、残り半分をゲストハウスにしてスポーツ合宿や修学旅行を受け入れようと、部屋にはベッドを入れました。

ラウンジをつぶしてワーキングルームとランドリールームに作り替えたり、ウッドデッキを作ってバーベキューの道具を揃えたりが終わって、「さぁ、これから」というときに、能登半島地震が起きました。

地震の翌日に建物を見たときは「これはちょっとやばいな」と思いました。あんなにお金をかけて直したのに半壊。せっかくリニューアルしたのに、見込んでいた観光客も学生が来られる状態ではありませんでした。

建て替えも考えましたが、建築費は震災の前の倍以上かかると聞きました。リニューアルの返済も始まったばかりでしたから、実現できませんでした。実は、今も窓枠が傾いて窓や扉がちゃんと閉まらなかったり、壁にひびが入っていたりするところが残っています。

2024年9月の奥能登豪雨では輪島ほどの被害ではありませんでしたが、家の前の道路は15cmくらい水が溜まってしまって車は通れませんでした。地震で土地が下がっているせいか、水が逆流してくるんです。
2025年8月にも大雨が降り、そのときもこのあたりは水浸しになってしまったのですが、もう我慢できなくて、水門を開けに行ったんですよ。それでも水がひくまで丸1日かかりました。
奥能登豪雨被災者の滞在。1日も休むことなく朝昼晩の食事を提供

能登半島地震のあとは、水が使える地域の宿に工事関係者が集中したんです。大手の企業がほとんどで、そのまま今も利用されているようです。うちは水が使えなかったことで大きく出遅れてしまった感じです。当時宿泊業界関係者の間では「この1〜2年は忙しくなるはず」と言われていたにも関わらず、予想に反してまったく暇。あてが外れました。
それもあって、奥能登豪雨のときは豪雨被害の避難場所として手を挙げたんです。
「15名から20名ぐらいなら引き受けられます」と申し出ました。700人以上が、奥能登や加賀市、富山に避難されていたにも関わらず、実際には地元に残るかたが多く、能登島と和倉を合わせても50数名のかたしか来られませんでした。避難するには近い方がいいと思ったのでしょうか。
結局、うちにいらしたのは6人。そのかたたちが滞在された約3カ月は、1日も休むことなく、朝昼晩とご飯を作っていました。大変でしたけれど、地震後初めて仕事をしている実感がもてました。
難しい、一般客と復興工事関係者とのバランス

今年の夏頃から、ようやくお客さんが戻ってくるようになりました。それまでは本当にお客さんが来なくて、ほとんど無収入の状態が続きました。多少の減額や猶予はあるにせよ、それでも税金を払わなくちゃいけませんからね。本当に大変です。
これまではなんとか宿泊料金を抑えていましたが、修理する場所もあるし、電気やお酒の価格もどんどん高くなって……。どんなに働いてもこの状態では利益も出ません。お客さんには本当に申し訳ないのですが、料金を10%だけアップすることに決めました。
最近は一般のお客さまが増えています。復興工事関係者の宿泊もありますが、長期工事客の予約を受けてしまうと、その度にすでに受けた一般のお客さんの予約と調整して、他の民宿に移動してもらわなくてはいけないので予定を立てづらいんです。工事関係者がもっと安定して長期で契約してくれるならば、一般のお客さんよりも売上は良いんですけどね。
長期工事客が入れば売上は安定しますが、掃除や対応が増え、休みがなくなり妻にも負担がかかります。女将として勝雄館を引っ張ってきた母が体調を崩してしまったので、今は夫婦二人と80代のパートさんですべてを回しているんです。逆に一般客を優先すると長期客を断らなくてはならず、その「バランス」が本当に難しいです。気づけば2カ月半休みなしでした。
Instagramの活用をアドバイスしてくれるプロボノ募集中

これまでは口コミだけでずっとやってきたのですが、それではこれからしんどいかなと予約システムを入れた矢先に震災が起きました。一度白紙に戻ってしまいましたが、また再登録、稼働するつもりです。
これからは、InstagramなどのSNSも利用していかないとダメなのかなって思っています。震災前にリニューアルしたときは、これからはインバウンドも視野に入れようと考えていたんです。
以前うちに泊まった外国のお客さんは、朝、すぐそこの勝夫崎に出かけて、景色を見ながらずっと日向ぼっこをして、夕方になると帰ってきて、自分でサンドイッチを作って、翌朝また出かけて……。ただただゆっくり過ごしていました。ベッドに変えたことで、外国の方も利用しやすくなったと思うんです。ホテルより手頃な料金でご利用いただけますしね。
最近「能登復興複業プロジェクト」でプロボノを募集できることを知って、顧客獲得のためのInstagramの活用についてアドバイスしてくれる人を探すことにしました。
マンネリ化したこともあって、近頃はInstagramの投稿をしていないんです。頑張ってもいつも同じになってしまうので、写真の撮り方も含めて活用方法を、アナログ人間の僕にぜひアドバイスしてほしいと思っています。海外のお客さんも見てくれるといいですね。
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「本当に行っていいの?」「もっと復興が進んでいるはず」

今は、「数年先をどうするか」より「来月をどうするか」という感覚ですね。でも、まずはお客さんに来ていただくことが先決です。
実際に能登から離れている人には、なかなか現状はわからないですよね。多分、「本当に行っていいの?」っていう人と「もっと復興が進んでいるだろう」という人と両極端じゃないでしょうか。でも実際にはそのどちらでもないんですよね。
正直なところ、役所が動いてくれるのを待っていてはなかなか先に進まないので、自分たちでやれることは進めていくしかないですし。それでもあきらめず、やってほしいこと、一緒にやれることは言い続けていくしかないと思っています。 能登島には美しい海もあるし、釣りやイルカウォッチングもできるし、水族館もあります。楽しめることは十分あるんです。実際に6〜7割の宿が営業再開していますから、ぜひ来てください。お待ちしています。
取材後記
今回、取材を口実に勝雄館さんに宿泊させていただきました。これまでも能登の宿に宿泊したことはありますが、震災の影響で厨房が壊れ、食事を提供できないといわれることがほとんどでした。
しかし、勝雄館さんでは、自らも漁に出るという目利きのご主人が作る魚料理の数々。目と舌で思う存分堪能させていただきました。水道から冷たい水が出ないというご苦労を伺ったあとですから、そのおいしさは格別です。

若い頃は都会にあこがれたという加地さん。でも今は美しい風景と温かな人たちに囲まれて、能登島で生きることを決めたといいます。
突然襲った地震や豪雨の被害、試練を乗り越え、そのときそのときにできることを積み上げてきました。しかしどんなに休みなく働いても決して順調とはいえない宿の経営。それでも能登島が好きだから、お客様の喜ぶ顔が見たいから、まだ終わらない復興のなかで、加地さんは100年の宿の未来にむけて希望をつむぎ続けています。

