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遊漁船シーク号 船長 高根大輔

狼煙の海に沈んだ“遊漁船シーク号”の悲劇と船長・高根大輔さんの苦闘の日々

遊漁船シーク号

更新日:2025年11月19日

 今回は、珠洲市狼煙(のろし)町で遊漁船を営業してきた高根大輔(たかね・だいすけ)さんに、能登半島地震の津波で沈んでしまった“遊漁船シーク号”の悲劇と代船による金沢での事業再開、そして狼煙での復活を目指して悪戦苦闘する日々について話していただきました。

(取材・構成 関口威人/撮影 加藤直人)

金沢の水産会社を辞め、船を買って地元の海へ

 私、高根大輔(たかね・だいすけ)は珠洲市狼煙町生まれ。能登半島の最先端で、海に囲まれた港のある町で育ちました。実家は漁師というわけではなかったのですが、昔から魚や釣りが好きだった私は、社会人になって金沢市の水産会社に就職し、金沢港の魚市場で魚を売っていました。

 それが4年ほど経ったころ、ふと「自分で船を持とう」と思い立ちました。金融公庫でお金を借りて船を買い、会社を辞めて狼煙に戻ったのが2017年のこと。船名も思い付きで“シーク(Seak)号”と名付け、たった一人で遊漁船業を始めました。

能登の海を走っていた高根大輔さんの「2代目シーク号」(撮影:2020年 高根さん提供)
能登の海を走っていた高根大輔さんの「2代目シーク号」(撮影:2020年 高根さん提供)

 当時、狼煙港で一般のお客さんを乗せる遊漁船は他にありませんでした。だから私は誰に教わるわけでもなく、競争相手もなく、自分流に営業を始めました。Webサイトを作り、SNSを始めて宣伝したところ、物珍しさからか、東京や大阪からもお客さんが来てくれました。

 釣る魚はブリやヒラマサなどの、いわゆる「青物(あおもの)」中心でした。ただ、海では釣りたいものが必ず釣れるわけではありません。そもそも海が荒れれば船を出せず、そうなると売り上げはゼロ。燃料代などの経費は思った以上にかかり、なかなか儲かる商売ではないと、やってみて初めてわかりました。それでも4年目にひと回り大きな船に変えて「2代目シーク号」とし、試行錯誤しながら何とか軌道に乗ってきたかなというタイミングで、震災が来てしまいました。

実家も船も失い、金沢でイカ釣り漁船に乗り込む

 2024年の元日は、妻の実家がある珠洲市の飯田方面を車で移動中に、信号待ちで本震の揺れを感じました。車が弾んで何かのアトラクションに乗っているような感覚でした。

 狼煙の実家には母親が1人で残っていたので、何とか戻りたかったのですが、道はズタズタで土砂崩れだらけ。結局その日は動けず、翌日に「もう車がパンクしようが何しようが行ったろう」と、ズタズタの道路をむりくり通って狼煙にたどり着きました。

 幸い、母親は近くの公民館に避難をしていて無事を確認。しかし、実家の建物はめちゃめちゃ。そして港に行くと、シーク号が傾いて海に沈んでいる状態でした。

狼煙港で津波を受けて沈んでしまったシーク号(撮影:2024年1月 高根さん提供)
狼煙港で津波を受けて沈んでしまったシーク号(撮影:2024年1月 高根さん提供)

 当時、港にいた人の話では、港の水は一回ほとんど空っぽになるぐらい引き、その後に津波が来たようです。なかには流されてどこに行ったかわからないという船もありましたが、シーク号はいつも停めていた場所の近くで見つかりました。

 私にとってシーク号はいわば「相棒」。それが冷たい海中に沈んだ姿は、つらすぎてまともに見られませんでした。助けてやれず「申し訳ない」という思いも込み上げてきました。

 一方で、笑うしかない状況でもありました。家もない、船もなくなった……もうどうするんだ!と。

 とりあえず母や妻と一緒に金沢に避難し、みなし仮設住宅に入居。そこから狼煙の様子を見に、たびたび戻りましたが、船はもちろん、港自体がめちゃくちゃになってどうにもなりません。そこで、開業当初からお世話になっていた知人からイカ釣り漁船を借り、金沢の金石(かないわ)港からお客さんを乗せて当面の仕事を再開しました。

 イカ釣りがメインとなり、営業は夕方から深夜にかけて。能登にいたときと昼夜が逆転するような生活になってしまいました。そもそも能登と金沢では釣れる魚も違って、釣りのポイントへ行くためには、かなり沖まで船を走らせなければなりません。その分、ますます燃料代がかかることもわかりました。

 お客さんも大半は変わってしまいましたが、それでも狼煙の常連さんが金沢にも来てくれたり、義援金を送ってくれたりもしました。そうしたお客さんや海の先輩たち、仲間や友人はどんなことがあっても絶対に消えない、自分の大切な宝物になっていたのだと、どん底で気づかされました。

金沢・金石港から出航するイカ釣り漁船で客にイカ釣りを教える高根さん(撮影:2025年7月 加藤直人)
金沢・金石港から出航するイカ釣り漁船で客にイカ釣りを教える高根さん(撮影:2025年7月 加藤直人)

シーク号は解体、「なりわい補助金」も使えず……

 沈んだシーク号は引き上げるのも大変で、いろんな人の協力を得て陸に引き上げられたのは地震から半年後の2024年6月。船体を見ると穴が開き、ゆがみも出ていて、エンジンや機械類もすべてダメになっていました。保険は一応入っていて「全損」扱いになりましたが、船体が古く、掛け金もあまり大きなものにしていなかったので、買い替えや修理に十分な保険金はおりませんでした。修理したらとんでもない金額になるのはわかっていたので、解体するしかなく、2024年11月までにすべて解体されました。

 解体の前日は、それまでのシーク号との記憶をたどっているうちに一睡もできませんでした。

 シーク号と一緒にいろいろな場所に行き、さまざまな魚と出会わせてくれたこと。いっぱい故障もあって修理代に悩みながらも、応急処置や対処方法などをたくさん学ばせてもらったこと。海に落ちた人を救助したこと……。

 苦楽を共にした相棒と、こんな形で別れなければならないとは、本当に不本意で悲しくなりました。

 石川県の「なりわい再建支援補助金」も申請はしましたが、思った以上に基準が厳しいことがわかりました。シーク号は中古船で買ったので、買い直すにしても同等の中古船でないとダメだというのです。車だったら中古車はいくらでも同じようなものがありますが、船はそのまま同じものなんて、めったにありません。県庁の相談室に何回通ったかわかりませんが、なかなか思うように話が進んでいません。

 金沢でのイカ釣りも、2年目となる2025年は不漁で、夏まではほとんど儲けがありませんでした。夏場に少し儲けられましたが、高騰する燃料代でほとんど消えてしまった感じです。シーズンオフに近づいて、これが終わったらまたどうしようかと不安に駆られます。

 いつかまた狼煙で船を再開したいとも思っていますが、港もまだ完璧ではなく、海も地形が変わってしまって、船が座礁しないかどうかが心配。帰ろうにも帰れない状況です。

 震災以来、小さいころから慣れ親しんできた地元の景色が無惨に変わり果て、知人の訃報に肩を落とし続けました。

 あの瞬間から変わってしまったものが多すぎて、何も決断できないままでいます。

 それでも応援に来てくれるお客さんや仲間たちに、いつか恩返しをしたいと思っています。正直、まだぜんぜん先は見えませんが、そのときを待っていてください。

イカ釣り漁船から日本海を見渡す高根さん(撮影:2025年7月 加藤直人)
イカ釣り漁船から日本海を見渡す高根さん(撮影:2025年7月 加藤直人)

取材後記

 取材は2025年7月下旬、「せっかくならイカ釣りの体験を」と、高根さんが操船するイカ釣り漁船に乗り込ませてもらって始まりました。

 猛暑のほてりが残る午後6時ごろ、港を出るとすぐにスピードが上がって日本海の潮風が涼しく感じられます。釣りのポイントに着いたころには日も沈みかけ、海面が夕焼けの赤に染まって感動的でした。

 しかし、イカ釣りはまったくの初心者。釣り竿を借り、言われるがままに糸を垂らし、リールを巻いて深さを変えてみますが、いくら待っても手応えは感じられません。

 やがて、他の客から「来た!」「釣れた!」という声が。20〜30センチほどのスルメイカが次々と釣り上げられていきます。うらやましいなーと思いながら、ようやく1時間ほど経ち、私も「ひょっとして」とリールを巻いたら30センチほどのイカが釣れていました。

 それから夜中の11時まで、ひたすら釣りに専念。途中で高根さんに直接指導を受けながら(本文下から2番目の写真で釣り竿を握っているのが筆者)、合計10杯のイカをゲット。氷を詰めた箱で名古屋まで持ち帰り、自分でさばいて食べたイカは最高の味がしました。

 ……と、現地ではこんなふうに楽しませてもらったのですが、あらためてオンラインで高根さんのお話をじっくり聞かせてもらい、ここまで絶望や苦悩を味わっていたことに気づけず、申し訳なく思いました。

 釣りに来る以上の応援や支援について聞くと、「お客さんとか、会う人とはご縁だと思ってますけど、それを当てにするわけでもないですし、うーん……」と、なかなか口にできなさそう。それでも何かいいきっかけが生まれ、状況を打破することになればと願って、この記事を仕上げました。

事業者プロフィール

記者プロフィール

関口威人

関口威人(ジャーナリスト)

1997年、中日新聞社に入社し、初任地は金沢本社(北陸中日新聞)。整理部記者として内勤を終えたあとに片町や香林坊で飲み歩き、休日は能登や加賀をドライブで走り回りました。現在は名古屋を拠点とするフリーランスとして、主にヤフーニュースと東洋経済で防災や地域経済などについて執筆しています。

加藤直人

加藤直人(カメラマン)

三重県伊勢市出身、在住。地元の行事やモータースポーツを被写体としながら、地域防災活動にも取り組み、能登では特に技術系ボランティアの活動を追い掛けてきました。現在は伊勢神宮の2033年の式年遷宮に向けた各種行事も記録しています。